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16歳
希望と絶望
しおりを挟むあれから私たちは毎日何十回もメールのやり取りをしていて、私の通院時には必ず会っている。本当は毎日会いたいところだけど、彼女でもないのにそれはできないと思った。
今何してるんだろうとか、四六時中トミーくんのことを考えていることに最近気がついた。私の目に映るものが全てトミーくんに繋がっていく。
例えば、ご飯食べている時、トミーくんは何を食べたのか……とか、テレビを見ている時、トミーくんも同じ番組を見てたら話題が増えるな……とか。
私は病気だ。こんなに毎日……いや、毎分毎秒トミーくんのことが頭に浮かぶ。そして自制心を押し切ってメールしてしまう。
私がよくする『今、何してるの?』というメールには、ほとんど一分以内で返信がくる。
その度に心は震え、弾む指先がケータイの上を走り回った。
最近はケータイのアラームで目を覚ます。トミーくんに会う前は目が覚めるまで寝ていた。短い睡眠を繰り返し昼夜逆転してしまっていた生活だった。
そっと玄関を出ると薄暗い静寂が私を出迎える。走ってる車が少ないせいか、早朝の空気は少し綺麗な気がする。人が少ないのもいい。こんな別世界があるなんて、つい最近まで知らなかった。
自転車を十五分くらい走らせると河川敷がある。自転車を停めて、長い階段を登り土手に上がると、夜と朝の境目がある。空は深い藍色で、デコボコした地上の線を青白く縁取る。
古い昨日が終わり、新しい今日が始まる……ということをトミーくんが教えてくれた。
トミーくんは日の出を見るのが好きらしい。赤く燃える太陽が昇っていくのを見ると、生命力がみなぎってくるのだと、病院の屋上から見える日の出の画像を添付してメールしてくれた。一回見てみるといいと薦められ、今では私の日課になった。
でもそれに反して、日が暮れると早く明日になれと強く願うようになった。今日という日よ早く終われ……と現実から逃げようとする。
今でも私はニット帽もマスクも外せないまま……。
新しい今日が始まる度に、このままじゃいけないと思う……変わりたいと願う……だけど無情にも日は繰り返すだけなんだ。
踏み出しては引っ込めて、踏み出しては引っ込めて……砂漠ならとっくに埋もれていることだろう。
親がいる……即ち、住む場所もあれば金もある。生きることに不憫はない。だけど、これは生きているということになるのだろうか。
飯を喰らい、排泄をして、水を使い、ゴミを増やし、二酸化炭素を吐き続ける。私は不法投棄されたガラクタ以下だ。こんな風に考えだすと、すぐ薬に逃げる。
いったい私は何してんだろう……虚ろになって全て忘れた振り。でも頭蓋骨の裏側には、焦がしたフライパンのように黒いのがびっしりこびりついている。そう、今の私は真っ黒なフライパンに洗剤を一滴、また一滴とたらしてるだけ。
擦らなければ綺麗にはならない。自分の手を真っ黒にして、指先にあかぎれをつくりながら、綺麗になるまで擦り続ける。それをしなければ、そのフライパンはただの鉄クズ。
そんな負のループを断ち切ってくれるのは、このメール着信音。
『おはよう。いい朝だね。今日もリハビリ頑張ってくるね』
トミーくんとの繋がりがなかったら、今頃、私はどうしているのだろう。急に会いたいと思った。何故なんだろう……無性にトミーくんに会いたい。
最近、こんなことばっかりだ。こんなにも誰かに会いたいなんて思ったことはない。無論、柏倉にもそんな感情を1ミリも抱いたことはない。私はおかしくなってしまったのだろうか。知らない感情が私の中に次々と芽生えてくる。
私はとりあえずベッドに腰掛けた。しばらくそうしていたけど、ただただもどかしいだけ。この感情に薬は効かない。まだ朝早いけど、とにかく行ってみよう。
陽射しを浴びながら漕ぎ出した自転車はすぐにスピードにのる。バスと電車を乗り継ぐよりも自転車で行った方が早いことを、つい最近知った。
こんなに気持ちいい光のような時間があるのに、深い井戸の底で蓋をされたような闇の時間もある。私の中で光と闇が共存している。でも今は、今だけは無色透明な風になりたい。風になって貴方の元まで吹き抜けるのです。
病院につくと、トイレの個室に入り、髪にブラシを通しながら、汗がひくのを待った。鏡でニット帽とマスクを整える。リハビリしている場所はどこだろう。
私は院内を探索するが、たまにすれ違う患者が怪訝な表情で私に視線を向ける。やっぱり、私は不審者に見えるのだろうか。
私は顔を隠している。私は人であるためのアイデンティティを隠しているのだ。
顔を隠した女優に商品価値は無い。逆をいえば、ある程度売れた女優ならば、商品価値をさらに高めようと美容整形を繰り返す。それほどに顔というパーツは、その人物の存在価値を示すのだ。
それなのにトミーくんは何故、顔を隠した私と仲良くしてくれるのだろう。彼は私のことを一切詮索しない。それがまた居心地がいいんだと思う。
だけどそれは卑怯だ。彼が包み隠さず自分のことを話したのに対し、私はすべて隠している。じゃあ、私は自身のすべて曝け出せばいいのだろうか。
双子の妹をおとしめて、その結果、カッパ頭になり前歯三本と鼻を蹴り折られた、と。
もっと詳しくいえば、私の心は悪魔が棲みつくほど醜いのです、と。
やっぱり私はダメなのかもしれない。一気に気分が萎えて、踵を返したその時だった。
曲がり角から松葉杖で歩くトミーくんが現れた。私に気付かず、私と同じ進行方向へ進む。
距離にして四、五メートル。目の前に在る圧倒的存在感に、煙が風に吹かれるが如く、さっきまで考えていたことがキレイに吹き飛んだ。
そして彼の驚く顔が浮かんだ。そっと後ろから近づいて驚かしてやろうと思った。どんな顔をするのだろう。バカみたいに弾む気持ち。気配を消して彼の背後にゆっくりと忍び寄る。距離にして二、三メートル。彼の肩を掴もうと両手を上げたその時。
「トミー!」
私の世界に割り込む女の声。曲がり角から現れたセーラー服の丈が短めのスカートを翻す女が彼に駆け寄っていく。私は咄嗟に左に曲がり、壁に背をつけて張り付いた。そしてドラマに出てくる銃をかまえた刑事ように、壁から右目だけを覗かせた。
「ちょっと、なんで先いっちゃうの、トミー!」
いたずらに肩で肩を小突いたセーラー服の女は、少しよろけた彼の肩を慌てて支えた。そして健康的で艶やかな脚が彼に歩調を合わせる。
「危ないな。リョーコがいきなり朝から来るからいけないんだよ。それよりさ、学校遅刻していくわけ?」
「そんなのトミーに関係ないじゃん。あたしはあたしのしたいようにするの!」
大袈裟に膨れっ面をする女に、まいったな、と呆れるトミーくん。そして仲睦まじく笑いあう二人はエレベーターに呑み込まれていった。
背中が壁を滑り落ちる。しゃがみ込んだ私はマスクの上から口を押さえる。ああ、そうか……そうだよね……。あんな素敵な人に彼女がいないわけがない。彼女じゃないとしても、彼に好意を持っている女性がいたとしてもおかしくはない。
彼が言っていたように、中学の三年間、女子から無視されていたとしても、彼の本質を見抜けない間抜けで鈍感な女ばかりではないはずだ。
力が抜けていく。私の中の袋が破けてしまった。その中にパンパンに詰まっていた何かが、ドサーッと底から流れ落ちてしまった。
それをかき集め元に戻すことはできない。その詰まっていたモノが何なのかわからないからだ。それに私の心は破けてしまったのだ。
「大丈夫ですか?」
看護師が腰を折って私の眼を覗きこむ。
「……あ、大丈夫です。……少しだけ……夢見てただけですから……」
そう言ってマスクの下で前歯のない口元を吊り上げて私は笑ってみせた。すると看護師は少しだけ表情を強張らせた。
そうか……私は化け物みたいな奴だったことを今思い出した。
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