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シーズン1
第十八話
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新年度開始の日から、蓮水副部長を一度もみかけないまま、金曜日の仕事が終わった。
しかし、凡子には落胆している時間はない。優香からの情報に加え、瑠璃からはメイクのテクニックを伝授してもらうことになった。
凡子はまったく気づいていなかったが、瑠璃のかわいさは、メイク技術の賜らしい。
SNSで女子が欲しがる情報を発信して、その間に『五十嵐室長はテクニシャン』の宣伝を挟む。もちろん、他の、少しだけ気に入っている小説の宣伝も入れつつ、その中でも一押しは『五十嵐室長はテクニシャン』だと、PRしている。
引き立て役は、世の中に必要なものだ。今の受付の人員にしたって、凡子がいるから、瑠璃のかわいさと、優香の美しさが目立つのだ。凡子は自分の立ち位置を別に悲観していない。人の目を引くと、なんとも思っていない相手にしつこく誘われ、余計な時間をとられる。
泉堂のように、蓮水副部長の貴重な情報をくれる相手ならまだしも、何のメリットもない相手に時間をとられたくない。
凡子は「わたしの人生は、五十嵐室長に捧げる」と本気で思っていた。
とにもかくにも今は、『五十嵐室長はテクニシャン』の読者獲得のために奔走するしかない。
五十嵐室長は、もっと多くの人に愛されるべき存在なのだ。推しの良いところは、たくさんの人と分け合えることだ。恋人となるとそうはいかない。
明日は、休日のモーニングを開拓する日だ。どこへ行くかまだ決めかねている。
夜九時をまわった頃、泉堂からメッセージが来た。
『元気にしてる?』
体は問題ないが、精神的には絶好調とはいえない。
『それなりに元気です』
『それなりならいいよー僕なんて、疲れ切って心も体もぼろぼろだよ』
何時に来て何時に帰っているかも知らない。お昼ご飯を外に食べに行く余裕がない状態なのは、察していた。
『明日なんだけど、会えない?』
『夜ですか?』
フレンチのディナーは、予約しておいた方が良さそうだ。まだ、席はあるだろうか。
『あー、ディナーじゃなくて、どこか甘い物食べに行きたくて、付き合ってもらえないかな』
凡子は返事に迷っていた。泉堂には会って探りを入れたいこともある。桜まつりの後、どこまでつけられたのか気になっている。
『スイーツですね』
『そう、一週間頑張ったご褒美的なやつ』
凡子はスマートフォンに表示された文字を見つめながら「い、一週間頑張ったご褒美のスイーツ……それいい、いける」と、呟いた。
モーニング開拓ももちろん悪くないが、ご褒美スイーツの発信は、きっと喜ばれる。
『行きます! どこか、おすすめあるんですか?』
泉堂にそう返したすぐ後に、SNSからの通知が届いた。ダイレクトメッセージが来たようだ。滅多にないので気になり、凡子はすぐに覗きに行った。
『REN』というアカウントからだ。メッセージより少し前に、フォローもしてくれている。
「フォローのご挨拶かしら」
時々、丁寧にメッセージをくれる人がいる。
凡子はダイレクトメッセージのページを開いた。
『はじめまして。突然のメッセージ、失礼します。
RENこと、水樹恋と申します。』
最初のふきだしの中を読んで、凡子は「ほぅひゃー」と、変な声を出した。鼓動が速くなり、顔が熱くなっている。
書き込み中の表示が出ている。凡子はモコモコと動く・・・を見つめていた。
ポスっと音がして、メッセージが表示された。
『こちらのお名前はNAMICOさんにされてますが、七海子さんですよね?
違っていたら、ごめんなさい。
折り入ってお願いがあり、メッセージしました。
少し、こちらでお話しできたらと思っています。
よろしくお願いします。』
凡子は、送られてきたメッセージを凝視していた。
作者本人からメッセージをもらえたのなら、昇天するくらいの大事件だ。しかし、相手がもし、作者を騙る不届き者なら許しておけない。
このメッセージだけでは、真偽の判断は難しい。
凡子はひとまず、返信することにした。
『こちらこそ、初めまして。
あの、水樹恋様でお間違いありませんか?
憧れている方からメッセージをいただいて、夢かもしれないと、少し戸惑っています。』
考えてみると、もし、本物だとしても、証明するのは難しそうだ。仮に、本物だったら、疑うこと自体が失礼になってしまう。
メッセージのやり取りくらい、本人からもらえたと信じて、楽しめばよかったと、凡子は後悔した。
『SNSで、いきなり話しかけられたら、やっぱり警戒しちゃいますよね。
いつも応援してくださっている七海子さんに、喜んでいただけるものをご用意しております。
いつ、反応いただけるかわからなかったので、まだ、保存状態にしてありますが、この後、すぐに、最新話を公開します。
五十嵐室長が、書店で心理学の本を探すシーンがあるので、ご確認ください。』
公開前の最新話の内容。
これほど確かな証拠はない。こうやって書き込んだ時点で、なりすましのわけがないと確信した。
『更新いただけるんですね!
ありがとうございます。涙が出るほど嬉しいです。
すぐ、拝読します。』
凡子はSNSを離れ、投稿サイトを開いた。
メッセージの予告通り、最新話が公開された。
「やばいやばいやばい」
更新も嬉しいが、正真正銘、作者の水樹恋からメッセージがもらえたのだ。
凡子は立ち上がって、歩き回りながら最新話を読んだ。
書店のシーンがあった。
凡子はすっかり他の言葉を忘れてしまい、ひたすら、「やばい」と呟き続けていた。
読み終わり、凡子は、いつも通りサイトにコメントするか、SNSでメッセージするか迷った。
『五十嵐室長はテクニシャン』の全ページに自分の足跡を残す。それは譲れない。
SNSにまず、『サイトにコメントをするのでしばらくお待ちください。』と、書き込んだ。
あまり待たせるわけにもいかないので、今回の感想はあっさり目だった。ただ、忙しいなか更新してくれたことへのお礼はきっちりと書いた。
『お待たせしました』
SNSでダイレクトメールメッセージを送った。
『ご満足いただけてよかったです。
七海子さんのコメントには、以前からすごく励まされてました。
最近、定期更新ができていなくて、本当にごめんなさいね。』
「わたしの想い、作者様に、ちゃんと届いてた! 今、死んでもいい。むしろ、死にたい」
凡子はスマートフォンを抱きしめながら声を上げた。
「はっ、すぐにお返事しなくては!」
『とんでもございません。わたしなんて、コメントで感謝をお伝えすることしかできず。恋様からいただいている物の何千分の一もお返しできていません。』
『私の方こそ、七海子さんには本当に感謝してます。今日、こちらにお声かけした理由なんですけどね。本当に私の小説を愛してくださっている七海子さんに、お願いしたいことがあるんです。』
『はい、わたしにできることなら、何でもさせていただきます』
凡子は即答した。
『SNSのお写真を見る限り、都内にお住まいだと思うんですけど、私も都内なんです。そこで、一度お会いできないかと。七海子さんにご相談に乗っていただきたくって。無理でしょうか?』
凡子は「無理無理無理ー、作者様と会うなんて無理ー」と叫んだ後で『わたしで良ければ』と書き込んだ。
すぐに作者から『嬉しい。本当に今、私悩んでいて、もう、書き続けることができないかもって思うこともあって』と、返ってきた。
これは『五十嵐室長はテクニシャン』のファン仲間のためにも、ひと肌もふた肌も脱がなければならないと、凡子は思った。
その時、スマートフォンが震えた。
泉堂が、メッセージアプリの通話機能をつかって、電話してきたのだ。
凡子は、泉堂と明日会う約束の途中だったことを、すっかり忘れていた。
しかし、凡子には落胆している時間はない。優香からの情報に加え、瑠璃からはメイクのテクニックを伝授してもらうことになった。
凡子はまったく気づいていなかったが、瑠璃のかわいさは、メイク技術の賜らしい。
SNSで女子が欲しがる情報を発信して、その間に『五十嵐室長はテクニシャン』の宣伝を挟む。もちろん、他の、少しだけ気に入っている小説の宣伝も入れつつ、その中でも一押しは『五十嵐室長はテクニシャン』だと、PRしている。
引き立て役は、世の中に必要なものだ。今の受付の人員にしたって、凡子がいるから、瑠璃のかわいさと、優香の美しさが目立つのだ。凡子は自分の立ち位置を別に悲観していない。人の目を引くと、なんとも思っていない相手にしつこく誘われ、余計な時間をとられる。
泉堂のように、蓮水副部長の貴重な情報をくれる相手ならまだしも、何のメリットもない相手に時間をとられたくない。
凡子は「わたしの人生は、五十嵐室長に捧げる」と本気で思っていた。
とにもかくにも今は、『五十嵐室長はテクニシャン』の読者獲得のために奔走するしかない。
五十嵐室長は、もっと多くの人に愛されるべき存在なのだ。推しの良いところは、たくさんの人と分け合えることだ。恋人となるとそうはいかない。
明日は、休日のモーニングを開拓する日だ。どこへ行くかまだ決めかねている。
夜九時をまわった頃、泉堂からメッセージが来た。
『元気にしてる?』
体は問題ないが、精神的には絶好調とはいえない。
『それなりに元気です』
『それなりならいいよー僕なんて、疲れ切って心も体もぼろぼろだよ』
何時に来て何時に帰っているかも知らない。お昼ご飯を外に食べに行く余裕がない状態なのは、察していた。
『明日なんだけど、会えない?』
『夜ですか?』
フレンチのディナーは、予約しておいた方が良さそうだ。まだ、席はあるだろうか。
『あー、ディナーじゃなくて、どこか甘い物食べに行きたくて、付き合ってもらえないかな』
凡子は返事に迷っていた。泉堂には会って探りを入れたいこともある。桜まつりの後、どこまでつけられたのか気になっている。
『スイーツですね』
『そう、一週間頑張ったご褒美的なやつ』
凡子はスマートフォンに表示された文字を見つめながら「い、一週間頑張ったご褒美のスイーツ……それいい、いける」と、呟いた。
モーニング開拓ももちろん悪くないが、ご褒美スイーツの発信は、きっと喜ばれる。
『行きます! どこか、おすすめあるんですか?』
泉堂にそう返したすぐ後に、SNSからの通知が届いた。ダイレクトメッセージが来たようだ。滅多にないので気になり、凡子はすぐに覗きに行った。
『REN』というアカウントからだ。メッセージより少し前に、フォローもしてくれている。
「フォローのご挨拶かしら」
時々、丁寧にメッセージをくれる人がいる。
凡子はダイレクトメッセージのページを開いた。
『はじめまして。突然のメッセージ、失礼します。
RENこと、水樹恋と申します。』
最初のふきだしの中を読んで、凡子は「ほぅひゃー」と、変な声を出した。鼓動が速くなり、顔が熱くなっている。
書き込み中の表示が出ている。凡子はモコモコと動く・・・を見つめていた。
ポスっと音がして、メッセージが表示された。
『こちらのお名前はNAMICOさんにされてますが、七海子さんですよね?
違っていたら、ごめんなさい。
折り入ってお願いがあり、メッセージしました。
少し、こちらでお話しできたらと思っています。
よろしくお願いします。』
凡子は、送られてきたメッセージを凝視していた。
作者本人からメッセージをもらえたのなら、昇天するくらいの大事件だ。しかし、相手がもし、作者を騙る不届き者なら許しておけない。
このメッセージだけでは、真偽の判断は難しい。
凡子はひとまず、返信することにした。
『こちらこそ、初めまして。
あの、水樹恋様でお間違いありませんか?
憧れている方からメッセージをいただいて、夢かもしれないと、少し戸惑っています。』
考えてみると、もし、本物だとしても、証明するのは難しそうだ。仮に、本物だったら、疑うこと自体が失礼になってしまう。
メッセージのやり取りくらい、本人からもらえたと信じて、楽しめばよかったと、凡子は後悔した。
『SNSで、いきなり話しかけられたら、やっぱり警戒しちゃいますよね。
いつも応援してくださっている七海子さんに、喜んでいただけるものをご用意しております。
いつ、反応いただけるかわからなかったので、まだ、保存状態にしてありますが、この後、すぐに、最新話を公開します。
五十嵐室長が、書店で心理学の本を探すシーンがあるので、ご確認ください。』
公開前の最新話の内容。
これほど確かな証拠はない。こうやって書き込んだ時点で、なりすましのわけがないと確信した。
『更新いただけるんですね!
ありがとうございます。涙が出るほど嬉しいです。
すぐ、拝読します。』
凡子はSNSを離れ、投稿サイトを開いた。
メッセージの予告通り、最新話が公開された。
「やばいやばいやばい」
更新も嬉しいが、正真正銘、作者の水樹恋からメッセージがもらえたのだ。
凡子は立ち上がって、歩き回りながら最新話を読んだ。
書店のシーンがあった。
凡子はすっかり他の言葉を忘れてしまい、ひたすら、「やばい」と呟き続けていた。
読み終わり、凡子は、いつも通りサイトにコメントするか、SNSでメッセージするか迷った。
『五十嵐室長はテクニシャン』の全ページに自分の足跡を残す。それは譲れない。
SNSにまず、『サイトにコメントをするのでしばらくお待ちください。』と、書き込んだ。
あまり待たせるわけにもいかないので、今回の感想はあっさり目だった。ただ、忙しいなか更新してくれたことへのお礼はきっちりと書いた。
『お待たせしました』
SNSでダイレクトメールメッセージを送った。
『ご満足いただけてよかったです。
七海子さんのコメントには、以前からすごく励まされてました。
最近、定期更新ができていなくて、本当にごめんなさいね。』
「わたしの想い、作者様に、ちゃんと届いてた! 今、死んでもいい。むしろ、死にたい」
凡子はスマートフォンを抱きしめながら声を上げた。
「はっ、すぐにお返事しなくては!」
『とんでもございません。わたしなんて、コメントで感謝をお伝えすることしかできず。恋様からいただいている物の何千分の一もお返しできていません。』
『私の方こそ、七海子さんには本当に感謝してます。今日、こちらにお声かけした理由なんですけどね。本当に私の小説を愛してくださっている七海子さんに、お願いしたいことがあるんです。』
『はい、わたしにできることなら、何でもさせていただきます』
凡子は即答した。
『SNSのお写真を見る限り、都内にお住まいだと思うんですけど、私も都内なんです。そこで、一度お会いできないかと。七海子さんにご相談に乗っていただきたくって。無理でしょうか?』
凡子は「無理無理無理ー、作者様と会うなんて無理ー」と叫んだ後で『わたしで良ければ』と書き込んだ。
すぐに作者から『嬉しい。本当に今、私悩んでいて、もう、書き続けることができないかもって思うこともあって』と、返ってきた。
これは『五十嵐室長はテクニシャン』のファン仲間のためにも、ひと肌もふた肌も脱がなければならないと、凡子は思った。
その時、スマートフォンが震えた。
泉堂が、メッセージアプリの通話機能をつかって、電話してきたのだ。
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