喪女の夢のような契約婚。

紫倉 紫

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シーズン1

第二十五話

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「従兄弟は、自由奔放な性格をしていて学校にしても就職先にしても、叔父たちの希望にことごとく逆らった。だから、俺が代わりに叔父たちが望む道を進んで来たんだ」
 蓮水は養父母の希望を叶える努力をしたのだろう。そして、絵に描いたようなエリートコースにのったのだ。
「育ててもらった恩があるから、叔父が社長を務める会社で働くことに不満はなかった。学生の頃から、会社に貢献することが一番の恩返しだとも考えていたしね」
 凡子は蓮水の言葉に頷いたあと、首を傾げた。
「叔父とは名字が違うから、気づいていなかったとは思うが……」
 凡子が疑問に感じたのはそこではなかった。が、しかし、今の蓮水の言葉で、確定した。
「蓮水さんの叔父とは、一条社長なんですか?」
「そうだ」
 凡子は、蓮水が雲の上の存在であると再認識した。どんな事情があろうと自分が結婚できる相手ではないとさらに強く思った。親会社の経営者一族、その家庭にまつわる事情など聞いてはいけない気がした。
「これ以上はお話いただかなくて結構です」
 蓮水が「まだ、大事な部分に触れていないんだが」と、言った。
「どんなお話を聞いても、蓮水さんと結婚はできません」
「そんなに俺が嫌なのか?」
 凡子はすぐに否定した。
「私は蓮水さんに相応しくないと何度も申し上げています」
「どんな相手なら相応しいと?」
 蓮水の質問に凡子は「綺麗で家柄もよくって、知的な女性がお似合いだと思います」と、返した。
「君の言う条件にあった女性と、何度も見合いをさせられてうんざりしているんだ」

「お見合いですか……」
 凡子は、蓮水が実際に見合いをしているとまでは思っていなかった。今どき、三十代で独身なのは珍しくもないのに、周囲が放っておいてはくれないようだ。
「叔父や叔母の知人の紹介や、取引先関係の紹介ばかりで無下にもできず、本当なら、会いたくもないし即日で断りたいところだが、数回は会って、最終的には仕事を理由に断っている。毎回毎回、苦労しているんだ」
 蓮水の苦労は、声と表情で十分伝わってきた。
「相手が断ってくれればそれが一番だが、なかなかうまくはいかない」
 凡子は「お相手が蓮水さんなら、そうなりますよね」と、頷いた。
「そう思うなら、婚姻届にサインをしてくれ」
「いえ、私はとてもとても……」
 たとえ、蓮水が水樹恋でなかったとしても恐れ多いというのに、尊くて仕方のない水樹恋なのだ。
「君は、結婚するのが嫌なら自分のように断ればいいと思ってるんだろう」
「そんなことは思っておりません」
 蓮水の立場では、断るのが簡単でないことは理解できている。
「見合いと、その後の数回のデートでどれだけの時間が奪われると思う?」
 凡子は、蓮水の言葉にハッとして、両手で口元をおさえた。
「見合いをさせられなければ、その分、何話分も続きを書けるんだ」
「お見合いは断れないんですか!」
 蓮水はため息をついて「断れるなら、とっくに断っている」と言った。
 蓮水の見合いは、知らないうちに凡子にも影響が及んでいた。
「なんとか、お見合いをもちかけられないようにできないんでしょうか?」
「だから、結婚してほしいと言ってるじゃないか。既婚者になれば、もう見合いはしなくて済む」
 凡子は、納得しそうになっていた。

「俺が、次々見合いをさせられるようになった経緯の続きを話す」
 凡子は、経緯を知らなければ対策を立てようがないと思い、聞くことにした。
「従兄弟は、うちとは業種がまったく異なる、それなりに名の知れた企業に就職した。叔父も当初は、数年自由にさせれば、うちで働く気になるだろうとふんでいた。俺は、従兄弟のサポートをするために、先に、経験を積む必要があったんだ」
 凡子は、前にどこかで読んだ、御曹司の秘書が、実は腹違いの弟だった話を思い出した。蓮水は最初から、従兄弟を陰で支えるために存在していたようなものだ。
「とにかく、従兄弟が、会社を継ぐ気もないし、一生、結婚はしないと宣言をしてから、叔父たちはせめて俺を誰かと結婚させようと見合いを手配してくるようになったんだ。叔父が、俺を後継者に考え始めたせいだ」
 想像した状況とは違っていた。
 蓮水が、親会社の次期社長候補ということらしい。
「だが、俺も会社を継ぐ気はない。もう、創業者一族が引き継いでいく時代じゃないからな」
 凡子は、次元が違いすぎてどう考えるのが正解なのかわからなかった。
 蓮水は、社長の親族というだけでなく、十分に能力もある。それならば、社長になってもいい気がする。
「叔父と叔母には恩がある。しかし、もう十分に返したとも思えるんだ。進学先も就職先も、叔父たちの希望を優先した。見合いをさせるのも、俺の幸せを願ってのことだとわかっているが、それでも、家庭をもつことでこれ以上小説を書く時間を奪われたくないんだ」
 凡子は、蓮水の小説への切実な想いを聞いて、感動していた。
「わかりました」
「やっと、わかってくれたか」
「つまり、執筆を邪魔しない女性を探せばいいんですね」
 凡子は、蓮水を救うための完璧なプランを思いついた。
「オフ会を開きましょう」
「オフ会?」
「そうです。五十嵐室長のファンで集まって交流するんです!」
 凡子は自分の思いつきを名案だと信じて、気分が高揚していた。
「集まるわけないだろう。それに、集まってどうするつもりだ」
「蓮水さんもファンのふりをして参加して、気の合う女性を探すんですよ。そして、打ち解けた頃にその人にだけ、『実は俺が書いてるんだ』とカミングアウトするんです! もう、イチコロですよ」
 蓮水は一言「却下」で済ませた。
「それで落ちるなら、君も落ちているはずだ」
 蓮水の言う通りかもしれないと、凡子は思った。
「アイデアは出してくれなくていい。まず、俺の話を最後まで聞いてくれ」
 凡子は素直に頷いた。
「君の望み通りサポートだけをお願いしたケースと、俺の望み通り結婚までしたケースを比較してみよう」
「はい、お話しください」
 凡子は聞くだけ聞くことにした。そうでないと蓮水が納得してくれないと思ったからだ。
 まず最初に、サポートだけだとしても、住み込みが必須だと言われた。凡子は、「そこは問題ありません」と、返した。
「サポートのみの場合、休みの日は頻繁に叔父から呼び出され、娘のいる取引先との会食などに同席をさせられたり、正式な見合いをセッティングされたりする」
 凡子は思わず「大変ですね」と、口に出していた。
「君が結婚してくれた場合。そもそも女性と引き合わされなくなる。そして、『妻との時間を大切にしたいと』と言って、大抵の呼び出しを断れる。すなわち、休日にずっと小説を書いていられるんだ」
 凡子はただ頷いた。蓮水が、水樹恋として執筆する時間が増えるのは、凡子にとっても嬉しいことだ。
「さらに、君が結婚をした上でサポートしてくれるなら、以前、君がコメントしてくれた、俺の小説の個人誌化も、できそうな気がしている」
「こ、個人誌……」
 凡子がそのコメントをしたのは、二年ほど前だ。
 ノベル系の同人誌販売イベントに参加した後、『五十嵐室長はテクニシャン』を紙の本で読みたいと、勢いでコメントした。
「ファン仲間が、歓喜します……」
「校正作業を手伝ってくれるね?」
「手伝わせていただき……」 

 凡子は引き受けかけたが、気づいた。 
「データを預けていただいたら、蓮水さんがおでかけの間に、私が校正作業をしておけば良いのでは?」
 蓮水は、顔を左右に振って「個人出版は、あくまで、結婚してもらうための交換条件だ」と、言った。
「そんなあ」
 凡子は本の装丁や、手にかかる重みまでも想像していたと言うのに……。
「結婚はできませんが、精一杯、サポートしますので、お願いします」
「そんなに、あの話を紙媒体で読みたいのか?」
 蓮水は少し不思議そうな顔で聞いてきた。
「だって、本棚に並べられるんですよ。五十嵐室長を!」
 蓮水が「そうか……ありがとう」と、微笑んだ。
「最近、忙しすぎて、このまま筆を折るしかないと悩んでいたのは本当なんだ」
 泉堂もかなり忙しそうにしていた。
「思い詰めていた時に君が、親しい関係ならサポートできるのにと、コメントをくれた。俺は、どうすれば一番、執筆時間を捻出できるかを考えに考え、これしかないと思えるプランを立てた。やっと書けるようになると、はやる気持ちを抑えられずに、君の意思をきちんと確認することなく話を進めてしまった」
 蓮水が、どれほど小説を書きたいと願っているか、ひしひしと伝わってきた。
「契約婚とはいえ、誰でも良いわけじゃない。長年、コメントをくれ続けた君だから、心から俺の執筆を支えてくれると信じられる」
 凡子は、自分が契約婚を受け入れれば、全て上手くいくのかもしれないと思った。
「俺が小説を書くために、結婚してくれないか。約束した通り、結婚してくれれば、サインもするし、個人出版の作業にも着手する」
 凡子は、蓮水が書き続けるためになるのならと、契約婚を受け入れる気になった。
 どう切り出すか、考えていると「週に一度、君が望むシチュエーションでSSを書くのも、条件に追加する。だから、受け入れてくれないか?」と言った。
「SSですか! それも、私の望むシチュで!」
 凡子にはもう、迷う理由はなかった。
「わかりました。結婚します!」
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