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三章 ――白色の王子と透明な少女――
⑫<王子5> 『純粋な想い』
しおりを挟む⑱【ロキ】
暗闇の森に女が仰向けに倒れている。そして、それを一人の男が見つめている。
水音だけが響く、薄暗い場所ではあったが、不気味さは感じない。
『夜のノカ』近くの大きなキノコから降り注ぐ、光の胞子が俺達の周辺を回っている。
輝苔《カガヤキゴケ》が近くに群生しているのだろう。
中心が淡く光る水玉の群れが、ふわりふわりと幻想的に通り過ぎていく。
俺は自分の現状を客観的に見つめていた。
俺達を助けた大白鳩《シェバト》の群れは姿を消していた。
元々影しかなかったのだが、影も形も消え失せていた。
「ここは……?」
シルワの大きな目がうっすらと開く。
「『夜のノカ』近くの森だ。……やっと、目が覚めたか」
「……まだ覚めてない。優しく起こして」
俺は彼女の言われるがまま、頭を撫でる。
彼女の柔らかな髪が俺の指先を伝っていく。
「……素直なのね。珍しい」
「たまにはな。……俺も素直な時があるさ」
「……ロキ、“彼女”には、気をつけて。“彼女”は――」
何かを伝えようとする、彼女の口を、俺は指で止める。
「今はいい。もう、いいんだ」
シルワの髪を撫でつけながら、彼女の身体に目を向ける。
晒されていた腕も足も、傷だらけになっていた。
木々の枝で切ったのだろう。白い肌が裂け、血を出している。
そして――
「……痛みはもうないわ。そんな顔しないでよ」
腹には背まで貫通させた大きな穴が空いていた。彼女の出した大量の血で、ドレスの下半身は真っ赤に染められている。
「あーあ……綺麗な身体、見せたかったな」
「……十分過ぎるほど、綺麗だ」
出てくる声は震えていた。
自然と、視界が滲んでいた。彼女の笑顔がまともに見られない。
彼女の腕に、水の滴が落ちていく。
「すまない。……俺は、お前を護れなかった」
「謝らないで。だったらもっと、してもらいたいこと……あるから」
彼女の声も震えていた。
普段通りに振る舞っている。取り繕ったような笑顔を浮かべている。
けれど、彼女の瞳は濡れていた。垂れ目の端から水滴が流れ落ちる。
「……お前に、涙は似合わない」
「お互い様でしょ。だから、お別れも笑顔でしましょう」
お別れ、その言葉に胸が詰まる。
そう、俺はもう理解している。彼女も察している。
もう俺達は、二度と会えないことを。
「……何か、俺にしてもらいたいこと、あるか?」
彼女の頬に手を置き、尋ねる。彼女はしばらく考えて、こう言った。
「……何も。今、ここにいてくれるだけで、私は嬉しい」
彼女の魅せる笑顔は美しかった。
それは幻想の森が魅せるどの光景よりも、俺の心に刻まれる情景だった。
だから俺は、
彼女の唇に、自分の唇を重ね合わせていた。
暖かい彼女の舌と俺の舌が重なり合い、絡み合う。
幻想が舌を伝って体中に駆け巡る。
それは長く、一瞬の時間だった。いつまでも続いてもらいたい、時間だった。
「シルワ……」
「うん?」
唇から離れ、俺は彼女の顔を見つめる。形の良い頬を撫でる。
彼女の瞳を見つめながら、言った。
「――愛している」
「……嘘つき。でも、それでも……嬉しい」
彼女の声はもう、虫のように小さくなっている。
「ロキ、落ち着いたら……『あの部屋』の机にある、引き出しを見て」
「……何が入ってるんだ?」
「私の、手帳が入ってる。あなたに見てもらいたい。私の、全てが、真実が、そこに――」
「分かった。必ず、見るよ」
だからもう、そんなに頑張るな。俺もお前も、笑って別れるんだろう。
「ロキ……」
返答の代わりに顔を撫でる。彼女は俺のされるがまま、気持ちよさそうに微笑みを浮かべている。
「出会えて、本当に良かった」
返答の代わりに口づけをする。唇同士が重なり合い、その後に彼女の甘い吐息が訪れる。
「ありがと――ロキ、好きだよ――」
お礼なんかいい。
その言葉は彼女には届かなかった。
彼女の愛情に応える言葉は、伝わらなかった。
幻想の光が煌めく森深くで、一人の男が女を見つめる。
女は安らかな笑みをたたえたまま、天へと昇っていった。
⑲【ロキ】
「何故だ……何故俺は……」
――何故俺は彼女を信じられなかったのだろう。
彼女は純粋に、俺を愛していた。
最後の最後まで、俺に愛を伝えてきた。
『あの部屋』にいるときも、ただ、子供のように、少女のように俺に愛を求めてきただけだ。
それなのに、その姿を見て、俺は邪推をしてしまった。
何か裏があるんじゃないか、そう錯覚してしまっていた。
俺は彼女を信じられなかった。
この結果は、俺が招いた結果だ。
俺が彼女を信じていたら、違った未来があったかもしれない。
「何故だ……何故、こんなことになった」
微笑みを浮かべ目を閉じる女を見つめながら思考を張り巡らせる。
この町で起きた出来事を並び立てる。
考えるまでもない。俺はこの事件の全容を何も掴めていない。
沢山の事象が起こり、俺は沢山の事象を見過ごしてきた。それをどれだけかき集めても、まるで全容が把握できない。
どれだけ思考を張り巡らせようとも、答えなんて出る訳がない。
俺の視点だけでは、この町で起こっている事件の全容は絶対に分からない。
パズルのピースが半分以上欠けているような感覚だ。
だが俺は諦めない。絶対に、シルワの死を無駄にはしない。
この町で起こった事件、そこには必ず黒幕がいる。
シルワを影の魔法で殺害し、あざ笑っているヤツが必ずいる。
必ずそいつを見つけ出す。あぶり出してみせる。
「……王族を、舐めるなよ」
俺はそいつを絶対に許さない。
必ず見つけ、裁いてみせる。
長い思考は不意に止められた。
いつの間にか俺とシルワの周りを沢山の男達が囲んでいた。
男達はめいめい、俺とシルワを交互に見つめ、怒りと悲しみが合わさった表情を見せている。
男達の輪が一部欠け、男が一人俺に近づいてくる。
眉間に皺を寄せ、ゆっくりと近づいてくる。
「……オーレンか」
恰幅の良い紳士的な格好をした男が俺を睨み付けている。
形の良い、口髭が動いた。
「少し、ツラを貸してもらおうか……王子」
その瞳には、その声には激しい憎しみが宿っていた。
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