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一章 ――王家の使命――
帝国軍3 『策略のエスタール』
しおりを挟む【帝国③】
「伏兵! 伏兵で――あがっ!?」
百人隊長の下に駆け寄ろうとした兵の頭に矢が突き刺さった。
領主邸から離れた位置にある集落を漁っていた百人隊は混乱に陥っていた。
突如領主邸近辺から響き渡った獣の呼び声を皮切りに、エスタールの民衆が次々と現れ、弓矢を放つ。
これだけの数、何処に隠れていたのか。と思う間もなく、ターンブル兵は次々に矢で撃たれ、長い槍で突かれ、死に絶えていく。
気がつけば、部隊の生存者は百人隊長の他、数名残すのみだった。
表情一つ変えぬ民衆達に囲まれ、もはや逃げるという選択肢は選ぶことができない。
「ま、待て――こ、降伏だ、こうふっ!?」
百人隊を仕留め、全滅させた民衆は、誰にも命じられることなく次の集落へと向かう。
その動きは規律を帯びていて、整然としている。
それは正に――軍であった。
【帝国④】
「こいつは……なんだ?」
堰き止められた川を解放しろ。そうクラウディアから司令を受けた千人隊長は、目の前の光景に唖然としていた。
連鎖する兵達の断末魔、死への恐怖を受けながらも、千人隊長の視線は“それ”に釘付けになる。
*****
川沿いに千人隊を引き連れ、上流であるラーフィア山脈方面へと登っていると、徐々に木々が増え、乾燥した地帯から雑木林へと風景を変えていた。
進軍するに丁度良い道を見つけ、並木道を進み、ひたすら上流へと向かう。
「火だ!」
後方兵の叫びに振り向くと、伸びきった隊列の中央を横切るように火の手が上がっていた。
それはみるみるうちに広がり、大きくなる。
まるであらかじめ油が塗られていたかのように火は燃え広がり、隊を大きく分断した。
雑木林の至る所から、叫び声が広がった。
木々の上に乗ったエスタールの民が、矢を撃ったのだ。幾つもの矢がターンブル兵に突き刺さっていく。
長い時間の行軍で、甲冑を脱ぎ捨てていた兵達は為す術無く命を落としていく。
気がつけば、隊列は意味を成さなくなっていた。
兵達は散り散りに逃げ、悪夢から抜け出そうと道無き道を走る。
ぼんっと大きな音を立て、数名の兵が網に捕らえられていた。
木と木の間に吊される形になり、もがく兵をエスタールの民が長い槍で突き殺す。
野生動物を狩るためのくくり罠にかかる兵士もいる。
落とし穴に落ち、身体中に木杭が突き刺さり死を待つだけの兵もいる。
混乱を極める中、千人隊長率いる百人部隊は前へと進んでいた。
後方には最早、戻る道は無かった。
次々に襲いかかる伏兵を抜けるにつれ、徐々に部隊の頭数が減っていく。
残り十人にも満たない数になった頃、突然視界が開け、平原が飛び出してきた。
目の前には川と巨大な建造物が。
それは堰《せき》だった。
それも簡易的な堰《せき》ではない。分厚い鉄の扉を持つ水門がそこにあった。
「……なんだ、なんだこれは! 何故こんなところに、こんな田舎にッ!」
それは皇宮の一部を飾れる程美しく、帝都に設置されても遜色ない、気品漂う水門だった。
だがその疑問に答えられる人間はここにはいない。仮に作った張本人である王族に聞いたところで、したり顔をするだけだろう。
そして、その疑問を投げかけた人間も、その答えを得ることができなかった。
川の上流へと向かった千人隊は、その全ての命を失っていた。
【帝国⑤】
「慌てるな! 陣を崩すな!」
千人隊長が檄を飛ばす。百人隊に分かれた後、それぞれ担当の集落に分かれ、探索を行っていたところ、突然現れた伏兵の奇襲に遭った。
そして数こそ減らしたものの、無事に全ての百人部隊と合流を果たし、安堵の息を吐く。
千人隊が半分の五百人程度に減ってしまったものの軍が軍としてまとまれば、民兵など怖れるに足りないと千人隊長は考えていた。
元来臆病な性分で、油断大敵を心情としていた事もあり、どれだけ兵から不満が出ようとも甲冑を脱ぐという行為を許さなかったことも幸いだった。
ともかく九死に一生を得た千人隊長は早急に軍列を整え、敵へと対峙する。
エスタール平原に突如現れた民兵達は、数こそ多いものの甲一つ付けておらず、敵にすらならないと感じる。
帝国軍から集落を挟んで反対側が緩やかな丘になっており、そこから長い槍を持った民兵達がじりじりと向かってきていた。
「皇帝陛下に栄光あれ!」
千人隊長の檄を受け、怒声に近い鬨の声が上がる。
「皇帝陛下に栄光あれ!」
再び鬨の声が上がる。それは徐々に間隔が短くなり、五百人の男達が一体となり士気を上げていく。
一瞬の静寂が起こり、怒号とともに男達は民兵に向かい強襲をかけた。
民兵と帝国兵の距離がみるみる近づいていく。
そして先駆けの帝国兵が民兵達に合わさる瞬間、それは起こった。
先駆けの兵が次々と消えたのだ。
否、消えるはずは無かった。その男達は確かにその場所に居た。
ただ、足を有り得ない方角に折り曲げ、横たわっていた。
水が引けた、水路の中に。
「水路だ! 水路の蓋が開いてるぞ!」
異変に気がついた兵の一人が叫ぶも、士気を上げ怒声に身を包む他の兵達には届かない。後ろから押され、水路の中に落とされていく。
丘の上から攻める敵に意識を向けるため、自然と見上げる状態になる。そして、自分たちは暗闇の中にいる。そのことも災いした。
全ては計算された事だとも知らず、帝国兵は次々に水路の中に吸い込まれていく。
気がついた者も、腰が引けた瞬間に弓で撃たれその命を失っていく。
水路の中は更に悲惨だった。落ちた弾みで首の骨を折る者。次々に落ちてくる男達に潰される者。足が折れ、動けないまま矢で撃たれる者。
絶望が水路の中に広がっていく。
自ら先陣を切っていた千人隊長もその中に居た。
「嫌だ……こんな、こんな死に方など……せめて騎士として、誇りある……」
男の願いは届かず、落ちてきた帝国兵の剣が胸に突き刺さり、その人生の幕を閉じた。
【帝国⑦】
「追え! 絶対に逃がすな!」
百人隊長が怒声を上げる。
集落探索中、焼き討ちに遭い、矢の雨を受けた部隊だったが、どうにか盛り返し他の部隊とも合流する事ができた。
千人隊長も他の百人隊長も既に死んでいるので、実質の命令権は彼一人に移っている。
ここで、功を上げる。
彼は燃えたぎる野心を包み隠そうともせず、檄を飛ばし続ける。
事実彼の命令は的確で、一度は虚を突き優勢に立っていた民兵達も、統率の取れた動きに翻弄され、敗走していた。
千人隊のうち三百人ほどの生き残りが、自分たちの前を走る民兵の男達を追う。
帝国の恐ろしさ、思い知らせてやる。
そう考えていた百人隊長の目の前に、突如それは現れた。
「ま、待て! 待てぇ!」
慌てて進軍を止め、流れる汗を拭う。それほどまでに不気味な光景だった。
目の前には荷車が連結されて並べられていた。
前を走る男達が荷車と荷車の間に吸い込まれ、その隙間は別の荷車で埋められる。
人より遙かに大きい荷車が丸い円を描き連結されていた。
それは正に、即効の砦だった。
「いつの間に……」
荷車の砦、その内側から山なりに矢が飛んでくる。それを弾きながら百人隊長は叫んだ。
「ええい、何をしてる! 囲め! 荷車など壊してしまえ!」
彼の言葉を受け兵達が荷車に近づく。そして、気がついた。
闇に紛れていたそれに気がついた。
荷車の側面に、幾つもの穴が空いている事に。
側面から槍が飛び出してきた。避ける間もなく、兵達は次々に串刺しになっていく。
荷車の上に乗せられた藁が動き、弓を持った民兵が顔を出す。
運良く槍を避けた兵達は頭上から矢を受け、絶命した。
「ま、まずい、引け! 引けぇ!」
なんだこの兵器は。百人隊長は流れ出る汗を手の甲で拭う。
荷車など、田舎国家らしいわ。と馬鹿にしていた。エスタールに滞在中、いくらでも目に入っていた。
それを、こんな使い方をするなど、聞いたこともない。
そう混乱する百人隊長は知るよしもない。
荷車の砦を囲む自軍を、更に取り囲む民兵達の姿に。
【帝国⑥】
「なんだ? 騒がしいな」
井戸の直ぐ近く、設置された傘の柄に寄りかかり、小型風車の風を受けていた兵の一人がうたた寝から目を覚ます。
影も形もない姫を探すため方々に動かされた後、やっと交代になったばかりの頃だった。
暗闇に目を凝らすと、千人隊長が檄を飛ばし、兵が兵を抱えて井戸に並べている。
並べられた兵達は一様に苦しみ、傷を負い、身体のどこかしらに矢を刺していた。
「敵襲ですか!?」
慌てて千人隊長に駆け寄り、分かりきった事を尋ねる。千隊長は余裕が無いのか、一般兵の質問に答える気が無いのか、次々に運び込まれる怪我人を並べるため躍起になっている。
状況を掴めぬまま、井戸の水で傷の汚れを流し、手当を行う。
怪我人は止まる事を知らず、どんどん膨れ上がっていく。
彼は一人でも多くの命を救うため、全力を尽くしていた。
その兵の耳に、聞き慣れない音が届いてきた。
「……水の音……?」
そう、それは確かに水の音だった。それはあたかも、水面に投げ込んだ石で波紋が広がるかのように大きく強くなっていく。
彼は不意に、この場所で、友と交わした言葉を思い出す。
『昨日この辺りを見て回ったんだけど、この辺りだけ妙に窪んでんだ』
まさか……まさか……。
『匙でガツンと掬った後のような感じ?』
井戸の近辺は他と比べて低い位置にある。
『洪水にでもなったら――』
もしも、もしも誰かが、意図的に低い位置に井戸を設置したんだとしたら?
けれど水はどうする? そんなこと、この国でやろうなんて――
そこまで、彼は考え、最後に一つの言葉を思い出した。
そして、全ては繋がった。
『ずっと先に貯水池があったでしょ? なんかやけに立派なやつ。堰き止められているけど』
そうか、と彼は覚悟を決める。
何故井戸周りが窪んでいるのか。日差し避けの傘や、風機が何故設置してあるのか。
全てが繋がった。
そして彼は思う。――これを考えた奴は、魔族なみの性格の悪さだ。
貯水池から放たれた大量の水が、彼に襲いかかってきた。
水はうねりをあげ、傷ついた兵達を飲み込んでいく。
手当を行っていた兵達も同様だった。水に呑まれ、何が起こったのか分からぬまま死んでいく。
運良く生き残った者も、水面から顔を上げた瞬間に、矢で頭を打たれていた。
井戸周りに集められていた傷兵、そして身体を休めていた兵、計二千人近くの男達が水に飲みこまれ息果てた。
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