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ゾンビの坩堝【1】
ゾンビの坩堝(2)
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ヘッドはモニター脇に控える、病衣の上に寒色の半纏を着た初老男性の一礼をダークスモークの曲面でぐにゃりとさせた。白髪染めなのか、いやに黒々とした五分刈りの頭を上げ、こちらへ斜になった青白い無表情は老いたヒツジを思わせた。寒色の半纏姿はいくらか右に傾いており、左手首のウォッチには451と表示されている。このゾンビが自治会長……うかがいながら比べた肌は、こちらの青みの方が薄い……今のところは……――
「さ、立て。4891番」
腕組みを解き、ヘッドは黒グローブの手を打ち合わせた。腰が思うように上がらず、自分は両膝に手を置き、踏ん張って立ち上がった。
「4891番、〈徳輪〉に興味はあるか?」
くぐもった問いかけに戸惑うと、バックグラウンド・ミュージックのせせらぎが耳に流れ込んでくる。マール、マール、マール、マール……天井のスピーカーから延々と流れる、年齢性別不詳の単調な斉唱、ユニゾン……音声合成かもしれないそれは、このくすんだ古臭い施設の血流のようでもあった。
「闘病の助けになるぞ、徳輪の教えは」味わい深そうに、ヘッドはうなずいた。「この〈徳念〉も、被収容者のために昼夜を分かたず流しているんだ。徳輪の集会は定期的に開かれているから、顔を出してみるといい」
評価にもプラスになるかもしれないぞ、と予備校講師みたいに付け加え、ヘッドはエレベーターのドア横にある操作パネルに触れ、ロック解除で開いたところにさっさと乗り込んだ。完全防備でも、ゾンビ相手はできるだけ短く済ませたいらしい。閉じるドアに一礼した自治会長はこちらを一瞥し、崩れたしわのヒツジ面を背けて、自治会の一員としてルールを守るように、とつぶやくように言った。これがこの施設に限らず、今日の一般的なコミュニケーション・マナー……発症者はもちろん、健常者と見分けのつかない予備軍に近付くだけでも感染し、重症化するという通説からの振る舞い……自治会長は、周りに迷惑をかけないように、同室者とは助け合うように、と心得を説き、デイルームの共同電話、カウンターに据え置きのタブレット、『がんばろう自分』という標語と微笑むアイドルのポスターが貼り出された掲示板――ホワイトボードといったものを事務的に説明して、自分に椅子を隅に片付けさせてから、付いてくるように、と右に傾いだ背中をがくっと向けた。するとデイルームの照明がふっと消え、辺りは薄暗がりに埋もれて……デイルームから薄明かりの通路、うとうとする常夜灯の下へ……マール、マール、マール……よどみない徳念とは対照的に自治会長の歩みはのろく、やや内向きの右足が出るたび、がく、がく、とそちらに揺れる。遅れないようについ近付くと、ゾンビ特有のすえた臭いがする。
「近付くとウォッチが鳴る」振り向きもせず、自治会長がたしなめる。「君の部屋がある北館を一通り案内する。夜中だから静かに歩きなさい」
「さ、立て。4891番」
腕組みを解き、ヘッドは黒グローブの手を打ち合わせた。腰が思うように上がらず、自分は両膝に手を置き、踏ん張って立ち上がった。
「4891番、〈徳輪〉に興味はあるか?」
くぐもった問いかけに戸惑うと、バックグラウンド・ミュージックのせせらぎが耳に流れ込んでくる。マール、マール、マール、マール……天井のスピーカーから延々と流れる、年齢性別不詳の単調な斉唱、ユニゾン……音声合成かもしれないそれは、このくすんだ古臭い施設の血流のようでもあった。
「闘病の助けになるぞ、徳輪の教えは」味わい深そうに、ヘッドはうなずいた。「この〈徳念〉も、被収容者のために昼夜を分かたず流しているんだ。徳輪の集会は定期的に開かれているから、顔を出してみるといい」
評価にもプラスになるかもしれないぞ、と予備校講師みたいに付け加え、ヘッドはエレベーターのドア横にある操作パネルに触れ、ロック解除で開いたところにさっさと乗り込んだ。完全防備でも、ゾンビ相手はできるだけ短く済ませたいらしい。閉じるドアに一礼した自治会長はこちらを一瞥し、崩れたしわのヒツジ面を背けて、自治会の一員としてルールを守るように、とつぶやくように言った。これがこの施設に限らず、今日の一般的なコミュニケーション・マナー……発症者はもちろん、健常者と見分けのつかない予備軍に近付くだけでも感染し、重症化するという通説からの振る舞い……自治会長は、周りに迷惑をかけないように、同室者とは助け合うように、と心得を説き、デイルームの共同電話、カウンターに据え置きのタブレット、『がんばろう自分』という標語と微笑むアイドルのポスターが貼り出された掲示板――ホワイトボードといったものを事務的に説明して、自分に椅子を隅に片付けさせてから、付いてくるように、と右に傾いだ背中をがくっと向けた。するとデイルームの照明がふっと消え、辺りは薄暗がりに埋もれて……デイルームから薄明かりの通路、うとうとする常夜灯の下へ……マール、マール、マール……よどみない徳念とは対照的に自治会長の歩みはのろく、やや内向きの右足が出るたび、がく、がく、とそちらに揺れる。遅れないようについ近付くと、ゾンビ特有のすえた臭いがする。
「近付くとウォッチが鳴る」振り向きもせず、自治会長がたしなめる。「君の部屋がある北館を一通り案内する。夜中だから静かに歩きなさい」
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