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1章
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キッチンにスマホを立てかけてるりのチャンネルを開き、キャベツ、ピーマンと豚肉を炒めながら配信開始まで待機していると、シークバーが動き出した。るりが配信を開始したのだ。しかし、今日の彼女の配信を心待ちにしていた芦尾の耳に届いた第一声は、いつもの可憐な彼女の声ではなく、明らかに別人の男の声だった。
「あー……画面見辛いなあ。明るさ調整しなきゃ……」
男はぶつぶつと悪態をつきながら、配信画面や音量を調整しているようだ。るりの3Dアバターが最適な位置を求めて少しずつ右へずれていくのが見える。男の声は耳障りの良い涼やかな声だったが、そんなことはどうでも良い。
『え、誰?』『チャンネル間違えたかな……』視聴者からの戸惑いのコメントが流れて暫くしてから動画は強制的に終了となり、以降の音沙汰はなくなった。
芦尾の頭の中は疑問符で埋め尽くされた。皿に移した野菜炒めと白米をゆっくり無心に噛み締める中で、今のは何だ、俺の耳がおかしかったのだろうか、と問いだけが積み重なっていく。味のしない晩御飯を食べ終わった後で再度るりの動画チャンネルを見に行くと、「引退します」の文字だけが残されている。今までの動画は全て消え失せていた。
***
西園寺るりのSNSコミュニティ内は、「あの男は何物だったのか」という話で持ちきりとなり、大いに荒れていた。「俺達の推しの中の人は男だったのだろう」と考えたファンが多かったが、「あの男は本人ではなく彼氏だったのでは」という推測も少数ながらされていた。しかし、ネットアイドルに彼氏がいて、更に彼女の動画の準備を担当しているという予想は嫌に生々しく、ファンとしては考えたくないというのが正直なところだろう。ならば、女の子だと思っていたアイドルが男だったという内容の方がまだダメージが少ない。
西園寺るりの活動期間は二年を超えていたが、これまで男がいるという噂がたったこともなければ、本人が男であるというボロを出したこともなかったようだ。男が女のふりをするということには想像以上の難しさを伴うのだろうと、経験のない芦尾でも理解できる。最初で最大の難関が声だ。ボイスチェンジャーという強力な助っ人がいるにしても、調整された声には独特の電子音じみた特徴があり、分かる人が聞けば分かる。るりの視聴者にそれを見抜けた者は一切いなかった。
ただ、芦尾にはそんな些末なことはどうでもよかった。一番困るのは、「西園寺るり」が存在しているという証が消えることだ。本人からは何も説明がないまま引退の二文字を突きつけられ、動画も消されてしまったという事実に芦尾は動揺していた。推しが男であったって、彼氏が居たって別に構わない。けれど、消えてしまうのは話が違う。彼女ないし彼が示してくれた生き方も、贈ってくれた言葉も、全て消えてなくなってしまう。芦尾は、それら全てを拠り所にして生きてきたのに。
あの子をどうにかして引き止められないだろうか。もう消えようとしている存在に、思いとどまらせる方法はないだろうか。現実のあの子の連絡先も居場所も知らない自分に、何が出来る。メールなんて見るわけない。せめて、何かしてあげられることはないだろうか。もっと確実な方法で、現実のあの子に何か――
芦尾は一つだけ思い当たった。例のお悩み相談の後、芦尾はるりにBluetoothのイヤホンをプレゼントしていた。その時に使った匿名配送サービスが生きている可能性がある。インターネットが普及した昨今は配送サービスも進化しており、自分も相手も匿名のままプレゼントを送れるようになっているのだ。
もし間に合えば、少しくらい、あの子に何か贈ってあげられるかもしれない。芦尾はそれ以上のことは望んでいなかった。結局のところ、人生で何をするかは、西園寺るりと名乗っていたあの子が決めることだ。誰かに止める資格はない。ただ、芦尾はるりだった誰かに何も返せていない。最後くらい、何かを残してあげたかった。
「あー……画面見辛いなあ。明るさ調整しなきゃ……」
男はぶつぶつと悪態をつきながら、配信画面や音量を調整しているようだ。るりの3Dアバターが最適な位置を求めて少しずつ右へずれていくのが見える。男の声は耳障りの良い涼やかな声だったが、そんなことはどうでも良い。
『え、誰?』『チャンネル間違えたかな……』視聴者からの戸惑いのコメントが流れて暫くしてから動画は強制的に終了となり、以降の音沙汰はなくなった。
芦尾の頭の中は疑問符で埋め尽くされた。皿に移した野菜炒めと白米をゆっくり無心に噛み締める中で、今のは何だ、俺の耳がおかしかったのだろうか、と問いだけが積み重なっていく。味のしない晩御飯を食べ終わった後で再度るりの動画チャンネルを見に行くと、「引退します」の文字だけが残されている。今までの動画は全て消え失せていた。
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西園寺るりのSNSコミュニティ内は、「あの男は何物だったのか」という話で持ちきりとなり、大いに荒れていた。「俺達の推しの中の人は男だったのだろう」と考えたファンが多かったが、「あの男は本人ではなく彼氏だったのでは」という推測も少数ながらされていた。しかし、ネットアイドルに彼氏がいて、更に彼女の動画の準備を担当しているという予想は嫌に生々しく、ファンとしては考えたくないというのが正直なところだろう。ならば、女の子だと思っていたアイドルが男だったという内容の方がまだダメージが少ない。
西園寺るりの活動期間は二年を超えていたが、これまで男がいるという噂がたったこともなければ、本人が男であるというボロを出したこともなかったようだ。男が女のふりをするということには想像以上の難しさを伴うのだろうと、経験のない芦尾でも理解できる。最初で最大の難関が声だ。ボイスチェンジャーという強力な助っ人がいるにしても、調整された声には独特の電子音じみた特徴があり、分かる人が聞けば分かる。るりの視聴者にそれを見抜けた者は一切いなかった。
ただ、芦尾にはそんな些末なことはどうでもよかった。一番困るのは、「西園寺るり」が存在しているという証が消えることだ。本人からは何も説明がないまま引退の二文字を突きつけられ、動画も消されてしまったという事実に芦尾は動揺していた。推しが男であったって、彼氏が居たって別に構わない。けれど、消えてしまうのは話が違う。彼女ないし彼が示してくれた生き方も、贈ってくれた言葉も、全て消えてなくなってしまう。芦尾は、それら全てを拠り所にして生きてきたのに。
あの子をどうにかして引き止められないだろうか。もう消えようとしている存在に、思いとどまらせる方法はないだろうか。現実のあの子の連絡先も居場所も知らない自分に、何が出来る。メールなんて見るわけない。せめて、何かしてあげられることはないだろうか。もっと確実な方法で、現実のあの子に何か――
芦尾は一つだけ思い当たった。例のお悩み相談の後、芦尾はるりにBluetoothのイヤホンをプレゼントしていた。その時に使った匿名配送サービスが生きている可能性がある。インターネットが普及した昨今は配送サービスも進化しており、自分も相手も匿名のままプレゼントを送れるようになっているのだ。
もし間に合えば、少しくらい、あの子に何か贈ってあげられるかもしれない。芦尾はそれ以上のことは望んでいなかった。結局のところ、人生で何をするかは、西園寺るりと名乗っていたあの子が決めることだ。誰かに止める資格はない。ただ、芦尾はるりだった誰かに何も返せていない。最後くらい、何かを残してあげたかった。
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