とある男のプロローグ

サイ

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第二章

七話

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「お嬢ちゃん一人?」
「こんな時間に一人でいたら危ないでちゅよー。」
「小さくて可愛いね、ちょっとお兄さんたちと遊ぼうよ。」
「「「げへへへへ」」」

絵に描いたようなチンピラに絡まれた!
しかも身長とフードのせいで俺の事を女と勘違いしているようだ。
最悪だ、それもこれも全ては人を連れ出しておいて放置しやがったモブソンのせいだ。
脳内でヘラヘラ笑うモブソンをぶん殴りながらクルリと踵を返して一目散に駆け出そうとしたが、即座に手首を掴まれてあっと言う間に裏通りへと引きずり込まれ、大声を出せないよう口元を大きな手で塞がれてしまった。
何たる早業。

「つれないなー」
「心配してあげたのにこの反応酷くね?」
「あー俺傷ついた!お嬢ちゃんのせいで傷ついた!こりゃ慰謝料貰わねえとなぁ。」

男たちの手慣れた様子からこうやって女性への暴行を常習的に行っていることが窺えて、嫌悪感と恐怖で酷い吐き気がする。

「震えちゃって可愛い。」
「なぁ、顔見たくねぇ?」
「いいねぇ!お嬢ちゃんはどんな可愛いお顔してるのかなー?」

男たちがニタニタと気色の悪い薄ら笑いを浮かべてフードに手を伸ばしてくるが、咄嗟に拘束している男の男の爪先を踵で容赦なく踏みつけて口を塞ぐ掌に思い切り噛みついた。

「いってぇ!!」

力が緩んだ隙に拘束されていた腕から脱し、呆気に取られているもう一人にタックルをかましてよろけさせて表通りへと顔を向けたが、最後の一人が慌てて立ち塞がったため仕方なく逆方向へと脱兎の如く駆け出した。
薄暗い、裏通りの更に奥へ向けて。

「あのアマぁ!」
「待ちやがれぇ!!」
「お前はあっちから追え!」

背後から恐ろしい怒号が鳴り響くが、なるべくそれを意識しないようにひたすら駆けた。

「はぁっ、は、はぁ!だれか…誰か!!」

大声で助けを求めてみても周囲に人気はなく、背後から男たちの笑い声と囃し立てる声だけが虚しく帰って来るばかり。

「ふーっふー、クソ!」

逃げれば逃げるほど更に暗く狭く変化していく道に、乱れた呼吸の合間に悪態を吐く。
薄々気付いてはいたが、逃げる方向を完全に誘導されている。
先程から道を曲がろうとすると先回りをされていることが幾度もあり、その度に方向転換していたらこんなに深みに嵌っていた。
男たちは後ろで「誰から先に楽しむか」と陽気に相談していて、それが一層焦燥感を煽る。
大丈夫。
取り乱すな。
冷静でさえいればきっと打開策が見つかる。
己にそう言い聞かせて疲労と恐怖で重くなった足を必死に走らせていた俺は、角を曲がった先で目にした光景に、ついに足を止めた。

「うそ、だろ……」

目の前に現れたのは、行き止まりだった。
往生際悪く冷たい壁に手を這わせるが、凹凸が少なく3m以上はありそうなこの壁はとてもではないがよじ登れそうにない。
完全な袋の鼠だ。
背後から、ゆっくりと3人分の足音が近づいてくる。
早鐘を打つ胸を押さえながら振り返ると、あの男たちが嗜虐的な笑みを浮かべてそこに居た。

「あらー行き止まりだねぇ。」
「お嬢ちゃんにしては頑張ったのに残念!」
「頑張ったのはちょっと偉いけど、でも俺たちから逃げたのはすごく悪いな。」

ジリジリとにじり寄る男たち。

「お、俺、男!女違う!」

先程はパニックになって思い至らなかったが、こいつ等は俺を女と勘違いして追って来たのだから男と知ったら手を引くんじゃ……

「あー?男だ?それにしては小っちぇな、ガキか?」
「前に男ヤった時は結構よかったよな。久々にいいんじゃね?」
「いいねー!!男なら頑丈だったし、賛成!」

俺の考えが甘かった。
後退ると、すぐに最奥の壁に背が当たる。
ついに彼らは俺の目の前で立ち止まり、先ほど俺が足を踏みつけた男がニッコリと笑って口を開いた。

「じゃあまずはさっきのお仕置き、な?」

疑問に思う間もなく、頬に強い衝撃が走った。
かと思うと体が軽く飛んで、次の瞬間には地面に体が叩きつけられていた。
ジリジリと頬が熱を持ち、脳が揺れて視界が歪む。

「おい強く殴りすぎだよ。」
「気絶したらつまんねぇだろうが。」
「わりーわりー!」

酷い耳鳴りに紛れて聞こえてくる男たちの軽薄な笑い声と砂利を踏む音。
這ってでも逃れようと震える手で地面を掻くが、そんな惨めな俺の背が勢いよく踏みつけられた。

「必死で可愛いなー!」
「やっぱフード邪魔だな。おい、ちゃんと抑えとけよ。」
「ではでは、ご開帳―!!」

乱雑にフードが掴まれ、衣擦れの音と共についに髪が生ぬるい空気に晒された。
背後で、男たちの息を飲む声が聞こえる。
これは実に、非常に不味い。
下手したら人生3度目の人身売買と言う貴重な経験をする事になり兼ねない事態だ。
水を打ったような沈黙に、誰のものだったのか、ゴクリと固唾をのむ音が嫌に響く。
その音が合図だったかのように、男たちは一斉に声を上げ始めた。

「お、おい、この色って……あの探されてる奴って。」
「やっぱそうだよな、あの噂本当だったのか!」
「やべーって、俺たち殺されるって!!」

噂?殺される?
考えていたのとは全く異なった反応に戸惑う俺には目もくれず、男たちは尚も続ける。

「でも、ま、まだ間に合うんじゃねえか?」
「馬鹿野郎!!エテレインに関わったらロクなことになるわけねえよ!」
「俺は知らねえぞ!コイツにしようって言ったのはお前らだ!」
「何だと!?」
「手ぇ出したのはお前だけだろうが!」
「うるせぇ、俺は関係ねぇんだ!!」

それ以降も言い合いが続いているが、俺の知らない言葉ばかりでよく分からない。
恐らく口汚く罵りあっているのだろう、という事は分かるが。
こいつらの話だと俺は“エテレイン”とか言うヤバい奴に追われているって事みたいだが、その名前に覚えはない。
いや、もしかして俺を買ったあのクソデブの事か?
“エテレイン”なんて綺麗な響きの名前は似合わんが、俺を探してる奴なんてアイツを措いて他に居ない。

「あ、あの!」

思い切って声を上げると、男たちの血走った目にギョロリと見下ろされて少し怯んでしまう。

「お、俺、追手、捕まるの嫌。だから今、何もなかった、事にする。だから見逃して。お願い。」

たどたどしく何とか交渉を持ちかけると、男たちはしばらく目配せしあった後にようやく俺から足を退けた。
軋む体を起こして座ると、男の一人が慎重に口を開いた。

「本当に俺たちの事は黙ってるんだろうな。」
「ん。言わない、約束。」

頷きを返す俺を、六つの目玉がジッと見下ろしている。
沈黙の後、一番早く動いたのは俺を殴った男だった。
男は突然懐から折り畳み式のナイフを取り出したかと思うと、なんと俺の喉元に突き付けて来たのだ。

「やっぱ信用ならねえ、殺して埋めちまおうぜ!それが一番確実だ!」
「………それもそうだな。確かお前のオヤジは森に土地を持ってたろ。」
「はぁ!?あそこに埋めんの!?別荘あるから嫌なんだけど!」
「「つべこべ言うんじゃねえ!!」」
「ぅぐ……埋めるのはお前らだけでやれよ。」

ま、まさかの方向に話が落ち着いてしまった。
ナイフの切っ先がツプリと喉の皮膚を裂き、首から鎖骨にかけて生暖かい血が一筋垂れていくのが分かる。
何かしゃべらないと。
このまま黙っていたら殺されて山の肥料にされてしまう。
こんな奴が別荘で楽しく過ごす様を草葉の陰から眺めるなんで絶対に御免被る!
ゴクリと生唾を飲み込んで口を開こうとした、その時。

「随分楽しそうじゃねえか、俺も混ぜてくれよ。」

混沌としたこの場には不釣り合いなほど落ち着いた低い声が、大声でもないのにやけにハッキリと響き渡る。
その声にはどこか、聞き覚えがあった。
声の発生源に目をやると、そこには一人の男が薄汚れた壁に背を預けるようにして佇んでいた。

「あ……」

無造作に纏められた真っ赤な髪、深緑色の鋭い目、草臥れた黒いロングコート。
あれは、オークション会場で舞台に上がる前に助けてくれた男だ。
驚きからつい声を漏らすと、男はこちらに視線を向けてニヤリと口角を釣り上げて笑った。

「ようやく会えたな、坊や。」

皮肉っぽいその笑みはすぐに掻き消え、3人組へと視線を戻した男の目がスッと冷たく細められる。
そのあまりの眼光の鋭さに、3人は「ひ!」と小さく悲鳴を上げて大声で捲し立て始めた。

「あ、あ、あ、こ、これはですね!偶然…そう偶然この坊ちゃんが道に迷ってるとこに遭遇したんです!!」
「そそそそそう!!!そうですそうです!俺たちこの後ちゃんとエテレインに報告するつもりで……!」
「貴方様が直々に探してるお方に危害加えようなんて馬鹿な事、考えるわけないですよ!」

耳障りな言い逃れを黙って聞いていた男が、不意に壁から背を離してゆっくりとこちらへ歩み寄って来る。
相変わらず、足音はしない。
3人組は男が一歩近づく度に言い訳の声を大きくしていき、しまいには跪いて涙ながらに命乞いを叫び始める程に怯え切っていた。
ただ近づいて来ているだけの丸腰の人間相手に大の男3人が本気で怯えている異常な状況に理解が追い付かないが、この男が“エテレイン”に深く関わるヤバい人という事だけは十分に分かった。
ピタリ。
ついに男が手を伸ばせばすぐに触れられるような距離で立ち止まる。
その頃には3人組は口を閉じて「ひ、ひぃ、ひ!」と引き攣ったような奇妙な呼吸を繰り返すだけになっていた。
男はそんな3人を温度のない瞳でしばらく見下ろしいたが、不意に右手を上げてトントントンとテンポよく男たちの額を小突いて行った。
一泊遅れてどさりと倒れ込む3人組。
驚いて顔を覗き込んでみると、何と白目を剥き口からは泡を吹いて失神しているではないか。
軽く小突いたようにしか見えなかったので、もしかしたら恐怖の臨界点を突破してしまったのかもしれない。

「おい。」

ふと頭上から掛けられた声にびくりと肩が揺れる。
おずおず視線を上げると、男はまたニヤリと笑って俺の目の前にしゃがみ込んだ。
ヤンキー座りが妙に様になる男だ。

「何だ、俺が怖くねぇのか。」
「え……?」

心底楽しそうなその言葉に、ドキリとする。
そう言えばそうだ。
多分この男は、そこで失神している3人組よりもずっとヤバくて、悪い人だ。
彼らの反応を見ればそうとしか思えない。
それなのに俺は彼を恐れるどころか、彼が自分に危害を加えるはずがないと確信していた。

「????何で……俺、あなた、怖くない。何で???」
「!!っふ、くくくく……そうか、そりゃあ、良かった。」

クシャッと子供のように破顔して笑う男に、いつか感じたあの強烈な懐かしさが胸に込み上げる。
やっぱり、俺はこの人を知っている気がしてならない。
しかしそんな筈はないのだ。
だってここは異世界だし、元の世界では赤毛どころか金髪の外国人にも会った事はなかったのだから。
ボンヤリとしてしまった俺に何を思ったかのか、男の顔からあの笑顔が消え、代わりに真面目な表情が浮かぶ。

「また、助けるのが遅れちまったな。」

どこか悲痛な面持ちで呟きながら、男は俺の腫れ上がった頬をそっと撫でる。

「また?」

何のことか分からず尋ねると、男は俺の頬から手を放して答えてくれた。

「オークションの後、お前が運ばれている馬車を襲う手筈だったんだが……馬車に追いついた頃にはお前は既に逃げた後だった。走行中の馬車から飛び降りたと聞いて肝が冷えたぞ。」

思い出したようにククッと喉を鳴らして笑いながら、男は続ける。

「探し続けて本当によかった。俺の諦めの悪さも捨てたもんじゃねぇな。」
「……どうして。」
「あ?」

いつの間にか唇から零れていた疑問の言葉に、男がきょとりと心底不思議そうな顔をして俺を見返すものだからつい言葉に詰まってしまった。
まただ。
荒事に慣れ切った野性的な色気を醸す精悍な男のあどけないその表情が、堪らなく胸を締め付ける。
暴力の世界で生きている空気を隠そうともしない眼前のこの男に抱くのは恐怖や忌避感ではなく、なぜか温かく心地良い懐かしさと、何か大切な物を失ったような強い喪失感だけ。
男の真っ直ぐな瞳に躊躇いがちに視線を合わせ、初めて出会ったその時から胸に引っかかっていた疑問を俺はようやく言葉にした。

「あなたは、誰?」

その言葉を口にした瞬間、男の顔からごっそりと表情が抜け落ちた。
親し気な空気感も一瞬にして霧散し、辺りを鉛のような重たい沈黙が支配する。
それでも不思議と恐怖は感じない。
ただただ深い罪悪感が押し迫るかのように胸に込み上げ、ついにはその激しい感情は涙となって瞳から零れ落ちた。

「ごめん、ごめん……」

涙の理由が、分からない。
どうにか押し込めようと何度も目元を擦るが、涙は止まらずポロポロと零れ続ける。
そんな顔を見せたくなくて、俺は深く深く俯いて囁いた。

「覚えてなくて、ごめんなさい。」

息を飲む声が聞こえる。
そして再び伸びて来た手が俺の顎を掬い、優しく上を向かせる。
男は不機嫌そうな顔で俺を睨みながら、カサついた親指で未だ涙を溢れさせる目元をそっと拭った。
酷く懐かしいその感触に最後とばかりにポロリと涙が一つ零れ、それっきり溢れることはなくなった。

「……忘れちまったんだな。」

その言葉が妙にストンと胸に落ちて、俺は疑問に思うこともなくこくりと頷いて答えた。
すると男は徐に俺を抱きかかえて立ち上がったかと思うと、そのままズンズンと歩き始めた。

「ま、待って!どこ行く?」

慌てて呼びかけると、男は歩みを弛めることなくぶっきら棒に答えた。

「……お前の宿。案内しな。」


    
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