MONSTER RESISTANCE

GANA.

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抵抗の目覚め

1-3

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 暗闇から響いてくる、そんな痛みだった。ぐっ、とこん棒を抱え、息を殺しながら、ラルは左大腿脇の傷を押さえ続けた。手の平は、とうに血で濡れきっている。追っ手が立ち去ってかなり経ち、潜り込んでいた茂みの闇もすっかり濃い。
 ふうっ、と息を漏らし、縮こまっていた体が少しずつ動き出す。枝葉とこすれ、びくっとしたが、またそろそろと伸びて、そうしてがさがさと這い出すと真っ暗だった。見上げても闇しかなく、深い夜の森は死んだようにしんとしている。
 さらに這うと、そのたびに左大腿がずきんと痛む。それをこらえ、ラルはこん棒を杖代わりによろっと立ち上がった。無我夢中だったので、どこをどう走ったかさだかではない。ましてやこの暗闇では、森から出るのさえ容易ではなさそうだ。ともあれ左足を引きずり、こん棒をついていくうち、踊っているような木々がどうにか分かるようになってきた。
 半ば手探りで、しばらく進むとようやく樹間から出ることができた。
 その先は、星一つない真っ暗闇だった。
 惨劇の記憶がよみがえって、ラルの足はすくんだ。またあいつらが、刀を振り回す金髪の鬼が襲ってくるかもしれない。後ずさって、太い幹の裏にがくっと座り込む。こん棒をしっかりと胸に抱き、ラルは体を縮めた。そう遠くないところから、水音が聞こえる。小川があるのかもしれない。傷の痛みを感じながら、ラルのまぶたはぐったりと落ちていった。
 どくっ、と目覚めると、辺りは白んでいた。立とうとした途端、左大腿からの痛みでラルはうめいた。豚顔にしわを寄せ、こん棒をつく。その目はおのずと、薄れていく闇の向こうに据えられた。この森を出れば丘陵となり、たくさんの死体が転がっているはず……地獄絵図があまりにもすさまじかったため、現実ではなかったようにラルには思えてきた。左太腿に矢傷はある。血は止まって、いくらか痛みも引いているとはいえ、何もかも悪夢だったと片付けられそうでもある。そもそもラルには、あの襲撃以前の記憶がまったくなかった。
 それでも警戒しながら、木の陰から陰へと森の外に向かう。ひょっとしたら金髪の鬼が待ち構えていて、いきなり矢を放ってくるかもしれない。陰から恐る恐るうかがうと、生まれたての日が差すそこに陰惨な気配はなかった。意を決してラルは踏み出し、起伏をしばらく行ったところで異様な光景を目にした。
 広がる丘陵の、あちらこちらで動くものがある。それらはオークだった。しばし立ち尽くしたラルは、こん棒をつきながらそこに急いだ。確かにいた。何事もなかったかのように、数十体の分身がこん棒片手にうろついている。ラルは声をかけてみた。といっても、言葉が話せるわけではない。鳴き声に相手は反応せず、ただ行ったり来たりするばかり……他のオークも同じであり、ロボットのような群れの中でラルは途方に暮れた。
 左大腿の痛みでしゃがみ、ラルはこん棒にもたれた。山のような死体どころか、飛び散った血や草が焼けた痕跡すらない。やはり、あれは悪夢だったのだろうか……もしそうでないとしたら、どう考えたらいいのだろう。これらは斬られ、焼かれたものたちとは違うのか。もしも同じだとしたら、一体どういうことなのだろうか。そして、こうしている自分は何なのか……そういったことで頭を抱えるうち、ぼやけた陽は高くなっていった。
 尖った耳をびくっとさせ、ラルは頭を上げた。昨日と同じく、丘陵の向こうから影が近付いていた。周りのオークたちも耳を動かし、そちらに目を向けている。忘れたくても忘れられない、あのおぞましい声が聞こえてきた。
「今日は、きっちり皆殺しにしてやるぜ!」
 カメラドローンに気を吐くガイト、その後ろにはノラもいた。オークの群れに近付く主従に応援コメントがいくつか寄せられる。
「新規プレイヤーは、今ならルートボックスが100回無料! 武器や防具、強化素材が当たってお得だぞ!」
 宣伝を経て背中の太刀が抜き放たれ、ノラも冷たい顔で短剣を握る。こん棒を振りかざし、駆け出していくオークたち――惨劇の幕が再び上がったとき、ラルはすでに逃げ出していた。
 後方で、獣たちの絶叫が立て続けに上がる。こん棒をつき、懸命に走ったものの、左足を引きずっていては思うようにならない。それでも森に近付いてはいたが、そのあがきをあざ笑うように声が響く。
「見ろ! あれは昨日逃げた奴だぞ!」
 カメラに叫んで、赤い光を帯びたガイトは血まみれの刃を振り上げた。
「あの左足の傷、間違いねえっ! 今度こそぶっ殺してやる!」
 すでに他はむごたらしいしかばねで、狙いは絞られていた。ざざざざっ、と草を蹴りながら足音が追い上げてくる。ラルは必死になった。その甲斐あってどうにか樹間に飛び込むことができ、後ろで魔物の叫びにも似た罵声が響く。
 助かった、と思ったのも束の間だった。
 炎の大蛇が森に飛び込んできて、猛然と身をくねらせる。火魔法のファボーだ。のたくる火炎放射は幹を焼き、たちまち枝葉まで燃え上がらせた。下生えにも飛び火して、ラルを食らおうと炎が迫ってくる。
 ぶふっ!――
 火の精の宴を避け、煙に追い立てられて左足を引きずる。こん棒をつくうち、せせらぎが聞こえてきた。そちらに急いだラルはつまずき、流れに転がり込んでしまった。ごぶっ、と鼻が水で一杯になり、ばちゃばちゃと手足をばたつかせる。幸いにして小川は浅く、がふっ、とむせながら起き上がったところ、短い足の膝にも届かなかった。びしょ濡れのラルは頭を振り、ばっ、と振り向いた。
 チョーカーの赤が毒々しい、メイド服姿の追っ手が川岸に立っていた。
 ノラは、白エプロンの前で短剣を構えた。主人の命令で燃える森に入り、ようやく追い付いたところだった。ぽた、ぽた、と体毛から滴らせる獲物を見据え、今度こそ仕留めなければ、と柄を強く握りながら、黒の厚底ローファーはじりじりとするばかりだった。
『おいっ!』
 ボイスチャットから、怒声が響いてくる。
『なに止まってんだ! ナビマップで動きは分かってんだぞ! あん畜生がいたのか!?』
 応答しようとして、ノラは言葉に詰まった。目の前には、またあのまなざし、瞳の光があった。あまりにも純粋な、生への執着が――
 一瞬の隙を見て取り、ラルは川底を蹴った。手負いとも思えぬ、俊敏さ――うろたえるノラを残し、川下へと波を蹴立てるその前を血臭が塞いだ。
「もう逃がさねえぞ、クソブタ」
 血糊まみれの太刀で威嚇し、ガイトは勝ち誇った。その姿をカメラドローンが配信している。ノラに後を追わせる一方、自身は流れをさかのぼってきたのだ。炎を避けるためであり、獲物も水辺に出るのでは、と考えてのことだった。
「クソブス、てめえ……!」
 ガイトは、こわばるノラをにらみつけた。
「また逃げられるとこじゃねえかよ、この役立たず! 後でみっちり教育してやるからな、覚悟しておけよっ!」
 ラルは両手でこん棒を握り、正面の悪鬼をにらんだ。まともな勝負になるはずもない。向かっていったところで、同類と同じ末路しかないだろう。あんなふうに殺されたくない、死にたくない、生きたい、生き延びたい――そうした執念で燃える双眸は、手を出すのをためらわせた。
「へっ、そうこなくちゃよ」
 余裕ぶった笑みを浮かべ、ガイトはちらとカメラを見た。
「それくらいでないと、タイトル詐欺だからな。ここはやっぱ、これでリベンジするぜ」
 太刀が消え、矢をつがえたクロスボウが、後ずさるターゲットに狙いをつける。トリガーにかかる指、せめぎ合う眼光と眼光――食い散らかしていく炎、無関心なせせらぎさえも消えてしまったようで、ノラは息を呑んだままになった。
 トリガーが引かれ、跳躍する影――
 矢はかすりもせず、的は小川を越えた、まだ火の手が及んでいない茂みに飛び込んだ。それはまさに一瞬の出来事だった。
「ああっ! くそっ!」
 ガイトは地団駄を踏んだ。コメント欄の嘲笑、酷評がいっそう怒りをあおる。
「てめえのせいだぞ、ぼんくらドールっ!」
 けたたましく、ガイトは吠え立てた。
「そんなところに突っ立ってるから、調子が狂ったんだ! マジでクソだな、てめえはっ!」
「……申し訳ありません」
「謝ればいいってもんじゃねえんだよ! ぼさっとしてねえで、さっさと後を追えっ! ぶっ殺してこい!」
「かしこまりました」
 黒髪を揺らして一礼し、厚底ローファーがせせらぎを乱す。やがてノラの姿は、濃緑の深みへと消えていった。
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