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死人に口なし

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 とうとう男は冥府にたどり着いた。死んでしまった妻を返してくれと、冥府の神に泣きついた。涙ながらにあれこれ理屈をこねたので、冥府の神はうんざりして聞き入れることにした。ただし、地上に戻るまでの間、けっして振り返ってはならないと条件を付けた。男は約束した。そのくらい、と高をくくったのだ。
 そして妻は返された。帰路につく男の後をのろのろ歩く。自分の後ろに愛する妻がいる、何としても取り戻したかった女がいる。振り返りたいのをこらえ、男は歩きながら思い出話に花を咲かせた。楽しかったふたりの日々だ。しかし、妻の反応は鈍かった。足取りも鈍かった。いささか気分を害し、早く地上に戻りたくていらいらする男は、これまでどれほど苦労したか、恩着せがましく語り出した。妻は黙っていた。男は不安になり、いくらか遠慮がちに呼びかけた。
 来なくてよかったのに、そう妻は言った。男は耳を疑い、振り返りそうになった。信じられなかった。お前が死んだときは必ず連れ戻しにいく、そう誓って、妻も喜んでいたのだから。半笑いで男は、そのことを口にした。すると妻は、かっとなった。
 今はもう望んでいない、と吐き捨てるように言った。あなたと離れて、ようやく自分は自由になれたのに、とも言った。男は、殴られたような気がした。頭に血がのぼって、あれやこれやと声を荒げた。
 これ以上、かかわらないで――
 平手とともに振り返ったそこには、暗闇がどこまでもあるだけだった。男は探しに戻ろうとはせず、愛する妻との思い出に耽りながら地上へと歩いた。
                                                                          

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