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螺旋階段は同じ所を通らない
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土曜日の午前十一時。真壁は肩掛け鞄とささやかな菓子折を持って、宮下の居住地の最寄り駅に向かっていた。宮下の家は、真壁の自宅から地下鉄で五駅離れた場所にある。駅から徒歩二分のマンションに住んでいるらしい。
宮下と当日の流れを打ち合わせした結果、まず宮下の家の最寄り駅付近で昼ご飯を食べ、それから宮下の家に向かうことになった。店は宮下が決めてくれるというので、真壁は駅の二番出口で彼を待っているというわけだ。
「ごめん、真壁さん。待ちましたよね」
宮下が、後ろから真壁の肩を叩く。真壁は、いつぞやのライブのときのことを思い出した。
「大丈夫、今来たところだからさ」
「本当? だったら良いんですけど。早速向かいましょう」
真壁は宮下の後を追って横に並んだ。
宮下の服装は、紺色のワイシャツにベージュのチノパンだった。彼によく似合っている。宮下の格好に対する真壁の寸評は、笑えるほどにいつも同じだ。真壁は誰に求められるでもなく自省した。
二人は駅最寄りのカフェでパスタを頼んで胃に収めてから、宮下の自宅に向かった。
マンション四階、四〇二と示された扉を宮下が開ける。お邪魔します、と呟きながら真壁が中に入ると、人が二人並べるほどの幅の廊下の右側には順にトイレ、クローゼット、キッチン、冷蔵庫が配置されており、そのままリビングに繋がっていた。キッチンの反対側には洋室へ繋がる扉があったが、宮下はそこを寝室だと断った上で素通りしていく。
リビングには、白色の真四角のローテーブルが、壁側に配置された液晶テレビと水色の二人がけソファの間に位置していた。宮下は真壁をソファに座るよう勧めると、キッチンの戸棚のコップを取り出して、冷蔵庫から二リットルのペットボトルのお茶を取り出す。
「宮下くん、ありがとう」
「いえいえ。わざわざ来てもらったので」
「あ、そうだ。これ、手土産ってほどじゃないけど、良ければどうぞ」
「気にしなくて良かったのに。ありがとうございます。……じゃあ、お持たせで申し訳ないけど、二人で食べようか」
宮下は真壁から菓子折を受け取ると、包みを開けてテーブルに置いた。菓子折は二種類あって、片方はアーモンドフロランタン、もう片方はバターの香るパイの中にこしあんが入った、和菓子とも洋菓子とも付かない変わったお菓子だった。
「宮下くんの好みが分かんなかったから、良さそうなもの二つ買ってみた」
「わざわざありがとうございます」
宮下は恭しく礼を述べると、本題のライブDVDをプレーヤーにセットした。
このDVDが発売されたのは三年ほど前になるが、映像自体は二十年前のものを再編集しているため、画質も音質も粗が目立つ。それでも、デビュー当時のバンドメンバーの演奏を収めた媒体は、当時現地に足を運べず、実物を見るのが叶わなかった者にとっては大変貴重だ。存在自体に価値がある。
真壁の好きな曲が演奏される番になった。鼻歌交じりに、流れてくる音とCD音源とを頭の中で重ね合わせて悦に入る。
ふと宮下の方を見ると、彼は真壁を見つめて微笑んでいた。まるで幼い子を見守る保護者のような笑顔だ。その表情にときめくと同時に、鼻歌を歌っているのがバレたことに真壁は気付いて焦る。ごめんと一言謝ると、宮下は笑みを深めて首を左右に振った。
「気にしないで下さい。真壁さんの鼻歌が上手くて、つい聞き入ってただけなんです。真壁さん、本当にその曲好きなんですね」
「……うん、好きだよ。ずっと聞いてたから」
「そうですよね。ごめんね、水を差すようなことして」
「こっちこそ」
宮下はテレビに向き直った。真壁も映像に集中するが、内容は半分しか頭に入ってこない。宮下の微笑みが、頭の容量のもう半分を占拠していたからだ。
先程の宮下の柔らかな笑顔からは、真壁を見守ってくれているような優しさを感じた。それに心地良さを覚えるだけならば良かったのに、真壁の心臓は不必要に鼓動を高めていく。
宮下に他意はないと分かっている。彼は、真壁に友愛以上の感情を抱いていない。
他意があるのは真壁の方だ。
真壁には普段から連絡を取り合うような親しい友人は居ない。宮下以外は。
以前から真壁が宮下に感じている好意は、ただ一人のかけがえのない友人をなくしたくないと思うが故の、行き過ぎた友情なのだろう。独占欲を抱いたのも、事ある毎にときめきを感じているのも気のせいだ。勘違いだ。何度もそう思い直しているのに、ふとした瞬間に自分の気持ちの定義が揺らぐ。
薄々気がついていた。この気持ちは恋愛感情なのだと。それを認めるしかないのだろうと。
真壁が恐れているのは、この邪な想いが宮下に伝わってしまうことだ。宮下は絶対に、真壁をそういう目では見ていない。真壁の抱く恋愛感情を迷惑に思うに違いない。ただ一人の友人を失ってしまうことが、真壁にとっては一番恐ろしかった。
また独りに戻るのは耐えられない。彼との楽しい時間を経験した後で、それが失われてしまう可能性を考えることすら辛い。過去の苦い記憶が甦る。
黙っているしかない。悟られることは絶対に避けねばならない。宮下だけでなく、周りの人間にも。
気付けばテレビに写されているライブは後半部に差し掛かっており、ライブの曲の雰囲気が変わっていた。……前半部の途中から、内容が朧気にしか頭に残っていない。
ここからは真剣に見よう。そして、このDVDを借りられるかどうか宮下にお願いして、もう一度見よう。真壁は決心した。
宮下と当日の流れを打ち合わせした結果、まず宮下の家の最寄り駅付近で昼ご飯を食べ、それから宮下の家に向かうことになった。店は宮下が決めてくれるというので、真壁は駅の二番出口で彼を待っているというわけだ。
「ごめん、真壁さん。待ちましたよね」
宮下が、後ろから真壁の肩を叩く。真壁は、いつぞやのライブのときのことを思い出した。
「大丈夫、今来たところだからさ」
「本当? だったら良いんですけど。早速向かいましょう」
真壁は宮下の後を追って横に並んだ。
宮下の服装は、紺色のワイシャツにベージュのチノパンだった。彼によく似合っている。宮下の格好に対する真壁の寸評は、笑えるほどにいつも同じだ。真壁は誰に求められるでもなく自省した。
二人は駅最寄りのカフェでパスタを頼んで胃に収めてから、宮下の自宅に向かった。
マンション四階、四〇二と示された扉を宮下が開ける。お邪魔します、と呟きながら真壁が中に入ると、人が二人並べるほどの幅の廊下の右側には順にトイレ、クローゼット、キッチン、冷蔵庫が配置されており、そのままリビングに繋がっていた。キッチンの反対側には洋室へ繋がる扉があったが、宮下はそこを寝室だと断った上で素通りしていく。
リビングには、白色の真四角のローテーブルが、壁側に配置された液晶テレビと水色の二人がけソファの間に位置していた。宮下は真壁をソファに座るよう勧めると、キッチンの戸棚のコップを取り出して、冷蔵庫から二リットルのペットボトルのお茶を取り出す。
「宮下くん、ありがとう」
「いえいえ。わざわざ来てもらったので」
「あ、そうだ。これ、手土産ってほどじゃないけど、良ければどうぞ」
「気にしなくて良かったのに。ありがとうございます。……じゃあ、お持たせで申し訳ないけど、二人で食べようか」
宮下は真壁から菓子折を受け取ると、包みを開けてテーブルに置いた。菓子折は二種類あって、片方はアーモンドフロランタン、もう片方はバターの香るパイの中にこしあんが入った、和菓子とも洋菓子とも付かない変わったお菓子だった。
「宮下くんの好みが分かんなかったから、良さそうなもの二つ買ってみた」
「わざわざありがとうございます」
宮下は恭しく礼を述べると、本題のライブDVDをプレーヤーにセットした。
このDVDが発売されたのは三年ほど前になるが、映像自体は二十年前のものを再編集しているため、画質も音質も粗が目立つ。それでも、デビュー当時のバンドメンバーの演奏を収めた媒体は、当時現地に足を運べず、実物を見るのが叶わなかった者にとっては大変貴重だ。存在自体に価値がある。
真壁の好きな曲が演奏される番になった。鼻歌交じりに、流れてくる音とCD音源とを頭の中で重ね合わせて悦に入る。
ふと宮下の方を見ると、彼は真壁を見つめて微笑んでいた。まるで幼い子を見守る保護者のような笑顔だ。その表情にときめくと同時に、鼻歌を歌っているのがバレたことに真壁は気付いて焦る。ごめんと一言謝ると、宮下は笑みを深めて首を左右に振った。
「気にしないで下さい。真壁さんの鼻歌が上手くて、つい聞き入ってただけなんです。真壁さん、本当にその曲好きなんですね」
「……うん、好きだよ。ずっと聞いてたから」
「そうですよね。ごめんね、水を差すようなことして」
「こっちこそ」
宮下はテレビに向き直った。真壁も映像に集中するが、内容は半分しか頭に入ってこない。宮下の微笑みが、頭の容量のもう半分を占拠していたからだ。
先程の宮下の柔らかな笑顔からは、真壁を見守ってくれているような優しさを感じた。それに心地良さを覚えるだけならば良かったのに、真壁の心臓は不必要に鼓動を高めていく。
宮下に他意はないと分かっている。彼は、真壁に友愛以上の感情を抱いていない。
他意があるのは真壁の方だ。
真壁には普段から連絡を取り合うような親しい友人は居ない。宮下以外は。
以前から真壁が宮下に感じている好意は、ただ一人のかけがえのない友人をなくしたくないと思うが故の、行き過ぎた友情なのだろう。独占欲を抱いたのも、事ある毎にときめきを感じているのも気のせいだ。勘違いだ。何度もそう思い直しているのに、ふとした瞬間に自分の気持ちの定義が揺らぐ。
薄々気がついていた。この気持ちは恋愛感情なのだと。それを認めるしかないのだろうと。
真壁が恐れているのは、この邪な想いが宮下に伝わってしまうことだ。宮下は絶対に、真壁をそういう目では見ていない。真壁の抱く恋愛感情を迷惑に思うに違いない。ただ一人の友人を失ってしまうことが、真壁にとっては一番恐ろしかった。
また独りに戻るのは耐えられない。彼との楽しい時間を経験した後で、それが失われてしまう可能性を考えることすら辛い。過去の苦い記憶が甦る。
黙っているしかない。悟られることは絶対に避けねばならない。宮下だけでなく、周りの人間にも。
気付けばテレビに写されているライブは後半部に差し掛かっており、ライブの曲の雰囲気が変わっていた。……前半部の途中から、内容が朧気にしか頭に残っていない。
ここからは真剣に見よう。そして、このDVDを借りられるかどうか宮下にお願いして、もう一度見よう。真壁は決心した。
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