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三章 ――白色の王子と透明な少女――
⑤<王子2> 『色恋沙汰』
しおりを挟む⑦【ロキ】
惚けている場合じゃない。
何故、あの女がここにいるのかは分からないが、それは本人に聞けばいいだけの話だ。
「あ、早くしないと、お母さん、どこかに行ってしまいますよ」
「あ、ああ……」
そうだ。この少女の言う通りだ。
今は、今大事なことはエストア達を追って――
「ロキ?」
テラスの椅子から立ち上がった直後、不意に声をかけられる。
甘ったるい、柑橘系の匂いが俺の鼻を擽る。
振り向くと、黒いドレスを身にまとったブロンドの女が立ち、特徴である眠たそうな垂れ目の瞳を俺に向けていた。
肩と腕の部分がシースルーになっていて、元々持っている色気を更に上昇させている。
「シルワ……何故ここに?」
「それ、私の言葉よ。……何故こんなところにいるの?」
シルワがこれまでにない、深刻な表情で俺を見つめる。
「……話は後だ、今は――」
「待って――!」
俺の腕を掴み、動きを止めるシルワ。
「エストアを見つけた。すぐに追わないと逃げられ――」
唇が重なった。
不意を突かれ、俺は為す術も無く、シルワの唇を受け入れてしまう。
それは一瞬だった。だが、俺の動きを止めるのに、十分すぎる力を秘めていた。
「分かってる。……私達も“彼女”を追っていたから」
「な……」
追っていた? シルワがエストアを? 昨日概要を話したからか?
「……彼女たちは私達に任せて。あなたはあそこに向かっては駄目。……分かるでしょ?」
「な、なんの話だ……?」
……分かるでしょ、と言われても心当たりなど……
……。
あー……。
あるな。
「あの女か。お前らが追っているというのは」
「そ。オーレンからの司令よ。……彼はこの町で起きている一連の出来事と、“彼女”の関連性を疑っている」
「……オーレンがどこで“あの女”を見つけたのかは知らないが、ヤツはお前らの世界とは無関係の女だ。余計なちょっかいは出すな」
「それを決めるのは私達よ」
「ふざけるな。俺を怒らせたいのか」
「怖い怖い。ま、ある程度の情報が集まったら、あなたにはコッソリ教えてあげるから。今は余計なことをせずに、そこの女の子とお茶を楽しんでいて」
少女は椅子に座り、心配そうに俺とシルワを交互に見つめている。
「それにしても可愛らしい子ね。私に黙ってどこで見つけ――」
シルワが目を見開く。軽口を叩こうと浮かれた表情が一瞬で消え、唇を噛みしめる。
視線の先には、黒髪で褐色の肌を持った少女が目を瞬かせている。
そして――
「……なるほどね」
それは低く、負の感情が交じった呟きだった。眉に皺を寄せ、俺を睨み付ける。
「……どうしたんだ?」
「――なんでもない。行くわ。私もこれで結構、忙しいんだから」
「別に誰も引き留めてないが」
「引き留めてもらいたいの。本当に、アナタは――」
シルワは再び俺に近づき、首筋に口づけする。そして、続けた。
「――つれない男。それじゃあね」
手を振り、黒いドレスの女は笑顔を見せて去っていった。
「なんだ……アイツは」
小さくなっていくシルワを見つめながら、彼女の事を思い出す。
彼女は確かに、こう言った。
去り際、俺の首筋にキスをした後、小さくこう言った。
「夜に、二つ目の『灰色』で」
それは俺以外の誰にも聞こえないほど、小さな声だった。
その声には、何かの覚悟が混じっているように感じ取れた。
「……行かないんですか? お母さんもう行ってしまいましたよ」
少女が小さく、呟くように言う。
「……どうも、牙を抜かれてしまったな。本当にアイツは不思議な女だ」
どちらにせよ、既にエストアは見失ってしまっている。今更、この入り組んだ町並みを探したところで見つけるのは至難の業だろう。
「あの方、……恋人さんなんですか? 随分、親しそうでしたけれど」
はっ? 恋人? ふざけるな。親しき仲なら口を引っ張っているところだ。
「この町で知り合っただけの関係だ。少しだけ、好意は持たれているようだが、どこまでが本気だか分からない女だからな……」
「やっぱり、ああいった、大人の女性が好みなんですか?」
少女が上目遣いで突っ込んでくる。なんだ? やけにグイグイくるな。
……そういう色恋沙汰が気になる年頃なのか?
「俺に『好みの女性』なんてないさ。……これでも一途な方なんでね。理由もなく好きになり、その相手をずっと愛してしまう。……俺の、悪い癖だ」
「……なんで、悪い癖だなんて言うんですか。一人の相手をずっと好きでいる……素敵なことだと思います」
「……それが、死んでしまった相手だとしても?」
少女の言葉が詰まる。……少し、意地悪をしてしまったな。
「冗談さ。なんにせよ、シルワと俺はなんの関係もない。彼女はただの情報屋だ」
俺は彼女特有の髪である、癖っ毛気味の長いブロンドを思い出す。
大きな垂れ目の瞳を思い起こす。
色気が強く、男に勘違いされやすい言動をするが、俺はそんなところには惑わされない。
表面上に惑わされないからこそ、付き合ってみれば面白い女だった。
あの独特の秘密めいた雰囲気も、俺の好奇心を刺激してくる。
「……それなら、もし、良け――」
「まあ、俺の事を本当に気に入っているのならば、……少し考えても良い程度の感情は持っているがな」
ただ俺は、すぐにここを離れてしまう身分だからな。彼女にもあまり深入りするべきではないのだろ――
「……どうした? 何かあったのか?」
目の前にいる少女の表情が分かりやすく沈み込む。何か思い詰めたようにうつむき、唇を噛みしめている。
「い、いえ、なんでも……ないです」
いやいや、どう見たって何かがあるだろう。
「何か思い出したのか? 今はなんでもいいから情報が――」
俺の言葉を遮るように、少女は立ち上がる。そして――
「少しこの辺りを歩いてから、帰ります。王子様はゆっくりしていって下さい」
「あ、ああ。それなら、家まで送ろう」
「……それには及びません。それに、少し一人になりたい気分なので」
少女は笑顔の後に、俺に背を見せて歩いて行った。
……急にどうしたんだ、一体。
本当にあの年頃の女の子は何を考えているのか分からない。
⑧【ロキ】
『森のノカ』下層にある一画にそれは建ち並んでいた。
上部が削られた太い枝と枝の間に幾重にも足場が敷かれ作られた広場の上に土が盛られ、その上に三つの切株が建っている。中はくり抜かれているようでそれぞれに扉が取り付けられていた。
光を入れ込むための窓から中の住人の人影が見え隠れする。
「ここが“風除けの切株”か……」
エストアのいそうな場所という少女の言葉に従い、道行く人々に行き先を尋ねながらなんとか辿り着いた。
一体どんな思考をすれば樹木の枝と枝の間に切株を置こう、なんて思想に辿り着いたのか、過去の『森のノカ』住人の考えに興味は尽きないが、今はそれどころじゃない。
見失ってしまったエストアを探し出す。それが今の俺ができる最善の手だった。
「それに“あの女”だ……」
あの女がこの場所にいるなんて、想像もしていなかった。恐らく今回の事件とは無関係だろうが気にはなる。
なんにせよ無事だといいのだが……。
聞き込みをしようと切株の前まで足を向けたところで、人々のざわめきが俺の耳を刺激する。
風除けの切株へ訪れた見学人たちがめいめいに上空を見上げている。
釣られて見上げてみると、すぐにそれに気がついた。
「……なんだ、あれは」
枝から枝に飛び移るように、沢山の男達が上空を飛び回っていた。
腕から脚にかけて、ムササビのような羽マントを取り付けた男達が滑空をしながら一人の女を追いかけている。
男達が見つめる女は、エストアだった。記憶の中ではきっちりと結ばれた髪はほどかれ、長いブロンドの髪が森の上空を舞う。エストアもまた、自身の身体周辺に光の輪を広げ、回転させながら滑空し、枝から枝へと飛び移っている。
エストアが戦っている姿を見るのはワイバーン戦以来だが、恐らく自身の持つ魔導具の能力を使っているのだろう。
問題は、何故エストアが追われているのかだ。
丁度風除けの切株上空を通り抜ける、そのタイミングで追いかける男の一人が動いた。
木の枝を支えにして片手を空けた男が銃のような形状の物を取り出し、銃口をエストアに向けていた。
「エストア!! 危ない!」
俺の叫びはエストアへ届いていた。だからこそ、それが悪い方向へと向かってしまった。
俺がこの場所にいる。そのことがよほど想定外だったのかエストアは俺に驚愕の顔を向け身体を固めてしまった。
その瞬間、エストアの背後から網が覆い被さる。
網に巻き込まれ空中で制御を崩したエストアが落下し地面へと叩きつけられた。
「エストア!」
慌てて駆け寄ると網の中央に収まったエストアが身体を動かす。
良かった。生きている。
「エストア! 無事か!?」
「お、……王子、申し訳ありません」
網が絡まり地面に倒れたままのエストアがか細い声を出す。
「喋るな、今すぐネルのところに――」
「私は大丈夫です。それより、どうか、彼女を……、彼女を止めてください」
「彼女!? 誰のことを――」
「おおっと、それまでだ王子様」
いつの間にか、俺達を囲うようにエストアを追っていた男達が風除けの切株広場に降り立っていた。
「……『灰色』か?」
どれもが厳つい、強面の男達。中には見覚えのある男もいる。間違いなく、オーレンの手の者達だ。
「その女はボスに引き渡す。抵抗するならば、王族といえど後悔することになるぜ」
「……エストアがなにをした。一体、何故、『灰色』がエストアを追う?」
「追ってるのはこの女だけじゃねぇよ。なんにせよ答える義務はないね。シルワは別のようだが、ボスは王族なんぞに頼ってねぇ。王族が俺達の町《シマ》に首を突っ込むな」
代表して話していた男が顎で合図をし、男達が網を担ぎ上げる。中のエストアは気絶しているようだった。抵抗一つしていない。
「待て、せめて手当を――」
「騒ぐんじゃねぇよ。こっちにも医者くらいいる。ヤブだけどな。悪い真似はしねぇ」
「……信じられないな」
「文句があるなら、オーレンにいいな。女のケツばかり追いかけている王子の言葉に耳を傾けるかどうかは知らねぇがな」
男達のゲスな笑いが広がる。
どうする。この男達の言葉を鵜呑みにするべきか?
離れていく男達を眺めながら思考を張り巡らせる。
オーレンとの会話を思い浮かべる。
……オーレンは危険な匂いのする男だ。だが、同時に町のために動くという任侠も持ち合わせていた。
エストアは何かを握っている。
俺がそう感じたように、オーレンも同じ結論に辿り着いたのかもしれない。
ここでオーレンと敵対するのは、好ましくはないな。
ならば――
「待て、オーレンに伝えろ!」
俺の言葉に、男達が振り返る。
「その女は一度戦いを共にした仲間だ。手荒なことは絶対にするなと」
男達がめいめいに汚い歯を見せる。俺の言葉に返すことはなく、男達は広場から立ち去っていった。
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