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一章 ――王家の使命――
ロキ1 『兄妹』
しおりを挟む―― 統治る ――
【ロキ①】
「王子、こちらは終わりました!」
筋肉質の大きな体を広げガラハドが俺を呼びかける。
「おーうっ、助かるよ」
流れ出る汗を拭い、鍬を置く。来たばかりの頃は岩盤のように固かった大地も今はすっかりほぐされて、ふかふかの土を見せている。
「少し休みましょう。余り頑張られてもお体に良くありません」
「今更だが……今日は特にあっついな。水浴びしたい気分だ」
「同感です。種を植え終えたら、お伴いたしますよ」
畑の横に取り付けた休憩所、という名の掘っ立て小屋で、ガラハドと奪い合いながら水を飲む。
従者だろお前は。先に俺に飲ませろよ。
俺の前には広大な田園風景が広がっている。その横を水路が流れ、カムガムという鴨みたいな鳥が子連れでうるさく鳴いている。
一点の曇りもない空は何処までも青く、畑から生えた緑達に力を与えてくれている。
まあ、つまりはアレだ。スローライフは最高だと言いたい。
ん? 何をやってるのかだって?
見て分かるだろう。王子様やってるんだよ。
「どうかされましたか?急に」
黙っている俺を見てガラハドが笑いかけてきた。俺とは長い付き合いの従者。一応今でも騎士だったかな。王下直属なんたらとかいう、大層な肩書きがあったはずだ。
今は白シャツに短パンと騎士にあるまじき格好だが。
今年三十四歳だったはずだが、見た目は若々しく、筋肉も衰えを感じさせていない。油の乗った時期というやつなのだろう。
「ん、いや我ながら良く頑張ったな、と思ってな」
「早六年になりますね。我々が赴任してから」
「飛ばされてから、だな」
大陸東半分を支配する大国、ルスラン王国。
そのルスラン本国から、このど田舎、エスタール地方に飛ばされ六年が経過していた。
この俺、白石悠人がこの世界で生まれ変わり、十六年目の誕生日を迎えたという訳だ。
今や田舎暮らしにすっかりと馴染んでいる俺も、十歳まではルスラン王国の王都、この世界では大都会と呼べる場所に住んでいた。
だが、社交もしない、武も磨かないといった目に余る俺の“碌でなし王子”っぷりに、国王もついに愛想を尽かしたのか、属国の守護という名目で飛ばされてしまった。
本国よりずっと南へと下り、大陸最南端に位置するド田舎国家と揶揄されているこのエスタール公国へと。
このエスタール公国だが、昔は王国だった。過去を遡り、エスタール王朝と分類されている時代に、まだ王国だったエスタールはルスラン王国と小さな諍いを起こしたとされている。
その時代のルスラン曰く、戦う価値も無いという不名誉極まりない無血戦争の後、支配する価値も無いと投げ出された曰く付きの国家だ。
それってどれだけ酷い国なんだと心の中で思っていたら、案外そうでもなかった。
確かに不毛な大地で農作物の収穫は乏しく、夏は暑く冬はもっと暑いという謎気候。なのに産業は農のみ発展していて、商工はほぼ無し。現存する王族は形式だけのもので軍隊も無しと……うん、酷いなっていうか良く国として残ってたなと思える状態だったが……民、つまりは人がしっかりしていた。
皆が国の状態をしっかり理解し、協力しあって生きていた。有事の際は全員が鍬を取り戦おうとする姿勢は評価できる。姿勢だけは、だが。
名目上だが、元首国側の人間である俺が来た際も、謎の歓迎を受けた。
当時俺は十歳だったから警戒されなかったのかもしれない……と思ったが、俺と一緒に飛ばされた、当時二十八歳のガラハドも歓迎されたところをみると、元々そういう国民性なのだろう。領主も領主だったし。
「あっロキぃ!サボってるな!」
日焼けした肌、麻で出来た茶色のワンピースを着た、髪の長い女が歩いて来た。黒髪がキラキラと反射していて、頭の上に藁のような枯れ草で編んだ帽子をかぶっている。噂をすればだな。
「少しは休ませろ。日射病で倒れたらどうしてくれるんだ」
「ロキが? 体だけが取り柄の癖に?」
「体だけが資本、だからだよ。何しに来たんだ、ファティ」
本名はファティマ=アル=エスタールだったかな。信じられるか? これでもこの国の第一公女だぜ。お姫様だ。格好だけ見ると、どっからどう見ても町民Aだ。人のことは言えないが。
「なんか人のこと見て失礼なこと考えてるでしょ?」
「いいや、ファティはいつ見ても地味な格好だなって思っただけだ」
「失礼なことじゃん! 動きやすいからこの格好なの。私だってドレスの一つ位……あ、そういえばこの前来た商人がキレイな布――」
「あーすみません、姫様。我々に何か御用だったのでは?」
おっナイスアシスト、ガラハド。女のこの手の話は長くなるからな。
「あ、そうそう。お父さんが呼んでたよ。けっこう急ぎで来てもらいたいみたい」
「の割に普通に世間話し始めてたな……お前」
「うるさいなぁ……とにかく、私は伝えたからね」
ファティは両手を大きく振って去っていった。
またどうせ馬小屋にでも行くのだろう。そしていつものように糞まみれになって屋敷に戻ってくる。
ホントに公女かあいつは。
「領主様が、ですか。今晩も会えるでしょうに」
ガラハドが呟く。
そう、俺たちも一応領主公邸、という名のちょっと大きな屋敷で寝泊まりしている。晩飯、朝飯で領主とは毎日嫌と言うほど顔を合わせているんだが。
「火急か、もしくは身内に聞かれたくない事だろうな。どっちにしても禄でもなさそうだ」
俺は立ち上がり尻に付いた汚れを払う。それまで座っていた木のベンチにじっとり汗の跡ができている。
「私もご一緒しましょうか?」
「うーん……いいや、俺一人でいいだろう」
どちらにせよ従者は席を外されるかもしれない。それにガラハドには未来の食料を植えてもらうという大事な仕事がある。
俺はガラハドの肩に軽く手を置き、公邸へと向かった。
【ロキ②】
「おう、来たか! まあ座れ座れ」
タペストリーをそのまま羽織ったようなエスタール地方の民族衣装を身に付けた毛むくじゃらのオッサンが椅子を引いてきた。
「言われなくても座りますよ。ったく、外は暑いなんてもんじゃない」
「ふぁっはっは! 若い奴が今の時期で音を上げてどうする。これからもっと暑くなるぞ」
「若かろうが古かろうが暑いものは暑いんですよ」
十六歳だろうと暑いものは暑い! まあ、精神年齢は三十路だけどな!
「毎年ジジイが二人くらい死んでからが暑さの本番だ」
「つくづく、まともな国やれてましたね」
「だが昔に比べたらずいぶんマシになった。この『小型風車』のお陰でな」
タペストリーのオッサン、エスタール公国領主のホルマが天井を指す。天井にはクルクルと回る木の羽が風を送り込んでいる。
「お前が作ったこの装置のおかげで暑さで死ぬ国民がいなくなる、とは言わんがかなり減った」
「俺は自分のために作っただけですよ。暑さに耐えられなくてね」
俺がこの国に来てまず思ったことは暑い。という感覚だけだった。とにかく暑い。夜も眠れない。
幸いにも南方に位置する山脈から水が大量に流れてきていたので、飲み水には不足がなかったが、日に日に暑さに体力を奪われていった。
俺は必死に考えた。涼を取る方法が水浴びしかないこの国で、新たな風を起こせないか、と。何か風を……うん? 風?
という訳で小型風車、つまるところ扇風機が完成した。動力は水車を使い、歯車で羽を回している。
木材と貴重な鉄屑を使い一から全部作った訳だが、人間必死になればなんでもできるもんだ。
ああ、因みにルスラン本国に帰れば、扇風機なんてそこら中にある。別に日本の技術を持ち込んだとかじゃない。
職人のオッサン達と雑談していた時代に得た知識だ。
「こいつのお陰で、我が国の工業もかなり発展した」
「ええ、ほぼ無いに等しかったですからね。ただ、輸出できる物じゃなければ、まだまだ産業とは呼べませんよ」
「はっはっは。全くだな」
「いや、笑い事じゃない」
相変わらず何も考えてない様なオッサンだ。何故この国が生き残れているんだろう。
「んで? そろそろ本題に行きましょうか」
「うん? 本題とな?」
「この時間に呼んだってことは火急……ってのは無いだろうから、家族に聞かれたく無い話ですか?」
これでこのオッサンがそういえば緊急事態だ! とか言い始めたら流石に頭を疑う。
「おうおう、そうだったそうだった。実はだな……ロキ」
やっと本題か、と身を乗り出す。
「お前、ファティマを口説かんか?」
「はぁ!?」
真面目な顔して何を言い出すんだこのオッサンは。
「あいつももう十五歳。……もうすぐ十六だ。出るところも出てきたし、十分相手になるだろ」
「娘に対して何を言ってんでごぜぇますか」
いかん、余りの展開に変な武士みたいになってしまった。
「駄目か? 顔もわしに似んかったお陰で器量良しだ! はっはっは」
そいつは本当に幸運な事だったと思う。顔だけはイイんだよな、あいつ……じゃなくて!
「いや、駄目か? じゃなくてそもそもファティは一人娘でしょ?」
「うむ、馬鹿息子が死んでからはもうあいつしか残ってない。わしの大事な宝だ」
「いや猫の子をやるみたいなことを言っといて……同じ口から出てるとは思えない台詞だ」
「やるとは言っとらんが、だからこそ、わしは今聞いてるんだ」
「あー、ちょっと待って下さいね。考えます」
「おう」
なんだ、急に何を言い出してるんだこのオッサンは。ボケてるんじゃなければ、の話だがそれなりに筋道がオッサンなりにあるんだろうが……ファティの縁談考えるにしてもまだ十五歳は早いだろ。
……縁談? ああ、そうか、分かった。
「なるほど、お話があった訳ですね、何処ですか?」
「ああ。ターンブル帝国の皇族だ。側室で迎えたいそうだ。舐めやがって」
「なんでこんなド田舎……げふん、素朴な国の姫なんかを……」
「分からん。ターンブルの奴らはお前が来る少し前に視察に来たっきりだ」
「ってことは九歳……幼児に目を付けてたのかよ、そいつ」
つまりは縁談があるけど、そこに大事な一人娘を送りたくない。だったら同じ王族のお前が持って行け、と。
そういうことか?……いや、違うな。
「婿養子……ですか?」
「それが我が国にとって一番良い」
「ですよねぇ」
お前がファティを口説いて俺たちの一族に来たいと言え。そうすれば俺たち一族の子孫と未来が残ると。
「ただ、俺は別にルスランになんの未練も無いんですが……最悪ターンブルと揉める可能性が。世間体的なもので」
折角ド田舎姫に縁談持ってったら他のやつらにかっさらわれた? あ? ルスランの王子だ? 舐めてんのか。と。
「なぁに、帝国側へはまだ返事はしとらん。娘は既に傷物だとか言っとけば十分だろ」
「あんたホントに親ですか」
「なんなら今夜にでも部屋に行ってきていいぞ。わしは后と出かけるから」
……おーい、ファティ、親に貞操投げ売りされてるぞ。
「そもそもターンブルはどんな条件を出してるんですか? ファティが一人娘だって分かってるはずでしょ?」
エスタール公国の領主は子宝に恵まれず今や娘一人しかいない。その大事な姫をかっさらうならそれなりの対価を考えてるはずだ。
「後に生まれる第一王子はうちで引き取れる。後は……まあ貿易面で色々だ」
「なるほど……」
エスタール国としては悪くはない……のか? ファティが嫁ぐ訳だからルスランの属国という立ち位置は変わらない。国も潤う。懸念材料の跡継ぎも貰える。
「だがな、わしはやらんよ。ターンブルには」
「側室だからですか?」
「それもある。わしにとってはあの子が宝だ。あの子が幸せになれる相手と一緒にいてもらいたいんだ」
「まぁ……相手は九つの子供に唾を付けるような奴ですからね」
見なくても碌でもないヤツってのが分かる。
「その点ロキ、お前はこの国の誰もが認めておる。わしも勿論そうだ」
「……はは、買いかぶり過ぎですよ」
与えられた場所で、必死に生きてきただけだ。別に褒められたことをしてきた訳じゃない。
「ファティとはこの六年の付き合いで、兄妹のようになってるかもしれないが……どうか頼めないか?」
兄妹か。それは否定できない。口うるさい妹、といったところか。なんせ十歳の頃から同じ釜の飯を食ってきた。幼馴染みと兄妹の中間みたいな感覚だ。
「……幼馴染みか」
「なんだ?」
「いや……少し考えさせてもらっても?」
「何を迷う。……なんなら、持っていけ。わしは子供が一人貰えれば良い」
「いえ、婿かどうかより、自分の気持ちの問題です」
思い出さないように蓋をしてきた気持ちが目覚める。元の世界で、俺がずっと好きだった相手。東条つばさの存在だ。
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