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今日と同じ明日は訪れない
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薄いカーテンの隙間から差し込む朝日の中で、小さな埃が輝いていた。漂う細かい粒を眺めていると、過去の想い出に浸っているような懐かしい気分になる。インテリアやデザインには無知ながら、遮熱性を求めてレースのカーテンを取り付けたのだが、案外悪くない眺めだ。
窓の向こうに広がる冬の空は、やけに上にあるように思えた。太陽も雲も遠くにあるくせに、空の色は透き通るような青色で、叶うなら近くで漂っていたいと思うほどに美しい。故郷の空とは大違いだ。
真壁の出身地は、北陸と称される地方に存在する。湿気のせいか天は雲に覆われていることが多く、今寝転がって見上げているような快晴には殆どお目にかかれない。故郷の景色で唯一美しいと思えたのは、青々と連なる山脈が、晴れた空にくっきりと浮かび上がったときだけだった。
薄らぼんやりした、味気ない郷里の空の姿が脳裏に甦るのはおかしな気分だった。あの一帯に戻ることなどないだろうと薄々感じていた。実家に向かうためには、一番近寄りたくない出身大学の近辺に足を踏み入れることになる。わざわざ精神を傷まみれにしてまで彼らと会いたいとは思っていない。そもそも、帰省するような時間も持ち合わせていなかった。
真壁は自らの性的志向を家族にも打ち明けていなかった。家族仲は険悪ではないのだが、隠してきた事実を明かしたところで、それを受容できるだけの器が彼らにあるとは思えなかった。直接口に出されたことはないが、両親が「普通」に拘っていることには気付いていた。両親と面と向かって対立した記憶が真壁にほとんど存在しないのは、真壁自身が進んできた道が偶々、両親にとっての「普通」の枠の中に収まっているものだったからだ。
接客業の従事者は纏まった休みなんて殆ど取れない。土日やお盆、年末年始に休むなど以ての外だ。それでも、真壁にとっては都合が良かった。長期休暇に帰省できなくても、不義理を働いたという罪悪感を感じずに済むからだ。
ごろごろと寝返りを打つと、シングルのベッドがやけに広く思える。壁際には、相も変わらず本やゲームや鞄が所狭しと詰めて寄せられていた。
散々逃げの理由にしていたはずの不規則休みは、今になって真壁の私生活に思わしくない影響を与えていた。同じ市内に住んでいながら、恋人と寄り添って同じ時間を過ごしたいという欲求が満たされないのだ。はっきり言うと、宮下と過ごす時間が足りない。
シフトの関係上、土曜日に休みを取れるのは月二回。……これでも、宮下と親密になる前よりは休暇の希望を申請している。連休を取ることはほぼ不可能だが、金曜日の退勤を早めることはできるので、金曜日の夜に会って土曜日の夜に別れを惜しむのが通例となっていた。本当は、時間を気にすることなく二人でずっと睦みあっていたかった。
真壁や宮下の不満など、遠距離恋愛に心を悩ませている人にとっては取るに足らないほどちっぽけなものであろう。しかし、そんな屁理屈を捏ねたところで二人の渇きは癒されない。
休みが合わないことで、二人で会うときに取れる行動にも限りが出てきた。外出しようと提案したところで、近場しか選択肢がない。遠出の移動時間は、実質一日しかない逢瀬の大半を食い潰してしまう。宮下の家に通うことも慣れてきたし、人目を憚らずに隣にいられる自宅でのデートも良いものだけれど、たまには二人でどこかへ遊びに出かけたくなるときもある。テーマパークとか動物園とか、景勝地の観光とか。
一人でいるときは、デートスポットなんて縁もゆかりもないと思っていた。人混みに巻き込まれる煩わしさから離れられる代わりに、蚊帳の外に弾き出されたような疎外感が胸の内に巣くうので、敢えて思考の外側に追いやっていたのだ。恋人ができれば、そういう色めき立つような話題も無関係ではなくなる。いわゆる普通のカップルより、人目を気にする必要があったとしても。
最近は、宮下にもフラストレーションが溜まっていることが察知できて、気まずくなることが増えてきた。宮下の鬱屈が直接口に出されることは殆どないが、彼は別の形でそれらを表してくる。特に、明瞭で冗長な文句が言えないような状況、夜の闇に紛れて絡み合っているとき。
腕を掴む掌の湿度、強く押し付けられた唇、中を探る指の性急さ。もっと一緒にいたいのに、仕事の都合と言われてしまっては駄々をこねることもできない――満たされない想いがありありと読み取れるような、恨みがましい視線が体中に突き刺さる。気まずさから逃れたい一心で謝ろうとする度に、中の弱いところを的確に突かれて言葉を封じられた。
体を繋げたときの居心地悪さが胸の中に甦る。宮下は、謝罪なんて何の解決にもならないと思っているのかもしれない。このまま放っておけば、いずれ致命的な破綻が生じるのは目に見えていた。
いい加減何かしら手を打とうと、休みについて上長と交渉してみたのは二週間前のことだった。
基本的に、真壁の上長が勤務店舗に姿を現すことはない。彼は近隣店舗と兼任の店長なのだが、真壁が所属していない方の店舗にかかりきりになっていた。殆ど休みを取らずにプライベートも犠牲にして、つい数年前に離婚したらしいのだが、本人に直接詳細を聞いた者はいない。
正社員なのだから休みの希望を聞き入れてもらえるとは思うな……と公言するブラック上司の存在は耳にしたことがある。表立って態度には出さないけれど、幸も影も髪も薄い真壁の上長も同じような考えを持っている人であるらしいと噂されていた。彼は、同じくプライベートを犠牲にしている(ように見える)真壁に、自らの受け持ちの店舗の片方を任せきりにしている。そんな人間に、月に一回だけでも土日に連休頂けませんか、入社してから連休なんて取ったことないんだから許してくださいよと詰め寄ったのだ。玉砕覚悟だった。
窓の向こうに広がる冬の空は、やけに上にあるように思えた。太陽も雲も遠くにあるくせに、空の色は透き通るような青色で、叶うなら近くで漂っていたいと思うほどに美しい。故郷の空とは大違いだ。
真壁の出身地は、北陸と称される地方に存在する。湿気のせいか天は雲に覆われていることが多く、今寝転がって見上げているような快晴には殆どお目にかかれない。故郷の景色で唯一美しいと思えたのは、青々と連なる山脈が、晴れた空にくっきりと浮かび上がったときだけだった。
薄らぼんやりした、味気ない郷里の空の姿が脳裏に甦るのはおかしな気分だった。あの一帯に戻ることなどないだろうと薄々感じていた。実家に向かうためには、一番近寄りたくない出身大学の近辺に足を踏み入れることになる。わざわざ精神を傷まみれにしてまで彼らと会いたいとは思っていない。そもそも、帰省するような時間も持ち合わせていなかった。
真壁は自らの性的志向を家族にも打ち明けていなかった。家族仲は険悪ではないのだが、隠してきた事実を明かしたところで、それを受容できるだけの器が彼らにあるとは思えなかった。直接口に出されたことはないが、両親が「普通」に拘っていることには気付いていた。両親と面と向かって対立した記憶が真壁にほとんど存在しないのは、真壁自身が進んできた道が偶々、両親にとっての「普通」の枠の中に収まっているものだったからだ。
接客業の従事者は纏まった休みなんて殆ど取れない。土日やお盆、年末年始に休むなど以ての外だ。それでも、真壁にとっては都合が良かった。長期休暇に帰省できなくても、不義理を働いたという罪悪感を感じずに済むからだ。
ごろごろと寝返りを打つと、シングルのベッドがやけに広く思える。壁際には、相も変わらず本やゲームや鞄が所狭しと詰めて寄せられていた。
散々逃げの理由にしていたはずの不規則休みは、今になって真壁の私生活に思わしくない影響を与えていた。同じ市内に住んでいながら、恋人と寄り添って同じ時間を過ごしたいという欲求が満たされないのだ。はっきり言うと、宮下と過ごす時間が足りない。
シフトの関係上、土曜日に休みを取れるのは月二回。……これでも、宮下と親密になる前よりは休暇の希望を申請している。連休を取ることはほぼ不可能だが、金曜日の退勤を早めることはできるので、金曜日の夜に会って土曜日の夜に別れを惜しむのが通例となっていた。本当は、時間を気にすることなく二人でずっと睦みあっていたかった。
真壁や宮下の不満など、遠距離恋愛に心を悩ませている人にとっては取るに足らないほどちっぽけなものであろう。しかし、そんな屁理屈を捏ねたところで二人の渇きは癒されない。
休みが合わないことで、二人で会うときに取れる行動にも限りが出てきた。外出しようと提案したところで、近場しか選択肢がない。遠出の移動時間は、実質一日しかない逢瀬の大半を食い潰してしまう。宮下の家に通うことも慣れてきたし、人目を憚らずに隣にいられる自宅でのデートも良いものだけれど、たまには二人でどこかへ遊びに出かけたくなるときもある。テーマパークとか動物園とか、景勝地の観光とか。
一人でいるときは、デートスポットなんて縁もゆかりもないと思っていた。人混みに巻き込まれる煩わしさから離れられる代わりに、蚊帳の外に弾き出されたような疎外感が胸の内に巣くうので、敢えて思考の外側に追いやっていたのだ。恋人ができれば、そういう色めき立つような話題も無関係ではなくなる。いわゆる普通のカップルより、人目を気にする必要があったとしても。
最近は、宮下にもフラストレーションが溜まっていることが察知できて、気まずくなることが増えてきた。宮下の鬱屈が直接口に出されることは殆どないが、彼は別の形でそれらを表してくる。特に、明瞭で冗長な文句が言えないような状況、夜の闇に紛れて絡み合っているとき。
腕を掴む掌の湿度、強く押し付けられた唇、中を探る指の性急さ。もっと一緒にいたいのに、仕事の都合と言われてしまっては駄々をこねることもできない――満たされない想いがありありと読み取れるような、恨みがましい視線が体中に突き刺さる。気まずさから逃れたい一心で謝ろうとする度に、中の弱いところを的確に突かれて言葉を封じられた。
体を繋げたときの居心地悪さが胸の中に甦る。宮下は、謝罪なんて何の解決にもならないと思っているのかもしれない。このまま放っておけば、いずれ致命的な破綻が生じるのは目に見えていた。
いい加減何かしら手を打とうと、休みについて上長と交渉してみたのは二週間前のことだった。
基本的に、真壁の上長が勤務店舗に姿を現すことはない。彼は近隣店舗と兼任の店長なのだが、真壁が所属していない方の店舗にかかりきりになっていた。殆ど休みを取らずにプライベートも犠牲にして、つい数年前に離婚したらしいのだが、本人に直接詳細を聞いた者はいない。
正社員なのだから休みの希望を聞き入れてもらえるとは思うな……と公言するブラック上司の存在は耳にしたことがある。表立って態度には出さないけれど、幸も影も髪も薄い真壁の上長も同じような考えを持っている人であるらしいと噂されていた。彼は、同じくプライベートを犠牲にしている(ように見える)真壁に、自らの受け持ちの店舗の片方を任せきりにしている。そんな人間に、月に一回だけでも土日に連休頂けませんか、入社してから連休なんて取ったことないんだから許してくださいよと詰め寄ったのだ。玉砕覚悟だった。
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