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第二部

それぞれの想い

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「愛ねえ、大きくなったらお医者さんになるんだ」

 愛が得意げに言うので、私は愛にどうして? と問いかけた。

「トーヤくんのお顔、愛がなおしてあげるんだ」

 サングラスをしたトーヤは唇を少し震わせた後、口元を優しく緩ませ愛を抱きしめた。

「ありがとな……本当に愛は優しいなあ……」

 やっとトーヤを雇ってくれるところが見つかったから、今日はファミレスでささやかなお祝いをしている。顔の痣のせいで、何回不採用の連絡を受けたかわからない。だからトーヤも愛も余計に今回のことが嬉しいんだ。

 愛にはトーヤが父親だということを言ってはいない。でもトーヤと一緒に暮らしている。最初はお金を渡してどこかに寝泊まりしてもらうつもりだったが、トーヤは頑なに私が差し出した金を受け取ろうとはしなかった。

 小汚い格好からしてホームレス生活をしていることは明白だった。トーヤがシャワーを浴びてる時こっそり所持品を確認したら、小学生が使うようなマジックテープの財布にはいくらかの小銭と学生証や身分証が大量に入っていた。数々の学生らを恐喝していたのだろうか。この身分証で闇金から金を借りていたのかはわからないが、トーヤの逃亡生活の資金繰りはだいたい予想がついてしまった。

 こんなトーヤを野放しにしたら悪事を繰り返し被害者を増やし、私に許しを乞うための金を作り続けるのかと思うと、それだけは絶対にしてはならないと思った。

 愛はトーヤに助けてもらったことを覚えていて、打ち解けるまでに、全くの時間を必要としなかった。血の繋がった父娘だからなのかわからないが二人の間に違和感の『い』の字も存在しなかった。最近、愛はトーヤにべったりだ。やっぱり親子の間には見えない何かがあるのだろうか。

 郁人さんの時にも垣間見えていたが、まるで今まで父親に甘えられなかった寂しさをトーヤにすべてぶつけているようだ。

 私の愛し方が足りなかったのだろうか。そんなことはないのだろうけど、なんだか妬けてくるんだよな……。

 一緒に暮らし始めた頃は、いつ金を持ち逃げされるか不安で仕方なかった。今でも通帳もカードも印鑑も枕の下に敷いて寝ている。

 でも今のトーヤは金なんかより、間違いなく愛を選ぶだろう。この愛という存在は彼にとってどんな大金にも代え難いものだと深く理解しているのだろうと思う。

 いずれにしても本当の家族であることに間違いはないのだ。私が風俗嬢を続けていることを除けば、ごくごく普通で当たり前な、幸せな三人家族なんだ。
 
 そんな私たちは家族三人はお腹を満たしてファミレスを出た。愛が選んだ白いニット帽を被りトーヤは終始上機嫌だ。これからいつものスーパーに買い物に行く。

 いつものやって! と愛が声を弾ませてせがむ。私とトーヤはそれぞれ愛の手を取りタイミングを合わせてスイングする。愛はへそを出して無邪気に笑う。でもこれをすると私はあの人を思い出してしまうんだ。

 
「わ~い、トーヤくん、お菓子お菓子~」

「おいおい愛、待てって」

 はしゃぐ愛はお菓子コーナーへトーヤを引きずっていく。でもトーヤは終始笑顔だ。スーパーに来ると、いつもこうして一人取り残される。これが私の新しい日常だ。これを幸せと呼ぶのだろう。私はカゴを手に取って顔を上げると視界の隅に何かを捉えた。
  
 私は視界の真ん中で、それに焦点を合わせる。全身に力が入るようで抜けていく。きっと全神経が視界の中に捉われてしまっているのだろう。その横顔は美しく儚げで触れたら壊れてしまいそうな繊細な彫刻のようだ。過去に名を馳せたいかなる彫刻家も、この横顔に勝る作品は創れないだろう。

 そして私の脳裏に焼き付いた、あの忘れえぬラストシーンがフラッシュバックした。私の心はあの時の心境にシンクロする。

 波打つ心臓……。

 暴れ出す心……。

 郁人さんが私に気付かないうちに立ち去って隠れてしまえばいいのに私の瞳が郁人さんを捉えて離さない。まるで私の身体は、私の瞳は、別の誰かに支配されてしまったかのようだ。
  
 そしてついに郁人さんが私の視線に気付いてしまった。距離はだいぶあるが郁人さんの視線が私の身体に巻き付く。私は締め付けられるように苦しくなる。郁人さんが私に近づいてくる。どうすればいいのかわからなくなる。逃げればいい……早く走って店の外へ行け! 頭の中のイかれた脳みそが、そう司令を出しているのに別の何かがこの場に留まることを渇望していた。

 何を話せばいいかもわからないのに……それ以上、私に近づかないで……。あなたを鮮明に感じれば感じるほど私の感情は壊れてしまうから……。
  
「ママー! これ買ってえ!」

 いきなり私の足にしがみついてきた愛に引き戻される。

「どうした? なんかあったか?」

 トーヤもやや遅れて駆け付けてきた。私は焦った。トーヤは郁人さんを目の敵にしている。トーヤが郁人さんの存在に気付いてしまったら、どうなってしまうのだろうか。

「ダ、ダメよ! そんなの! 返しに行くよ!」

 私は愛の手を強引に引き寄せる。

「なんでえ!」

 私は郁人さんに振り返らずにお菓子コーナーへ向うがトーヤはすぐについてこなかった。

 郁人さんの存在に気付いてしまったのかもしれない、と内心冷や冷やしたがトーヤすぐに着いてきたので胸を撫で下ろした。でもサングラスと前髪で顔の半分を覆うトーヤの表情を、はっきりと読み取ることはできなかった。
 
 最後に会ってからいつぶりだろうか。毎日何人もとキスをしているのに、彼とのキスは鮮烈に鮮明に脳裏に焼き付き、あの痛みは私の胸に突き刺さったまま1ミリも動くことなく留まり続けている。

 その夜、私は熱があるんじゃないかと思うほど、ぼおっとしていた。郁人さんを見た時の映像が頭の中でリピートしっぱなしで、その映像を再生し続ける頭が熱を持ったのかもしれない。

 郁人さんは私に近づき何を言うつもりだったのだろう。良くも悪くも気になって仕方がない。

 クールダウンも兼ねて缶チューハイを三口で飲み干した。早くこのリピート再生を止めてくれ。誰も止めてくれないなら寝るしかない。だから私はいつもより早く布団に入り、あっという間に深い眠りに落ちた。
  
 夢の中で誰かがドアをノックしている。そして力強く響く音はドアをぶち破った。意識の向こう側でケータイが鳴っている。……もう朝? 枕元のケータイを手探りで掴んだ。こんな時間に? メールだ。誰から? メールを開くと寝ぼけ眼の私の目はいつも以上に見開いた。

《会って話したいことがあります》

 郁人さんからのメールだったのだ。トーヤが起きてしまいそうなので私は慌ててケータイを布団の中に押し込んだ。布団を被りもう一度確認してしまう。

 今更私なんかと何を話したいのだろう。でも今日あれからずっと気になっていたこと。でも会うのは勇気がいる。何を話したいのかもわからない。でも会うことが許されるのなら私は郁人さんに会いたい。

《わかりました》

 すでに私の指はそう返信していた。そして後日郁人さんと会うことになった。
 
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