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この世に完璧なものは存在しない

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 キスの合間も服の下を這う手つきに高められ、体が熱くなる。柔らかい口内の感触をひとしきり確かめ合った後、唇が離れた。曇る宮下の表情が真壁の胸をざわつかせる。

「少しだけ、お酒の匂いするね」
「ごめん、気になった?」
「謝ることじゃないよ。美味しかった?」
「うん。ライチのお酒飲んだんだけど、果実がそのまま入っててデザートみたいだったな」
「へえ、俺も飲んでみたいな。今度連れてってください」
「一緒に行ったことあるから分かると思う。初めて待ち合わせして行ったとこ。また行こうよ」

 言葉を交わすにつれて、彼の表情の陰りが濃くなっていく。裾に潜り込む骨ばった手は、腹と背の間に留まったまま動かない。

「ごめん、不愉快な話したな」
「ああ、そういうわけじゃないんです。ちょっと考え事」
「ちょっとどころじゃない物々しさだな。あのさ、嫌な気持ちだったならちゃんと言ってほしいな。俺の責任だし受け止める義務がある」
「俊明さんは、ちゃんと顔を見せに来てくれたじゃないですか。浮気じゃないことくらい分かってたし、信じてたし。それに、俺と一緒に行ったところ、気に入ってくれたんでしょ? 良かったよ」
「……そう? じゃあもっと嬉しそうな顔してよ」

 取り留めなく優しく喋る宮下の中には、まだ燻るものがあるのだろう。残る蟠りを吐き出して少しでも楽になってほしい一心で、真壁は彼の頭を撫でた。顔に落ちる影が薄くなって、覆い隠されていた綻びが露わになるように、宮下の頬がむくれていく。

「俺、友達と会って遊ぶくらいで目くじら立てないよ。……でも、二人きりで夜に会うのはやめてもらいたかった、かな。俊明さんの行動を制限したいわけじゃないけど、もう少し躊躇ってほしかったというか。でも責めたいわけじゃない。俊明さんが俺だけの恋人なんだって分かってれば、一緒にいられればそれで十分なんだよ」
「悠人くんが誰かと二人きりで酒飲みに行ったとか聞いたら、俺も嫌だ。だから、やっぱり無思慮っつーか、軽率だって言われても仕方ない、と思う」
 
 ごめん、ともう一度言い切る前に唇を押し付けられ、舌が差し込まれた。上顎を舌先でゆっくりなぞられると、快感が背筋を伝って、体中の感覚が鋭敏になる。弓なりに反る体を抱きすくめられて、息が震えた。

「そういうことじゃなくて、俺は、あなたが会いに来てくれて幸せなの。確かに一人でいるときは不安だったけど、俊明さんとこうしていれば全部どうでも良くなるっていうか、チャラになっちゃうんだよ」

 悔しいけどね、と付け加える彼は、照れ隠しとばかりに真壁の頭を掻き撫でる。
 宮下の言ったことは真壁の身にも覚えがあった――覚えがありすぎた。一人で頭の中に巡らせた想像は、限りなく悪い方向へ転がっていく。二人でいれば傷を癒すことだってできる。勿論、二人に誠意があればの話だが。

「俺も、悠人くんと一緒にいるときが一番幸せだよ。会ってない時間が一番不安だよね」
「そうなんだよ。最初の頃より時間作れて結構会えるようになったけど、俺は我儘だから、もっと俊明さんのこと欲しいって思ってる」

 体内に灯る熱が、触れる手と体を通して宮下に分け与えられるのを感じる。その熱さが口内を介して、また真壁の全身へ広がる。循環して、増え続ける。まるで永久機関だ。

「もっと一緒にいたいっていう気持ちが俊明さんも同じなら、一つだけお願いというか、提案があるんです。でも否定されたり断られたら結構ショックだから、言い出すのにちょっと勇気が必要なんだよね」
「ええ、何?」
「先に、たくさん抱きしめさせて」

 了承の返事をする前に、腕の力が更に強くなった。宮下が先ほど憂鬱そうな顔をしていたのは、その『提案』が真壁に受け入れられるか分からず頭を抱えていたからだろう。恋人の背を撫でながら、彼を悩ませる『提案』について、真壁は考えを巡らせた。内容を聞かないと判断はできないが、今更彼の何を否定することがあるのだろうと真壁は不思議でならなかった。断られる算段がよっぽど大きい話なのかもしれない。

 例えば、かなり現実離れしているが、「結婚しましょう」という内容だった場合は真壁も安易に承諾しかねるし、国内の法律がそれを許さない。
 パートナーシップ制度や事実婚など、結婚にも複数の段階があるけれど、基本的に国内で同性婚は認められていない。現状唯一取れる方法であるパートナーシップ制度には、万が一のときに病院での面会が許されたり福利厚生が適用されるというメリットが確かにあるけれど、法的な効力はないし、現在二人が住む自治体には導入されていない制度だ。更に、周囲へ性的指向をオープンにしていない真壁にとっては、制度の申請時や利用時に自らの属性を開示する必要があるという心理的な壁も大きい。
 だったら国外に出れば良いのかというと、そういう話でもない。文化の違い、言語の壁、生活・仕事の伝手。浅い知識で軽く考えても、これだけの難事が待ち受けている。二人でいればどんな壁も乗り越えられる――そんな理想論で片付く話ではない。

 愛する人と連れ立って歩ける幸せは、公に保証されるかどうかで変わるものではない。真壁にとって一番大切なことは、宮下の思い描く未来の中に、望むらくはパートナーとして自分が存在することだ。……つまり、共に在るうえで、宮下がどうしてもそういうものが必要だと考えていて、真壁が納得できるような理由を提示してくれるのであれば、実は検討の余地がある。断固拒否というわけではない。
 宮下が何を言ってくるか分からない状況でここまで想像を広げられるのだから、真壁も大概欲張りだ。今腕の中にいる彼と離れることや別れることなど一切考えられない。考えたくない。

 覚悟を決めて幾度か口を開きかけたはずの宮下は、その度にキスで無理矢理口を塞ぎ、全て有耶無耶にしてしまう。それを繰り返すうち、唇と舌に力が入らなくなり、誤魔化しの戯れがいつしか本気の愛撫に変わっていた。下腹部が硬度と熱を持ち始め、燃え上がる前の火のような欲情がちらついている。

「は、ちょっ、ちょっと、待って」
「やっぱ今言わなきゃダメ?」
「だめ。やってる最中に、いざってときに言われたら逃げ道がなくなるだろ。『お願い聞いてくれなきゃ挿れないよ』って追い詰められたら、俺、正気を保てる自信がない」
「俺、そんなに考えてること分かりやすいかな?」

 困ったように笑う宮下は、手の内がバレてもお構いなしだった。布越しにゆっくりと熱の塊を擦り合わせ、真壁の判断力を奪おうとする。

「あ、う、だめ、だめだって。先に言いなさい」
「…………同棲したいです」

 真壁の頑なな態度に観念した宮下は、項垂れながら白状した。
 想像よりも現実的な要求だったので、真壁は流れで首肯しそうになる。けれど、宮下がまだ何かを言い出そうとしていたため待つ姿勢に戻った。

「でも、住むところ決めるとかお引っ越しとか、急には難しいでしょ? だから二週間、ううん、一週間。お試しで、ここで俺と一緒に暮らしてみませんか。今後については、それから考えてくれると嬉しいなって……思ってます」

 段階的にハードルを低くしていく弱気な姿勢がいじらしくて、真壁は意図せず笑みを零す。もっと強気な態度でも許してあげられるくらい、真壁は宮下に惚れ込んでいるのに、当の宮下はそのことに気付いていないらしい。

「俺、本気です。冗談じゃないんだよ。しっかり考えてほしいな」

 にやつく真壁を不満げに睨みつける宮下の視線は鋭く、彼の真剣さを表している。真壁は素直に反省し、宮下の頬をゆるく撫でた。勇気を振り絞った彼に対して笑うという誠意に欠ける態度を取ってしまうなんて、釈明のしようがない。

「ごめんね」
「……それ、は、どういう意味の謝罪ですか」
「笑っちゃってごめんねってことだよ」

 整った顔つきが石のように固まったのを見て、先ほどの自戒はどこへやら、更に真壁は微笑んでしまった。
 そんなに不安がられるなんて、今までの愛情の注ぎ方が足りなかったようだ。これからも、まだまだ彼を甘やかしてあげる必要がある。

「お断りする気なんて毛頭ないよ。もっと堂々としてれば良いのにすごく謙虚でさ、弱気になってるのがちょっとおかしくて」
「まだ付き合って一年経ってないでしょ? 早いかなあとか、束縛してるみたいで嫌がられるかなって思ったんだ」
「そうやって俺とのこと真面目に考えて、勇気出してくれるところ、大好きだよ。今のところは期間限定だけど、一緒に住む間もよろしくね」
「……ずるいなあ」
「え、何? 聞こえなかった」
「何でもありません。こっちこそ、これからもよろしくね」

 安堵から大きな溜息をついた宮下を、真壁はもう一度両腕で包み込む。宮下がこの後、愛撫の再開時に猛攻を仕掛けてくることを、この時の真壁は知る由もなかった。
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