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16歳
血
しおりを挟むガラスの割れる音と共に割れた窓から大きな拳が飛び出した。鍵が開けられ割れた窓が乱暴に開けられガラスの破片が崩れ落ちる。そして、その窓枠を窮屈そうにくぐる巌のように大きな身体。太い右腕からは血が出ている。
「彼女から離れろおおおお!」
彼は部室に入るなり、自分のブレザーを脱いで、顔を背けながら私の体にそれを被せた。男たちはたじろぎ後ずさる。
彼は膝を付いて屈み込み、私の腕の拘束を引きちぎりながら言った。
「……さっき無理してでも中に入ってれば、こんなことには……。本当にスマン」
彼の声は震えていた。私は口のガムテープを剥がし、これ以上ない安堵感に嗚咽した。
草井くんはもう大丈夫だから、と言って大きくて分厚い掌で私の頭に軽く触れた。
そして草井くんは振り返った。振り返る瞬間、彼の表情が激しい形相に変わるのを私は見逃さなかった。
「……かっ、かえ、か、帰ったんじゃないのか?」
裏返る元彼の声。
「おかしいと思ったんだ。さっき俺が訪ねた時、ケータイのカメラが起動してるのが目に入ったんだ。DVD見てるのに何を撮るのか気になってな。戻ってきてよかったよ。彼女の裸撮ったんだな? マスクなんて被って下半身晒してる奴がいるけど、何するつもりだったんだ? ああっ!」
元彼は動揺を隠しきれないまま口を走らせる。
「ちょ、ちょっと待てよ。勘違いするなって。撮ってないよ。この女がヤらしてくれるって僕等を誘ってきたんだよ。し、しかもさ、この女淫乱だからさ、こういうシチュエーションが好き……」
草井くんがもういいっ! と怒鳴りロッカーを殴ると、強烈な音と共にロッカーの側面が大きくへこんだ。
「お前らのケータイ俺によこせ」
男たちが出すのを渋っていると、草井くんは、早くしろ! と言ってロッカーを殴る。早くっ! 早くっ! と言いながら何度も殴る。
それを見た男たちは慌ててケータイを草井くんに差し出した。すると草井くんは次々とケータイをロッカーの角に打ちつけて壊していった。マスクをした男たちは呆然とそれを見つめている。四つのケータイを壊し終えると草井くんは言った。
「お前のケータイもよこせ」
「ちょ、ちょっと待てよ。僕は撮ってないよ。それなのに壊されるなんてイヤだよ」
「そんなの信じられるか! 早くよこせっ!」
元彼は両腕を突き出して、とにかく少し落ち着けよ、と懇願した。
「なあ草井、聞いてくれ。ひとつ提案があるんだ」
「そんなの誰が聞くか!」
草井くんはおもいっきりロッカーを殴り、拳を強く握ったまま元彼に詰め寄った。
「待て待て待て! 僕を殴ったら次の大会でられなくなるぞ。僕の父親は病院の院長だ。診断書をでっちあげることだってできるんだぞ。殴るならそれを踏まえて殴れよ」
元彼は引き攣った表情で顎を突き出しほくそ笑んだ。
「ほら、どうした? 殴れ、殴れ、殴れよ。この柔道バカが!」
それを見た草井くんは、怒りに震えながら、自分のズボンを引きちぎれんばかりに握りしめた。
「どうすんだよ、草井。窓割って、ロッカーヘコまして、ケータイ四つも壊してさ。僕が殴られたように装って、先生にチクったら停学になっちゃったりするかもよ? これだけロッカー殴ったら君の拳も腫れるだろ。それを君が僕を殴った証拠にしちゃえばいい。嘘の診断書も作っちゃうか? 眼底骨折全治二ヶ月とかね。大袈裟な眼帯してれば誰もが信用するだろ。そうしたら無期限出場停止も有り得るかもよ? そんなのイヤだろ? おいっ、どうなんだよ。なんか言ってみろよ?」
「……お前って、そんなに腐ってたんだな。誰にも言わないから、さっき撮ったケータイの画像だけは消せよ」
草井くんが怒りを噛み殺しているのがよくわかる。それを見て余計に調子づく元彼は饒舌だ。
「はああ! どうして上から目線なわけ? 今となっては僕は君の柔道人生さえも握ってるんだよ。それにさ、ケータイの画像消しちゃったら、このクソ女が本当の事をチクってしまう可能性があるだろう。だから無理! その替わりと言っちゃなんだけど、今日はこれで終わりにしよう。桜のことも連れて帰っていいよ。そしたら窓ガラスもロッカーも僕等がやったことにしてやるからさ」
沈黙が流れる。全員の脈打つ音が聴こえてきそうな静寂に包まれ草井くんは大きく息を吸って吐いた。
「……ダメだ。やっぱりダメだ。そんな画像残しとくなんて危険過ぎる。消してくれるまで俺は帰らんぞ。壊したケータイは俺が弁償するし、彼女だってきっと誰にも言わないよ。だから、頼む。消してくれ……この通りだ」
草井くんは大きな背中を丸め深々と頭を下げた。元彼に便乗した男の中の一人が言った。
「ケータイの中にどれだけの思い出が詰まってると思ってんだよ? 弁償は当たり前として、オレたちに精神的苦痛を与えたんだから土下座くらいしろよ!」
「ドーゲーザ……ドーゲーザ、ドーゲーザッ、ドーゲーザッ!」
醜悪なる『土下座』コールが鳴り響くが、草井くんは動かない。でも、しばらくすると草井くんの身がゆっくりと沈み始めた。
両膝をつき、躊躇いながら順に手の平をつき頭を下げた草井くんは、握り潰された紙屑のように小さく見えた。私は土下座を見たこともないし、したこともない。私のことなのに土下座させてしまった。
罪悪感と申し訳ない気持ちでいっぱいになる。私なんかのために、こんな屈辱を味合わせてしまうなんて……。さっきまでとは違う種類の涙が流れる。私は立ち上がり、身を伏せる草井くんに駆け寄った。
「草井くん、ゴメン、もういいよ。草井くんがこんなことすることないよ。悪いのは全部私なんだから……」
草井くんの肩に触れると、驚くほど熱く、手の甲には破裂しそうな血管が浮き出ていた。
「これで気が済んだだろ。消してくれ」
「なに言ってんの? この土下座はケータイを壊したことに対してだろ。僕と君との間には土下座で成立する物事は一切ないよ。図体デカいくせに脳みそはちっちゃいんだな。君の選択肢はただ一つ。このまま何事もなかったように帰ることだよ」
草井くんは床に付きそうなくらい頭をを下げて一言だけ言った。
「……頼む」
元彼は失笑した。
「どうしてこんな最低なクソ女のために、そこまでできるんだよ? ……ああ、わかった! 君は舞に惚れてたもんな! 顔が同じだから桜に乗り換えようってわけか。知ってるかも知れないけどこの女は最悪だよ。セックスしたくないからって、双子の妹を、好きにしちやっていいよって、僕に差し出しちゃうんだもん。しかし舞も舞だよなあ。簡単に騙されちゃってさ。キスまでもってくの楽勝だったよ。本当にエロい体しててさ、胸なんか以外とデカいんだよ。さっき桜の体見た? 顔も同じなら、きっと体も同じだぜ。そうか……そういうことか。ヤりたいんだな。この女とヤりたいんだな。早く言ってくれよ。気付いてやれなくてゴメンな。なかなか言い出せなかったんだな。気が利かなくて悪かったよ。いいよいいよ、特別に一番にヤらしてあげるよ」
草井くんは顔を上げて元彼の顔を見上げた。
「清野のことを悪く言うな……」
『清野』とは私ではなく舞のことを言っているのだろう。
元彼は悪ふざけの過ぎる幼児のように、この状況を愉しみ、身を引くことをしようとしない。もう止めて欲しい。とっくに導火線に火が着いているのがわからないの?
「あんなアバズレ女のこと、まだ想ってるのかよ。そんな一途さに涙が出てくるよ……笑いが止まんねえ」
草井くんはむくっと立ち上がった。
「いいぞ殴っても。それができなきゃさっさと失せろ」
私は直感的に思った。もうダメだ、と。草井くんの息遣いが荒くなっている。
元彼は本当に殴らせるつもりなのかもしれない。殴られ怪我してでも草井くんが殴った実証がほしいのかもしれない。でも、きっと軽傷では済まない。何を考えている。わからない。退学に追い込むつもりなのだろうか……。
弓がしなるように、強く硬く握られた拳が後ろに引かれる。そして矢とは言い難い巌のような拳が放たれた。私は咄嗟に草井くんの腕にしがみつく。しかし太い腕は物ともせず私の身体を遠心力で吹き飛ばした。私は頭を打ちつける。派手な音と共に割れて落ちたガラスの破片が太腿を引っ掻いた。どうやら窓ガラスに突っ込んでしまったようだ。
草井くんの狼狽えた様子で言った。
「ああ……なんてことだあ……」
意識はしっかりしている。太腿から出血しているようだが大したことはない。
「私は大丈夫だから」
私を無視して草井くんは、タオルよこせ! とオトコ達に怒鳴り散らす。
汗とは違う液体が頬を滑り落ち赤い雫が床に落ちる。
僕は知らないからな、と言って元彼はうろたえている。
「いいから早くしろ! あと救急車も呼べ!」
「きゅ、救急車呼んだら学校にばれちゃ……」
「そんなこと言ってる場合かよ!」
草井くんと元彼が、そんなやり取りをしているなか、マスクの男が草井くんにタオルを渡した。
草井くんは、動かないで、と言って痛々しい表情で私の顔を拭い始めた。そういえば顔が熱い。頬が熱い。口の中にガラスの破片がある。口から吐き出そうとしても吐き出せない。違和感を舌先が感じとり、頬に触れてみると激痛が走った。私は痛みも何も忘れ立ち上がり一心不乱に鏡を探した。
「桜さん、動いちゃダメだ」
洗面台を見つけ鏡を覗き込むと一気に血の気がひいた。真っ赤な右の頬に鋭利な細いガラスが突き刺さっていたのだ。そんな自分を見て私は気を失った。
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