とある男のプロローグ

サイ

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第二章

一話

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どさり。
小麦のギッシリ詰まった麻袋を慎重に荷馬車へと積み込み終え、近くで在庫を数えていたオレンジ色の髪をした大男へと声を掛ける。

「オーナー、荷運び、おわった。」

男は在庫リストから顔を上げると、髪と同色の瞳を細めて笑う。

「おー、お疲れさん!もうすぐ出発するから先に乗って休んでていいぞ。」

爽やかなその声に会釈を返しながら、お言葉に甘えて幌馬車へと乗り込む。
どうやら俺が一番乗りだったようで、馬車の中はがらんとして誰もいない。

「ふう……」

深い溜息を吐いてクッションの上にどっかりと腰を下ろし、壁に背を預けて目を閉じる。
職業柄、他の従業員と共同生活を送っているため、こうして一人きりになったのは実に久しぶりの事だった。
体力仕事が多く慣れない環境と言う事も相俟って目まぐるしい日々ではあるが、元の世界で勤めていた工場のように給料未払いやら休み返上の呼び出しやら暴言やらもなく、和気藹々と健全な労働生活を送らせてもらっている。
で、そんなホワイトなお仕事がどんな物かと言うと、異世界人の俺には馴染みの薄い全国各地を渡り歩き商売をする行商隊……この世界で言う所のキャラバンと言う奴だった。
行商と言っても、俺が売り子をする訳ではない。
仕入れた商品の運搬や整理、管理が主に任されている仕事だ。
たどたどしくしか話せないのだから妥当な配属先だと思うし、クソデブ貴族がまだ俺を探している可能性を考慮すれば裏方仕事を任されたのはこちらとしてもありがたかった。
さて、異世界人でコネどころかアルさん以外の真面な知り合いすらいない俺がどうしてこんな縁も所縁ゆかりもないキャラバンに加わる事が出来たのかと言うと、話は凡そ2ヶ月前……アルさんの屋敷を飛び出した夜にまで遡る。
あの夜アルさんの屋敷を出て森に入った俺は、あっという間に遭難した。
地獄の空中散歩中に発見した、俺が倒れていたと言うあの砂利道。
あそこまでたどり着ければどうにか人里まで引き返せると思ったのだが……あまりにも無謀だった。
いくら上空から目視でルートを確認していたとは言え、森どころか林すら見たことのないド素人が真夜中の森に着の身着のまま飛び込んだのだから、遭難は順当すぎる結果であった。
自分では冷静に判断して行動したつもりでいたが、残念ながらそうではなかったようだ。
真っ暗で現在地も分からず、進むことも戻る事も出来ず、水も食料もない上、歩き疲れてまともな思考も出来やしない。
そんな絶望のどん底で打ちひしがれて呆然と座り込み死を覚悟さえした俺が今こうして生きて忙しくも充実した日々を過ごせているのは、ひとえにこの時思わぬ助けがあったからに他ならない。
その助けとは、己の思慮の浅さに呆れ失望しただ呆然と虚空を眺めていた俺の視界にふと舞い込んだ、微かな光だった。
比喩などではなく、文字通りの意味だ。
淡く銀色の光を放つ何かが、座り込んだ俺の膝の上にひらりひらりと舞い降りて来たのだ。
よく見てみると、その何かはモンシロチョウによく似ていた。
可憐で素朴な白い翅が淡く輝く様はため息が零れる程に幻想的で、俺は目の前の光景を夢だと思った。
自分は恐怖と疲労でいつの間にか眠ってしまっていて、この光景はそんな自分が見ている都合の良い夢なのだと、本気で思ったのだ。
だから俺は何の疑問を覚えることもなく、蝶に尋ねた。

「スクレの町、行きたい。道、分かる?」

と。
すると蝶はまるで返事でもするかのように数度翅をはばたかせ、ひらりと舞い上がり、進み始めた。
静寂に包まれた真っ暗な森の中を蝶の淡い輝きを頼りにフラフラと歩き続け、夜が明けて太陽が頭上に上った頃。
俺は街道の上に立っていた。

「は、ははは、なんつー都合のいい夢を……それにしても疲れた。喉も乾いたしやけにリアルな夢だなぁ。もしかして夢じゃなかったりして。」

なんて空笑いを浮かべて頬を思い切り抓ってみた俺は、頬が捩じ切れるんじゃないかと言う程の痛みに絶叫し、同時に確信した。
これ夢じゃないな、と。
我に返った後しばらく辺りを探してみたが、蝶の姿は影も形もなく消え去っていた。
あの森では少なくとも魚より小さな生き物は生きられないはずなのに、あの蝶は一体何だったのだろうか。
本当に存在していたのか、それとも自分が夢うつつに見た幻だったのか……あの可憐な恩人との邂逅は今もって謎に包まれたままだ。
と、それはさて置き。
その後しばらくの休憩を経て、俺は遠くに見える町を目指して再び歩き始めた。
目指す町の名はスクレ言って、俺がこの世界に来て初めて目を覚ました場所……競売場がある町だった。
この国、ピトレスク王国内でも最果てと呼ばれるほどド辺境の町で、王立騎士団(俺の世界で言う所の警察)の目が及ばないのをいい事に、腐った貴族共の不正取引や人身売買と言った犯罪の温床になっているらしい。
土地も痩せていて、これと言った特産品もないスクレの住民たちは貴族が使う金によって生かされているも同然で、それ故に貴族がどれだけ惨い行いをしたとしても決して告発することはない。
ここ数百年の間にそんな醜いサイクルが出来上がってしまったのだと、いつだったかアルさんは物寂し気に語って聞かせてくれた。
まさか森を隔てた向こう側がそんな無法地帯だったとは、初めて聞いた時は驚いたものだ。
本当ならそんな場所なんて行きたくもないのだが、近隣には小さな農村が点在している程度で、その農村も歩きでは何日もかかる距離にあって手ぶらで行くのはとても現実的ではなかった。
まぁつまり、他に選択肢はなかったという事。
しかし何も悪い話ばかりではなかった。
スクレの町は大昔に王族の避暑地であった歴史もあり、その名残で首都ペルマナントまで直通の駅馬車が出ているらしい。
乗車賃を稼ぐためにしばらくは滞在して働いて、お金が溜まったらもっと治安の良い所へ移住しよう。
そんな事を考えていたのだが、甘かった。
今思い返しても自分の浅慮さが恥ずかしくて顔から火を噴きそうになるくらい、甘かった。

「何、あれ。」

街門がいもんの側までやって来た俺は、眼前の光景につい、声を漏らした。
門の前には数台の幌馬車が列を成しており、その周囲にも人々が並んでいて鎧を着た男たちと何かを話をしている。
列の最後尾に並んでみたが、何と言うか、西洋人風だからかみんな背が高く、髪の色も明るい。
俺の前に並んで退屈そうに一服している男も優に2mは超えそうな巨漢だし、髪の色なんて爽やかなオレンジ色だ。
ついまじまじと観察していたら視線を感じたのか、男はチラリとこちらを見て興味なさげに目を逸らした……かと思ったら、ギョッと髪と同色の目を剥いてもう一度俺を見た。
見事な二度見に驚いてビクつく俺を凝視する男の口から、ポロリと煙草が零れて地面に落ちる。

「あ、あの……」

無遠慮に見つめていた俺が言えた義理じゃないが、強面の巨漢に見つめられる居たたまれなさに耐え切れずおずおず声を掛けてみれば、男はハッとして気まずそうに苦笑した。

「あ、あー、すまねぇな、不躾に!」
「い、いや、俺も、見てた、ごめん。」
「ん??坊主、言葉がたどたどしいが、お前さんこの辺のモンじゃねぇのかい?」
「ま、まぁ……」
「へーぇ!どおりでなぁ。」

納得したように何度も頷く男に首を傾げると、男は俺の頭を指して言う。

「よく言われねーか?その髪と目が珍しいってよ。」
「髪と、目?」
「おうよ。この辺じゃそんな色の人間は見たことがねぇな。」

成る程。
だから競売場で俺は高値で買われたし、彼も俺を見て驚いていた訳か。

「で、お前さん保護者はどこに居るんだ?」
「ホゴシャ?」
「親の事だよ。まさかその歳で、その上そんな軽装で一人旅って訳でもあるめぇ?」

そんな歳ってどんな歳だ。

「親、いない、俺1人。あと、子供じゃない。」
「そんな見栄張るのがガキの証拠だ。」

本当の事を言っただけなのに、なぜか生暖かい目で見られた……
やっぱり東洋人は若く見られる物なんだな。
ここはハッキリ年齢を伝えて度肝を抜いてやろうと口を開くよりも先に男が言った。

「だが、1人ってのはマジみてぇだな……深くは聞かねぇが、その、大丈夫なのか?」
「大丈夫って?」
「いや、見たとこお前さん手ぶらだけどよ、金とか通行手形とか身分証とか色々、ちゃんと持ってんのか?」

男の言葉に雷に打たれたような衝撃を受ける。
当たり前だが、異世界から来た俺は男の提示した物を何一つとして持ち合わせていなかったからだ。
まさかここまで来て異世界人であることが問題になるとは思いもしなかった。
呆然とする俺に、男が気の毒な子を見るような目を向けながら言った。

「あ、ぁ~、その何だ、困ってんなら俺のキャラバンに乗るか?従業員って事にすりゃあ手形も身分証も提示しなくていいんだ。入市税だって商業手形があるから従業員は払わなくていいし。」

思いがけない救いの手にどん底に落ちた気分が僅かに浮上するが、しかしすぐに浮足立つ心を宥めて努めて冷静に男へと尋ねた。

「………提案は、うれしい。でも、どうして助ける?あなたたち、利益、ない。」

願ってもない申し出を受けるには、10年前に工場長に拾われた時とあまりにも状況が似ていた。
あからさまな疑いの目を向けられた男は千切れるんじゃないかってくらい首をブンブンと横に振って焦燥も露わに捲し立てた。

「いやいやいや、別にやましい事なんて考えてねぇよ!?乗せる代わりに雑用係として働いてもらいたいだけだ。恥ずかしい話、今は猫の手も借りたいくらい人手が足りてねぇんだ!給料だって出すしさ、な、な?」

そう言い募る男の形相は必死で、ちょっと怖い。
ジリリと一歩後退ろうとしたところに、ポンと、背後から肩を叩かれた。

「そこの2人、取込み中のところ悪いが、列が進んでいるよ。」

低い嗄れ声の主の方へと振り返ると、そこには粗末な服を着たひょろりと背の高い白髪の老人が無表情に佇んでいた。

「あ、あぁ、悪いな、爺さん。」

男は気まずそうに俺から一歩離れると、名残惜しそうに何度もこちらを振り返りつつ馬の手綱を引いて進んで行った。
どこか憎めないその背中を横目に、俺は老人へと頭を下げる。

「困ってた、ありがとう、ゴザイマス。」
「いや、私はただ急かしただけだ。」

そう言って老人はやんわりとグレーの瞳を細めて微笑んでくれた。

「ところで、……君。」
「ぁ、はい。」
「君はこれからどうするのだ?」
「…………話、聞こえてた?」
「後ろにいたからな。」

肩をすくめて答える老人に、俺はため息を吐く。

「……さっきの人の話、乗る。それしか、ない。」
「ほう?君は、服装から見てどうやら困窮した環境に居た訳ではないようだが、帰るつもりはないのかね?」

老人の言葉に少し、驚く。
そう言えばアルさんに与えられた服を着たまま来てしまったが、そうか。
さっきの男や老人の服を見れば、確かにこんな俺でもいい所の坊ちゃんに見えなくもない……かも。
もしかしたらどこぞのお貴族坊ちゃんの家出とでも思われたのかもしれないな。
お坊ちゃんの自分を想像して苦笑しながら、俺は答える。

「帰れない。俺なんかが、帰っていい場所、ちがう。」
「それは…………、いや、……そうか。」

老人は何か言いたげにしていたが、結局は何も言わずに頷いてくれた。

「だが、丁度よかった。」
「ぇ?」
「いや実は、私は働き口を探しに町に来たのだ。正直こんな老いぼれを雇い入れてくれる所があるか不安だったのだが……」
「あ、そっか。あの人、身元、分からないヤツ、勧誘するくらい、焦ってる。」
「そう言う事だ。」

物腰柔らかな老人だなとか思っていたが、意外とちゃっかりしてる。
なんだかそれが妙に可笑しくてクスクス笑いながら、俺は老人の手を取って男のいる方へと引いた。

「俺も一人だけ、不安。一緒に、行こう。」
「………あぁ、そうだね。一緒にいよう。」

老人の返答に少し違和感を覚えたが、聞き間違いだろうと思いなおして俺たちはオレンジ頭の男の方へと向かった。


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