ゾンビの坩堝

GANA.

文字の大きさ
上 下
2 / 94
ゾンビの坩堝【1】

ゾンビの坩堝(2)

しおりを挟む
 ヘッドはモニター脇に控える、病衣の上に寒色の半纏はんてんを着た初老男性の一礼をダークスモークの曲面でぐにゃりとさせた。白髪染めなのか、いやに黒々とした五分刈りの頭を上げ、こちらへ斜になった青白い無表情は老いたヒツジを思わせた。寒色の半纏姿はいくらか右に傾いており、左手首のウォッチには451と表示されている。このゾンビが自治会長……うかがいながら比べた肌は、こちらの青みの方が薄い……今のところは……――
「さ、立て。4891番」
 腕組みを解き、ヘッドは黒グローブの手を打ち合わせた。腰が思うように上がらず、自分は両膝に手を置き、踏ん張って立ち上がった。
「4891番、〈徳輪とくわ〉に興味はあるか?」
 くぐもった問いかけに戸惑うと、バックグラウンド・ミュージックのせせらぎが耳に流れ込んでくる。マール、マール、マール、マール……天井のスピーカーから延々と流れる、年齢性別不詳の単調な斉唱、ユニゾン……音声合成かもしれないそれは、このくすんだ古臭い施設の血流のようでもあった。
「闘病の助けになるぞ、徳輪の教えは」味わい深そうに、ヘッドはうなずいた。「この〈徳念とくねん〉も、被収容者のために昼夜を分かたず流しているんだ。徳輪の集会は定期的に開かれているから、顔を出してみるといい」
 評価にもプラスになるかもしれないぞ、と予備校講師みたいに付け加え、ヘッドはエレベーターのドア横にある操作パネルに触れ、ロック解除で開いたところにさっさと乗り込んだ。完全防備でも、ゾンビ相手はできるだけ短く済ませたいらしい。閉じるドアに一礼した自治会長はこちらを一瞥し、崩れたしわのヒツジ面を背けて、自治会の一員としてルールを守るように、とつぶやくように言った。これがこの施設に限らず、今日の一般的なコミュニケーション・マナー……発症者はもちろん、健常者と見分けのつかない予備軍に近付くだけでも感染し、重症化するという通説からの振る舞い……自治会長は、周りに迷惑をかけないように、同室者とは助け合うように、と心得を説き、デイルームの共同電話、カウンターに据え置きのタブレット、『がんばろう自分』という標語と微笑むアイドルのポスターが貼り出された掲示板――ホワイトボードといったものを事務的に説明して、自分に椅子を隅に片付けさせてから、付いてくるように、と右に傾いだ背中をがくっと向けた。するとデイルームの照明がふっと消え、辺りは薄暗がりに埋もれて……デイルームから薄明かりの通路、うとうとする常夜灯の下へ……マール、マール、マール……よどみない徳念とは対照的に自治会長の歩みはのろく、やや内向きの右足が出るたび、がく、がく、とそちらに揺れる。遅れないようについ近付くと、ゾンビ特有のすえた臭いがする。
「近付くとウォッチが鳴る」振り向きもせず、自治会長がたしなめる。「君の部屋がある北館を一通り案内する。夜中だから静かに歩きなさい」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

人を食らわば

GANA.
ホラー
 ――ろく……なな……はち……――  右手、左手に二重に巻き付け、握ったポリエステル・ロープが軍手越しにぎりぎりと食い込み、びぃんと目一杯張って、すぐ後ろに立てかけられたはしごの最上段をこする。片膝つきの自分は歯を食いしばって、ぐ、ぐ、ぐ、と前に屈み、ウォークイン・クローゼットの扉に額を押し付けた。両腕から全身が緊張しきって、荒い鼻息、鼓動の響きとともにのぼせていく……――  じ、じゅうよん……じゅうご……じゅうろく……――  ロフトへのはしごに背中をつけ、もたれた「うさぎ」の細い首が、最上段からハングマンズノットで絞められていく……引張強度が300キログラム超のロープ、たとえ足がブローリングから浮き、つり下がったとしても、やせっぽちの息の根を止めるうえで問題にはならない。食い込む痛みを押し、自分はいっそう強く握り締めた。仕損じてはいけない……薬で意識のないうちに、苦しむことなく……――

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

これって、パラレってるの?

kiyin
SF
一人の女子高校生が朝ベットの上で起き掛けに謎のレバーを発見し、不思議な「ビジョン」を見る。 いくつかの「ビジョン」によって様々な「人生」を疑似体験することになる。 人生の「価値」って何?そもそも人生に「価値」は必要なの? 少女が行きついた最後のビジョンは「虚無」の世界だった。 この話はハッピーエンドなの?バッドエンドなの? それは読み手のあなたが決めてください。

ビキニに恋した男

廣瀬純一
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

うろたもも

GANA.
ライト文芸
故郷に金銀財宝を持ち帰った桃太郎。しかし、大団円までの経緯が分からない。辻褄合わせをさかのぼった先の「はじまり」とは……――

処理中です...