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シーズン1

第二十八話

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「前に、泉堂と三人で行った店で偶然あったことにしよう。交際期間は、一年ほどでいいかな」
 蓮水が、結構具体的に決めていくので、凡子は覚えられるか心配になってきた。
「メモするものはありますか?」
 蓮水が「できるだけ早く設定をまとめてプリントアウトしておく」と言った。
「せ、設定……」
 凡子は気づいた。今まさに、蓮水が……いや、水樹恋が、『樹と凡子の結婚に至るまでの物語』の設定を考えているのだ。
「も、もしかして、私は、恋様の考える架空のラブストーリーのヒロインになるってことでしょうか?」
 蓮水が「まあ、そうとも言えるかな」と、首をかしげた。
「疑いようが無いほどの『格差婚』まさに、『シンデレラストーリー』じゃないですか‼︎」
 凡子は舞い上がった。
「『溺愛もの』でしょうか? それとも、『ヤンデレ系』 あと『俺様、ドS』も歓迎です。蓮水さん……じゃなくて、樹さんなら、『クーデレ』も合いそう。ヒーローはスペック高くて、ヒロインは平凡ってところ、ピッタリですね!」
 凡子は興奮しすぎて、鼻息が荒くなっていた。
 蓮水が苦笑いした。
「溺愛ものにするなら、俺が叔父たちの前で、君のことをひたすら見つめたり、肩を抱いたりすることになるが、いいのか?」
「か、肩を、だ、抱く……無理です。そんなことをされたら、失神を通り越して、窒息死します」
「そうだろう」と、蓮水が笑った。
「それに、なみこの方はともかく、俺の方は著しいキャラ改変はできない。相手は俺のことを子供のころから知っているんだからな」
「樹さんと溺愛にギャップがあるのはわかります。でも、誰かに夢中になるなんてありえないヒーローがヒロインのことを溺愛するから尊いんです。誰にでも惚れっぽいヒーローなら、ただのヤ……」
 凡子はつい、不適切な発言をしそうになった。
「恋様の書く溺愛もの、読みたかった……」
「ん? 読みたいとは?」
「小説にされるんでしょう?」
「質問されたときに答えられるように設定を決めておくだけで、小説にはしない」
 凡子は勝手に、小説にしてもらえるのだと思い込んでいた。
「せっかく設定を考えるのに、書かないんですか?」
 諦めきれず、蓮水に問いかける。
「だいたい、主人公『凡子』、恋人は『樹』の小説で、初デートやプロポーズのシーンを書いたとして、君がまともに読めるとは思えない」
「主人公を『凡子』にしなければ、読めます!」
「それはもう、俺たちのなれそめでもなく別作品じゃないか。そもそも書く時間がない」
 たしかに、五十嵐室長の続きを書くために契約婚をしたのに、その契約婚のために別の小説を書くのは本末転倒だ。
 凡子は、蓮水との結婚に対し、まだ夢を見ている感覚でいた。それだけ強く、自分が蓮水と結婚するのは、非現実的だと考えていたからだ。
 蓮水が婚姻届を出しに行ったけれど、実感はほとんどない。
「俺たちのなれそめはこちらで決めさせてもらう」
 凡子は「もちろん、お決めになるのは樹さんでないと意味がありません。私ごときが考えるより、恋様でもある樹さんが考える方が数億倍素晴らしいなれそめになりますから」と、頷いた。
 蓮水が腕を組んで考えはじめた。
――これが、水樹恋様の物語の展開を考えるときのお姿……。
 凡子は、蓮水の様子を脳裏に焼き付けようと瞬きもせず、凝視していた。
「なれそめは、ごく、自然な方が良いんだよな」
「そうなんですか? 結婚を決めるほどのことなのに?」
「なみこは、WEB小説の読み過ぎなんじゃないか」
『五十嵐室長はテクニシャン』以外にもたくさんの小説を読みあさってきた。
「たとえば、婚約を破棄された途端、もっと優良物件から溺愛されるなんて、現実にはほとんどない」
「それはわかっていますが、樹さんと私が結婚するなんてことが、もう、その設定よりありえないんですから、なにかこう運命的なものがないと、ご親族のみなさんは納得できないんじゃないでしょうか?」
「現実の結婚は、燃え上がる恋の果てにあるわけじゃないだろう。もっと、一緒に居て楽しかったり、リラックスできたり、そういうことの方が大切な気がするな」
「そういう意味でも、樹さんと私の結婚は成立しようがありません」
 凡子はようやく少し慣れて話せるようになってきたが、まだ緊張が続いていて常に息苦しい。
「俺の方は、少なくとも、なみこのことを信頼しているし、結構、素の自分で居られるが……君は、見るからに違いそうだな」
「信頼いただけるようなことは何も……もちろん、ご迷惑をかけることはいたしませんが……」
「週一で通りがかりとはいえ、なみこの勤務態度は見てきたし、小説にくれるコメントや、SNSでの発信内容にも人間性は出ていたからな」
 凡子は、蓮水の言葉に感動していた。ファン冥利につきる。
「ありがとうございます。これからは、精一杯、執筆のサポートもさせていただきます」
 凡子は、引き続き、小説へのコメントもSNSでの宣伝も頑張ろうと、意気込んでいた。
「なれそめなんだが、偶然昼食時に会った店で、俺がなにかお礼をする必要が生じて、改めてまた食事に誘った流れで、親しくなったというのはどうかな?」
「さすが恋様です。聞いただけでワクワクします」と、身を乗り出した。凡子は目を輝かせながら続きを待つ。
「たとえば、店が混んでいて相席させてもらうとか」
「相席はちょっと……」
「ラーメン屋でもないと、相席は無いか……」
「あるにはありますが……」
 凡子は正直に、泉堂と話すようになったきっかけが、フレンチランチでの相席だったと説明した。
「SNSにあげていた店か……」
 蓮水はしばらく考えて、「別に、叔父達になれそめとして話すだけだから、問題ない。叔父から泉堂に伝わる可能性は皆無だしな。現実に、なみこと泉堂は、相席をきっかけに親しくなったんだから、リアリティもある」と言った。
「ひとつお伺いしたいのですが、泉堂さんには、契約婚のことをお話しになるんですか?」
「なみこは、泉堂に知られたくないのか?」
「いえ、そういうわけではなく、明日会うときに、今日のことをいろいろ訊かれるので知っておきたいんです」
「そうだな……」
 蓮水が、あごに拳をあて、うつむき加減で考え込んでいる。どんな表情をしても絵になる。凡子はいちいち見蕩れてしまう。
 蓮水はしばらくして顔をあげたが、まだ悩んでいるのか眉根を寄せていた。
「今のところは、話さない方向で考えている。泉堂になら、知られても広まる心配はないが、小説を書いていることを言っていないから、なみことの結婚の理由を別途考える必要があるからな」
 たしかに、執筆のサポートをするための結婚だから、小説を書くという前提をかくしていると説明がつかない。
「今は、一日も早く、落ち着いて執筆できる環境を作ることが優先だ」
 凡子は、そうでなければ入籍までした意味がないと思い、頷いた。
「叔父には今夜電話で報告するから、早ければ、次の週末に呼び出される」
「そんな……いろいろ練習しないと無理です。服もありません」
 蓮水が「どんなに早くとも、日曜にしてもらう。前日に用意すればなんとかなるだろう」と言った。
――絶対、なんとかならない……。
 凡子は途端に、契約婚を引き受けたことを後悔しはじめた。
「あの……、婚姻届けは本当に提出されました?」
「当然、提出済みだ。なみこが、やっぱりやめたいと言い出すのは、想定していたからね」
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