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三章 ――白色の王子と透明な少女――
③<少女3> 『手合わせ』
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③【ソフィア】
仮眠を取ってしまったせいで寝付けなくなってしまった私は、夜中に部屋を抜け出し、庭で細剣《レイピア》を振るっていた。
今日の敵は、空想のシーカーガルだ。
アイツに攻撃された背中と左足が痛む。
透明になっても、音を消していても、攻撃の瞬間、たった一瞬だったけれど空気を切り裂く音がした。
歯をかみ合わせる音がした。
そこを狙えば、もっと早く勝てたかもしれない。その為には、私はもっと素早く動かなくてはいけない。
私はもっと成長できるはずだ。もっと早く動けるはずだ。
そう確信しながら、刀身を回し、突きを繰り出す。
しばらくそれを続けていると、突如、家の扉が開いた。
人影が、ゆっくりと近づき、ランタンに照らされる。
「……王子様……」
「……遅くまで、せいが出るね」
白髪、赤目の王子が眩しい笑顔を見せる。その手には、練習用の細剣《レイピア》が握られていた。
*****
「どうされたんですか。こんな遅くに」
そう言いながらも、顔の体温が上がっていくのを感じ取る。心臓が跳ね上がる。
昨日も剣の訓練をしていたら、王子様がやってきた。
今日も同じようにしていれば、もしかしたら来てくれるかもしれない。
そんな気持ちがどこかにあった。
期待通りのことが起こり、願いが叶った所為で余計に心が締め付けられる。
「今日も頑張っていたみたいだから、俺も少し頑張ろうと思ってね」
そう言って王子様は練習用の細剣《レイピア》を動かす。
私の前に対峙する。
「ちょっとだけ、手合わせお願いできるかな?」
手合わせ……手合わせぇ!?
「は? え? いや、……は?」
予想外の発言に、思考が停止する。
手合わせって、握手とかのことじゃないよね。
王子様、細剣《レイピア》握ってるし、私と剣で……いやいやいやいやいや。
「そ、それは駄目ですよ。何かあったら申し訳が立ちません」
「大丈夫だよ。俺は決して強くはないけれど、少しは訓練を積んでいる。……君と勝負になるかは分からないけれど、引けは取らないつもりさ」
「わ、私これでも剣術大会準優勝ですよ」
「言ってたね。だからこそ、手合わせしてみたいと思った」
王子様はそう言って、剣を構える。
え、嘘でしょ。ホントにやるつもり? 私と勝負するつもりなの?
「言っておくけれど、俺が王子だからって、手加減は無用。本気で来てもらって大丈夫だ」
「む、無理です! 王子様に剣を向けたって知られたら……ふ、不敬罪です! 牢屋に入れられちゃいます!」
「不敬罪って……気にしなくて大丈夫だよ。仮に一撃入れられたとしても、練習中の話だ。誰も気にとめないさ」
「わ、私が気にとめます!」
絶対無理。私の剣も練習用だから切れることはないけれど、王子様の肌に痕でも残したら……私、崖から大回転しながら身投げしてしまうかもしれない。
「うーん、ああ、じゃあこうしよう」
困った顔をした王子様が、指を一本、上に差し出す。
「君がもし、一撃でも俺に剣をあてられたら、なんでも望みを一つ、叶えてあげるよ」
「の、望み……?」
「そう、あまり大きな望みは難しいかもしれないけれど、これでも王子だ。ある程度の望みは叶えてあげることができる」
私の望み……私の望み。
……。
だ、駄目。また、頭を撫でてもらいたいとか、どうしようもない事が頭を過ぎってしまう。
「の、望み……望み……」
「別に今決めなくていいさ。後でゆっくり決めるといい」
よ、よし。よーし落ち着けソフィア。どうどう、どうどう。
はやるな。後でゆっくり考えよう。この千載一遇の機会をじっくり考えよう。
……やっぱり頭撫でてもらうかな。それとも抱きしめてもらう? それとももっと……ぐへへへへ。
「……やる気になったみたいだね。けれど、俺だって男だ。簡単にはやられないよ」
「ぼ、防具とか、いりませんか?」
「大丈夫。君が一撃、俺に攻撃をあてられたら、この勝負はそれで終わりだ」
よ、よし。やってやる。やってやろうじゃない!
私の未来のため! 欲望のため! 覚悟を決める!
「……行きますよ」
「……どうぞ」
閃光が王子様の右手へと走った。
甲高い金属音が鳴り響く。
――そして、
「う、嘘でしょ!?」
私の喉元に王子様の剣先が置かれていた。微笑みながら、私の喉元に優しく剣を置いていた。
王子様の右腕を狙った私の剣は弾かれ剣先は明後日の方向を向いている。
「……一回目は俺の勝ちだ。次にいこう」
王子が私から離れ、再び剣を構える。
……よ、よーし落ち着け。ちょっと、いや、かなり予想外の動きだったけれど、まだ見切れる動きだった。
どうやら私も無意識のうちに、失礼にも手を抜いてしまっていたみたい。
「……いきます」
「どうぞ」
閃光が王子様の右腕を狙う、と見せかけ、回転させ左側を――
「……う、嘘――」
再び、喉元には優しい剣先が置かれていた。
見切れない早さじゃなかった。王子はゆっくりとした動作だった。
けれど私の喉元は、王子の剣先に吸い込まれるように向かっていた。
額から、汗が流れ落ちる。
「……君は動きが分かりやすい。だからこうして剣を置くだけで、そこへと君が勝手に移動してくれる」
「わ、私の動きを見切っている……のですか?」
「そんなだいそれたことじゃない。実戦を……本当の命のやりとりを続ければ、誰だってこのくらいはできるようになる」
微笑みを絶やさず、王子は淡々と話す。
私は……私は馬鹿だ。自惚れていた。
王子様の肌に痕でも残したら? そんな見当違いの心配をしていた数分前の自分を殴りたい。
この人は――明らかに、私の数段上にいる。
「……次、お手合わせをお願いします」
自分から離れ、王子に礼をする。
「どうぞ」
意識を相手の剣に集中させる。
もうこの人を、王子だとは思わない。
この人は、この人は……ただの敵だ――。
刀身が重なり、激しい金属音が響く。
私の剣ははじけ飛び、宙を舞った。そして王子の剣先は、私の喉元にある。
「……今のは、筋が良かった。けれどまだ、俺に対して遠慮があるね」
遠慮? そんなのしていない。私は今、本気で王子の喉元を突こうと動いた。
……。
……ははっ、この人……凄い。今の私じゃ、全然敵わないや。
私、今……今、すっごい楽しい!
「次! お願いします!」
「どうぞ」
虫の合唱に混じり、つばぜり合いの音はしばらくの間続けられた。
④【ソフィア】
私の利き手の動きが鈍った頃に手合わせは終わってしまい、長いすに二人並んで座り夜の風景を眺める。
結局、一勝もできなかった。ご褒美はなしだ。
でも、私の心は充実していた。私より圧倒的に強い存在と戦い、身体を限界まで動かし、何度も死んだ。……比喩的な意味だけどね。
でもこれが実戦で、お互いに本物の剣を持っていたら、きっとそうなっていた。
私は簡単に喉を突かれて敗れていた。
こんな機会、これから生涯かけてもそうそうないだろう。
私は今夜、一つ成長できた。
「王子様、本当に、お強いのですね」
心からの賛辞だったけれど、私の隣に座る王子様は首を振る。
「俺は弱い存在だ。王都の軍団長達は俺よりも遙かに強い」
上には上がいるんだ。私、本当に自惚れていた。
「例えば、ルスランでも三本の指に入る剣士の一人は、一振りの動作で三度切り抜いてくる。アレはもう人間の限界をとうに超えた強さだ」
「……聞いたことあります。『雷』の英雄ですね」
ルスランの英雄で、王都では沢山の逸話が広まっていた。私も何度か吟遊詩人さんの詩で聞いたことがある。
「君も強い。……けれど、昨日、君の剣を見ていて思ったんだ。この子は、自分の力を過信していると」
「……反省しています」
王子様の言う通りだ。私は自分の力を過信していた。剣術大会準優勝の実力を盲信して、どんな敵でも頑張ればどうにかなると考えていた。
紛れもなく、それは誤りだ。
「責めているわけじゃない。俺は自分の力を過信して死んでいった人間達を沢山知っている。……だからこそ、君に同じ道を歩んでもらいたくなかった。それだけだよ」
私を心配してくれたんだ。
こんな、会ったばかりの女の子のことなんて放っておけばいいのに。
……それだけ、優しい人なんだ。
「……私の話、聞いてもらえますか」
するりと出てきた私の言葉に、王子は頷《うなず》く。
「私、剣術大会で『準優勝』だったって言いましたよね」
「ああ、言っていたね」
「それは、本当は……嘘なんです」
隠していた言葉が、止めどなく流れていく。私の意志とは関係なく、王子へと流れていく。
「私……本当は、『反則負け』だったんです」
*****
大会決勝戦当日、私は迷っていた。
決勝戦の相手は、初恋の男の子だった。同じ訓練所で学んで、遊んで、将来の話を語り合った仲だった。
だからこそ、男の子には優勝してもらいたかったし、勝ちたかった。
そんな心境のまま、会場の廊下を歩いていた私は、それを見てしまった。
男の子が、その子の母親に叩《はた》かれた瞬間を。
どんな事情があったのかは分からない。剣術とは全く関係のない話で叩かれただけだったのかもしれない。
でも、私の脳裏に、男の子の表情がこびり付いてしまった。
叩かれた後の、寂しげな表情が私の心に刻まれてしまった。
「だから、私は……」
決勝戦、私は手を抜いた。
男の子を、わざと勝たせてしまった。
男の子の寂しげな表情を押しのけて、私が勝つなんてできなかった。
大会開催者からの祝辞の言葉を受けた後、男の子は私に向かい、こう言った。
『君を、見損なった』
そして、男の子は私から離れてしまった。
****
「これが全てです。……私は、その男の子に失礼な事をしました。誰も喜ばない、偽物の勝利を作ってしまいました。……嫌われて、当然ですよね」
母親から王都から離れると聞かされた時、私は嬉しかった。
男の子から離れ、新しい環境で生きていける。それが嬉しかった。
私はまだ、男の子の事を好きだったし、寂しかったけれど……仲直りすることができなかった。
私は、男の子から逃げて、『森のノカ』へと辿り着いた。
「……君は、優しいんだね」
私の話を静かに聞いていた王子様が応える。
「確かに君は、失礼なことをしてしまったかもしれない。方法は間違っていた。けれどね……」
白の王子がその赤い瞳で私を見つめ、続ける。
「……その心は、間違っていない。他人を思いやる心は、大事な才能だ。卓越した剣技より、遙かに尊い才能だ」
「王子様……」
「王家には様々な使命がある。求められる素質が多くある。……だが、その中でも最も大事なものは、『他人を思いやる心』だ」
他人を思いやる心……。
「君は、誰もが真似できないその才能を持っている。それを持っていない俺からしてみたら、羨ましいくらいだ。その優しさはこれからの人生で、一番の武器になる。だから――」
王子様の優しい眼差しに、吸い込まれる。
微笑みに、心を奪われる。
「これからも大事にしなさい。……その優しい心をね」
自然と、涙が溢れていた。王子様からハンカチを受け取り目に押しつける。
拭いても拭いても流れてくる。
啜る自分の鼻水に混じり、花の香りが広がった。
王子が、私の頭を引き寄せていた。
服越しの厚い胸板が私の耳に押しつけられ、王子の鼓動が響いてくる。
落ち着く音だった。
いつまでも聴いていたい、いつまでも包まれていたい。そう思わせる場所に私は迷い込んでいた。
……どうしよう。
……私は今、とても幸せだ。
……どうしよう。
……私は今、多分、恋をしている。
仮眠を取ってしまったせいで寝付けなくなってしまった私は、夜中に部屋を抜け出し、庭で細剣《レイピア》を振るっていた。
今日の敵は、空想のシーカーガルだ。
アイツに攻撃された背中と左足が痛む。
透明になっても、音を消していても、攻撃の瞬間、たった一瞬だったけれど空気を切り裂く音がした。
歯をかみ合わせる音がした。
そこを狙えば、もっと早く勝てたかもしれない。その為には、私はもっと素早く動かなくてはいけない。
私はもっと成長できるはずだ。もっと早く動けるはずだ。
そう確信しながら、刀身を回し、突きを繰り出す。
しばらくそれを続けていると、突如、家の扉が開いた。
人影が、ゆっくりと近づき、ランタンに照らされる。
「……王子様……」
「……遅くまで、せいが出るね」
白髪、赤目の王子が眩しい笑顔を見せる。その手には、練習用の細剣《レイピア》が握られていた。
*****
「どうされたんですか。こんな遅くに」
そう言いながらも、顔の体温が上がっていくのを感じ取る。心臓が跳ね上がる。
昨日も剣の訓練をしていたら、王子様がやってきた。
今日も同じようにしていれば、もしかしたら来てくれるかもしれない。
そんな気持ちがどこかにあった。
期待通りのことが起こり、願いが叶った所為で余計に心が締め付けられる。
「今日も頑張っていたみたいだから、俺も少し頑張ろうと思ってね」
そう言って王子様は練習用の細剣《レイピア》を動かす。
私の前に対峙する。
「ちょっとだけ、手合わせお願いできるかな?」
手合わせ……手合わせぇ!?
「は? え? いや、……は?」
予想外の発言に、思考が停止する。
手合わせって、握手とかのことじゃないよね。
王子様、細剣《レイピア》握ってるし、私と剣で……いやいやいやいやいや。
「そ、それは駄目ですよ。何かあったら申し訳が立ちません」
「大丈夫だよ。俺は決して強くはないけれど、少しは訓練を積んでいる。……君と勝負になるかは分からないけれど、引けは取らないつもりさ」
「わ、私これでも剣術大会準優勝ですよ」
「言ってたね。だからこそ、手合わせしてみたいと思った」
王子様はそう言って、剣を構える。
え、嘘でしょ。ホントにやるつもり? 私と勝負するつもりなの?
「言っておくけれど、俺が王子だからって、手加減は無用。本気で来てもらって大丈夫だ」
「む、無理です! 王子様に剣を向けたって知られたら……ふ、不敬罪です! 牢屋に入れられちゃいます!」
「不敬罪って……気にしなくて大丈夫だよ。仮に一撃入れられたとしても、練習中の話だ。誰も気にとめないさ」
「わ、私が気にとめます!」
絶対無理。私の剣も練習用だから切れることはないけれど、王子様の肌に痕でも残したら……私、崖から大回転しながら身投げしてしまうかもしれない。
「うーん、ああ、じゃあこうしよう」
困った顔をした王子様が、指を一本、上に差し出す。
「君がもし、一撃でも俺に剣をあてられたら、なんでも望みを一つ、叶えてあげるよ」
「の、望み……?」
「そう、あまり大きな望みは難しいかもしれないけれど、これでも王子だ。ある程度の望みは叶えてあげることができる」
私の望み……私の望み。
……。
だ、駄目。また、頭を撫でてもらいたいとか、どうしようもない事が頭を過ぎってしまう。
「の、望み……望み……」
「別に今決めなくていいさ。後でゆっくり決めるといい」
よ、よし。よーし落ち着けソフィア。どうどう、どうどう。
はやるな。後でゆっくり考えよう。この千載一遇の機会をじっくり考えよう。
……やっぱり頭撫でてもらうかな。それとも抱きしめてもらう? それとももっと……ぐへへへへ。
「……やる気になったみたいだね。けれど、俺だって男だ。簡単にはやられないよ」
「ぼ、防具とか、いりませんか?」
「大丈夫。君が一撃、俺に攻撃をあてられたら、この勝負はそれで終わりだ」
よ、よし。やってやる。やってやろうじゃない!
私の未来のため! 欲望のため! 覚悟を決める!
「……行きますよ」
「……どうぞ」
閃光が王子様の右手へと走った。
甲高い金属音が鳴り響く。
――そして、
「う、嘘でしょ!?」
私の喉元に王子様の剣先が置かれていた。微笑みながら、私の喉元に優しく剣を置いていた。
王子様の右腕を狙った私の剣は弾かれ剣先は明後日の方向を向いている。
「……一回目は俺の勝ちだ。次にいこう」
王子が私から離れ、再び剣を構える。
……よ、よーし落ち着け。ちょっと、いや、かなり予想外の動きだったけれど、まだ見切れる動きだった。
どうやら私も無意識のうちに、失礼にも手を抜いてしまっていたみたい。
「……いきます」
「どうぞ」
閃光が王子様の右腕を狙う、と見せかけ、回転させ左側を――
「……う、嘘――」
再び、喉元には優しい剣先が置かれていた。
見切れない早さじゃなかった。王子はゆっくりとした動作だった。
けれど私の喉元は、王子の剣先に吸い込まれるように向かっていた。
額から、汗が流れ落ちる。
「……君は動きが分かりやすい。だからこうして剣を置くだけで、そこへと君が勝手に移動してくれる」
「わ、私の動きを見切っている……のですか?」
「そんなだいそれたことじゃない。実戦を……本当の命のやりとりを続ければ、誰だってこのくらいはできるようになる」
微笑みを絶やさず、王子は淡々と話す。
私は……私は馬鹿だ。自惚れていた。
王子様の肌に痕でも残したら? そんな見当違いの心配をしていた数分前の自分を殴りたい。
この人は――明らかに、私の数段上にいる。
「……次、お手合わせをお願いします」
自分から離れ、王子に礼をする。
「どうぞ」
意識を相手の剣に集中させる。
もうこの人を、王子だとは思わない。
この人は、この人は……ただの敵だ――。
刀身が重なり、激しい金属音が響く。
私の剣ははじけ飛び、宙を舞った。そして王子の剣先は、私の喉元にある。
「……今のは、筋が良かった。けれどまだ、俺に対して遠慮があるね」
遠慮? そんなのしていない。私は今、本気で王子の喉元を突こうと動いた。
……。
……ははっ、この人……凄い。今の私じゃ、全然敵わないや。
私、今……今、すっごい楽しい!
「次! お願いします!」
「どうぞ」
虫の合唱に混じり、つばぜり合いの音はしばらくの間続けられた。
④【ソフィア】
私の利き手の動きが鈍った頃に手合わせは終わってしまい、長いすに二人並んで座り夜の風景を眺める。
結局、一勝もできなかった。ご褒美はなしだ。
でも、私の心は充実していた。私より圧倒的に強い存在と戦い、身体を限界まで動かし、何度も死んだ。……比喩的な意味だけどね。
でもこれが実戦で、お互いに本物の剣を持っていたら、きっとそうなっていた。
私は簡単に喉を突かれて敗れていた。
こんな機会、これから生涯かけてもそうそうないだろう。
私は今夜、一つ成長できた。
「王子様、本当に、お強いのですね」
心からの賛辞だったけれど、私の隣に座る王子様は首を振る。
「俺は弱い存在だ。王都の軍団長達は俺よりも遙かに強い」
上には上がいるんだ。私、本当に自惚れていた。
「例えば、ルスランでも三本の指に入る剣士の一人は、一振りの動作で三度切り抜いてくる。アレはもう人間の限界をとうに超えた強さだ」
「……聞いたことあります。『雷』の英雄ですね」
ルスランの英雄で、王都では沢山の逸話が広まっていた。私も何度か吟遊詩人さんの詩で聞いたことがある。
「君も強い。……けれど、昨日、君の剣を見ていて思ったんだ。この子は、自分の力を過信していると」
「……反省しています」
王子様の言う通りだ。私は自分の力を過信していた。剣術大会準優勝の実力を盲信して、どんな敵でも頑張ればどうにかなると考えていた。
紛れもなく、それは誤りだ。
「責めているわけじゃない。俺は自分の力を過信して死んでいった人間達を沢山知っている。……だからこそ、君に同じ道を歩んでもらいたくなかった。それだけだよ」
私を心配してくれたんだ。
こんな、会ったばかりの女の子のことなんて放っておけばいいのに。
……それだけ、優しい人なんだ。
「……私の話、聞いてもらえますか」
するりと出てきた私の言葉に、王子は頷《うなず》く。
「私、剣術大会で『準優勝』だったって言いましたよね」
「ああ、言っていたね」
「それは、本当は……嘘なんです」
隠していた言葉が、止めどなく流れていく。私の意志とは関係なく、王子へと流れていく。
「私……本当は、『反則負け』だったんです」
*****
大会決勝戦当日、私は迷っていた。
決勝戦の相手は、初恋の男の子だった。同じ訓練所で学んで、遊んで、将来の話を語り合った仲だった。
だからこそ、男の子には優勝してもらいたかったし、勝ちたかった。
そんな心境のまま、会場の廊下を歩いていた私は、それを見てしまった。
男の子が、その子の母親に叩《はた》かれた瞬間を。
どんな事情があったのかは分からない。剣術とは全く関係のない話で叩かれただけだったのかもしれない。
でも、私の脳裏に、男の子の表情がこびり付いてしまった。
叩かれた後の、寂しげな表情が私の心に刻まれてしまった。
「だから、私は……」
決勝戦、私は手を抜いた。
男の子を、わざと勝たせてしまった。
男の子の寂しげな表情を押しのけて、私が勝つなんてできなかった。
大会開催者からの祝辞の言葉を受けた後、男の子は私に向かい、こう言った。
『君を、見損なった』
そして、男の子は私から離れてしまった。
****
「これが全てです。……私は、その男の子に失礼な事をしました。誰も喜ばない、偽物の勝利を作ってしまいました。……嫌われて、当然ですよね」
母親から王都から離れると聞かされた時、私は嬉しかった。
男の子から離れ、新しい環境で生きていける。それが嬉しかった。
私はまだ、男の子の事を好きだったし、寂しかったけれど……仲直りすることができなかった。
私は、男の子から逃げて、『森のノカ』へと辿り着いた。
「……君は、優しいんだね」
私の話を静かに聞いていた王子様が応える。
「確かに君は、失礼なことをしてしまったかもしれない。方法は間違っていた。けれどね……」
白の王子がその赤い瞳で私を見つめ、続ける。
「……その心は、間違っていない。他人を思いやる心は、大事な才能だ。卓越した剣技より、遙かに尊い才能だ」
「王子様……」
「王家には様々な使命がある。求められる素質が多くある。……だが、その中でも最も大事なものは、『他人を思いやる心』だ」
他人を思いやる心……。
「君は、誰もが真似できないその才能を持っている。それを持っていない俺からしてみたら、羨ましいくらいだ。その優しさはこれからの人生で、一番の武器になる。だから――」
王子様の優しい眼差しに、吸い込まれる。
微笑みに、心を奪われる。
「これからも大事にしなさい。……その優しい心をね」
自然と、涙が溢れていた。王子様からハンカチを受け取り目に押しつける。
拭いても拭いても流れてくる。
啜る自分の鼻水に混じり、花の香りが広がった。
王子が、私の頭を引き寄せていた。
服越しの厚い胸板が私の耳に押しつけられ、王子の鼓動が響いてくる。
落ち着く音だった。
いつまでも聴いていたい、いつまでも包まれていたい。そう思わせる場所に私は迷い込んでいた。
……どうしよう。
……私は今、とても幸せだ。
……どうしよう。
……私は今、多分、恋をしている。
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