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三章 ――白色の王子と透明な少女――
⑨<二人3> 『王都へ』
しおりを挟む⑯【ソフィア】
「マシ――」
私の叫びよりも先に、マシューの細剣《レイピア》がバルドル王子の脚に突き刺さる。
けれど練習用の細剣《レイピア》だ。皮や肉どころか服すら貫いていない。
「出てけ! この家から出ていけ!」
マシューは構わず、がむしゃらに細剣《レイピア》を振り回す。封印の箱が床に転がった。
バルドル王子が小さく舌打ちし、マシューを蹴り飛ばす。
「マシュー!」
「バルドル! きさ――」
「おおっと、二人とも。そこの一匹もだ。動かないでもらいたいね」
私も、ロキ王子も、腰の剣に手を回していた。バルドル王子はそれよりも早く動いていた。
マシューの小さな頭を掴み、喉元に細剣《レイピア》の先をあてている。迷いのない行動だった。
「バルドル、貴様はどこまでゲスな男だ」
ロキ王子が眉に皺を寄せ、吐き捨てるように言った。
「俺も流石に、君たち二人を相手にするのは骨が折れる。手に入れる物は手に入ったし、退散させてもらうよ」
「ね、ねぇちゃん……」
マシューがか細い声を上げる。
「少年も余計な事はしないようにね。さあ、そこの箱を手に持つんだ」
バルドル王子が顎で封印の箱を指し示す。
マシューが不安そうな顔を私に向ける。
「マシュー、王子様の言う通りにして。変なことはしないで」
「うんうん。その方がいいよ。……さあ、早くその箱を取るんだ」
おずおずと封印の箱を手に抱えたマシューの頭を握りながら、バルドル王子はゆっくりと後ずさりする。扉まで向かっていく。
駄目だ。ここで逃がしたら、きっとマシューは殺される。逃がしてくれるなんて甘い期待しちゃ駄目だ。
「……言っておくが、既にこの家は『灰色の樹幹』の連中が囲んでいる。仮にその子を殺したところで、最早、お前に逃げ場などない」
「妙な事を言うね、ロキ。逃げ道はちゃんとあるじゃないか。……この家にね」
思い当たったのだろう。ロキ王子が目を見開く。私もすぐに思い当たった。
王子は帰るつもりなんだ。『森のノカ』から、王都へと。
「転移盤《アスティルミ》か……」
「ご名答。大聖堂には俺に賛同した仲間達がいる。宝玉《オーブ》とこの封印の箱さえあれば、ナルヴィも逆らえない。『帝都の厄災』と供に人類を恐怖の渦にたたき込んだ眷属を思いのまま動かすことができる。宝玉《オーブ》があれば、他の魔族も呼び寄せることができる。……分かるかい? ロキ。今の俺ならば、王都など、簡単に滅ぼすことができるんだ」
駄目だ。この人をここで逃したら……大変なことが起こる。マシューも、『森のノカ』の人達も、……王都の人達も……私が、守ってみせる。
「……さっきから聞いてれば、自分の都合の良いことばかり!」
私は立ち上がり、細剣《レイピア》を腰から抜く。
「……これが見えないのかい? 君はそこまで馬鹿なのか?」
王子の細剣《レイピア》がマシューの首筋に触れ、一滴の血が流れ落ちる。
「それ以上、私の弟を傷付けるな! 逃げたきゃ勝手に逃げなさいよ! なんで、そんな……卑怯な真似するの! 私の好きになったあなたは……優しく素敵な王子様はどこに行ったの!?」
「もとから、そんな相手はいないけれどね。優しく素敵な王子? はっ! そんな男なんて、この世に存在しない。馬鹿な女どもの妄想だけに存在する生き物さ」
ゆっくりと王子は後ずさりする。部屋の扉に近づいていく。
「この女の敵!」
「ソフィア! もう止めろ! この男を刺激するな!」
ロキ王子の叫びに、一瞬だけバルドルが意識をロキ王子に向ける。
――来た。今しかない!
私はこの瞬間を狙っていた。ロキ王子が私の言動に痺れを切らして動くのを待っていた。
バルドルが、ロキ王子に意識を集中させるこの瞬間を狙っていた。
手に持った細剣《レイピア》の先を王子の足元に向ける。
渾身の早さで、一点の隙間に向け、細剣《レイピア》を動かす。
そして――
「『石けん』!」
バルドルの靴と床の隙間に、『夢魔法』の石けんが生まれる。
突然何かを踏んだと感じた王子は、身体の重心を大きく崩す。
瞬間、ロキ王子の剣閃がバルドルに襲いかかった。
バルドルが細剣《レイピア》を回し、剣をはじき返す。
マシューと王子が離れた。今だ!
「『大白鳩《シェバト》』!」
一瞬の隙を突き、マシューの上空に大白鳩《シェバト》を生む。大白鳩《シェバト》は大きな鉤爪でマシューの頭を鷲づかみにし、部屋の端へと飛んで行く。
「ソフィア!」
呼ばれたままロキ王子を見ると、片手に大きめの宝石を持ち、掲げている。
「涙を、ぬぐえ!」
まったく今の状況に合っていない言葉だった。けれど、私の意識は急速に過去へと引き戻される。
忘れていた情景が、溢れ出てくる。
私は咄嗟に片手を使い、自分の瞳を覆う。両目に私の手のひらが覆い被さる。
手の隙間から激しい光が差し込んだ。強く、白い光を受けて、咄嗟に目を瞑る。
バルドルの呻き声が聞こえてきた。目を開けるとバルドルが両目を押さえ苦しんでいる。
「『閃光』の魔石。父上から貰った、使えない魔石だ。目眩まし程度にはなるようだがな」
ロキ王子が懐に宝石を収め、剣を構える。私の手なんて貫通しそうなくらい強い光だった。まともに食らったら、しばらく目が見えないと思う。
「これで、終わりだ!」
ロキ王子の持つ剣の刀身がきらめく。けれど、バルドルは、私を負かせたあの男は諦めていなかった。
ロキ王子の剣技はそう鋭くない。そこを付かれた。
気配だけで剣筋を読んだのか、バルドルは身体を斜めにしてそれを避けた。そして鋭い剣先がロキ王子の肩に突き刺さる。
バルドルは叫び声を上げながら細剣《レイピア》を振り回し、扉に肩から突撃した。簡単に扉は開き、バルドルはよろけながら逃げていく。
「待て! バルドル!」
「待って、ロキ王子!」
追いかけようとする王子を止め、駆け寄る。王子の服に血の染みが広がっていく。
「失礼します!」
「お、おい!?」
抵抗する王子にも気にせず、服の前止めを開いて肩の素肌に空いた穴を見つめる。
……良かった。そんなに深くない。
ってかなに、この王子。体中、傷だらけなんだけど。
「多分、大丈夫だと思いますけど、手当してください」
「大丈夫だ。今はバルドルを――」
「手当してください! マシュー! 確か薬箱があったよね!」
マシューがうなずき、ベッドの下を漁り出す。
「大丈夫だと――」
「うるさい! バルドル王子は私が追います!」
まだ何か言いたそうなロキ王子を叩きつけ、転がるように部屋を出る。
一階から激しい物音が聞こえてきた。
逃げるつもりなんだろう。あの王子が現れた、秘密の部屋から。
『ソフィア、待って!』
メフィスの呼び止めを無視して階段を駆け下りる。私一人だ。
誰の手も、誰の力も借りるつもりはない。
あの王子は、私が倒す。
乙女心をもてあそんだあの男は絶対に許さない。
私の力だけで、決着を付ける!
⑰【ロキ】
「王子! ちょっと待ってよ! せめて薬くらい」
後ろを追ってくる黒髪の少年が心配そうな声をあげる。
一階に降りると奥の方から物が散らばる音が騒がしく広がる。
あのおてんば姫め。猪突猛進のごとく駆けだしていきやがった。
「奴が現れた転移盤《アスティルミ》は向こうか?」
「う、うん。ねえ本当に大丈夫なの?」
俺は突かれた肩に手を置き、反対の手を動かす。……少し痛みはあるが、問題なく動く。
「傷は浅いから大丈夫だろう。それよりもソフィアが心配だ」
頭に血が上って追いかけていったが、バルドルは俺の『閃光』の魔石で目が眩んだだけだ。一時的なもので、五体満足な状態だと思い至らなかったのだろうか。
『ソフィアも心配だけど、宝玉《オーブ》が奪われているのも問題だ。魔界まで逃げられたら、探し出すのが余計に難しくなる』
俺の脇に抱えられたメフィスが心配そうに顔を上げる。
「これ以上放っておくわけにもいかない……奴は、俺が止める」
暖炉部屋の壁から階段を駆け下りる。
「ねぇちゃんなら、大丈夫だよ。強いから、あんな奴には負けないよ」
黒髪の少年が必死に俺を追いかけてくる。
「そうだといいがな……」
現実は、そう上手くいくとは限らない。事実、俺の耳には音が聞こえてきている。
機械を重ね合わせたような音。連続する金切り声のような不穏な音だ。
覚えがある。ここに来るときに、俺は確かに、この音を聞いていた。
階段の終着点に設置された両扉を開くと音が更に大きくなる。
青白い光が溢れ出る。
「少し遅かったね、ロキ」
部屋の中央には転移盤《アスティルミ》が回転を続け、青白い光を撒き散らしている。その前には、バルドルが立っていた。その腕には……気絶したソフィアが抱えられている。脇には古ぼけた小ぶりの宝箱も抱えられていた。
「……ソフィアを離せ」
「嫌だね。この子は切り札になる」
転移盤《アスティルミ》の回転がさらに速くなる。光とバルドルが、ソフィアが溶け込んでいく。
「決着は、『王都』で付けよう。先に行くよ、ロキ」
ぱあん、と一段と激しい音を立て、バルドルは消え去った。残された転移盤《アスティルミ》は輝きを無くし、中心にある四角型の物体がみるみるうちにくすんでいく。
「ど、どうしたの!? 早く追わなきゃ!」
少年、そんなことは分かっている。……だが、それは無理だ。
転移盤《アスティルミ》は一度使ったら、半年は使えなくなる。もうこの転移盤《アスティルミ》からはバルドルを追うことができない。
「……メフィス、さっきソフィアは妙な魔法を使ったな。それはお前の夢魔法か?」
『そうだよ。彼女はルスラン王族でしょ? 人間の中でも、魔石を自在に使える種族だ。町で戦っている彼女を見て、彼女ならもしかしたらと思ったんだ』
「ならば、俺も使えるのか?」
『使えると思う。ようは僕を魔石に見立てればいいんだ。ルスラン王族なら、僕の夢魔法を使うことができるはずだ』
メフィスの言葉に頷き、踵を返す。
「バルドルを追う。魔法の詳細を詳しく聞かせてもらおうか」
奴を追うためには、他の転移盤《アスティルミ》へと向かわなくてはならない。それもなるべく早くだ。時間をおけばおくほど、ソフィアがどんな目に遭わされるか分からない。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 王子!」
階段を駆け上がろうとしたところで、黒髪の少年が呼び止めてきた。黒目なのもあわせて、もう記憶から失われつつある日本人を連想させる。
手には、六枚の羽飾りが付いた細剣《レイピア》が握られていた。
「これ、ねぇちゃんの……」
頷いて、少年の思いと共に、剣を受け取る。
「王子様、お願い」
少年は震えながらも、真っ直ぐ俺の瞳を見つめる。そして続けた。
「絶対に、ソフィアを……ねぇちゃんを助けて」
この子の母親は既に亡くなっている。メフィスが三人暮らしと言っていたから、最早、ソフィアが唯一の肉親になってしまっている。
もうこれ以上、家族を奪うことは許されない。絶対にバルドルの魔の手から救わなくてはならない。
「……分かった。絶対に、ソフィアを助けてみせる」
絶対に、この子を独りぼっちにはさせない。
目指すは、ノカの町聖堂にある転移盤《アスティルミ》だ。
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