うろたもも

GANA.

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鬼退治

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 ヴュヴヴヴヴゥゥゥゥゥゥヴヴヴゥゥゥゥヴヴゥゥゥゥゥ――――
 耳を弄するうなりを響き渡らせ、青緑がかった曇天と濁った海原とがぶつかり合う。山から谷、そしてまた山と起伏する大波――木の葉のごとく翻弄される小舟の船尾で強烈な潮の臭いにむせ、荒風に前髪やまげを引っこ抜かれそうになりながら踏ん張って、しがみついた櫓を全身でひたすら漕ぐ、漕ぐ、漕ぐ――阻む波濤が、小舟と正面衝突して砕けた。
 頑張れ、桃太郎! さすが桃太郎! 桃太郎すごい!! 桃太郎サイコー!!
 前で波しぶきを浴びながら、イヌがわんわんほめそやす。小舟の真ん中ではサルが揺れも気にせず寝転がっており、舳先には猛る風に気取って立つキジの後ろ姿が見える。そのずっと向こう、かすんだ視界に目を凝らすと、海面にぬっと顔を出したワニにも見える黒々とした島影がある。どうやら鬼ヶ島へと渡るところ……それが次第にはっきりしてきた。やはり鬼退治をして、あの宝を手に入れるのだろう……そういえば、さかのぼる前の村での出来事も覚えている。どうやら記憶は時の流れから独立しているようだ。最終の篇から読み始めた書物を一つ前の篇まで戻った、そんな感じなのだろうが、それにしても……眉根のしわを深め、結んだ唇をひん曲げたしかめ面で関節をきしませ、筋肉を無理矢理収縮させながら櫓を押し、引き……大気はひどく蒸し暑く、毛穴から吹き出した汗が頬を伝い、陣羽織の下の着物をべったりと貼り付かせている。喉はからから……これじゃ、あの島に着くまで持たないかも……――
 おい、お前たち!――振り返ったイヌが、ごろごろしているサルと舳先で船首像気取りのキジに吠える。桃太郎がこれだけ苦労しているのに知らんぷりか!
 しかし、サルはうるさそうにごろりと背中を向けてしまった。キジはというと、顔をぐるっと後ろに向けてギョロ目に冷ややかな色を浮かべた。
 この翼でどうやって漕げというんです? 適材適所! ほら、ぼんやりしていると流されてしまいますよ。
 そうして曲がったくちばしを前へ戻してしまった。怒ったイヌがわんわん吠えても、どっちも意に介さず。キジもサルもイヌと同じくお供のはずだが、これじゃどっちが主で従か分かったもんじゃない。しかも、鬼ヶ島ではあの恐ろしい鬼との殺し合いが待っているはず……こんなことなら、さかのぼるんじゃなかった……疲労とともに後悔が蓄積し、吹き飛ばそうと襲いかかる風に汗が散る。だが、気持ちとは裏腹に肉体はからくり人形よろしく漕ぎ続け、いつしか追い風に変わって小舟は怒涛に運ばれていく……島影が大きくなっていき、やがて山を覆う深緑の濃淡が見えるようになった。イヌが、頑張れ、頑張れ、と熱狂的な声援を送り、横になっているサルが赤い尻をぽりぽりかき、舳先ではキジが格好つけている小舟を漕いで漕いでしゃにむに漕いで……やがて島が目の前になり、荒ぶる海に押し込まれて小舟は砂浜に乗り上げた。
 や、や、やっと……――
 櫓を放し、がくっとへたり込む……垂れた頭では鉢巻きが汗でびっちょり、肩で息をする体もぐちょぐちょで蒸し風呂から出てきた気分だった。
 さすが桃太郎! やっぱり桃太郎はすごい! どうだ、見たか!!
 尻尾を振ってイヌが浮かれ、サルとキジにまるで自分のことのみたいに誇る。
 さて、いよいよ鬼退治ですね……キジが面倒そうにつぶやいて舳先からぴょんと跳び、砂浜に一番乗りしてぐるっと振り返る。
 さあ、大将。先頭に立ってください。
 こいつは……こっちはへとへとなんだぞ、少し休ませろ、とかすれた怒声を吐く。それにしても、あんな怪物を退治するなんて自分にできるのだろうか……そのとき、前方に広がる林から法螺貝の音に似た声が響く。ぎょっとして顔を上げると、樹間の薄闇から大柄な影が浮かび上がり、ずんずん近付いてきた。
 お、鬼ですっ!
 叫んだキジが小舟の脇へ、ささっと後退――イヌがいまだに寝転がっていたサルを踏んで舳先からめったやたらに吠え、その尻尾に逆上したサルがキーッと飛びかかる。
 ば、馬鹿! 仲間割れしている場合か!
 慌てて立ち上がった拍子にふらつき、尻もちをつきそうになった。疲れきった足がぶるぶる笑っている。角帯に差した刀の柄を握る手も震えている。素足で迫ってくる鬼は、あの生首そっくりの恐ろしい形相をしており、身の丈は向き合ったならばこちらより頭一つ二つ高く、腰布を巻いただけの浅黒い肉体は筋骨隆々――しかも、ごつごつしたこん棒を両手で握ってがっちり構えている!
 に、逃げるか?
 だが、この距離ではもう……小舟を海へ押し戻している間にやられてしまうだろう……それに、ここに来たのは鬼退治のためじゃないか……くそっ、こうなったらやるしかない……こっちにはこの三匹もいるし、どうにかなるだろうと思ったのもつかの間、林から次々と鬼が出てくる。ざっと見ても十数匹……まだ増えるかもしれない……そうか、さっきの叫びは仲間を呼ぶものだったのか!
 こ、これじゃ多勢に無勢じゃないか! 無理だ、無視無理無理無理無理ーッッ!!
 柄を握ったまま狼狽すると、斜め後ろでキジが翼をばたつかせてケーッと鳴いた。
 落ち着いてください! すでにどうなるかは決まっているじゃないですか。
 えっ!?
 ワタシたちは、鬼の首を取って宝を持ち帰っているでしょう!
 そ、そういえば……――
 振り返り、どぎつい赤肉垂が飾るギョロ目を見つめる。確かに、理屈としてはそうだ……ならば、恐れることはないのか……鬼の首を取って宝を持ち帰っている、鬼の首を取って宝を持ち帰っている、鬼の首を取って宝を持ち帰っている……呪文のごとく繰り返すほど、あんな鬼の群れなど物の数ではないと気が大きくなっていく。ようし、あの怪物どもを退治して財宝を持ち帰ってやる……正当な持ち主だと村の連中に証明してやるんだ!
 おいっ! いい加減にしろっ!!
 絡み合ってかみつき、引っかいているイヌとサルを一喝し、刀を鞘から抜き放ってどす黒い曇天にかざすと、荒れ狂う風の金切り声じみた叫びが耳を打った。
 お前たち、続けッ!!――
 さっきまでの臆病風はどこへやら、上段に構えると血が沸き立ってのぼせ上がった。砂を蹴って走り出した先には、こん棒をぐわっと振り上げる大柄の怪物――そこに振り下ろした刃が手応えを伝え、ほとばしる鮮血で砂浜を汚した。
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