とある男のプロローグ

サイ

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第二章

四話

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パカパカ、ガタンガタン、ゴトトトト……
申し訳程度に整地された山道に、列を成して走る幌馬車の走行音がゆったりと鳴り響く。
真っ青に晴れ渡った空のどこかで飛んでいるであろうトンビの鳴き声を遠くに聞きながら、御者台にのんびりと腰かけた男は大きく口を開けて欠伸した。
慣れた事とは言えやはり長距離の移動は退屈で、何より疲れるものだ。
しかしこの山を越えれば待ちに待った首都、ペルマナントに辿り着く。
男の属するキャラバンはこのペルマナントに本拠地を構えているため、しばらくは滞在して1年間の総決算をするのが通例だ。
辛うじて文字が読める程度の男がこの作業に関わる事はないため、次の行商が始まるまでは好きに羽を伸ばして休むことが出来る。

「学がない事を神に感謝だ。」

休暇を前にすっかり浮かれ切った男がつい独り言を呟くと、今まで隣でウトウトと船を漕いでいた少年が目を覚ました。

「んー、何か、いった?」
「ただの独り言。」
「そう……」

気のない返答をしつつ、少年は目深にかぶったフードの奥に隠れた目元を擦った。
顔を洗う猫のような仕草に、男はそばかすの散らばる顔にほっこりとした笑みを浮かべる。
この少年がキャラバンで働き始めて、もうかれこれ3ヶ月は過ぎただろうか。
彼を一目見て最初に思ったのは、「何だこいつ?」だ。
それは男だけではなく、他の同僚たちも皆同じ。
何故なら、少年は頭から踝まで隠れるローブをスッポリと纏っていたからだ。
年齢どころか性別すら一見しただけでは分からないその姿は正に不審者そのもの。
その上名前すら名乗りもしないのだから、不審を通り越して不気味である。
驚く従業員たちに、オーナーであるオディギアは言った。

「この子については絶対に、何も、詮索するな。言う事聞かないならクビだからな。」

普段温厚なオディギアが鬼気迫る表情でそんな事を言うものだから、面白がってあの手この手で少年の顔を覗いてやろうとみんなで躍起になったものだ。
その都度オディギアは顔を真っ赤にしながらちょっかいを掛けた従業員たちを追い回していたが、しかし当の本人は実にあっけらかんとしたもので、「みんな、気さく、仲良し、ここ楽しい。」なんてのほほんと宣う始末。
この発言に何だか毒気を抜かれてしまって、最近では少年について詮索する者はいなくなり、それどころか一丸となって彼のフードが脱げぬように死守するのが暗黙の了解となりつつある。
それもこれも少年の人柄の成せる業、と言う他あるまい。
仕事は真面目にこなし、手が空けば自ら仕事を探して細々とした雑用を率先して行ってくれるし、文句も言わない。
フードの件で皆から付け狙われていた時期も、きっと鬱陶しかっただろうに一度だって彼が怒りを露わにした事はなかった。
その温厚さと気の抜けた危機感の無さを前にすると、敵意や悪意を持つのが馬鹿らしくなってきて終いにはその無防備さを心配してつい気にかけてしまう始末。
ある意味でアイツは魔性だと、同僚たちの間では意見が一致している。

「どうか、した?」

どうやら感慨に耽っている間に見つめてしまっていたようで、少年はコテリと首を傾げた。

「ん?あぁいや、ちょいとボーっとしちまっただけ。」
「疲れた?俺、代わる?」
「そんな気ぃ使うなって、まだ交代まで時間あるんだから、お前こそまだ休んどけ。」

フードがずれてしまわないよう細心の注意を払いながら頭を撫でる男の手を甘受しながら、少年は肩をすくめて答えた。

「あんまり、眠れない。」
「初の首都が楽しみで眠れねーってか?」
「そう。」
「ははは、正直な奴め!」

そう言えばペルマナントに行くのは初めてだと言っていた事を思い出した男は、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべて言う。

「首都デビューの祝いに、飛び切りいい店紹介しちゃる。」
「いい店?」
「そうそう。綺麗なねーちゃんが一杯いる店だ。」
「ねーちゃん?店?」
「おう。そりゃあもうバインバインでパッツンパッツンの天国よ。」
「ば、ばいんばいん……」

少年の反応に、男はおや?と内心首を傾げる。
彼ほどの年頃の男ならば、女のいる店に連れて行ってもらえるとなれば涎を垂らして喜ぶはずだ。
男自身がそんな子供だったし、今もそれは変わっていない。
故に妙に困ったような少年の反応が意外だったのだ。

「何だ何だ?恋人に操でも捧げてんのか?お前その歳でやめとけ、勃つモンが勃つ内に遊んどいた方、が……」

なんて唆す男の言葉は尻すぼみになって最後には馬の嘶きに掻き消された。
その視線は少年を通り過ぎて後ろを凝視している。
御者台の後ろには幌馬車の頑丈なカーテンしかないはずだが、今はそのカーテンは開かれ、幽鬼のように無表情で男を見つめる老人の姿があった。
氷の如く冷え切ったその眼差しに気付いてしまっては猥談など続けられようハズもなく、男は借りてきた猫のように居住まいを正して片手を上げた。

「よ、よぉアルジャン。よく眠れたかい?」
「ジャンさん、おはよう。」

引き攣った顔で男が声を掛けたことで、少年も背後を振り返って礼儀正しく挨拶をする。
その途端、先ほどまでの絶対零度の無表情が嘘のように柔らかく溶け、老人…アルジャンは好々爺然とした微笑みを浮かべて「おはよう。」と挨拶を返した。
その優しい視線は一心に少年へと注がれていて、アルジャンの関心は男にはないようであった。
その事にホッと胸を撫でおろしたのも束の間。

「ところで、君。」

思いがけず声を掛けられた男は心臓が口から飛び出るてしまうのではないか心配になる程大きく飛び跳ねたことを自覚する。
おずおずと視線を向ければ老人は変わらず優しい笑みを湛えていたが、男はすぐに気づいた。
そのグレーの瞳だけは一切笑っていないことに。

「な、ナンデショウカ。」
「おや、そんなに畏まってどうしたんだい?」
「ナンデモアリマセン。」
「そうかい。あぁ、そうだ……後で帳簿の総決算について確認したいことがあるから時間を貰えるかね?」
「うぐぅうう。」
「時間を、貰える、かね?」
「…………………………………はい。」

長い沈黙の後に渋々、本当に渋々頷いて見せた男に満足したようで、アルジャンはすぐにその興味を少年へと移して穏やかにペルマナントの話なんぞを始めた。
少年は先程のやり取りに特に違和感を持たなかったらしく、楽しそうにアルジャンの話に相槌を打っている。
時折男へと話題を振って来る少年の気遣いが、今だけは少し恨めしい。
何せ、少年と男が言葉を交わす度にアルジャンはあの絶対零度の眼差しを向けてくるのだから堪ったものではない。
男はこのアルジャンと言う老人に少なくない苦手意識を持っていた。
少年に猥談やら悪態を吹き込んだりしているとどこからともなく現れて会話を中断させ、その後にクドクドと説教をされるからだ。
たかが説教と侮ってはいけない。
説教されている間中、終始あの凍てつく眼差しに曝されなければいけないのだ。
そして何より、アルジャンから常に感じる威圧感。
これはよく少年にちょっかいを掛けて怒られている男に限った話ではなく、他の従業員や、オディギアでさえ感じていると言う。
パッと見はひょろりとした温厚そうな老人のはずが、目の前に立つとまるでドラゴンとでも相対しているのではないかと思えてしまう程の威圧感を覚えてしまうのだ。
しかしこのキャラバンの中で唯一、その威圧感に気付いていない者がいる。
それが誰あろう、ここでのほほんとお喋りに興じるおっとり不審者……もとい少年だ。
彼だけはなぜかアルジャンの事を“優しくて面倒見のいい普通のおじいさん”と思っている。
最初は冗談か、子供特有の強がりかと思った。
しかし違った。
彼は本気でアルジャンをただの老人だと思っているのだ。
それを理解した時、男は心底納得した。
アルジャンが少年を特別に可愛がり、執着している理由を。

「あ!ジャンさん、見て!あれ、町!」
「ふふ……そんなに乗り出したら落ちてしまうよ。」

仲の良い祖父と孫のような微笑ましいやり取りを横目に、男はフッと笑みを零す。
少年は、ほんの僅かなひと時でもあの偏屈でおっかない老人をただの普通の人間にしてやれる。
だからアルジャンは少年に固執しているのだ。
理由も原理も分からない。
そもそもどうして少年以外の人々がアルジャンを本能的に恐れてしまうのかも分からないし、あえて理解しようとも思わない。
ただ同じキャラバンで働いているだけ、どちらかが仕事を止めてしまえばもう二度と会う事もない。
そんな希薄な繋がりなのだから。
けれど、思う。
彼ら二人のあの春の日だまりのように温かな関係が、これからも続けばいい。
なんて。

「らしくねー事考えちまったぜ。」

へへっと照れ笑いを浮かべ鼻の下を擦る男に、アルジャンが目を向ける。

「何か、言ったかね?」
「イエ、ナンデモアリマセン。」

早くみんな起きないかな。
そんな事を考えながら、男は遠くに見えるペルマナントの街並みを眺めた。


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