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ゾンビの坩堝【10】
ゾンビの坩堝(94)【終】
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「あっ、き、着替えましょうね」
ディアはウーパーの手を借り、自分には後ろを向かせて、こっちの足上げて、次はこっち、とあたふたやった。もういいよ、と言われて見ると、ノラはグレーのルームウェアの上下、その上にダウンジャケットを着せられていた。
「指導局から返却してもらった物だけじゃ寒いから、わたしのダウンジャケットを貸してあげる。履き物は、ここのサンダルを借りていくしかないね。そうそう、首のそれ、外さないと」
ディアはふけだらけの髪をかき分け、青黒い首からウォッチを外した。2540の表示が消えかけたそれは、ウーパーによって床頭台に置かれた。
「迎えはもうじきだし、このまま行っちゃいましょうか」
そう言ってディアはノラの左腕を取ったが、足腰の衰えた体は右側に崩れそうだった。
「ちょっと、手を貸してくれる?」
ためらったものの、自分はノラの右手側に立った。むっとする体臭が存在を濃くする。振り払われるのでは、とおっかなびっくり取ったダウンジャケット越しのそれは細く、もろそうでいて、しかし容易には折れなさそうだった。がちゃ目は正面を向いたまま、ふっ、ふっ、と荒い息でひたすら床を踏みしめていた。ディアの空いている手に荷物を渡し、ウーパーはロバ先生のしわだらけの手を取る。
そうして148号室を一歩、一歩出て、ひっそりとした通路をエレベーターホールへ……おぼつかない足取りを左右から支え、すえた汗をにじませて慎重に踏みしめる自分はノラの体臭どころではなくなり、いち……にい……いち……にい……というディアのかけ声もあって、ぎこちなかった呼吸がだんだんと合うようになる。そして肩や腕、下半身から力みが抜けてきた頃には、支えているはずなのだが、支えられてもいるような、そんな不思議な感覚になった。
ようやく到着したエレベーターホールでは、ぐったりと椅子に座っていたヘッドが立ち上がり、距離を取りつつ見世物のようにノラを矯めつ眇めつする。ノラを手すりにつかまらせ、ディアに任せて、自分は106号室から荷物を提げてきた。
「退所します。お世話になりました」
ディアはヘッドに頭を下げ、ちょっと待っていてください、と断ってノラを自分に任せ、左手を手すりに沿わせながら南館の奥に歩いていった。足を止めたのは、南東の角部屋……硬いノック音が通路に響いたが、応答はなかった。まさか、ジャイ公が居残るとは自分も思っていなかった。
「困ったことがあったら……――」
片引き戸越しにディアが支援団体の連絡先を伝えたとき、隣室からミッチーの出っ歯が飛び出す。
「うるっせえんだよ! さっさとうせろっ!」
そして、どんっと片引き戸は閉められてしまった。まるで、沈む船からすくんで逃げ出せないネズミ……目元に憂いをにじませ、うつむいて戻ってきたディアにヘッドは、明日のうちに警察に引きずり出されるだろう、と黒い肩を冷ややかにすくめた。
「……行きましょうか」
ディアは荷物を持ち、ノラの左腕を取った。ヘッドにロック解除され、開いたエレベーターに乗る、ディアとノラ、そして自分……ウーパーとロバ先生……ドアが閉じ、がくんと下りていく。エレベーター内もそうだが、もったいぶって開いたドアの先のひっそりとした一階フロア、正面玄関もまた、収容時とはまったくの別ものに見えた。ひるみ、ぐらつきそうになった自分は、ディアのかけ声に引っ張られ、いち……にい……と足を前に出していき、そっけなく自動で開いた玄関ドアから、ぞわっとする寒風に切りつけられた。
「あれよ」
長髪を吹き乱されるディアの視線の先、正面玄関前に白のコンパクトミニバンがハザードランプを点滅、アイドリングしながら停車しており、支援団体関係者らしい人物が張り詰めた微笑で立つ。その後方、施設の敷地外にはゾンビを排斥する横断幕、プラカードを掲げた群れがあった。地平からわき上がる濁り、血の気を奪う寒さのせいか、それらの顔は色がひどく悪かった。研ぐような鈍色の風の音が鼓膜を震わせ、あの止めどないユニゾンがかすかに混じってくる。自分は微熱でかすみそうな目を凝らし、冷えきった地を踏みしめようとするノラの腕をしっかりとつかんだ。
(了)
ディアはウーパーの手を借り、自分には後ろを向かせて、こっちの足上げて、次はこっち、とあたふたやった。もういいよ、と言われて見ると、ノラはグレーのルームウェアの上下、その上にダウンジャケットを着せられていた。
「指導局から返却してもらった物だけじゃ寒いから、わたしのダウンジャケットを貸してあげる。履き物は、ここのサンダルを借りていくしかないね。そうそう、首のそれ、外さないと」
ディアはふけだらけの髪をかき分け、青黒い首からウォッチを外した。2540の表示が消えかけたそれは、ウーパーによって床頭台に置かれた。
「迎えはもうじきだし、このまま行っちゃいましょうか」
そう言ってディアはノラの左腕を取ったが、足腰の衰えた体は右側に崩れそうだった。
「ちょっと、手を貸してくれる?」
ためらったものの、自分はノラの右手側に立った。むっとする体臭が存在を濃くする。振り払われるのでは、とおっかなびっくり取ったダウンジャケット越しのそれは細く、もろそうでいて、しかし容易には折れなさそうだった。がちゃ目は正面を向いたまま、ふっ、ふっ、と荒い息でひたすら床を踏みしめていた。ディアの空いている手に荷物を渡し、ウーパーはロバ先生のしわだらけの手を取る。
そうして148号室を一歩、一歩出て、ひっそりとした通路をエレベーターホールへ……おぼつかない足取りを左右から支え、すえた汗をにじませて慎重に踏みしめる自分はノラの体臭どころではなくなり、いち……にい……いち……にい……というディアのかけ声もあって、ぎこちなかった呼吸がだんだんと合うようになる。そして肩や腕、下半身から力みが抜けてきた頃には、支えているはずなのだが、支えられてもいるような、そんな不思議な感覚になった。
ようやく到着したエレベーターホールでは、ぐったりと椅子に座っていたヘッドが立ち上がり、距離を取りつつ見世物のようにノラを矯めつ眇めつする。ノラを手すりにつかまらせ、ディアに任せて、自分は106号室から荷物を提げてきた。
「退所します。お世話になりました」
ディアはヘッドに頭を下げ、ちょっと待っていてください、と断ってノラを自分に任せ、左手を手すりに沿わせながら南館の奥に歩いていった。足を止めたのは、南東の角部屋……硬いノック音が通路に響いたが、応答はなかった。まさか、ジャイ公が居残るとは自分も思っていなかった。
「困ったことがあったら……――」
片引き戸越しにディアが支援団体の連絡先を伝えたとき、隣室からミッチーの出っ歯が飛び出す。
「うるっせえんだよ! さっさとうせろっ!」
そして、どんっと片引き戸は閉められてしまった。まるで、沈む船からすくんで逃げ出せないネズミ……目元に憂いをにじませ、うつむいて戻ってきたディアにヘッドは、明日のうちに警察に引きずり出されるだろう、と黒い肩を冷ややかにすくめた。
「……行きましょうか」
ディアは荷物を持ち、ノラの左腕を取った。ヘッドにロック解除され、開いたエレベーターに乗る、ディアとノラ、そして自分……ウーパーとロバ先生……ドアが閉じ、がくんと下りていく。エレベーター内もそうだが、もったいぶって開いたドアの先のひっそりとした一階フロア、正面玄関もまた、収容時とはまったくの別ものに見えた。ひるみ、ぐらつきそうになった自分は、ディアのかけ声に引っ張られ、いち……にい……と足を前に出していき、そっけなく自動で開いた玄関ドアから、ぞわっとする寒風に切りつけられた。
「あれよ」
長髪を吹き乱されるディアの視線の先、正面玄関前に白のコンパクトミニバンがハザードランプを点滅、アイドリングしながら停車しており、支援団体関係者らしい人物が張り詰めた微笑で立つ。その後方、施設の敷地外にはゾンビを排斥する横断幕、プラカードを掲げた群れがあった。地平からわき上がる濁り、血の気を奪う寒さのせいか、それらの顔は色がひどく悪かった。研ぐような鈍色の風の音が鼓膜を震わせ、あの止めどないユニゾンがかすかに混じってくる。自分は微熱でかすみそうな目を凝らし、冷えきった地を踏みしめようとするノラの腕をしっかりとつかんだ。
(了)
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