11 / 43
第三章
運命の人来たる
しおりを挟むイグリードがジュリの夢に出て来たそのひと月前、
ようやく長い冬が終わり春の兆しが見え始めた頃のとある王太子のとある執務室での出来事だった。
「アルジノン殿下、たとえ婚約者といえど双眼鏡で覗き見など一歩間違えれば犯罪です。おやめください」
双眼鏡を使って執務室から庭園を覗いているアルジノンを
側近のセオドア(18)が諌めた。
このところ、王太子アルジノンはこの双眼鏡がお気に入りだ。
執務室にいても、
遠く離れた庭園にいる婚約者のジュリの様子がよく見えるからだ。
小鳥のような瞬きも
薄らと上気した頬も
時々現れる眉間のシワも
具に垣間見る事が出来るからだ。
15歳で成人した時から側近として仕えてくれているこの男セオドアと、
覗かれている本人のジュリからは散々やめろと言われているがこんな素晴らしい道具を使わない手はない。
まぁセオドアはともかく
ジュリにはバレなきゃいいのだからと、毛頭やめるつもりはないらしい。
「殿下、そろそろ執務に戻っていただかないと本日の分が終わりません」
「わかったわかった。それにしても今日のお茶会も舌戦が繰り広げられているらしいな。今日は確か、バレンシュタイン侯爵令嬢とダーデリアス伯爵令嬢とその他諸々だったな」
「ああ、それでジュリ様が最上の笑顔で眉間にシワを刻まれているんですね」
「なんでそんな細かいとこまで知ってるんだ?さてはお前も双眼鏡で覗いたな」
そう言ってアルジノンが双眼鏡から目を離してセオドアを見た。
「!…………目はいい方なので」
何故かセオドアはアルジノンを見て微妙な顔をしたが、
とくに何も言わなかったので放っておいた。
が、その理由をその晩の夕食時に知る事となる。
「ジノン様、双眼鏡で覗き見などおやめくださいとあれだけお願いしたではありませんか」
ぎくり。
「な、何の事だ?ジュリ、言いがかりはよしてくれ」
「そうですか。じつは先日、ジノン様の執務室にお届け物を届けに伺った時ついでに双眼鏡に細工をしましたの」
「さ…細、工?」
「ええ。双眼鏡を覗く部分、“目当て”というらしいのですが、そこにちょっと塗料を塗りましたのよ」
「……………。」
「黒い塗料でしてね、東方の国にいる目の周りが黒い白黒の動物みたいになるようにしてみましたの」
「………ほほぅ」
「そして今、わたしの目の前にはその白黒の動物がいる」
「ごめんなさい」
パンダジノンがテーブルに手を着いて謝った。
バンッ
ジュリが景気良くテーブルを叩く。
「それが王太子のやる事か!」
〈くそぅ……セオドアめ……それでさっき人の顔見て微妙な顔をしてたんだな〉
ジュリ、アルジノン共に18歳。
傍から見れば
非の打ち所がない紳士淑女に成長を遂げた二人だが、中身は相変わらずのお騒がせコンビであった。
このまま何事もなければ来年には結婚式を挙げる予定になっている。
製作に一年近くはかかる
ウェディングドレスの準備をそろそろ始めなくてはと、王妃や侍女たちがせっつき出した時の事だった。
「交換臨時大使?グレイソン公国と?」
ジュリは二人で昼食を摂っている時に
アルジノンから交換大使の話をされていた。
「ああ。去年、前グレイソン大公が身罷られたのはジュリも知ってるな?」
「ええもちろん」
グレイソンといえばこの国ハイラムから見て、大陸の西方に位置する小さな小さな大公国だ。
去年、前大公が亡くなられて、公子のディラン様が跡を継がれたと聞く。
長年による干ばつの為にかなり国力が落ちていると耳にしたが……
「弱った国力の回復に助力を願いたいと、向こうからの申し出だ。人員、技術力、出来る事ならこちらからの資金援助も引き出したいところだろうな」
「グレイソン大公国……たしか岩塩が豊富に出る国でしたよね?」
「お、よく学んでいるな、感心感心。そうだ。今回の交換大使と支援を引き受ける代わりに、今後塩にかかる税率を我が国だけは引き下げさせるつもりだ」
「一時的に資金援助をしたとしても長い目で見れば、我が国の利益は大きいわね」
「さすがはジュリ、その通りだ」
アルジノンが優雅な仕草で水の入ったグラスを傾ける。
「そこで来週早々には向こうの大使が到着する事になっている。今後の事も考えて友好な関係を築くに越した事はないからな、国境付近まで俺が直々に迎えに行く」
「ジノン様自ら?どのくらいで戻られます?」
「なんだ?寂しいのか?」
「おほほほほ、何言ってやがるんでございますか?再来週に王太子夫妻の部屋の内装を職人たちと全部決めてしまう予定が入ってるでしょ?一緒に決めたいって言ってたのはジノン様なのよ」
「もちろん覚えてるよ」
「じゃあそれに間に合うようにダッシュで帰って来てね。職人たちもスケジュールを空けてくれてるんだから」
「どんな部屋にする?落ち着いた温かみのある色調で纏めたいな」
「……城の人達が式に向けて動き出してるから一応進めているけど、運命の人と出会って気が変わったらすぐに言ってね。全部キャンセルしなくてはいけないから」
「そんな事言って、全然現れないじゃないか」
「まだ18歳になって日が浅いでしょう、これからなのよ、きっと」
そう、これから。
「ふん、まぁとにかくパッと行ってパッと帰ってくる。土産を楽しみにしてろ」
「……国境付近は風光明媚な所らしいじゃない、双眼鏡も持って行ったら?」
「…………。」
こうして、グレイソンからの臨時大使を迎えるためにアルジノンは旅立って行った。
行程が順調に進めば
一週間ほどで帰城する予定となっている。
しかし
一週間が過ぎても、アルジノンは帰って来なかった。
同行した官吏からは定期的な連絡があり、何か問題が起きているわけではないらしい。
なんでもハイラム国内のライリーという街で臨時大使と交流を深めるために長く滞在しているとか。
〈交流ねぇ……〉
ジュリの頭の中に
ある可能性が浮かんだ。
〈……式の諸々の用意、ストップをかけた方がいいかもしれないわね〉
そして当初の予定を大幅に超過して、
アルジノンとグレイソンの臨時大使が帰城した。
王家の馬車から降りたアルジノンが手を出して、
その人が馬車から降りるのを手助けする。
〈やっぱり……〉
馬車から優雅に降り立つその人は、
まるで物語に登場する
生命の起源を司る女神のような美しさだった。
輝くオリーブグリーンの髪と
宝石のように輝くルビーの瞳を持つ、
グレイソンの姫君である。
43
お気に入りに追加
2,642
あなたにおすすめの小説
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
最悪なお見合いと、執念の再会
当麻月菜
恋愛
伯爵令嬢のリシャーナ・エデュスは学生時代に、隣国の第七王子ガルドシア・フェ・エデュアーレから告白された。
しかし彼は留学期間限定の火遊び相手を求めていただけ。つまり、真剣に悩んだあの頃の自分は黒歴史。抹消したい過去だった。
それから一年後。リシャーナはお見合いをすることになった。
相手はエルディック・アラド。侯爵家の嫡男であり、かつてリシャーナに告白をしたクズ王子のお目付け役で、黒歴史を知るただ一人の人。
最低最悪なお見合い。でも、もう片方は執念の再会ーーの始まり始まり。
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ
愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。
星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。
グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。
それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。
しかし。ある日。
シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。
聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。
ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。
──……私は、ただの邪魔者だったの?
衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。
伝える前に振られてしまった私の恋
メカ喜楽直人
恋愛
母に連れられて行った王妃様とのお茶会の席を、ひとり抜け出したアーリーンは、幼馴染みと友人たちが歓談する場に出くわす。
そこで、ひとりの令息が婚約をしたのだと話し出した。
愛すべきマリア
志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。
学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。
家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。
早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。
頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。
その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。
体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。
しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。
他サイトでも掲載しています。
表紙は写真ACより転載しました。
このたび、あこがれ騎士さまの妻になりました。
若松だんご
恋愛
「リリー。アナタ、結婚なさい」
それは、ある日突然、おつかえする王妃さまからくだされた命令。
まるで、「そこの髪飾りと取って」とか、「窓を開けてちょうだい」みたいなノリで発せられた。
お相手は、王妃さまのかつての乳兄弟で護衛騎士、エディル・ロードリックさま。
わたしのあこがれの騎士さま。
だけど、ちょっと待って!! 結婚だなんて、いくらなんでもそれはイキナリすぎるっ!!
「アナタたちならお似合いだと思うんだけど?」
そう思うのは、王妃さまだけですよ、絶対。
「試しに、二人で暮らしなさい。これは命令です」
なーんて、王妃さまの命令で、エディルさまの妻(仮)になったわたし。
あこがれの騎士さまと一つ屋根の下だなんてっ!!
わたし、どうなっちゃうのっ!? 妻(仮)ライフ、ドキドキしすぎで心臓がもたないっ!!
【完結】貴方を愛するつもりはないは 私から
Mimi
恋愛
結婚初夜、旦那様は仰いました。
「君とは白い結婚だ!」
その後、
「お前を愛するつもりはない」と、
続けられるのかと私は思っていたのですが…。
16歳の幼妻と7歳年上23歳の旦那様のお話です。
メインは旦那様です。
1話1000字くらいで短めです。
『俺はずっと片想いを続けるだけ』を引き続き
お読みいただけますようお願い致します。
(1ヶ月後のお話になります)
注意
貴族階級のお話ですが、言葉使いが…です。
許せない御方いらっしゃると思います。
申し訳ありません🙇💦💦
見逃していただけますと幸いです。
R15 保険です。
また、好物で書きました。
短いので軽く読めます。
どうぞよろしくお願い致します!
*『俺はずっと片想いを続けるだけ』の
タイトルでベリーズカフェ様にも公開しています
(若干の加筆改訂あります)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる