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白馬の王子様
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もやっとした、おぼろな薄曇りのヴェールをかぶって、空へと吸い上げられるような円錐形が遠くかすんでいる。天上の聖域、ヘーブマウンテンに続く街道は草に埋もれかけ、さながらけもの道といった有り様だった。この辺りは町から離れており、プレイヤーの姿はほとんどない。そもそも一度町に足を踏み入れれば、次からは各町にあるベーススポットからワープで行き来できる。いちいち徒歩で移動しなくてもいいのだ。しかしながらこうして北へ、北へと不揃いに歩む一行には初めての道程であり、そうでなかったとしてもプレイヤーがたむろするところには近付けなかった。ラル、シーズァ、ノラ、そしてグレイスは……――
グレイスとは、あのキメラにシーズァが付けた名前である。昔、一緒に暮らしていたジャーマン・シェパードの名前ということだった。カプセルの中だと頭の揺れがひどくなるので、巨象に比肩する巨体はノラの横を、のそり、のそり、と根深い痛みを引きずって歩いている。ヒーリで治してもらったからか、ノラのそばを離れたがらなかった。
「まだ付いてくるのか」
振り返って、シーズァがうっとうしそうに体を揺する。後方にいくつか浮かぶ、奇虫に似た影――それらカメラドローンは距離を取りつつ、望遠レンズで一行をとらえている。週末なので、平日より数が多い。ガイト、ジュエルの配信でラルたちはすっかり有名になり、シーズァのところにはネタにしようという者たちからメッセージが送られてきた。それらを断り、あるいはブロックしたところ、数名が直に接触してきたが、ラルのこん棒で追い払われてしまった。それで、このようにパパラッチよろしくつけ回しているのである。あれこれコメントしながら配信しているに違いない。
「ぼくたちは見世物じゃないぞ。これじゃ、また襲われるじゃないか……」
いら立たしげに言って、ノラとグレイスを一瞥してから前を向く。視線は、こん棒を右肩に担ぐ後ろ姿にぶつかった。ごわごわの毛並みを見つめながら、引っ張られるように、どこかすがるようにシーズァは歩を進めた。荒れた道は緩やかにうねって、灰色がかった木立を横目にしていく。街道はエンカウント率が低く、今のところモンスターの気配はない。
混濁した太陽の下、古びた石造りの建造物が亡霊のように浮かび上がる。道なりに行くと、半ば崩れた石塁がかつての威勢を誇ろうとしてきた。どうやら廃墟になった砦らしい。ずっと野宿だったので、ラルの足も自然と引き寄せられていく。あそこなら、いざというとき心強い。
「げっ」
と、シーズァはひどく顔をしかめた。崩れ落ちた石のそばをふらつく姿がある。ゾンビだ。外をうろついているのは数体だが、肩をそびやかすような石門の内側にはもっといるのではないか。鼻をひくひくさせたラルは、それを裏付ける腐臭を嗅ぎつけていた。
「……なんでこう、アンデッドが多いんだ。これもバグじゃないだろうな……」
「どうなさいますか、シーズァ様」
そばでノラが問う。シーズァは視線を返し、牙を研ぐようにうなるラルを見た。そして右手が、ぱっ、と出たレイピアを握る。
「多少のゾンビなら、どうにかできるだろう。たまには岩陰とかじゃないところで休みたいし」
それは、後ろのカメラドローンを意識したせいかもしれない。ノラはうなずいた。その様子を見て、ラルはこん棒をしっかりと両手で握った。
「シーズァ様、グレイスを……」
「分かってるよ」
いささか素っ気なく、透明のカプセルが取り出される。それを軽く当てられると、次の瞬間、巨体は球体内部に手の平大で収まっていた。さんざん戦わされ、心も体も深く傷付いた命を利用するわけにはいかない。カプセルは手から消え、道具袋に収納された。
「行こう」
レイピアを下げ、シーズァが先に立つ。ゾンビたちも気付いて、うめきながら寄ってくる。ノラからファス――スピードアップの補助魔法をかけてもらって、シーズァは赤くほの光りながらぐんと足を速めた。
「はあッ!――」
伸びてきた爪に、刃一閃――黒ずんだ血を吹いて倒れ、続いて後頭部から切っ先が突き出る。瞬く間に先頭、二番手のゾンビがしかばねに戻った。さらに腐臭とともに首が飛ぶ。その脇で、土のこぶしが腐った顔面にヒットする。ノラの新たな土魔法、ゴーレム――まだ全身を生成できないものの、その一部である右こぶし、前腕の出来はまずまずである。そしてこん棒のフルスイングが腹部にめり込み、アッパーカットさながらにあごを破壊する。ラルも戦闘を重ねてパワー、スピードが上がっており、石塁の外にいたゾンビはすぐに片付いたが、砦内部から続々と、それこそ満員電車からホームにあふれ出すごとく現れたので、だんだんと苦しくなっていく。
「このっ!――」
激流のうねりで、ゾンビがばたばたと倒れていく。シーズァの水魔法もレベルアップしているが、腐乱死体の群れはひるむことなく押し寄せてくる。さすがに息が切れ、シーズァの脳裏に退却という選択がよぎった、そのとき――
「んっ?――」
背中の方から咆哮、初期微動かという地響きが迫ってくる。振り返ったラル、シーズァとノラも度肝を抜かれた。岩山から荒く彫り出されたような、象よりもグレイスよりも、マンモスよりも大きな、恐ろしく筋骨隆々とした巨人が猛然と突っ込んでくる。その頭部には、反り返った一対の角――それはまさしく鬼、オーガというモンスターだった。
「よっ、避けろっ!」
シーズァが叫んで、ラル、ノラも慌てる。避けたところに突っ込んだオーガは、岩塊に似たこぶしをゾンビたちに振るった。暴れ狂う旋風で腐った血肉、臓器や骨までばらばらになり、胸の悪くなる臭いがラルたちの方にも流れてくる。
「――ッ!」
かあっと首筋に熱気を感じ、振り返ったシーズァはとっさに水のバリアを張った。水魔法ウォバリ――それは火炎弾の激突で爆散し、シーズァのみならずノラ、ラルも吹っ飛ばす。至近距離での水蒸気爆発だが、直撃で火だるまよりはるかにましだろう。
グレイスとは、あのキメラにシーズァが付けた名前である。昔、一緒に暮らしていたジャーマン・シェパードの名前ということだった。カプセルの中だと頭の揺れがひどくなるので、巨象に比肩する巨体はノラの横を、のそり、のそり、と根深い痛みを引きずって歩いている。ヒーリで治してもらったからか、ノラのそばを離れたがらなかった。
「まだ付いてくるのか」
振り返って、シーズァがうっとうしそうに体を揺する。後方にいくつか浮かぶ、奇虫に似た影――それらカメラドローンは距離を取りつつ、望遠レンズで一行をとらえている。週末なので、平日より数が多い。ガイト、ジュエルの配信でラルたちはすっかり有名になり、シーズァのところにはネタにしようという者たちからメッセージが送られてきた。それらを断り、あるいはブロックしたところ、数名が直に接触してきたが、ラルのこん棒で追い払われてしまった。それで、このようにパパラッチよろしくつけ回しているのである。あれこれコメントしながら配信しているに違いない。
「ぼくたちは見世物じゃないぞ。これじゃ、また襲われるじゃないか……」
いら立たしげに言って、ノラとグレイスを一瞥してから前を向く。視線は、こん棒を右肩に担ぐ後ろ姿にぶつかった。ごわごわの毛並みを見つめながら、引っ張られるように、どこかすがるようにシーズァは歩を進めた。荒れた道は緩やかにうねって、灰色がかった木立を横目にしていく。街道はエンカウント率が低く、今のところモンスターの気配はない。
混濁した太陽の下、古びた石造りの建造物が亡霊のように浮かび上がる。道なりに行くと、半ば崩れた石塁がかつての威勢を誇ろうとしてきた。どうやら廃墟になった砦らしい。ずっと野宿だったので、ラルの足も自然と引き寄せられていく。あそこなら、いざというとき心強い。
「げっ」
と、シーズァはひどく顔をしかめた。崩れ落ちた石のそばをふらつく姿がある。ゾンビだ。外をうろついているのは数体だが、肩をそびやかすような石門の内側にはもっといるのではないか。鼻をひくひくさせたラルは、それを裏付ける腐臭を嗅ぎつけていた。
「……なんでこう、アンデッドが多いんだ。これもバグじゃないだろうな……」
「どうなさいますか、シーズァ様」
そばでノラが問う。シーズァは視線を返し、牙を研ぐようにうなるラルを見た。そして右手が、ぱっ、と出たレイピアを握る。
「多少のゾンビなら、どうにかできるだろう。たまには岩陰とかじゃないところで休みたいし」
それは、後ろのカメラドローンを意識したせいかもしれない。ノラはうなずいた。その様子を見て、ラルはこん棒をしっかりと両手で握った。
「シーズァ様、グレイスを……」
「分かってるよ」
いささか素っ気なく、透明のカプセルが取り出される。それを軽く当てられると、次の瞬間、巨体は球体内部に手の平大で収まっていた。さんざん戦わされ、心も体も深く傷付いた命を利用するわけにはいかない。カプセルは手から消え、道具袋に収納された。
「行こう」
レイピアを下げ、シーズァが先に立つ。ゾンビたちも気付いて、うめきながら寄ってくる。ノラからファス――スピードアップの補助魔法をかけてもらって、シーズァは赤くほの光りながらぐんと足を速めた。
「はあッ!――」
伸びてきた爪に、刃一閃――黒ずんだ血を吹いて倒れ、続いて後頭部から切っ先が突き出る。瞬く間に先頭、二番手のゾンビがしかばねに戻った。さらに腐臭とともに首が飛ぶ。その脇で、土のこぶしが腐った顔面にヒットする。ノラの新たな土魔法、ゴーレム――まだ全身を生成できないものの、その一部である右こぶし、前腕の出来はまずまずである。そしてこん棒のフルスイングが腹部にめり込み、アッパーカットさながらにあごを破壊する。ラルも戦闘を重ねてパワー、スピードが上がっており、石塁の外にいたゾンビはすぐに片付いたが、砦内部から続々と、それこそ満員電車からホームにあふれ出すごとく現れたので、だんだんと苦しくなっていく。
「このっ!――」
激流のうねりで、ゾンビがばたばたと倒れていく。シーズァの水魔法もレベルアップしているが、腐乱死体の群れはひるむことなく押し寄せてくる。さすがに息が切れ、シーズァの脳裏に退却という選択がよぎった、そのとき――
「んっ?――」
背中の方から咆哮、初期微動かという地響きが迫ってくる。振り返ったラル、シーズァとノラも度肝を抜かれた。岩山から荒く彫り出されたような、象よりもグレイスよりも、マンモスよりも大きな、恐ろしく筋骨隆々とした巨人が猛然と突っ込んでくる。その頭部には、反り返った一対の角――それはまさしく鬼、オーガというモンスターだった。
「よっ、避けろっ!」
シーズァが叫んで、ラル、ノラも慌てる。避けたところに突っ込んだオーガは、岩塊に似たこぶしをゾンビたちに振るった。暴れ狂う旋風で腐った血肉、臓器や骨までばらばらになり、胸の悪くなる臭いがラルたちの方にも流れてくる。
「――ッ!」
かあっと首筋に熱気を感じ、振り返ったシーズァはとっさに水のバリアを張った。水魔法ウォバリ――それは火炎弾の激突で爆散し、シーズァのみならずノラ、ラルも吹っ飛ばす。至近距離での水蒸気爆発だが、直撃で火だるまよりはるかにましだろう。
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