とある男のプロローグ

サイ

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第一章

七話

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アルさんの家で目を覚まして、もう1週間になる。
食事については昨日から通常の固形物を食べても問題なくなり、失った血液もすっかり元の量に戻ったようで足以外は元気そのものだ。
相変わらず食事は美味しいしベッドは寝心地いいしアルさんは優しいしで、“こは天国説”を真剣に考慮するくらい何不自由ない生活を送らせてもらっている。
4日ほど前からアルさんにこの国の簡単な単語や文字なんかを教えてもらっていて、お陰でこの部屋の中にある物や窓から見える範囲の物くらいは話せるようになったのは大きな進歩と言えよう。
しかしそんな充実した生活の中で一つ不満があるとすれば、やはり足の傷のことだった。
歩けないせいで殆どの時間をベッドの上で過ごさなければならないし、何より事あるごとにアルさんを頼らなければならないことが心苦しくて仕方ない。
一番嫌なのはトイレや風呂だ。
もよおす度に渡されたベルでアルさんを呼びつけてトイレまで抱えて連れて行ってもらわなければいけないし、足がこんなでは風呂に入ることもできないので蒸しタオルで体を拭いてもらっている。
目覚める前はアルさんにどんな世話をさせていたのかは考えたくもない。
彼は気にするなと言う風に頭を撫でてくれるけれど、気にしない方がどうかしている。
だが、それも今日で終わりかもしれない。
何たってアルさんが今日は足に何かすると教えてくれたのだ。
簡単な単語しか分からないので詳しいことは不明だが、楽しみすぎて今日はいつもよりかなり早い時間に目が覚めてしまった程だ。
軽く身だしなみを整え、待つ間に貰ったノートと鉛筆でこの国の50音表のようなものを書き連ねていく。
やはり文字を覚えるなら、嫌と言うほど書きまくって体と頭に叩き込むしか方法はないだろう。
主に精神と手が辛くなる作業だが、いつかアルさんに手紙を書くためと思えば苦にならない。
そうやって一心不乱に同じ文字を書きなぐりはじめてしばらく経った頃。
すっかり聞きなれた控えめな足音が耳に届き、手を止めた。
ややあって開かれた扉から入ってきたのは、今日も眩しく輝いているアルさん。
俺がすでに起きているとは思わなかったのか、アルさんは少し驚いたように目を見開いて「おはよう。」と挨拶を口にした。

「オハヤウ。」
「おはよう。」
「オハヨウ。」

発音を正してもう一度挨拶すると、アルさんは頷きを返して歩み寄って来る。

「キョウ、アシ?」

ベッドテーブルの上に広げていたノートをいそいそと片付けて教わったばかりの言葉で質問すると、アルさんはベッドの縁に腰かけて頷いた。
良かった、聞き間違いや勘違いではなかったようだ。
まあ何かすると言っても、傷の具合を見て歩行可能かどうか判断してくれる程度の事だろう。
まだ傷が完全に癒えた訳ではないが、これ以上は俺の精神衛生上よろしくないので多少痛みがあろうが意地でも歩いて見せる。
もしアルさんが悩むようなら足りない言語とジェスチャーを駆使して説得しよう。
見かけによらず過保護で世話焼きな彼を説得するのは骨が折れるだろうが、何としてでも歩行許可をもぎ取ってやる。
なんて人知れず決意している間に両足の包帯が解かれ、グロテスクな傷がその全貌を現した。
すっかりカサブタができて最初に見た頃よりはマシになっているが、それでもグロいものはグロい。
朝ごはん食べれるかな、なんて呑気に考えていたら、おもむろに両足を優しく掴まれて「ほあ?」と間抜けにも程がある声を上げてしまった。
触れるか触れないかくらいの力加減のため痛みは一切ないが、グロテスクな傷口にアルさんの綺麗な手が触れているというある種冒涜的なその光景には未だに慣れず、つい凝視してしまう。
不意に、微かに空気が揺れたような奇妙な感覚を覚えて顔を上げる。
すると瞼を閉じて軽く俯くアルさんの綺麗な銀髪が隙間風一つない密室でユラユラと揺らめいていた。
不可思議な光景に言葉も出ず思わず見入っていると、しばらくしてアルさんが瞼を開いた。
それと同時に揺らめく髪がふわりと巻き上がって、両足が心地良い熱に包まれた。
驚いて足元へ視線を向けた俺は、更なる驚きにぽかんと間抜け面を晒した。
事実は小説より奇なり、なんて言葉を聞いたことがあるけれど、今まさに眼前で進行している光景ほど奇妙で奇天烈な現実を目の当たりにした人間は、きっと俺の他にはいないだろう。

「ひ、光ってる…」

それ以外、表現のしようがない。
だって本当に光っているのだ。
両足に添えられたアルさんの手を起点として、両足全体を淡い金色の光が包み込んでいる。
アルさんは何も持っていなかったはずなのに。
それにとても暖かい。
足湯にでも浸かっているようで非常に心地良いのだが、残念ながら今はそれを堪能している余裕はない。
理解不能な現象を前に呆然とするしかない俺。

「終わったぞ。」

光と温もりが消え、アルさんの声が聞こえたことでようやく我に返った俺は、自分の両足からアルさんへ視線を移し、またすぐに足を見た。
我ながら絵に描いたような二度見だったと思うが、それはさて置き。

「なななな、治ってる!?」

薄っすらと痕は残っているものの、完全に傷跡は塞がって僅かな痛みもない。
恐る恐る手で触れてみても痛むことはなく、驚いたことにすっかり完治していた。
一体何が起こったんだ?
髪がユラユラしてポッと光って温かくて、気が付いたら治っていた。
理解不能を通り越して思考停止だ。
引っ切り無しに足を触って一人あわあわしていると、アルさんに名前を呼ばれた。

「リョー。」
「あ、アルさん!ナニ!?アシ、ナニ!?」
「落ち着きなさい。」

混乱して捲し立ててしまったが、優しく窘められてすぐに冷静になれた。

「驚かせてすまなかった。」

視線を落として軽く頭を下げるアルさんは謝っているようで、慌てて肩を押して顔を上げてもらう。
きっと俺が取り乱してしまったのが原因だろう。

「ワルイ、ボク。アルさん、ワルイ、ナイ。」

脳をフル回転させて必死に謝り返すと、アルさんは俺の頭を撫でて言葉を続けた。

「今のは治癒魔法だ。」
「チユマホー?」

初めて聞く単語に首を傾げると、不意に人差し指を立てたアルさんの指先にボッとライターくらいの火が灯った。
アルさんが火傷すると思って慌てて手で消そうとしたら、手が届く前に火が消えてしまった。

「これが、火炎魔法。」

涼しい顔で解説してくれているが、アルさん、残念ながら全く伝わってないです。
恐る恐る彼の手を取って火の灯っていた指先を観察してみるが、火傷などは一切見当たらなくて、一連の出来事が不可解すぎて久々に自分の頬を抓ってみた。
普通に痛い、現実だわこれ。
種や仕掛けがないものかと頻りにアルさんの手をひっくり返したり袖の中を覗いてみたりしても何もない。
これじゃあまるで魔法じゃないか。

「ん?」

不意に、脳裏に幼い頃にテレビで見たとある映画が思い浮かんだ。
丸眼鏡の少年が魔法学校に入学しててんやわんやする映画だ。
もう随分前に少し見たきりなので詳しくは思い出せないが、確か魔法で火を操るシーンがあったような…
いやいやいやいや、何考えてんの俺、あれはファンタジーでこれは現実!
魔法とかありえないし!
そこまで考えてまた脳裏に過去の情景が浮かぶ。
あれは、工場内で俺とは違う意味で孤立していたオタクの田中さん。
孤立した者同士で作業を振り分けられることが多く、それに伴って彼の熱いサブカル談義によく付き合わされたものだ。
そう言えば最後に話した時、今ハマってるアニメについて語ってくれたな。

『五十嵐氏!最近は異世界転生物が胸アツなのでござる!拙僧も死んだら異世界転生して美少女エルフたんを嫁にいたす所存!チート能力で俺tueeeeするのが待ち遠しいでござる!』

田中さん、キャラ濃かったなー……
って、そんなことはどうでもよくて!
田中さんは俺が作業する隣でずっと喋っていた。
その異世界転生なるものには色んなパターンがあり、通り魔に殺されたり暴走トラックに跳ねられたり果ては気が付いたら異世界に飛ばされていたり、本当に色々。
そして多くの場合、異世界は中世ヨーロッパ風の世界観で魔法が使えて、おとぎ話でよく聞くエルフやドワーフ、妖精なんかが普通に存在しているとも言っていた気がする。
正直言って当時は口より手を動かしてほしいなとか考えながら聞き流していたのであまりよく覚えていないが、気が付いたら見知らぬ場所にいて魔法を使う人が居るってまさに今の俺の状態じゃないか!?
しかもよく考えたらブロードソード持ち歩いている人間や当たり前のように滑走していた馬車、それにこの部屋だって十分中世ヨーロッパ風である。
混乱しているせいだろうか、眠っている間に外国に連れてこられたと言う考えよりも気が付いたら異世界にいたと言う方が余程現実味があるような気がしてきた。
いや、しかし……
腕を組んで「うーん……」と考え込んでいると、おもむろに両手を掴まれた。
その瞬間。

「うぉっ!?」

体が、ふわりと宙に浮いた。
驚いて咄嗟にジタバタもがいてしまったが、落ちる気配はない。
しかし体が地に触れていない状態と言うのは想像以上に不安定で心もとない。
思わず縋るようにアルさんへ視線を投げかけると、彼は繋いでいた手を軽く引いて風船のようにふわふわ揺れる体を抱き寄せてくれた。
少しは安定した体にホッとしたのも束の間、突然グンッと重力が戻って慌ててアルさんの首にしがみ付いた。
傍から見たら木にしがみ付くコアラのように見えることだろう。
しかし、先程から次々と巻き起こる非現実的な事象の数々にとうとう目を回してしまった俺にはそんな事を気にしている余裕はない。

「すまない、驚かせてしまったな。」

意外にも逞しい胸元に顔を埋めて震えている俺の背を、アルさんの温かい手が撫でてくれる。
少し落ち着いたので顔を上げると、すぐ目の前にアルさんの顔があって心臓が止まるかと思った。

「わ!ご、ごめ……ワルイ、ワルイ!!」

瞬時に我に返って慌てて飛び降りたが、1週間以上寝たきりだった人間の足がその衝撃に耐え得るはずもなく、ガクリと膝から崩れ落ちそうになる。
しかし寸でのところでアルさんに抱き留められて転倒は免れた。
少し歩行のリハビリをする必要がありそうだ。
って、今はそんな事よりも重要なことがある。
先程まるで走馬灯のように脳裏を過った一つの仮説。
今の空中浮遊のお陰でこの説が一番濃厚……と言うよりもうそうとしか思えないという事がはっきりした。
かなりぶっ飛んでるし自分でもどうかと思うが、あんなの見せられたらもう認めるしかない。

ここ、異世界じゃね?


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