とある男のプロローグ

サイ

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第一章

十一話

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「つぎ、なにする?」

話題を変えるために投げかけた質問に、アルさんは数秒の沈黙の後、こっくりと一つ頷いて別の本を差し出してきた。

「あの童話集が読めるようになったなら、これを見せようと思っていた。」

普段通りの静かな口調で渡された本はどうやら子供向けの教材のようで、表紙には“魔素と魔術”と簡素な文字が躍っている。
魔素と魔術。
これまでの物語の中で幾度となく登場していたそれらは、何となく魔法に必要な何かであり、この世界の一般常識なのだろうと解釈していた言葉だ。
詳しく教えてもらえるならありがたい。

「まずは魔素について説明しよう。」
「はい。」

ぺらりと開かれたページには人間と薄紫の煙のようなイラストが描かれていて、アルさんは煙の方をトンと人差し指で軽く叩いて口を開いた。

「魔素とはとある物体から発生する空気のような気体の事を言う。人間は空気中に漂うこの魔素を取り込み、体内で魔力へと変換することで初めて魔術を行使する事ができる。」

なるほど、人間だけでは魔術は使えないのか。

「魔素と言うものはとある物体から発生すると言ったが、何かわかるか。」

この中に書いてあるぞと言う風に指し示されたページを読み込み、ふと目についたとある一文に俺は息を飲んだ。

「し、したい?」

何度も確認したが、やはりそこには魔素とは生物の死骸から発生すると記載されている。

「そう、魔素は生物の死骸……正確に言えば魔核から発生する。」
「まかく?」
「魔核とは心臓の別名だ。」
「???」

要するに魔素は死んだ生き物の心臓から発生するという事か?
発生源が怖すぎるし、今こうしている間も死体から発生した謎気体を俺も取り込んでいるのかと思うとぞっとする話だ。
でも発生源が心臓ってどう言う事なんだ?

「生物の心臓にはどんな役割があると思う?」
「さんそ、からだに、めぐらす?」
「正解だ。だがそれだけではない。心臓は酸素と共に取り込んだ魔素を魔力へと変換し、全身へと循環させる役割も担っている。」

この世界での心臓は所謂ろ過装置のような役割も担っている訳か。
いやいや、心臓にそんな役割があるなんて初耳なんですが。
もしかして俺はこの世界の生き物とは体の……主に心臓の構造が違うのか?

「生物は魔核によって魔力を用い、死ねば魔核から魔素を放ち、次の世代の生物に消費される……それが魔素と魔術の関係だ。」

なるほどね。
生きて死んで土に還って土地を肥やすと言った自然界のサイクルと同じような物なのか。
あ、そう言えば。

「えーっと…、まそ、いっぱいある、つよい?」

お金や資源のように魔素が潤沢にあった方がより強大な魔術を使う事が出来るのではないだろうか?
そんな男のロマンとも言える疑問をぶつけた俺に、しかしアルさんは首を振って答えた。

「いや、普通はその逆だ。」

アルさんがページを捲ると、そこには濃い紫色の煙に巻かれて苦し気に顔を歪める人間の姿が描かれていた。

「生物の魔核にはそれぞれ魔素の許容量と言うものがある。」

何ですと?

「一定の水準までならば魔素をただのエネルギーとして使用できるが、もし魔核が耐えきれないほどの魔素を取り込んでしまった場合……魔核は破裂する。」
「はれつ!?」

何それこっわ!!
この世界大丈夫なのか!?

「あぁ、そんなに心配する程の事ではない。この事実が発覚してからは魔素が濃くなりすぎないよう人間の埋葬方法は火葬で統一され、古代の墓地や大きな合戦跡地は魔境と呼び遠ざけられるようになったからな。魔境にさえ入らなければ余程の事がない限りは安全だ。」

な、なるほど。
そりゃそうだよな、これだけ魔素の仕組みが解明されていて何の対策も打たれていないワケがないんだ。
ああ、焦って損した。
…………………いや、ちょっと待てよ?
多分、きっと、恐らく、俺の心臓はこの世界で言う所の魔核には当たらない、人体に酸素を巡らせてくれるシンプルでごく普通な臓器のハズだ。
それってつまり、俺の体内には現在進行形で魔素が入り込み、魔力に変換されることもなくジワジワ溜まって行っているって事じゃないですか?
という事は、つまり。

「あ、あわわわわ、アルさん、アルさん!」
「??突然そんなに慌ててどうしたんだリョー。」
「おれ、おれ、パンってなる!?」
「パン?………あぁ、そう言う事か。」

なるほど、と言った風に頷かれて安が募る。
彼は俺が異世界の人間であるという事を知らないし、この世界の人間に当たり前に存在する魔核が俺の中にないという事も当然知らない。
それなのに彼は一体何を一人納得していると言うのだろうか?
俺は次の瞬間にも死んでしまうかも知れないというのに。
破裂した心臓が肋骨を砕き肉を裂いて目の前の綺麗な顔に真っ赤な飛沫を吹きかける様を想像し、全身から血の気が引いていく。

「リョー。」

静かな呼びかけに、瞬きをする。
目の前にいるのは血まみれなんかじゃない、いつも通りのアルさんだ。

「大丈夫だ。君が不安に思う事など、何もない。」

それは、怯える人間を出鱈目に慰めていると取るにはあまりにも確信を持った言葉だった。
まるで何もかも知っているとでも言わんばかりの表情で、アルさんはスラリとした指先を俺の胸にそっと突き付ける。

「リョーの魔核は破裂なんてしない。」
「……?」
「君が魔核…心臓を犯されて死ぬことは、絶対に有り得ない。」

断言、された。
何も知らないハズなのに、奇妙なほどキッパリと。
けれど不思議と俺はその言葉に得も言われぬ安堵を覚えていた。
彼の言葉が事実である保証なんてどこにもないのに、眼前で瞬く青い双眸や胸に感じる小さく淡い温もりが、酷く心強かった。

「ほんとう?」
「本当だとも。」
「おれ、パンってしない?」
「ああ、しない。」
「ぜったい?」
「絶対だ。私の名誉に誓ってもいい。」

そうキッパリと頷いて見せる彼の姿に、何だか怯えているのが馬鹿らしくなってくる。
すると不思議と大真面目な顔で冴えないアラサー男をあやしてくれるアルさんと言う図が妙に可笑しく思えてきて、つい「ぷっ」と吹き出してしまった。
今の今までオロオロと子供みたいに狼狽えていた俺の突然の笑みにキョトンと目を丸めるアルさん。
驚いた顔も美しい。

「ふふふ……アルさん、やさしい。」
「……やさしい。」

噛みしめるように俺の言葉をなぞった後、彼はむず痒そうにそっぽを向いて小さく咳ばらいをした。

「私にそんな事を言うのはリョーくらいのものだ。」
「そう?アルさん、ずっと、いつも、いっぱい、やさしい。」
「……、………揶揄うのはやめなさい。」

少し怒ったように言っているが、明後日の方向を向く彼の髪から覗く少し尖った不思議な形をした両耳は桃色に染まっている。
こんな可愛い側面も持ち合わせているとは、侮れない人だ。


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