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シーズン1
第四話
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前菜はサラダとパテ・ド・カンパーニュだ。一皿に盛り付けられ、パテには粒コショウが添えられている。野菜の彩りも良い。バケットは三種類で、かごに盛ってある。
食べる前に数枚写真を撮らせてもらった。
凡子は食べるのが速いほうなのだが、泉堂はさらに速い。速いからといって乱暴でなく、所作は優雅だ。
メインは一皿に、肉と魚の二種類の料理が載っている。白身魚にはクリーム系のソース、肉にはワインソースがかかっていた。
料理が運ばれてきてからは、SNSに投稿するのに見栄えの良い写真がたくさん撮れた。それぞれ量は少なめだったが、盛り付けも綺麗で、とても美味しい。デザートまで食べ終わると、満腹になっていた。
泉堂のナイフとフォークを持つ指も撮らせてもらえたので、凡子は満足した。
最初は、災難だと思っていたが、かなりの収穫があった。凡子が食事代を負担したくなるほど、泉堂はリクエストに応えてくれた。
凡子は、自分で払うつもりでいたのに、結局、泉堂が払ってくれた。凡子はなんとか支払おうとしたのだが、「急がないと、休憩時間終わるんじゃないの?」と、泉堂からはぐらかされた。一緒に本社ビルまで戻ると、きっと、知り合いに目撃されてしまう。凡子は諦めて、泉堂に深々とお辞儀をしてから先に戻った。
SNSへの発信は、店に行った当日にはしない。『身バレ』を防ぐためもあるが、投稿内容を吟味するためだ。今回は、泉堂の協力のおかげで『匂わせ』もできる。結構な枚数を撮ったので、写真選びにも時間がかかりそうだった。
更衣室で制服の上着を身につけ、受付に急ぐ。ぎりぎり、休憩時間内に戻れた。
優香に「紹介してくれたフレンチに行ってきた」と声をかけた。さすがに泉堂と一緒だったことは受付仲間にも言えない。
「結構、美味しかったでしょう」
優香に質問され、凡子は深く頷いた。
「一度、ディナーにも行ってみたい」
「ディナーだと一番高いランチコースより高くなるけどね」
毎晩食べるわけでもないので、一度くらいなら問題なく負担できる。しかし、ランチは独りでも良いが、ディナーだと勇気が要る。高めの店なので、知り合いを誘いづらい。
ただ、今日、泉堂と昼食をとってみて『五十嵐室長と行くなら、絶対ディナー』だと思った。当然、五十嵐室長は実在しないので、独りで行って、妄想を膨らませるしかない。こんな時に、父母が日本にいてくれれば誘えるのにと、凡子は思った。
凡子の母親は、外資系企業に勤めていて、現在はニューヨークの本社に勤務している。父親は、母親が以前勤めていた会社の後輩だったが、結婚を機に退職し、専業主夫になった。母親は凡子を産んだ後に今の外資系企業に転職した。凡子はほとんど父親に育てられた。母親のニューヨーク転勤の際には、凡子が大学生になっていたこともあり、父親もついて行った。そのため凡子は、実家で一人暮らしをしている。
『凡子』と名付けたのは、母親だった。母親は幼い頃から優秀で、周囲の期待を裏切らないよう努力を続け、国内最高峰の大学を卒業した後に、大企業へ就職した。
絵に描いたようなエリートコースを歩んできた母親が自分の娘に望んだことは、平凡な人生を送ることだった。
凡子は、表面上は母親の望んだ通りの娘に育った。
夕方になり、どこからか蓮水監査部長と泉堂が帰社した。凡子は、出かけるところを見ていなかったので、泉堂は昼食後戻らずに、外で蓮水監査部長と合流したのだろう。
セキュリティカードを持っている社員は、基本的に受付前を素通りする。凡子達はゲートを通過する時点で「おかえりなさいませ」と声をかける。
凡子は、気づかれないよう蓮水監査部長を目で追った。やはり、五十嵐室長のイメージにピッタリだ。今日、ランチを一緒に食べたのが蓮水監査部長の方だったら、きっと、料理の味が一切感じられないほど緊張したはずだ。そういう意味でも、泉堂で良かったと改めて思う。泉堂はノリがよく、凡子のリクエストに応えてくれたので、妄想用の写真もたくさん手に入った。
蓮水監査部長の隣にいる泉堂が、こちらに手を振った。隣で瑠璃が「え?」と呟いた。
凡子に手を振っていることは間違いなさそうだ。蓮水監査部長もこちらに視線を向けてきた。凡子はどうして良いかわからず立ち尽くしていた。
優香が小声で「あんたがファンだっての、ばれたんじゃないの?」と、瑠璃に言った。
凡子はすかさず「そうだよ、きっと」と、同意した。
「ここは、ひとまず、お辞儀しとこう」
優香の発案で、三人同時に頭を下げた。
顔を上げたときには、二人はすでにゲートの前にいた。泉堂から話しかけられてしまうと誤魔化しようがなかったので、凡子は胸をなで下ろした。
ゲートを通り過ぎた後、蓮水監査部長が振り返った。凡子は、目が合った気がして、思わず顔を逸らした。
受付カウンターの終了時間となり、カウンターに『御用の方は、地下一階にある守衛室へお越しください。』と書かれたプレートを出した。
今日は凡子が当番になっているので、社員の照合に使う端末を持って地下にある警備会社の事務所に向かう。
事務所には数人の警備員がいて、防犯カメラのチェックをしている。
二人は警備員に軽く挨拶をして、先に奥にある更衣室へ入って行った。
凡子は残って、セキュリティカードを貸し出している社員のうち、十八時の時点で未返却の社員を共有する。受付が閉まった後は、守衛室への返却となる。
凡子は、今日の分の貸出申請書をファイリングした後で、日報を記入していく。自由記載欄は『特になし。』とした。不審者が来なかった日は、いつも『特になし。』なのだ。
事務処理を終え、凡子はタイムカードを押した。挨拶をして、事務所の奥にある更衣室に入った。
「お疲れ様」
優香は、一言凡子に声をかけると「約束あるから帰るね」と、さっさと更衣室を出て行った。優香は、外部での婚活にも力を入れていて、頻繁に男性と会っている。
凡子も、早く帰る気でいた。今日は、昼に撮った写真の整理やSNS投稿の準備など、やることがたくさんある。『五十嵐室長はテクニシャン』の、最新話の再読もしなければならない。
凡子が急いで着替えていると、瑠璃が「今日、一緒にご飯しない?」と、訊いてきた。
「今日はちょっと疲れてるかな」
「あんまり長くならないようにするから、お願い」
瑠璃が話したがっていることの予想はついていた。
凡子は仕方なく付き合うことにした。お酒の出る店は長くなってしまうので、ファミレスを指定した。普段の瑠璃なら「ファミレスなんて」と、嫌がるのだが、よほど話したかったのだろう。あっさり「それでいい」と言われた。
まだ三月の中旬なので、十八時を過ぎると空はすっかり暗くなっている。しかし、東京駅周辺は至る所に灯りが点っているので、眩しいくらいだ。定時で上がれた人たちの帰宅時間なのもあり、人で溢れかえっている。朝のような慌ただしさはないが、それでも、家路を急ぐ人達が早足で駅へと入っていく。
しばらく歩いてファミレスにたどり着いた。まだ、満席ではなく、すんなりと席に案内された。
瑠璃と向かいあって座り、メニューを開いた。どうしても昼間食べたフレンチと比較してしまい、何にも心惹かれない。フレンチレストランとは価格帯が大きく異なるのだから、当たり前だ。凡子は、ファミレスが企業努力でリーズナブルでそれなりに美味しい料理を提供してくれていることもわかっている。
凡子は、カレー、瑠璃はミートスパゲッティを選んだ。
注文が済むと、瑠璃が早速話し始めた。
「今日、泉堂さんが受付に手を振ってきたでしょう」
凡子は頷いた。
「あれ、私じゃなくて、浅香さんに手を振ったように見えたんだけど?」
受付には三人並んで立っている。特定できるはずがないと思いながらも、凡子は「な、な、なんで?」と、どもってしまった。
食べる前に数枚写真を撮らせてもらった。
凡子は食べるのが速いほうなのだが、泉堂はさらに速い。速いからといって乱暴でなく、所作は優雅だ。
メインは一皿に、肉と魚の二種類の料理が載っている。白身魚にはクリーム系のソース、肉にはワインソースがかかっていた。
料理が運ばれてきてからは、SNSに投稿するのに見栄えの良い写真がたくさん撮れた。それぞれ量は少なめだったが、盛り付けも綺麗で、とても美味しい。デザートまで食べ終わると、満腹になっていた。
泉堂のナイフとフォークを持つ指も撮らせてもらえたので、凡子は満足した。
最初は、災難だと思っていたが、かなりの収穫があった。凡子が食事代を負担したくなるほど、泉堂はリクエストに応えてくれた。
凡子は、自分で払うつもりでいたのに、結局、泉堂が払ってくれた。凡子はなんとか支払おうとしたのだが、「急がないと、休憩時間終わるんじゃないの?」と、泉堂からはぐらかされた。一緒に本社ビルまで戻ると、きっと、知り合いに目撃されてしまう。凡子は諦めて、泉堂に深々とお辞儀をしてから先に戻った。
SNSへの発信は、店に行った当日にはしない。『身バレ』を防ぐためもあるが、投稿内容を吟味するためだ。今回は、泉堂の協力のおかげで『匂わせ』もできる。結構な枚数を撮ったので、写真選びにも時間がかかりそうだった。
更衣室で制服の上着を身につけ、受付に急ぐ。ぎりぎり、休憩時間内に戻れた。
優香に「紹介してくれたフレンチに行ってきた」と声をかけた。さすがに泉堂と一緒だったことは受付仲間にも言えない。
「結構、美味しかったでしょう」
優香に質問され、凡子は深く頷いた。
「一度、ディナーにも行ってみたい」
「ディナーだと一番高いランチコースより高くなるけどね」
毎晩食べるわけでもないので、一度くらいなら問題なく負担できる。しかし、ランチは独りでも良いが、ディナーだと勇気が要る。高めの店なので、知り合いを誘いづらい。
ただ、今日、泉堂と昼食をとってみて『五十嵐室長と行くなら、絶対ディナー』だと思った。当然、五十嵐室長は実在しないので、独りで行って、妄想を膨らませるしかない。こんな時に、父母が日本にいてくれれば誘えるのにと、凡子は思った。
凡子の母親は、外資系企業に勤めていて、現在はニューヨークの本社に勤務している。父親は、母親が以前勤めていた会社の後輩だったが、結婚を機に退職し、専業主夫になった。母親は凡子を産んだ後に今の外資系企業に転職した。凡子はほとんど父親に育てられた。母親のニューヨーク転勤の際には、凡子が大学生になっていたこともあり、父親もついて行った。そのため凡子は、実家で一人暮らしをしている。
『凡子』と名付けたのは、母親だった。母親は幼い頃から優秀で、周囲の期待を裏切らないよう努力を続け、国内最高峰の大学を卒業した後に、大企業へ就職した。
絵に描いたようなエリートコースを歩んできた母親が自分の娘に望んだことは、平凡な人生を送ることだった。
凡子は、表面上は母親の望んだ通りの娘に育った。
夕方になり、どこからか蓮水監査部長と泉堂が帰社した。凡子は、出かけるところを見ていなかったので、泉堂は昼食後戻らずに、外で蓮水監査部長と合流したのだろう。
セキュリティカードを持っている社員は、基本的に受付前を素通りする。凡子達はゲートを通過する時点で「おかえりなさいませ」と声をかける。
凡子は、気づかれないよう蓮水監査部長を目で追った。やはり、五十嵐室長のイメージにピッタリだ。今日、ランチを一緒に食べたのが蓮水監査部長の方だったら、きっと、料理の味が一切感じられないほど緊張したはずだ。そういう意味でも、泉堂で良かったと改めて思う。泉堂はノリがよく、凡子のリクエストに応えてくれたので、妄想用の写真もたくさん手に入った。
蓮水監査部長の隣にいる泉堂が、こちらに手を振った。隣で瑠璃が「え?」と呟いた。
凡子に手を振っていることは間違いなさそうだ。蓮水監査部長もこちらに視線を向けてきた。凡子はどうして良いかわからず立ち尽くしていた。
優香が小声で「あんたがファンだっての、ばれたんじゃないの?」と、瑠璃に言った。
凡子はすかさず「そうだよ、きっと」と、同意した。
「ここは、ひとまず、お辞儀しとこう」
優香の発案で、三人同時に頭を下げた。
顔を上げたときには、二人はすでにゲートの前にいた。泉堂から話しかけられてしまうと誤魔化しようがなかったので、凡子は胸をなで下ろした。
ゲートを通り過ぎた後、蓮水監査部長が振り返った。凡子は、目が合った気がして、思わず顔を逸らした。
受付カウンターの終了時間となり、カウンターに『御用の方は、地下一階にある守衛室へお越しください。』と書かれたプレートを出した。
今日は凡子が当番になっているので、社員の照合に使う端末を持って地下にある警備会社の事務所に向かう。
事務所には数人の警備員がいて、防犯カメラのチェックをしている。
二人は警備員に軽く挨拶をして、先に奥にある更衣室へ入って行った。
凡子は残って、セキュリティカードを貸し出している社員のうち、十八時の時点で未返却の社員を共有する。受付が閉まった後は、守衛室への返却となる。
凡子は、今日の分の貸出申請書をファイリングした後で、日報を記入していく。自由記載欄は『特になし。』とした。不審者が来なかった日は、いつも『特になし。』なのだ。
事務処理を終え、凡子はタイムカードを押した。挨拶をして、事務所の奥にある更衣室に入った。
「お疲れ様」
優香は、一言凡子に声をかけると「約束あるから帰るね」と、さっさと更衣室を出て行った。優香は、外部での婚活にも力を入れていて、頻繁に男性と会っている。
凡子も、早く帰る気でいた。今日は、昼に撮った写真の整理やSNS投稿の準備など、やることがたくさんある。『五十嵐室長はテクニシャン』の、最新話の再読もしなければならない。
凡子が急いで着替えていると、瑠璃が「今日、一緒にご飯しない?」と、訊いてきた。
「今日はちょっと疲れてるかな」
「あんまり長くならないようにするから、お願い」
瑠璃が話したがっていることの予想はついていた。
凡子は仕方なく付き合うことにした。お酒の出る店は長くなってしまうので、ファミレスを指定した。普段の瑠璃なら「ファミレスなんて」と、嫌がるのだが、よほど話したかったのだろう。あっさり「それでいい」と言われた。
まだ三月の中旬なので、十八時を過ぎると空はすっかり暗くなっている。しかし、東京駅周辺は至る所に灯りが点っているので、眩しいくらいだ。定時で上がれた人たちの帰宅時間なのもあり、人で溢れかえっている。朝のような慌ただしさはないが、それでも、家路を急ぐ人達が早足で駅へと入っていく。
しばらく歩いてファミレスにたどり着いた。まだ、満席ではなく、すんなりと席に案内された。
瑠璃と向かいあって座り、メニューを開いた。どうしても昼間食べたフレンチと比較してしまい、何にも心惹かれない。フレンチレストランとは価格帯が大きく異なるのだから、当たり前だ。凡子は、ファミレスが企業努力でリーズナブルでそれなりに美味しい料理を提供してくれていることもわかっている。
凡子は、カレー、瑠璃はミートスパゲッティを選んだ。
注文が済むと、瑠璃が早速話し始めた。
「今日、泉堂さんが受付に手を振ってきたでしょう」
凡子は頷いた。
「あれ、私じゃなくて、浅香さんに手を振ったように見えたんだけど?」
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