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ゾンビの坩堝【8】
ゾンビの坩堝(80)
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「あっちとこっち、行ったり来たりよりも効率的だろ。お前はもう、ボケジジイの世話をしなくていいぞ。また3301番にやってもらうから」
北館の最前列端にいたウーパーが、えっ、と顔を上げる。それには目もくれず、ジャイ公は返された紙を挙げた。
「掲示板に貼っておくからな。今日中に移動するんだぞ」
その後の、指導局の事務連絡では、被収容者のプライバシー保護、個人情報漏洩防止のため、今後は共同電話での会話、手紙の内容、タブレットによるオンライン面会をより厳しくチェックするという話があり、朝礼は終わって一時の結合は切れた。マール、マール、マール……自分はさっきの発表を反芻し、ぽつんと立ち尽くすウーパー、あ然としたディアをうかがって、一歩一歩確かめながら106号室に近付いていった。
片引き戸を開けたそこでは、ロバ先生がパイプベッドで横になっていた。夢から覚めた気がしたが、今やあそこは自分の場所なのだと上書きしていく……それなりに空調の効く、やりっ放しの糞尿も耳障りなうめきもない、自分だけの部屋……しかも、誰の世話もしなくていい……嬉しくないわけがない……それにしても、なぜ自分がこんな厚遇を受けるのだろう。取り巻きではないし、選挙運動で目立っていたわけでもない。他の被収容者を差し置いて、という心当たりがないことから不安は深まっていった。理由も分からずに引き上げられるのなら、その逆だってあり得るのでは……――
「どかしてやるよ」
濡れたどら声に振り返ると、ジャイ公が屹立していた。思わず横にどく自分の前でミッチーとフォックスがロバ先生を叩き起こし、うろたえるのも構わずに左右から腕をつかんで通路に引っ張り出した。震え上がった面長の老人は、屠殺場に引きずり出された家畜みたいだった。
「ジジイ、ここはもうお前の部屋じゃねえ」
ロバ先生の黒サンダルを蹴り出し、腕組みのジャイ公が肉厚なあごを上げる。
「あっちの端っこだ。しっしっ!」
裸足で放り出され、ロバ先生はデイルームをふらついた。それをディアが呼び止め、腕を取った途端にウォッチが騒ぎ出す。
「うるせえぞ、オカマ! さっさと連れてけ!」
ジャイ公の罵声、ミッチーらの下卑た笑いに追い立てられ、ディアは黒サンダルを拾ってロバ先生と離れ、デイルームの角を曲がって見えなくなった。ジャイ公がこちらの室内をのぞき、おむつとかまとめておけよ、と気さくに言う。
「配達係に渡してくれれば、あっちに届けてやる。お前の私物も引き取ってきてやるよ。あんな臭えところ、もう近付きたくもないだろ。――そういうことだから、頼むぞ」
取り巻きのチンパンが、ぺこっとして請け合う。自分は吹き出物が破れたような愛想笑いをし、ジャイ公一派を見送って片引き戸を閉めた。乱れたシーツに掛け布団のパイプベッド、床頭台が突っ立っているばかりの、間仕切りカーテンもカーテンレールもない空間……ロバ先生には気の毒だが、自治会長が決めたことだから……自分は重たい体を動かし、壁際のバケツや尿取りパット、洗面用具などをまとめにかかった。
北館の最前列端にいたウーパーが、えっ、と顔を上げる。それには目もくれず、ジャイ公は返された紙を挙げた。
「掲示板に貼っておくからな。今日中に移動するんだぞ」
その後の、指導局の事務連絡では、被収容者のプライバシー保護、個人情報漏洩防止のため、今後は共同電話での会話、手紙の内容、タブレットによるオンライン面会をより厳しくチェックするという話があり、朝礼は終わって一時の結合は切れた。マール、マール、マール……自分はさっきの発表を反芻し、ぽつんと立ち尽くすウーパー、あ然としたディアをうかがって、一歩一歩確かめながら106号室に近付いていった。
片引き戸を開けたそこでは、ロバ先生がパイプベッドで横になっていた。夢から覚めた気がしたが、今やあそこは自分の場所なのだと上書きしていく……それなりに空調の効く、やりっ放しの糞尿も耳障りなうめきもない、自分だけの部屋……しかも、誰の世話もしなくていい……嬉しくないわけがない……それにしても、なぜ自分がこんな厚遇を受けるのだろう。取り巻きではないし、選挙運動で目立っていたわけでもない。他の被収容者を差し置いて、という心当たりがないことから不安は深まっていった。理由も分からずに引き上げられるのなら、その逆だってあり得るのでは……――
「どかしてやるよ」
濡れたどら声に振り返ると、ジャイ公が屹立していた。思わず横にどく自分の前でミッチーとフォックスがロバ先生を叩き起こし、うろたえるのも構わずに左右から腕をつかんで通路に引っ張り出した。震え上がった面長の老人は、屠殺場に引きずり出された家畜みたいだった。
「ジジイ、ここはもうお前の部屋じゃねえ」
ロバ先生の黒サンダルを蹴り出し、腕組みのジャイ公が肉厚なあごを上げる。
「あっちの端っこだ。しっしっ!」
裸足で放り出され、ロバ先生はデイルームをふらついた。それをディアが呼び止め、腕を取った途端にウォッチが騒ぎ出す。
「うるせえぞ、オカマ! さっさと連れてけ!」
ジャイ公の罵声、ミッチーらの下卑た笑いに追い立てられ、ディアは黒サンダルを拾ってロバ先生と離れ、デイルームの角を曲がって見えなくなった。ジャイ公がこちらの室内をのぞき、おむつとかまとめておけよ、と気さくに言う。
「配達係に渡してくれれば、あっちに届けてやる。お前の私物も引き取ってきてやるよ。あんな臭えところ、もう近付きたくもないだろ。――そういうことだから、頼むぞ」
取り巻きのチンパンが、ぺこっとして請け合う。自分は吹き出物が破れたような愛想笑いをし、ジャイ公一派を見送って片引き戸を閉めた。乱れたシーツに掛け布団のパイプベッド、床頭台が突っ立っているばかりの、間仕切りカーテンもカーテンレールもない空間……ロバ先生には気の毒だが、自治会長が決めたことだから……自分は重たい体を動かし、壁際のバケツや尿取りパット、洗面用具などをまとめにかかった。
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