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もともと野に咲く花だから
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元婚約者である州主の二の若君の人生から消える事を決意した菫。
三日後というタイムリミットの中で出来得る限りの準備を始めた。
まずは以前紫檀楼の図書室で読んだ本の中に記されていた薬。
別の効能もあり、そちらの目的の為に服薬する事もあり、紫檀楼の薬箱にいつも常備されていた。
この薬をある一定量服用すれば、菫が望む効能を得られる。
それを自身の禿である菊香に持って来てくれるよう頼んだ。
「異能(魔力)焼けを抑えるお薬ですか?姐さん異能焼けを起こしてるの?」
何故急にそんな薬を必要とするのか、不思議に思った菊香が菫に訊いた。
「永く外界と閉ざされた生活をしてきたから移動中に異能焼けを起こすかもしれないの。念のために持っておきたいのよ」
「なるほど、確かにそうですね。すぐに持って来ます!」
菫が吐いた嘘を素直に聞いて立ち去ってゆく幼い背中を見て、菫はつきんと胸が痛んだ。
ーー嘘を吐いてごめんね菊香……。
次に菫は荷分けをした。
ほとんどの私物は移り住むとされている隠れ里の家に運び込まれる事になっている。
だけど菫はそこに行くつもりはない。
だから必要最低限、どうしても持っていたい物だけを自分の手持ちの鞄に入れる事にした。
この鞄は西方の国から取り寄せたものらしい。
牡丹姐さんが菫の誕生日に贈ってくれたものだ。
見た目はただのビーズや刺繍の施された可愛らしい巾着だが、
その巾着自体に術がかけられており、幾らでも物を詰め込めるのだ。
ーー西方の魔術って面白いわ。
西方に渡ったら菫の持つ異能を活かしての仕事に就きたい、東方の書籍の翻訳でもいい。
気概さえあればなんとでも生きていける。
それを菫は二年間、この紫檀楼で学んだ。
ーー大丈夫。きっと一人でも生きていける。生きていってみせる。
もともと野に咲く花だもの、強く咲き誇ってみせるわ。
その後はお世話になった使用人たちや他の遊君や禿や新造たちへ挨拶に回ったり、牡丹に託す菊莉と菊香の新しい着物や持ち物の注文などをした。
出来る事は全てした。
ただ……
禿二人の行く末を見届けられない事が、紫檀楼での唯一の心残りだ。
菫は菊莉と菊香を抱きしめて二人に告げる。
「ずっと一緒に居てあげられなくてごめんね。今まで良くしてくれて本当にありがとう。二人の事は絶対に忘れない、忘れないわ……」
「「桔梗姐さんっ……」」
「これからの二人の人生、辛い事も悲しい事もあるかもしれない。でもそんな時、心の奥底に灯る温かい灯火があればそれを拠り所として強く生きてゆけるわ。その灯火を見つけなさい。なんだっていいの、菊莉と菊香互いの事でもいいし尊敬する人でも想い人でもいい。可愛がっている犬や猫、小鳥でもいい。何か一つ、本当に大切だと思えるものを胸の中の宝箱に収めて強く、強く生きてゆくのよ……」
菫の心の灯火は若君だった。
「「桔梗姐さんっ!…ふ、……ふぇぇんっ……!」」
いつも一緒の二人は同時にそう言い、同時に泣いた。
「姐さんも幸せになって……!」
「姐さんの旦那さんなら絶対に姐さんを幸せにしてくれますよっ……」
泣きながら言う二人の頭を菫は優しく撫でた。
この二年間。
妹のように接してきた菊莉と菊香。
実際には菫の方が面倒を掛けていたようなものだが、兄が二人いる菫にとって妹と思えるような存在が居てくれて、とても嬉しかったのだ。
ーー二人がどうか、この花街で辛い思いをせずに生きてゆけますように……
菫はそう、願わずにはいられなかった。
そして三日後、
若君の代理として幼い頃より彼を側で支え続ける、
桐生という男が菫を迎えに来た。
「お久しゅうございます菫様。お迎えに上がりました」
三日後というタイムリミットの中で出来得る限りの準備を始めた。
まずは以前紫檀楼の図書室で読んだ本の中に記されていた薬。
別の効能もあり、そちらの目的の為に服薬する事もあり、紫檀楼の薬箱にいつも常備されていた。
この薬をある一定量服用すれば、菫が望む効能を得られる。
それを自身の禿である菊香に持って来てくれるよう頼んだ。
「異能(魔力)焼けを抑えるお薬ですか?姐さん異能焼けを起こしてるの?」
何故急にそんな薬を必要とするのか、不思議に思った菊香が菫に訊いた。
「永く外界と閉ざされた生活をしてきたから移動中に異能焼けを起こすかもしれないの。念のために持っておきたいのよ」
「なるほど、確かにそうですね。すぐに持って来ます!」
菫が吐いた嘘を素直に聞いて立ち去ってゆく幼い背中を見て、菫はつきんと胸が痛んだ。
ーー嘘を吐いてごめんね菊香……。
次に菫は荷分けをした。
ほとんどの私物は移り住むとされている隠れ里の家に運び込まれる事になっている。
だけど菫はそこに行くつもりはない。
だから必要最低限、どうしても持っていたい物だけを自分の手持ちの鞄に入れる事にした。
この鞄は西方の国から取り寄せたものらしい。
牡丹姐さんが菫の誕生日に贈ってくれたものだ。
見た目はただのビーズや刺繍の施された可愛らしい巾着だが、
その巾着自体に術がかけられており、幾らでも物を詰め込めるのだ。
ーー西方の魔術って面白いわ。
西方に渡ったら菫の持つ異能を活かしての仕事に就きたい、東方の書籍の翻訳でもいい。
気概さえあればなんとでも生きていける。
それを菫は二年間、この紫檀楼で学んだ。
ーー大丈夫。きっと一人でも生きていける。生きていってみせる。
もともと野に咲く花だもの、強く咲き誇ってみせるわ。
その後はお世話になった使用人たちや他の遊君や禿や新造たちへ挨拶に回ったり、牡丹に託す菊莉と菊香の新しい着物や持ち物の注文などをした。
出来る事は全てした。
ただ……
禿二人の行く末を見届けられない事が、紫檀楼での唯一の心残りだ。
菫は菊莉と菊香を抱きしめて二人に告げる。
「ずっと一緒に居てあげられなくてごめんね。今まで良くしてくれて本当にありがとう。二人の事は絶対に忘れない、忘れないわ……」
「「桔梗姐さんっ……」」
「これからの二人の人生、辛い事も悲しい事もあるかもしれない。でもそんな時、心の奥底に灯る温かい灯火があればそれを拠り所として強く生きてゆけるわ。その灯火を見つけなさい。なんだっていいの、菊莉と菊香互いの事でもいいし尊敬する人でも想い人でもいい。可愛がっている犬や猫、小鳥でもいい。何か一つ、本当に大切だと思えるものを胸の中の宝箱に収めて強く、強く生きてゆくのよ……」
菫の心の灯火は若君だった。
「「桔梗姐さんっ!…ふ、……ふぇぇんっ……!」」
いつも一緒の二人は同時にそう言い、同時に泣いた。
「姐さんも幸せになって……!」
「姐さんの旦那さんなら絶対に姐さんを幸せにしてくれますよっ……」
泣きながら言う二人の頭を菫は優しく撫でた。
この二年間。
妹のように接してきた菊莉と菊香。
実際には菫の方が面倒を掛けていたようなものだが、兄が二人いる菫にとって妹と思えるような存在が居てくれて、とても嬉しかったのだ。
ーー二人がどうか、この花街で辛い思いをせずに生きてゆけますように……
菫はそう、願わずにはいられなかった。
そして三日後、
若君の代理として幼い頃より彼を側で支え続ける、
桐生という男が菫を迎えに来た。
「お久しゅうございます菫様。お迎えに上がりました」
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