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Book 1 – 第1巻

Op.1-28 – Prank

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 結城宅に入った明里は練習部屋にまずコントラバスを、その後にエレキベースを運び込み、一旦溜め息をつく。それには楽器2つを運び込んで一息ついたことと、光が練習部屋でピアノを弾いて待っているという淡い期待が打ち砕かれたことへの無念の気持ちが含まれる。

「(あ~起こし行くか……)」

 明里は練習部屋を出てリビングをそのまま真っ直ぐに進み、向かい側の部屋、すなわち光の部屋へと足を踏み入れる。

「(あったか……)」

 リビングは夫妻が外出するということでエアコンが切られ、ほんのりと暖かさが残る中でも少しずつ外の冷気が入り込んできている気配があった。
 しかし、光の部屋のドアを開けた瞬間、暖かく快適な空気が一気に明里の顔面を包み込み、電気が消されて冬の日差しだけを光源とする、外とは隔絶された世界が広がる。

「(寝る気満々やんか……)」

 明里は光のマイペースさに力が抜け、肩が一気に下がる。部屋の右角に目をやると水色を基調としたベッドが隣のX型二段キーボードスタンドの上に置かれたシンセサイザー2台に見守られながら配置されている。
 その羽毛布団が上下に一定のリズムで運動している様子を見て明里はこの幼馴染みをどうしてくれようかと考え込む。

 何か面白い"武器"は無いかと部屋を見回している間、ふと正面の窓の方を見るとホワイトボードカレンダーに光の綺麗な文字でスケジュールが書かれている。
 2月26日 (日) のところには【明里と遊ぶ! ピアノとベース! 15時!】と書き込まれている。

「(何か変なところで子供なんだよなぁ)」

 明里は光が無邪気にこの文字を書いている姿を想像し、思わず吹き出しそうになる。それと同時に自分とのスタンスの違いが浮き彫りになったことを自覚する。

––––私にとって光との練習は緊張の瞬間。そして学びの時間だ。

 光のテクニカルなピアノや時折見せてくるリズムを使ったトリック。これらに惑わされずに正確なベースラインをキープすることは自分の音楽的素養を育むためにも重要なことだ。

 一方で光は音楽に関わること全てを"遊び"と認識している。これは音楽や相手を舐めているということではなく、純粋に"音を楽しんでいる"のだ。彼女にとって音楽は自分を表現するツールであり、そこに彼女の圧倒的才能を織り交ぜることで新しいものを生み出している。

 この2人の音楽への認識の違いが、演奏時の余裕やその自由度に影響を及ぼしている。明里はそれを自覚しつつ、自分がその領域に辿り着けるように日々努力し続けているのだ。

 明里はベッドの方へと向かい、スースーと気持ち良さそうに、静かに寝息を立てている光の側へと寄る。顔が丁度よく見える位置に来た瞬間に光は寝返りを打ってシンセサイザーとは反対方向、ベランダ側へと顔を向け、明里には横顔が向けられる。

「(めちゃくちゃぐっすり寝とるこいつ……)」

 明里は光の右頬を人差し指でツンツンとつつきながら一向に起きそうにない様子に思わず笑ってしまう。

 光は基本的にショートスリーパーで2時間の睡眠で動けるようになり、3時間寝られれば、疲労などはほぼ全回復してしまう。
 また、これは彼女が備え持つタイム感と関係があるのかは分からないが、寝る前に何時間で起きると身体に言い聞かせて眠りに就くことでその設定した時間より5分ほど早く目覚めてしまう。

 念のため毎日目覚まし時計をかけているものの、光は大抵、アラームよりも早く目覚める。舞が光の部屋に呼びに行く時には既に制服に着替え始めていることが多い。
 しかし、今日のような休日や寝る前に何も考えずに寝始めた時、やる事がない時には何時間でも寝られるようでそういう時にはなかなか起きない。

 明里はこうした状況にこれまで何度も遭遇したことがあり、その度にあの手この手とあらゆる手段を使って光を起こしにかかる。また、光も明里に甘えている節があって、どちらかの家での約束の際には何も考えずに眠りに就いてしまうことが多い。

 普通ならば、自分のことを見下しているような印象を受け、敵対してしまいそうなものだが、明里は手のかかる妹的にしか思っていない。
 これには光の人間的魅力の他にも、明里以外の友人たちによると基本的に光が約束に遅れることはないし (準備に手間のかかる子であることは知られているため、30分までは無罪放免と甘やかされている)、マメに連絡も入れているらしい。
 
 それを聞くと何だか明里には気を許せる相手として甘えてくれている気がしてより可愛いと思えてしまうのだ。
 とは言っても光がやらかしていることに変わりはない。こういう時、明里はこの"少し手のかかる妹"を懲らしめてやろうというイタズラ心が湧き、光がうだうだ言うのを期待して何かをしでかしてやろうと行動に移す。

 机の上に置かれたWac book proを起動するとパスワードの入力または指紋認証を要求される。明里は『45104714hikari』と打って簡単に突破してしまう。数字部分のは当て字で『仕事しないよ』を表し、"hikari"は文字通り自分の名前を示す。

 明里は机とシンセの間の隙間に収まり良く設置されている、収納BOX1番上の引き出しからSSDを取り出してPCと接続する。その後、Logical pro Xを起動し、空のMIDIトラック (楽器の演奏情報 (=MIDIデータ) を記録・再生する場所) を作成する。
 その後にインスペクタ (トラックやエフェクトの設定など細かな設定ができるところ) から『インストゥルメント』をクリックし、『Real Drums4』を選択。これは光が使っているドラム音源の外部プラグインでSSDにインストールされている。

 明里は『Real Drums4』のチャイナシンバルとクラッシュシンバルを選択して音量を上げる。これらの音源はシンセサイザーの鍵盤とリンクしており、それを打ち込むことで音を鳴らすことができる。

「はーい、光ちゃんお邪魔するよ~」

 そう小さく呟きながら明里はベッドの上に乗って光に馬乗り状態となり、慎重に這いずって光の顔がよく見える位置まで移動する。再び寝返りを打って仰向けになっている光の耳にそっとヘッドホンを装着。
 その後、腕を伸ばしてチャイナシンバルとクラッシュシンバルがそれぞれリンクしているC♯2とE2を同時に思い切りよく押す。

 ヘッドホンの隙間からも音漏れするほどの大音量。光がビクッとなったのを確認し、そのまま一定のリズムで何度も鳴らし、光の耳にシンバルの音が鳴り響く。

「うるさい! うるさい!」

 光は驚いて飛び起きる。光の下半身部分に乗ってペタンと女の子座りしている明里の額に勢いよく頭をぶつけ、2人は同時に叫ぶ。

「痛い!!」

 光は再び枕に後頭部を置いて横になり、そのままぶつけた頭の箇所を押さえる。明里も光の上に乗ったまま額を押さえて悶える。

「勢いよく起きすぎたい、バカ」
「馬鹿みたいな音量で鳴らすけんやろ」

 2人はお互いに罵倒し合うも徐々に笑いに変わっていく。明里は不意に枕の両側に手をついて光の顔に自分の顔を近付ける。

「わぁ、ガチ恋距離。これが壁ドン。ん? 違うか、枕ドン? 分からん」

 明里は自分を見ながら茶化す光をじっと見つめたまま話しかける。

「約束の時間無視して寝とったやろ」

 光は顔を横に向けて視線を逸らしながら気まずそうに小さく呟く。

「ごめんなさい……」

 明里は満足そうな表情を浮かべると顔を離し、光の頭を軽くはたいた。


<用語解説>
・MIDIトラック:楽器の演奏情報 (=MIDIデータ) を記録・再生するトラック。いわゆる「打ち込み」と呼ばれる作業をする際に使うトラックである。

・オーディオトラック:歌やギターなど、レコーディングした波形を編集するトラック。「レコーディング」と呼ばれる作業をする際に使うトラックである。

・外部プラグイン:ソフトウェアには、外部プログラムを追加することで機能拡張できる仕組みを備えたものがある。この仕組みで追加する外部プログラムのことを「プラグイン」という。ここではDAWにDAWに存在しない機能を追加することで追加音源や追加エフェクトのことを指す。

DTMで使用されるプラグインには主にソフトシンセとエフェクトの2種類があり、値段は無料のものから数十万円するものまで多岐にわたる。

・ソフトシンセ:主にMIDIで打ち込める音色 (楽器など) のこと。ギター・ベース・ドラム・ストリングス・など生の楽器はもちろん、電子ドラム・シンセサイザーなどの電子楽器やVOCALOIDもソフトシンセにあたる。

・エフェクト:文字通り音を加工するエフェクトのこと。リヴァーブ・ディスト―ション・ディレイなどの有名なものは勿論、ギターのアンプシミュレーターなども音を加工するものであるため、エフェクトプラグインにあたる。

※作中のDAWソフト『Logical pro X』における画面上の名称は『Logic pro X』を参考として表記する。

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