58 / 94
ゾンビの坩堝【7】
ゾンビの坩堝(58)
しおりを挟む
「臭いな、この部屋……」
壁際に敷いたバスタオルの上で膝を崩し、昼食のトレイを載せたディアがつぶやく。先割れスプーンが止まった自分は、あぐらをかいた寝床からそちらを斜にうかがった。床頭台のテレビはゾンビ病患者の増加をセンセーショナルに特集し、コマーシャルのインターバルに入っている。その液晶画面が見えるように間仕切りカーテンを開けていたので、こちらの視線は相手のそれとかすった。
すみません……――
食器の間に目を落とし、ぼそっと唇を尖らせる……この部屋の問題は、何もかも自分の責任と感じられた。するとディアは慌てて、首を左右に振った。
「違うの、あなたが謝ることじゃなくて……その、そうじゃなくて……奥の子、もうずっとシャワーを浴びていないでしょう。それがかわいそうでね……」
かわいそう……――
思いがけない言葉に自分は戸惑った。臭いことは確かだが、そんなふうに思ったことはない……思えるはずもないし、第一、シャワールームまで連れ出せるはずもない……そんなやり取りをよそに、奥では一心不乱な咀嚼音がしている。ノラは間仕切りカーテン内にトレイを引き込むようになり、排泄もこちらが不在のときにやるようになって、ほとんど姿を見せなくなっていた。
だったら、世話を投げ出すな……――
自分はそれを飲み込んだ。くすぶる脳裏は黒ずみ、薄暗くなっていく……体調が悪くたって、かじりついていればよかったじゃないか……そうだったら、あいつの世話を押し付けられることはなかった……あんなことも起きなかったはず……――
重症化リスク、ありますからね……――
口から出てきたのは、そんな言い訳じみた言葉だった。すると、それはデマよ、と意外な答えが返ってきた。
「そういったエビデンスは、ない……海外では、いくつもの専門機関が否定しているの。だけどこの国では、ゾンビには近付くなって叫ばれているのよ」
初耳だった。海外の大手メディアで報道されてもいるそうだが、にわかには信じられなかった。確かめようにも収容時に携帯電話を取り上げられ、テレビのチャンネルは限られている……ジャイ公たちは例外として、自治会長以下みんなでばらけ、そっぽを向き合っているのが間違いなのだろうか……そんなはずはない。あれだけたくさんの人間が間違っているなんて……自分が低迷しているのは、ノラのせいに決まっている……――
そう、ですか……――
そして自分は、もやしとキャベツのカレー炒めをもそもそかんだ。しばらくは各々の咀嚼音だけになった。麦茶を飲み、先割れスプーンを置いた自分にディアは舌をもつれさせ、ごめんなさい、と目を伏せた。
壁際に敷いたバスタオルの上で膝を崩し、昼食のトレイを載せたディアがつぶやく。先割れスプーンが止まった自分は、あぐらをかいた寝床からそちらを斜にうかがった。床頭台のテレビはゾンビ病患者の増加をセンセーショナルに特集し、コマーシャルのインターバルに入っている。その液晶画面が見えるように間仕切りカーテンを開けていたので、こちらの視線は相手のそれとかすった。
すみません……――
食器の間に目を落とし、ぼそっと唇を尖らせる……この部屋の問題は、何もかも自分の責任と感じられた。するとディアは慌てて、首を左右に振った。
「違うの、あなたが謝ることじゃなくて……その、そうじゃなくて……奥の子、もうずっとシャワーを浴びていないでしょう。それがかわいそうでね……」
かわいそう……――
思いがけない言葉に自分は戸惑った。臭いことは確かだが、そんなふうに思ったことはない……思えるはずもないし、第一、シャワールームまで連れ出せるはずもない……そんなやり取りをよそに、奥では一心不乱な咀嚼音がしている。ノラは間仕切りカーテン内にトレイを引き込むようになり、排泄もこちらが不在のときにやるようになって、ほとんど姿を見せなくなっていた。
だったら、世話を投げ出すな……――
自分はそれを飲み込んだ。くすぶる脳裏は黒ずみ、薄暗くなっていく……体調が悪くたって、かじりついていればよかったじゃないか……そうだったら、あいつの世話を押し付けられることはなかった……あんなことも起きなかったはず……――
重症化リスク、ありますからね……――
口から出てきたのは、そんな言い訳じみた言葉だった。すると、それはデマよ、と意外な答えが返ってきた。
「そういったエビデンスは、ない……海外では、いくつもの専門機関が否定しているの。だけどこの国では、ゾンビには近付くなって叫ばれているのよ」
初耳だった。海外の大手メディアで報道されてもいるそうだが、にわかには信じられなかった。確かめようにも収容時に携帯電話を取り上げられ、テレビのチャンネルは限られている……ジャイ公たちは例外として、自治会長以下みんなでばらけ、そっぽを向き合っているのが間違いなのだろうか……そんなはずはない。あれだけたくさんの人間が間違っているなんて……自分が低迷しているのは、ノラのせいに決まっている……――
そう、ですか……――
そして自分は、もやしとキャベツのカレー炒めをもそもそかんだ。しばらくは各々の咀嚼音だけになった。麦茶を飲み、先割れスプーンを置いた自分にディアは舌をもつれさせ、ごめんなさい、と目を伏せた。
1
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
「メジャー・インフラトン」序章3/7(僕のグランドゼロ〜マズルカの調べに乗って。少年兵の季節 FIRE!FIRE!FIRE!No2. )
あおっち
SF
とうとう、AXIS軍が、椎葉きよしたちの奮闘によって、対馬市へ追い詰められたのだ。
そして、戦いはクライマックスへ。
現舞台の北海道、定山渓温泉で、いよいよ始まった大宴会。昨年あった、対馬島嶼防衛戦の真実を知る人々。あっと、驚く展開。
この序章3/7は主人公の椎葉きよしと、共に闘う女子高生の物語なのです。ジャンプ血清保持者(ゼロ・スターター)椎葉きよしを助ける人々。
いよいよジャンプ血清を守るシンジケート、オリジナル・ペンタゴンと、異星人の関係が少しづつ明らかになるのです。
次の第4部作へ続く大切な、ほのぼのストーリー。
疲れたあなたに贈る、SF物語です。
是非、ご覧あれ。
※加筆や修正が予告なしにあります。
影の多重奏:神藤葉羽と消えた記憶の螺旋
葉羽
ミステリー
天才高校生・神藤葉羽は、幼馴染の望月彩由美と共に平穏な日常を送っていた。しかし、ある日を境に、葉羽の周囲で不可解な出来事が起こり始める。それは、まるで悪夢のような、現実と虚構の境界が曖昧になる恐怖の連鎖だった。記憶の断片、多重人格、そして暗示。葉羽は、消えた記憶の螺旋を辿り、幼馴染と共に惨劇の真相へと迫る。だが、その先には、想像を絶する真実が待ち受けていた。
INNER NAUTS(インナーノーツ) 〜精神と異界の航海者〜
SunYoh
SF
ーー22世紀半ばーー
魂の源とされる精神世界「インナースペース」……その次元から無尽蔵のエネルギーを得ることを可能にした代償に、さまざまな災害や心身への未知の脅威が発生していた。
「インナーノーツ」は、時空を超越する船<アマテラス>を駆り、脅威の解消に「インナースペース」へ挑む。
<第一章 「誘い」>
粗筋
余剰次元活動艇<アマテラス>の最終試験となった有人起動試験は、原因不明のトラブルに見舞われ、中断を余儀なくされたが、同じ頃、「インナーノーツ」が所属する研究機関で保護していた少女「亜夢」にもまた異変が起こっていた……5年もの間、眠り続けていた彼女の深層無意識の中で何かが目覚めようとしている。
「インナースペース」のエネルギーを解放する特異な能力を秘めた亜夢の目覚めは、即ち、「インナースペース」のみならず、物質世界である「現象界(この世)」にも甚大な被害をもたらす可能性がある。
ーー亜夢が目覚める前に、この脅威を解消するーー
「インナーノーツ」は、この使命を胸に<アマテラス>を駆り、未知なる世界「インナースペース」へと旅立つ!
そこで彼らを待ち受けていたものとは……
※この物語はフィクションです。実際の国や団体などとは関係ありません。
※SFジャンルですが殆ど空想科学です。
※セルフレイティングに関して、若干抵触する可能性がある表現が含まれます。
※「小説家になろう」、「ノベルアップ+」でも連載中
※スピリチュアル系の内容を含みますが、特定の宗教団体等とは一切関係無く、布教、勧誘等を目的とした作品ではありません。
法術装甲隊ダグフェロン 永遠に続く世紀末の国で 野球と海と『革命家』
橋本 直
SF
その文明は出会うべきではなかった
その人との出会いは歓迎すべきものではなかった
これは悲しい『出会い』の物語
『特殊な部隊』と出会うことで青年にはある『宿命』がせおわされることになる
法術装甲隊ダグフェロン 第二部
遼州人の青年『神前誠(しんぜんまこと)』が発動した『干渉空間』と『光の剣(つるぎ)により貴族主義者のクーデターを未然に防止することが出来た『近藤事件』が終わってから1か月がたった。
宇宙は誠をはじめとする『法術師』の存在を公表することで混乱に陥っていたが、誠の所属する司法局実働部隊、通称『特殊な部隊』は相変わらずおバカな生活を送っていた。
そんな『特殊な部隊』の運用艦『ふさ』艦長アメリア・クラウゼ中佐と誠の所属するシュツルム・パンツァーパイロット部隊『機動部隊第一小隊』のパイロットでサイボーグの西園寺かなめは『特殊な部隊』の野球部の夏合宿を企画した。
どうせろくな事が怒らないと思いながら仕事をさぼって参加する誠。
そこではかなめがいかに自分とはかけ離れたお嬢様で、貴族主義の国『甲武国』がどれほど自分の暮らす永遠に続く20世紀末の東和共和国と違うのかを誠は知ることになった。
しかし、彼を待っていたのは『法術』を持つ遼州人を地球人から解放しようとする『革命家』の襲撃だった。
この事件をきっかけに誠の身辺警護の必要性から誠の警護にアメリア、かなめ、そして無表情な人造人間『ラスト・バタリオン』の第一小隊小隊長カウラ・ベルガー大尉がつくことになる。
これにより誠の暮らす『男子下士官寮』は有名無実化することになった。
そんなおバカな連中を『駄目人間』嵯峨惟基特務大佐と機動部隊隊長クバルカ・ラン中佐は生暖かい目で見守っていた。
そんな『特殊な部隊』の意図とは関係なく着々と『力ある者の支配する宇宙』の実現を目指す『廃帝ハド』の野望はゆっくりと動き出しつつあった。
SFお仕事ギャグロマン小説。
骸を喰らいて花を咲かせん
藍染木蓮 一彦
SF
遺伝子操作された少年兵たちが、自由を手に入れるまでの物語───。
第三次世界大戦の真っ只中、噂がひとり歩きしていた。
鬼子を集めた、特攻暗殺部隊が存在し、陰で暗躍しているのだとか。
【主なキャラクター】
◾︎シンエイ
◾︎サイカ
◾︎エイキ
【その他キャラクター】
◾︎タモン
◾︎レイジ
◾︎サダ
◾︎リュウゴ
◾︎イサカ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる