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オレは同居人と先へ進みたい

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「バイトのシフトを増やして、休日ゆっくり話せる時間がなくなったのはオレのせいでもあるだろ。オレだって健が避ける余地を作ってた」
「……そんなことないよ」

 健は賢太郎の言葉を受け止めかねているようだ。あの、例の一夜のことが尾を引いているのは分かっている。

「避けてた理由も、何となく分かる。お前だけが負い目を感じるのはおかしいだろ。オレも努力不足で勉強不足だった。そのせいで、お前に怖い思いさせたんだろ? ごめん」
「……違う。賢太郎は悪くない。痛みに耐えられなかった俺が悪いんだ」

 健の心を引っ張り上げたいのに、どうしても上手く触れられない。何か、どうしようもない齟齬が生じている気がする。健は視線を逸らして息を整えた後、賢太郎の両頬に当てていた手を離す。

「お前の誕生日の後から、一人で試してたんだ」
「何を?」
「その……慣らすっていうかさ。指、入れてみたりした」

 でも駄目だった。痛くて怖くて、拡げるどころの話じゃなかった。健はぽつぽつと話し続ける。
 賢太郎は少なからず衝撃を受けた。健が一人で、先のことを考えて痛みと闘っていたことを知らなかったから。
風呂の時間が長くなっていたのも、健が風呂から上がってすぐに眠りについてしまったのも、賢太郎を避けていたのではなく、健が一人でその苦痛に耐えていたからなのだと気づいて、腑に落ちた。同時に、気づけなかった自分への憤慨と、健に頼ってもらえなかったという無力感が賢太郎の心を襲う。

「あの時さ、もしかして賢太郎を受け入れる流れになるのかなって考えたら、体が固まって動かなかった。自分の指だけでも耐えられないのに、お前を受け入れるなんて無理だと思ったから」
「お前が頑張ってくれてたのは嬉しいけど、無理にする気はないよ。まだ他にもやってないことはたくさんあるだろ。オレのこと、受け入れられなくても構わない。ただ一緒にいたいんだ」

 言葉を尽くしても、健の表情は暗いまま変わらない。次第に泣き出しそうな顔になっていくので、賢太郎はもどかしさを感じていた。

「その言葉を信じたいけど……俺、賢太郎の恋人だ、って言える自信がないよ。お前と繋がることができないから。好きなら、恋人なら、痛いのも怖いのも全部耐えられるはずなのにさ。こんなんで、賢太郎のことを好きって言って良いの?」
「良いに決まってるだろ!」

 涙を浮かべた健を見てられなくて、賢太郎は力強く答えた。怒りも混じっていたかもしれない。賢太郎が恋人という名の下に、健に苦痛を強いるような男だと思われていたなら心外だった。大きく見開いた健の瞳から、涙が一粒零れる。
 肉体関係は、恋愛関係の延長線上に置かれがちだ。ともすればイコールで結ばれてしまうその二つは相互補完的で、二つ揃ってようやくちゃんと完成した恋人だと捉える人間が多いし、恐らくは健もそうなのかもしれない。その考え方だと、未だ行為を完遂できていない健と賢太郎は恋人としては未完成だし、相手を真に愛していないと言うことになる。そのうえ、健は自分から行為を制止した。完成した恋人になるための行動を取れなかったという自責が、健の足枷になっているのかもしれない。けれど、恋人関係を続けていくうちに生じる諸々の苦痛も、愛しているなら――恋人なら耐えられるはずだ、と言うのか。耐えられなかったら仮初めの愛だと言うのか。それはただの呪いだ、と賢太郎は思う。
 二人が恋人かどうかは、その二人が決めるものだ。周りがどう言おうと、どう考えようと。それは、その二人が同性だろうが異性だろうが関係ない。二人が恋人でいるために何らかの資格は要らないし、恋人に優劣や段階があるとも思わない。ただ、敢えて資格が必要だというなら、それはお互いを愛しているということだけだ。
 キスや行為だって、愛情を示すための手段であって、愛情の尺度を測るものではない。やってみたいと思うこと自体は間違いじゃないし、お互いの合意がとれているならやればいい。でも、それが出来なくたって、それをしなくたって、相手を好きでいて良い。恋人でいて良い。綺麗事だと、絵空事だと言われるかもしれないけれど、恋人なのに気持ちの伴わない行為をしたり、相手の望まない苦痛を強いることの方が不実だと賢太郎は思う。

 そんな自分の考えを全て健にぶつけるのは簡単だ。ただ、健がそれをどれだけ受け取ることができるのかは、賢太郎にはコントロールできない。健の考えを無理矢理変えたいわけではない。ただ、賢太郎の気持ちを知って、安心して欲しい。
 涙を溢しはじめた健を見て、何も思わないわけはなかった。今日一緒に過ごして実感したが、健は間違いなく賢太郎のことを好きでいてくれている。そして、賢太郎も健のことが好きだ。それだけは否定してほしくなかった。
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