欠指症のエース

滝本潤

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一回の裏~衝撃の初陣

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 栄治が、小学校入学と同時期に入団した「高浜レンジャース」のいわゆる、入団テストの様な簡単な実技のトライアルが二〇一二年の四月の少し湿った空気のただよう怪しげな天候の中、実施された。
「高浜レンジャース」は、地区優勝十二回、全国少年野球大会で最高成績の準優勝を二回経験している実力派のチームとあって小学生とは言え、入団テストを実施して一定のレベルに達していない子供達は、入団を拒まれてしまうほどの厳しいルールが有った。
 
 入団テストは、それぞれが各ポジションに配置されて三回の裏までの実戦形式で実施された。地元随一の名門チームとあって毎年百人以上の入団希望者が集まってこの入団テストを受けていた。そのうち、約三分の一の三十人程度が大体新入団生としてチームに加入できるシステムの様だった。
 
 この年は、入団希望者が栄治も入れて約百二十人という混戦模様でランダムにポジションごとに振り分けられた十二チームで二チームごと計六試合が組まれてその中から選りすぐりの選手のみが入団を許される形でトライアル形式のテストが始まった。
 
 栄治は、二番目のグループのCチームの先発ピッチャーにくじ引きで選ばれた。
雄介は、妙子と共にこの日大勢訪れていた親御さん達に混じって高機能のビデオ機能が付いたタブレット端末で栄治の最初の晴れ舞台を小学校の入学式よりも真剣に撮影しながら大歓声の中、栄治の登場を心待ちにしていた。

 この日まで雄介と栄治は、絶えることなくピッチングを主とした野球の練習をマンツーマンで必死にこなしてきていた。栄治は、妙子が作るスタミナ栄養食を毎日きちんと食べて、朝は六時に起きて雄介と一緒にランニング。その後、ストレッチを行い軽いキャッチボールの後に本格的なピッチング練習を毎日百球投げてキャッチャーは、雄介が務めて栄治の午後の自由な時間は、自主トレや勉強時間にてて、雄介が仕事から帰宅すると朝と同じメニューを二人でこなして夜八時に再び帰宅してから二人で一緒に風呂に入って将来の夢を父と息子で風呂の湯よりも熱く語り合い、風呂から上がると親子三人で遅めの夕食を摂って妙子が録画しておいてくれた日本やメジャーリーグの試合を親子三人で鑑賞かんしょうしてイメージトレーニングに努めた。

 夜の十時までには、三人そろって就寝して最低でも一日七時間以上の出来れば八時間ピッタリの睡眠時間を確保するように生活パターンを整えて日々その繰り返しを行ってきた。

「ゲームセット!それぞれ挨拶を交わして次のチームのテストの為にグラウンド整備を先輩たちに教わって十分で綺麗なグラウンドにする事!結果は、全チームの試合が終わってから合格者の名前を呼びあげます!それまでは、次の試合の邪魔じゃまにならないように外野の芝の上で親御さん達と待っていてください!」
 
 コーチと思われる二十代半ばくらいの若いスタッフが、そう告げて一試合目のチームの選手たちがグラウンド整備を先輩選手たちにテキパキと指導を受けて約十五分くらいでグラウンド整備が完了した。
「遅~い!十分で終わらせろと言っただろ~!五分の遅延ちえんだぞ!」
 コーチや監督は、厳しい表情で最後のグラウンド整備まで手を抜いている選手が居ないか?しっかりと確認して手を抜いている様子が見られた選手は、容赦ようしゃなく選考リストから除外した。

「それでは、本日二試合目のトライアルを始めます!名前を呼ばれた選手は、大きな声で返事をして監督の確認を得てから各ポジションに散って下さい!」
 いよいよ、栄治の初の晴れ舞台がやって来た。とは言うものの晴れ舞台の割には、天気は、よりいっそう曇ってきて小雨もパラついてきてしまった。
「え~、Cチーム先発ピッチャーの奈良栄治君!」
「はいっ!よろしくお願いします!」
 栄治は、この日誰よりも大きな声で返事をして監督の大平の元へ向かった。
「奈良栄治君。西暦二〇〇五年十二月二〇日生まれの六歳。高浜小学校一年生。ポジションは、ピッチャー希望。先発。間違いないな!」
「はいっ!間違いありません!」
 栄治は、よりいっそう大きく元気な声でそう答えた。
「うん、良い返事だし元気も有りそうだ!じゃあ、このボールを持ってマウンドに向かって!」
「はいっ!」
 栄治は、走って先発のマウンドに登り少し身体をほぐしながら監督の大平から渡された軟式なんしきのボールの感触を確かめていた。

 約十分間のウォームアップを終えた九人の後攻のCチームの入団テスト生達は、ホームベースを挟んで一列に先行のDチームのテスト生達と対峙して、それぞれ大きな声で挨拶をして各ポジションに散っていった。三回までしかない試合形式のトライアルの中でそれぞれが、自分の持ち味を最大限に発揮しなければテスト合格は無い。
 
「プレイボール!」
 主審しゅしんの合図とともに外野の観客スペースに居た親御さん達は、興奮こうふんのるつぼに包まれた。
 もちろん、雄介と妙子も例外では無かった。

「行け~!栄治~!」
 多分、この日一番のキーの甲高い大声で叫んだ妙子を他の親御さん達や子供達は失笑していたが、この失笑は、後にこのグラウンドに居る全ての人達のスタンディングオベーションに変わっていくのをビデオ撮影しながら何か確信に満ちた笑顔を浮かべている雄介だけが全ての結末を予測できていたようだった。

 最初の対戦相手の一番バッターは、せていて背も小さかったけどバットをかなり短く持ってリードオフマンの雰囲気は、充分にかもし出していた。

 栄治は、大きく深呼吸して相手の一番バッターを見据えた。独特の緊張感の漂う中、栄治は、両手を大きく振りかぶって美しいフォームで一球目を投じた。

「ストライク!バッターアウト!」
 あっという間だった。栄治は、一球だけやや低めのボール球を投げたが残りの三球は、相手のバッターのバットをかすりもさせないボールを投げて空振りの三振に仕留めた。

「おい、千明ちあき!ちょっと来い!」
 栄治の投球をじっくりと見ていた監督の大平は、チームのピッチングコーチを務めている千明和夫を呼び寄せた。
「はい、監督。どうしました?」
「いや、どうしたもこうしたも無いだろ?見たか、今の投球……」
「実は、私も少しいや、かなり面食らいましたよ!あの年齢であのスピードとコントロール。加えて……」
「ヤンキースのマリアノ・リベラかと思ったぜ。球が速い上にバッターの手元で鋭く、不規則に変化していた。一球だけボールの判定だったけど、きわどいコースだったし、何だ?アイツは?」
「奈良栄治。小学校一年生の六歳ですね。確かに六歳にしては身体もしっかりしていますし、あの年齢でスライドフォーク?スプリットともちょっと違いますね。投げられませんよ。あの年齢では」
 千明は、栄治の応募資料を確認していた。
「監督!これ見てください!」
 千明は、資料の中の栄治の身体の一部分に着目して監督の大平に資料を見せた。
「うん?先天性の欠指症で右手の中指が無い……」
 監督の大平は、資料を確認した後マウンドでピッチングを続けている栄治を見ようとしたが、その時には、栄治はマウンドを足で整えて投手板付近にボールを置いてベンチに引き上げる所だった。三人のバッターをわずか十球で全て空振りの三振に仕留めていた。

「監督、どうします?あの子にまだ、投げさせますか?」
 千明は、どうしても人気があるピッチャー枠の数を考えて一人一イニングしか投げさせない最初の今回のトライアルの趣旨を問いただした。
「もう少し、投げさせろ!」
 大平は、千明にそう告げて再び栄治の資料をまゆをしかめながら眺めていた。
 二回の表のマウンドも任された栄治は、Dチームの四番バッターと対峙した。体格がかなり大きい如何にもロングヒッターと言う感じのこの日二人目の左打者だった。栄治は、ロージンバッグを少し使って球が抜けてしまわない様に慎重にボールを握って、ゆっくりと大きく振りかぶって重心の低い安定した美しいフォームで一球目を投じた。ボールは、ストライクゾーンのど真ん中に向かって放たれた。相手の四番打者は、躊躇うことなく大きな全力のスイングでど真ん中に来たと思ったボールを捉えにいった。ボールは、バッターの手前で一旦左右にブレてから軽くストンと沈み込んだ。相手のバットは宙を切った。

 二回の表のマウンドも栄治は、三球三振を三人共に空振りの三振に仕留めて、一回の表と同じ様に足で少しだけ乱れたマウンドを丁寧に慣らしてから、投手板の横にボールを置いてそそくさとベンチに戻った。

「全部、同じ投げ方と言うか……だけども、全部が違う軌道で確実にストライクゾーン低めにコントロールされている。本当にリベラみたいなピッチャーだな」
 大平は、二回の表の栄治の完璧なピッチングを隈なく見てから千明にそう告げた。
「キャッチャーの子も良くキャッチングしてますね。捕りづらいと思いますけどねぇ~」
 千明は、汗一つかいていない様子の栄治を遠巻きに見ながら栄治の不規則な高速変化球を一球も逃すことなくキャッチしている大田大輔というキャッチャーも高く評価して監督の大平も大輔の資料をチェックしながらこの急造バッテリーに感心しきりだった。

 三回の表。栄治は、三度さんたびマウンドに上がった。大平の指示で二回三分の一まで投球させる事が決まっていた。

「いいぞ~!栄治~!あと少しだよ~!」
 妙子は、やや持ち直してきた天候のように明るく元気に栄治の応援をしていた。雄介は、上々の出だしとなった栄治のピッチングと今までしっかりと教えてきたマナーがきちんと守られているか?冷静にタブレットのムービー越しから栄治を見守っていた。

 相手の七番バッターがバッターボックスに入って大きな気合の声を上げた。しなやかな身体をした左バッターでその仕草は、何となくイチローを彷彿ほうふつとさせた。

 栄治は、一球ずつボールの挟み具合を微調整びちょうせいして球速やボールのブレ、落差を変えながらここまで六人の打者をやっつけてきた。よく雄介がネット動画で見せてくれていたプロ野球のセ・パ、オールスター戦で江夏と江川が見せた九連続、八連続三振のイメージを頭の中で描きながら再びゆっくりと深呼吸した。
「行けますかね?七連続三振。長い年数色々な子供を見てきましたけど、こんな子供、初めて見ましたよ!」
 千明は、栄治を絶賛していたが大平は、眉をしかめて強張った表情のままだった。
「確かに何十年かに一人の逸材かも知れんが、ほぼ全て同じ投球だ。中指が無い事が怪我の功名になって普通に投げても無回転の速球でバッターの手元で鋭く小さく変化している。慣れてくれば、或いは、センスのあるバッターなら当てる事は出来るんじゃぁないか?」
 大平は、栄治の特異な才能を認めながらも長い歳月つちかった指導者としての経験上千明よりは、厳しい評価で栄治の事を語っていた。

「チッ!」
 七番バッターの宝来ほうらい真二しんじのバットが、この日初めて栄治のボールを、チップだが当てた事で大きな歓声が上がった。宝来真二は、表情一つ変えずに大きく息を吐いて栄治を鋭い視線で見つめていた。
「監督、この宝来真二って子は、メキシコで育って最近日本に帰国したようですね。父親の仕事の関係でメキシコに渡って幼い頃からメキシカンの野球をやっています」
 千明は、そう説明してこの二人の対戦を楽し気に見つめていた。
「スイングがコンパクトでしっかり最後までボールを見ている。ボールをミートする技術は、かなり高いんじゃないかな?」
 大平は、中々の個性派揃いのC、Dチームの最後のイニングを同じく楽しそうに見つめていた。
 栄治は、初めて自分のボールを当てられた事で少し首をひねって相手のバッターを見据えた。
「浅めの挟みで、かすられたか……」
 小さな声で、そう呟いた栄治は、ゆったりとした例のフォームで二球目を投じた。
「ストラーイク!」
 ポーカーフェイスの宝来真二が、少し驚いた様子でバットを振る事さえ出来なかった。栄治は、浅い挟みでボールが抜けない様に握った上にやや手首を右に曲げて今までと同じフォームで二球目を投げていた。
「監督!今の球は?」
 千明が、そう尋ねるのと同時に大平監督が珍しく高揚した声で解説をした。
「スプリットの握りでスライダーを投げたぞ!内角低めにスライドしながら落ちた!」

 動揺どうようした宝来真二は、三球目、外角低めのスプリット系の今度は二球目とは逆にシュート回転しながら落ちるボールに手も足も出ずに見送りの三振に終わった。外野の親御さん達からは、栄治を称える大歓声が沸き上がった。

「ピッチャー交代!」
 監督の指示で千明が、投手交代を告げて栄治の入団テストは、終わった。再び足でマウンドを整えて帽子を脱いで四方向に頭を下げた栄治は、次のピッチャーにボールを渡してマウンドを降りた。一人一イニングのみの予定を異例の二回三分の一まで投げさせて監督の大平は、やや嬉しそうに微笑みながら横に居た千明に言った。
「アイツは、将来うちのエースになるぞ!」
 千明も、何度か頷いて、
「そうですね!恐らく。いや、ケガさえしなければ確実にエースピッチャーになりますね!」
「言い方は失礼だが、欠指症のエース。大事にしかし、特別扱いせずに厳しく育てていこう!もう一点、あの子のマナーの良さだ!きっとご両親の教育が行き届いているのだろう」

 栄治は、無事に入団テストに合格した。チームから新品のユニフォームと帽子がホームとアウェーの一着ずつ与えられてアンダーシャツやソックス。チームは、身にまとうもの全てを合格者全員に与えた。
 
 雄介と妙子は、感涙かんるいに浸る間もなくガックリと肩を落としてしまう。雄介の撮影していたムービーは、操作ミスでメディアに保存したつもりがメディアを挿入し忘れていて容量オーバーで尻切れトンボに終わっていた上に妙子の大声で音声が歪んで栄治のピッチングに反して最悪の動画になってしまった。
 二人は、隣で同じ試合を録画していた親御さんに頼み込んで動画をコピーして貰って後日自宅まで郵送していただいた。ゆうパックで送られてきた物の伝票には、送り主の名前が書かれていた。栄治とバッテリーを組んだ大田大輔君のご両親からだった。

 こうして、栄治の野球人生は華々しい七連続三振という最高の出だしで始まった。

 雄介と妙子は、何度も何度も送られてきた動画を見て今度こそ感涙に耽る事となる。
 栄治は、学校の宿題に苦戦しながらも時折、両親と一緒に動画を見て一家三人の幸せな談笑がしばらく途絶える事は無かった。

 この物語の一回の裏の経緯は、ここまでとなる。まだ八イニング残っている。栄治は、どう成長していくのだろう?

 追記~
 因みに、入団テストの合格者の中には栄治とバッテリーを組んだ大田大輔、栄治のボールを唯一バットに当てた宝来真二も含まれていた。
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