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螺旋階段は同じ所を通らない

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 真壁俊明は、大学時代からファンだったロックバンド・スパイラルのツアーライブのチケットを手に入れることに成功した。しかも、二十周年の記念ライブだ。
 県内で二番目に大きなホールで催されるそのライブの日程は二日間用意されており、真壁は水曜日の午後五時半からの枠に参加する。彼は医薬品店舗販売業の従事者で、土日も関係なく働いているのだが、その反面平日休みは気軽に取れる。この時ばかりは今の仕事に就いていて良かったと胸をなで下ろした。

 ファン歴八年にも関わらず、真壁にとっては初めてのライブ参戦になる。付近でライブが行われなかったり、競争率が半端なく高いためにチケットが取れなかったりと、理由は様々だ。ともかく、ライブというものに参加するのが初めての真壁は、ライブの心得や作法が全く分からなかった。
 インターネットで調べてみても、立ったり腕を振ったりするとか、席に座ったまま静粛に鑑賞するとか、バンドやそのファンの傾向によってまちまちで、全く参考にならない。どれもてんで想像が付かなかった。

 ライブが一日後に迫ったので、肩掛け鞄のチャックを開けて荷物の準備をする。財布、チケット、タオル、折りたたみ傘。愛すべきスパイラルの曲が詰め込まれた音楽プレーヤーも入れておく。ホールへ向かう最中にこれを聞いて気分を高揚させ、心の準備をするためだ。

 ライブ当日、電車を乗り継いだ真壁がホールに到着すると、開演三十分前にも関わらず長蛇の列が形成されていた。否、三十分前では遅かったのだろう。なんとかホール内に入り、自分の席を探す。周りは可愛らしい女性だらけで、男性の姿は真壁を含めてぽつぽつと点在しているだけだった。自然と萎縮してしまう。
 スパイラルは女性ファンが多く、ファンのうち八割は女性と言っても過言ではない。ボーカルの甘いマスクとハイトーンボイスの虜になる女性が多いのだ。しかし、重厚なロック音楽に乗せて、一途な恋を優しく頼もしく、時に切なく歌い上げる彼らが、幅広い年代に愛されていることもまた確かである。
 着席してホールの内部を眺めていると、右肩を叩かれる。振り向くと、見知った顔が微笑んでいた。

「やっぱり真壁さんだ。奇遇ですね」
「宮下さんじゃないっすか。まさかこんなところで……しかも隣とは思わなかった」

 宮下悠人は、真壁の職場の取引先である東山製薬会社の営業担当だった。彼らの仕事内容は、主に自社製品を取り扱う店舗を回り、売り場のメンテナンスや新商品の情報共有をするというものだ。
 担当が宮下になったのは半年前のことだ。彼が挨拶に来たとき、初対面のはずなのに既視感を覚えた。お客さんとして真壁の配属店舗に訪れたことがあるのかもしれないが、本人に直接聞いたときに初対面だときっぱり言い切られたので、気のせいだったのだろう。
 ともかくそれ以降、月一で店舗に訪れる宮下に、真壁は何度か商品説明を受けたことがあった。

 宮下は真壁より二つ年下にもかかわらず、度胸のある好青年だった。背丈は一八五センチと高く、顔立ちは爽やかで親しみを感じさせる男前だ。しかも、声は穏やかで聞き心地の良いバリトンボイス。
 欠点の見当たらない宮下は、真壁の職場のパート従業員からの人気も高かった。同じ男として悔しくなるほど、非の打ち所がない。

「まさか真壁さんにお会いできるとは思いませんでした。安心しましたよ。女性ファンが多いので、毎回緊張するんです」
「確かに女の人多いっすよね。宮下さんって、こういうライブには良く参加するんですか?」
「そこまで頻繁ではないですけど、他のバンドと合わせると年二回くらいですかね。真壁さんは?」

 灰色のYシャツとデニムというシンプルな服装は、却って宮下のスタイルの良さを引き立てている。骨張った手首と銀色の腕時計が袖口から覗いていた。

「実は俺、ライブに参加するの自体、今回が初めてなんですよ。マナーとか作法とか全然分かんないんです」
「スパイラルのファンは基本的に寛容な人が多いので、心配しなくても大丈夫ですよ。女の子の歓声は度々上がるんですけど、立ったり座ったりも人それぞれで自由ですし、マナーも良いので」
「そうなんすか。宮下さんのお陰でほっとしました」
「それは良かった」

 ライブが始まると、ファンの女子の甲高い声が響く。とはいえ、その歓声も最初の方だけで、曲に被せて声を上げるファンはいない。
 八年間、真壁を何度も元気づけてきた大好きな音が、現在進行形でホールを満たしている。彼らの音楽が全身に染み渡るのを感じて身震いした。心弾ませるドラム、体の芯を鋭く突き刺すギター、安定感のあるベース、それらと混ざり合って楽器となった、甘やかなボーカルの声。精度もさることながら、溢れ出る情熱を感じた。CDの音を聴くのとは訳が違う。
 この時間が永遠に続けば良いのに。真壁は心地良い音の中に心を溶かした。
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