とある男のプロローグ

サイ

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第一章

十話

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お待ちかねの図書室だ。

「としょ、しつ……?」

眼前の光景に、アルさんから聞いていた情報を聞き間違えたのではなかろうかと自分の記憶と言語力を疑ってしまったが、確かにアルさんは図書室と言っていた……ハズ。
しかし目の前にあるのは俺とアルさんの部屋を足しても足りないくらいのだだっ広い部屋に、所狭しと並んだ木製の巨大な棚の群れ。
そしてその棚全てにギッシリと詰め込まれた本の量たるや、最早図書室と言うより図書館と言った方が正しいだろう。
アルさんは自分の趣味で全て集めたと言っていたが、まさかこれほどの蔵書量を全て読破したという事だろうか。
いや、いくら魔法があったとしても流石にあり得ないか。
人生4回分使っても読み切れなさそうな量だ。
物珍しさからつい周囲をキョロキョロと見渡す俺に、隣を歩んでいたアルさんが言った。

「ここの本は好きに持ち出して構わない。」
「え!いいの?」
「勿論。学ぶことは良いことだ、遠慮はいらない。」

その言葉に胸が沸き立つ。
8歳の頃あの変態金持ちオヤジに買われてから義務教育を受ける事さえ許されず、解放された後も仕事に追われてばかりで人並みの常識さえ培う事は出来なかった。
そんな俺が、まさか異世界に来て初めて学ぶ機会に恵まれるとは……
うず高く積みあがったアルさんへの恩がまた一つ高度を増したことに眩暈を覚えながら本の樹海を彼と共にゆっくりと練り歩き、勧められた数々の本の中から数冊選んで窓辺のテーブルへと揃って腰を落ち着けた。
窓から注がれるポカポカと心地良い陽気。
部屋に漂う紙とインクの匂い。
ずっと昔、俺の人生が壊れる少し前に父に連れて行ってもらった図書館も確かこんな風に温かくて居心地の良い場所だったように思う。
幼かった俺は大好きな絵本の山に大はしゃぎしてたっけ。
そんな俺を膝の上に抱いて、父は俺の望むままにたくさんの絵本を読み聞かせてくれたんだ。
そう言えばすっかり忘れていたけれど、帰り際に交わした「また来ようね」と言う約束は、ついぞ果たされることはなかったな。

「………リョー?」

不意に掛けられた声にハッとする。
いけないいけない。
折角アルさんが俺のために勉強を教えようとしてくれているのに、下らない思い出に浸ってどうする。

「なに、さいしょ、よむ、なやむ。」

心配そうな顔をしてこちらを覗き込むアルさんにそう繕って笑いかけると、彼は僅かな沈黙の後に俺から乱雑に積み上げられた本へと視線を逸らした。
よかった、誤魔化されてくれたみたいだ。

「…そうだな、この順番に読むといいだろう。」

そう言ってテキパキと並べ替えて綺麗に積み上げられた本はどうやら難易度順になっているようで、一番上はこれまでのおさらいとでも言うような幼児向けの絵本だった。

「リョーならもう簡単に読める物ばかりだろうが、分からない所があれば言いなさい。」

そう言ってアルさんは別の難しそうな本を開いて読み始めた。
彼のさりげない誉め言葉にニヤケそうになる顔を律して俺もさっそく絵本を開いて読み進める。
「むかしむかしあるところに」から始まるその物語はお姫様と奴隷の悲恋を描いた物で、可愛らしい絵柄とは裏腹になかなか心をえぐるもの悲しいストーリーだった。
アルさんに拾われてから何冊も絵本を読ませてもらっているけれど、絵本って意外と大人が読んでも面白いものだ。
そう言えば幼い頃に大好きだった絵本があったな。
今でもハッキリと覚えている。
“かがり火と門番”と言うタイトルで、切くもどこか晴れやかな結末が大好きだったんだ。
表紙が擦り切れるくらい何度も何度も読み返していたっけ。
読了後の余韻と懐かしい感慨に浸りつつ、次の本を開き黙々と読み進めていく。
最初は自力で読めていた絵本は次第に絵が少なくなり、単語や言い回しも数段難しくなっていき、部屋から持ってきたあいうえお表……もといイズィーク語表と照らし合わせたりしながら少しずつ読み解いていく。
その最中に分からない言葉があればアルさんに質問し、ジェスチャーやイラストで説明を受けてノートにメモを取る。
地道な作業だが、なまじ物語が面白い物ばかりなだけに全く苦にならない。
それどころか、ここにある絵本や童話のそのほとんどが実話を基にした話であるという事実が俺を一層夢中にさせた。
妖精と獣人と言う希少種の恋物語、魔法や剣の冒険譚にドワーフやエルフの歴史。
俺のいた世界ではファンタジーでしかなかったそれらが、この世界では現実として根付いている。
これ程面白いことはない。
そうして一心不乱に読み続けてしばらくした頃、童話集のとあるページでピタリと手が止まった。
イタズラ好きな妖精の面白おかしい日常を短編で描いた物語が完結したその後に、まだページが続いていたのだ。
最初は後日談や作者のあとがきだと思った。
しかし、ページを捲った先に現れたのはあまりにも場違いなタイトルだった。

“殺戮伯爵”

物騒すぎる。
今までのほのぼのとした物語とは一線を画した禍々しいタイトルに驚きつつ、その下に描かれたイラストへ視線を落とす。
そこには美しい男が白い髪をなびかせながら兵士を惨たらしく殺している姿が描かれていた。
今までの妖精のキラキラした絵とは似ても似つかない生々しくグロテスクな絵。
ページ数も他の物語よりずっと厚く、どうやら伯爵の生い立ちに関する推察から殺戮伯爵と呼ばれるに至った経緯、そして彼がいかに冷酷無比な人物であったかが記されているようだった。
そんな物語の大まかな話を纏めるとこうだ。

その者は人間の貴族と奴隷のエルフとの間に生まれた妾腹の子。
きっと愛されず虐げられ、わびしい少年時代を過ごしたに違いない。
生きとし生ける物を恨んだその者は自ら望んで戦争へ赴き、強大ないかづちの魔法を用いてその歪んだ復讐を果たした。
たった一人で羅刹の如く敵兵を皆殺しにしたその男を、人々はこう呼んで恐れた。
殺戮伯爵、と。
しかし、愚かな前王は長年の戦争を終結させた功績からその者へ多大な褒賞を与え、重用した。
その愚王亡き後、新たな治世を担った新王陛下はその者の心に巣食う闇を見抜き、悪逆の徒である殺戮伯爵を魔の森へ封じた。
こうして、偉大なる賢王の手によって世に平和が訪れましたとさ。
めでたしめでたし。

そんなところか。
端的に纏めるとこんなに短いが、60ページにもわたるこの物語の半分以上はいかに伯爵が残忍で狡猾で冷酷であったか、そして卑しい身分でありながら数えきれない死体を積み上げて得た“伯爵”と言う地位を名乗る傲慢さを罵る言葉が書き連ねられ、残りはこの伯爵を封じた王を讃える言葉で埋め尽くされていた。
伯爵側の意見や主義主張を排除し徹底的に貶めようと言う悪意が透けて見えるような、胸の悪くなるような話だった。
その上伯爵の姿が少しだけアルさんに似ていたせいで、まるで彼の悪口を読まされているような、そんな不快さを俺に抱かせた。
それにしてもどうして突然こんな話が入っているのだろうか。
あんまりにも何の脈絡も関連性もない話に首を捻る。
製本中に紛れて気付かれないまま綴じられてしまったとか?
そんな事ってあり得るのだろうか?
この本を薦めてくれたアルさんに聞くのが手っ取り早いか。

「アルさん。」

声を掛けると、彼は読んでいた本から視線を上げていつも通り身を寄せて来た。

「ん、どこか分からないか?」
「ううん、へんなはなし、あった。」
「変な話?どれ…………っ!」

不思議そうに首を傾げて俺の差し出したページを覗き込んだアルさんの表情が、一瞬にして凍り付く。
そしてその表情は次第に歪んでいき、“殺戮伯爵”のタイトルを見つめる瞳に憎悪の炎が灯る。
尋常ではない様子に驚くと共に、彼から発せられる針の筵のように鋭く冷たい殺気に全身が粟立った。

「あ、る…さん……?」

掠れた呼びかけに、アルさんがハッと息を飲む。
と、同時に押しつぶされそうな程の威圧感が嘘のように霧散して消え、瞳の険を緩めたアルさんが気まずそうに目を伏せた。

「………すまない、怖がらせてしまったな。」

静かに謝りながら、彼は俺の手から本を引き抜いてパタリと閉じる。
そしてまた同じページを開くと、驚いたことに確かにあったはずのあの物語は綺麗さっぱり姿を消し、代わりにそこには作者のあとがきが淡々と綴られていた。
驚きのあまり目を擦ってページを捲ってみるが、いくら探してもあの伯爵の姿はもうどこにも無い。
愕然とする俺に、アルさんは暫しの逡巡の後に語り始めた。

「あれは渡り図書わたりとしょと言って、およそ500年ほど前に作られた魔術だ。様々な書籍の中に気まぐれに紛れて読ませるとことができる。」

何だそれ、誰にメリットあるんだ。

「様々な種類の書籍にも興味を持ってもらうために出版会社が考案したが、不評ですぐ消滅させられた魔術なんだが……行使された魔術は消すことはできない。故に今でもこうして当時の宣伝用の話が時折現れることがある。」

なるほど、俺の世界でいうテレビCMみたいなものか。
仕方ない事とは言え見たい番組を中断させられるのが嫌でテレビ見なくなっちゃったんだよな……
映像でもこんな弊害があるのに、書籍ともなればその不満は顕著だったことだろう。
物語が消えた理由が分かったが、しかしなぜアルさんはあんなに怒っていたんだ?
もしかしてこれほどの読書家だから、これまでも何度も邪魔され続けて殺意を覚えるレベルでイラついていたとか?
いや、アルさんはその程度であそこまで怒るような人じゃない。
なら問題はあの物語の内容しかないだろう。

「……アルさん。」

名を呼ぶと彼はどこか緊張した面持ちで、けれど視線だけは逸らすことなく真っ直ぐ見返してくれた。
その視線の中には僅かながらに不安の色が揺らいでいる。
俺が詮索してこないか不安なんだろう。
心配する事なんて、何もないのに。

「ほん、ぜんぶ、おわった。」

いつも通りあっけらかんと笑って本を閉じた俺に、アルさんは一瞬だけ目を見開いて何か言いたげに唇を動かしたけれど、結局何も言わずに頷くだけだった。
それでいい。
俺は、近い内にここから出て行く。
恩返しなんて何一つしていないくせに。
そんな恩知らずで恥知らずな俺だけど、身の程は弁えているつもりだ。
俺みたいな薄汚い人間が、お人好しで優しくて誰よりも綺麗な彼の心に踏み込んでいいハズがないんだって。
だからアルさん、あなたもこれ以上、俺を踏み込ませないで。

「つぎ、なにする?」

これ以上、俺を受け入れないでね。



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