お祖母ちゃんのシェアハウスを引き継いだら、異世界人が集まるシェアハウスでした!

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お祖母ちゃんのシェアハウス

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 前日まで続いていた雨は止み、花散らしに耐えた桜が、各地で満開を迎える頃。とある地方の小さな田舎町に、一人の女性が暮らしていた。

「ふぃ~…!こんなもんかな?やっと掃除が終わった~」

 彼女の名は、奥菜 瀬和(おきな せわ)。彼女はこの町で、シェアハウスを営んでいる。

 とはいえ、祖母から引き継いだばかりのシェアハウス『パル』には、まだ入居者がいないのだが…祖母曰く「変わった人がたくさん来るけど、アンタがしっかりしてれば大丈夫」らしいが、そもそもこんな地方都市のシェアハウスに人がたくさん来るのだろうか?瀬和は訝しみながらも、亡き祖母の想いを引き継ぐ事に抵抗は無かった。

 彼女の祖母、奥菜 深雪(おきな しんせつ)は晩年、この実家をリフォームしたシェアハウスを経営していた。連れ合いである祖父を亡くし、瀬和が東京で就職したこともあって始めたらしいが、シェアハウスの経営自体は元々長年の夢だったという。

 祖母である深雪が亡くなったのは、ちょうど入居者がいなくなった昨年の冬、暮れも押し迫った頃のことだ。たまたま入居者が全員卒業(祖母談)していったタイミングだった為に、瀬和が里帰りしていた最中のことであった。

 幼い頃に両親を事故で亡くした瀬和は、この家で祖父母に育てられた。先に亡くなった祖父、奥菜 加峯(おきな かぶ)は駐在の警察官をしていて、瀬和はだいぶ厳しく育てられたが、お陰で根性と精神は鍛えられたと思っている。なお、今にして思えば加峯は結構な不良警官だったようで「清濁併せ吞むのが良い警官だ!」と豪語しては、勤務中にも関わらず、交番でこっそり酒を飲んでいたのを覚えている。(それがバレる度に、深雪にタコ殴りにされていたが)

 厳しく育てられたとはいえ、それは主に体力的な話であって、祖父母共に理不尽な怒り方をする人間ではなかったし、普段はとても優しくてワガママも割と許してくれた方だと、瀬和は独り暮らしを始めてから気づいた。

 そんな深雪を一人で逝かせずに済んだのは、瀬和にとって、ある種の救いであったと言えるのかもしれない。大事な家族を、二度も自分の知らない所で失うのは、本当に嫌だったからだ。それでも、深雪が倒れているのを見た時は、目の前が真っ暗になった。瀬和は比喩ではなく、本当にそうなるのだなと後から感心したものだ。

 深雪が倒れて入院した後、病床で瀬和はシェアハウス『パル』を託された。

「あの家の他に、何も遺してやれないけれど…アンタになら安心して任せられるよ」

 そう言って瀬和の手を握った深雪の手は、記憶にあるものよりもずっと小さかった。

 「お祖母ちゃん…」

 加峯を亡くした時も、こうして一人で部屋で泣いていた気がする。あの時はまだ、深雪がいてくれたから耐えられた。そうでなければ、両親を失い、祖父をも亡くしたショックに、若かった自分は押し潰されてしまっただろう。その祖母が遺してくれたこのシェアハウスだけは、なんとしても守りたい、瀬和は心からそう思った。

 『パル』は、管理人である瀬和の部屋を除いて、二階建ての計6室で構成されている。一階には管理人室の他に、台所とダイニング、男女別のトイレと、あとは大きなお風呂がある。生前に深雪から聞いた話によると、大体入居者は2~3年で入れ替わるらしいが、男女比はバラバラなのだそうだ。その為、お風呂だけは共同で、基本的には時間で使い分けるルールになっている。

 また『パル』の中で、喧嘩は御法度である。当たり前のようだが、これを守らせるのが大変なんだと、深雪はしみじみ語っていた。なお、恋愛は自由とのことだが、痴情の縺れに発展するようなら管理人の強権で裁定するというから、瀬和は心底驚いた。あの祖母に男女の恋愛を捌くことができたのか、少々疑問であった。

「よし!後は不動産屋さんに行って、物件の紹介を頼んでおけばいいかな」

 ようやく心の整理がついて、全室の掃除を終えたのは、もう春も近い3月の終わり頃だった。今年は例年より少し桜の開花が早いらしく、少しだけ冬に戻ったような気温に、庭の桜が心配ではあったが、どうやらいいタイミングで綺麗な姿を見せてくれそうである。

 それにしても、ずいぶんと部屋が大きい。というか、建物全体が縦に長く、横幅も広い。天井が特に高いせいで、掃除をするのに一々脚立が必要で一苦労だった。特に瀬和は身長があまり高くないのもあるが。

「どんな人達が済むのを想定してるんだろ…これじゃお掃除大変だなぁ」

 実は瀬和自身、一度も過去の入居者と顔を合わせたことは無かった。慣れない東京での暮らしや多忙な仕事もあり、帰省する余裕がなかった事もあるが、一番の理由は、深雪に止められたからだった。

 深雪曰く「癖の強い人達が多いから、アンタは顔を合わせない方がいい」とのことだったが、そんな人たちに囲まれて、深雪は大丈夫なのかと、不安になった事も何度かあった。

 深雪の口振りからして、おそらく入居者は学生が中心なのだろう。こんな地方の田舎だし、もしかすると海外の人達だったのかもしれない。それならば、癖の強い人が多いのも頷ける。深雪に外国語が話せたというのは聞いたことがなかったが、地方の老人独特の押しの強さであれば、押し切れたのかもしれないと瀬和は思った。

 仏壇の下の台に収められていた契約書を取り出して、ダイニングのテーブルに置き、瀬和は好物のミルクティーを用意して飲みながら、それらに目を通した。

「バッチリ日本語だけど…大丈夫、だよね?」

 特に変わった事は書いていなかったが、果たしてこれを海外の人に読ませて理解してもらえるのかと、瀬和は少し不安だった。とはいえ、他にそれらしいものはないし、新しく作るにしても、瀬和自身英語はあまり得意ではないので難しい。しばらく頭を悩ませていると、いつの間にか陽は落ちて、室内は暗くなっていた。

「もうこんな時間…?明日は必ず不動産屋さんに、行かなく…ちゃ…」

 疲れていたのだろう、瀬和は独り言ちながら、テーブルに突っ伏してそのまま寝息を立て始めた。やがて、暗闇の中、テーブルの上に置かれた契約書が3通、ぼうっと輝いていることに気付かず、夜は更けていった。

 数時間後、何か大きなものが落ちたような激しい物音で、瀬和は目を覚ました。

 慌てて時計を見ると、時間は朝5時を少し回った所で、この時期の明け方特有の肌寒い空気がダイニングに漂っている。どうやら、昨夜は食事も摂らずに眠ってしまったらしい。体調管理に厳しかった祖父母の怒った顔が目に浮かんで、瀬和は思わず身震いがした。

「でも、何の音だったんだろ?二階から、だったよね」

 もしや、泥棒でも入ったのだろうか?しかし、二階は全て入居者用の空き室で、精々あるのはベッドか布団くらいのものである。金目の物を盗むつもりなら、管理人室か、ダイニングのテレビや家電くらいのものしかないのだが、瀬和はこうして無事に寝こけていたのだから、おかしな話だ。

 ともかく物音の正体を確かめなくてはならないと、瀬和は念の為、ダイニングの隅に置いてあった刺又を手に、慎重に薄暗い階段を昇った。

 万が一泥棒がいたとしたらと、警戒されないよう抜き足差し足でゆっくり歩を進めていく。刺又の使い方は、警官だった祖父の加峯直伝である。加峯は制圧術だけなら、県内一と誇らしげに語っていたが、本当だったのかは解らない。

 物音がした201号室の前に立ち、中の気配を伺うと、何やら呻き声が聞こえる。どうやら本当に不審者がいるようだ。瀬和は警察を呼ぶべきかと思ったが、まず賊の身柄を確保してからにしようと考えた。電話をかけている間に逃げられては困るし、どうせなら襲われる前に捕まえてしまえば安全だとも思っている。その辺りは、豪胆だった深雪に似たのだろう、瀬和はかなり脳筋な性格をしていた。

 意を決して、片手に刺又を短く持って構えると、空いている手でドアに手をかける。ドアを開けようとしたその時、突然、背後から優し気な女性の声がした。

「ねぇねぇ、何してるの~?」

「ひぇっ!?ギャーーーーーーーーーッ!!!!」

 およそ女性らしからぬ瀬和の絶叫が家全体に響き渡ると、今度は目の前の部屋から見事な金髪の若い男が飛び出してきた。

「な、なんだ?!どうした?何があった!ぬぁっ!?」

「このぉぉ!不審者ああああああ!」

 咄嗟に刺又を両手に持ち替え、瀬和は渾身の力で男を室内に押し戻し、そのまま壁に磔にした。もう少し右にズレていれば、窓を割って突き落としてしまっていたかもしれない。瀬和はパニックになりながらも、キッと背後を睨みつけると、そこには宙に浮かぶ、ピンク色の髪をしたツインテールの若い女性がいて、何故かこちらに向かって微笑んでいるのが見えた。

「ふ、不審者が二人…!?」

 やはりパニックになっているのか、人が宙に浮いているというのに、妙な所が気にかかっている。そんな瀬和を見て、女性はきょとんとした顔で言った。

「不審者じゃないよ~?私はサティナー。こうみえて~、女神なんだからねっ」

 サティナーと名乗る女性は、ぷかぷかと浮かびながら、やたらと大きな胸を張ってみせている。イオニア式のキトンに似た、薄い布のような服をきた彼女は、まるで歴史の教科書に載っている女神の彫刻そのもののようだ。

「め、女神…?」

 およそゲームやファンタジー小説でしか聞かない単語を耳にして、瀬和は一気に冷静になった。自称女神なんて、どこをどう見ても不審者だ。だが、目の前の女性は明らかに宙に浮いている…これはどうにも説明がつかない。

 手品などで似たような光景を目にしたことはあるが、ここは自宅兼シェアハウスであり、人を浮かせるような装置などない事は解っている。では一体どういう事なのか、脳をフル回転させていると、今度は磔にした男の方が声をあげた。

「女神だと?俺の知っている女神とは違うが…おい、ここは神域か何かなのか?」

 また何かわけのわからない事を言う奴がいる…と思い、瀬和が男の方を見ると、彼は磔になりながらも落ち着いているようだ。よくみれば、不審者にしては爽やかな印象の優男だ。金髪もさることながら、その碧眼も美しい。まるで乙女ゲームの王子様か勇者みたいだなと、瀬和は思った。

「神域ってのが何か解らないけど…ここは私の家で、ただのシェアハウスよ。貴方達は一体何者なの?泥棒するなら、もっと悪い事して稼いでる奴の所に行ってよ」

「義賊になれと言うのか?生憎と、俺は勇者だ、そんな事をしている暇はない。まぁ、邪魔な悪徳貴族を潰して民を助けてやった事はあるが…」

「はぁ?」

 自称女神の次は自称勇者ときた。心の底からなんて日だ!と叫びたくなる。どこから入ってきたのか知らないが、癖のある外国人の不審者が二人も立て続けに現れるなんて、と思い、瀬和はハッとした。

「お祖母ちゃんの言ってた癖のある入居者って、まさか…」

 瀬和の呟きに、二人が理解できずにポカンとしていると、今度は逆側のドアが開いて、中から黒ずくめの大男が姿を現した。

 「ふむ、なんだ?この鳥小屋のような狭い屋敷は…ぬ?貴様ら何者だ?我をこのような部屋に押し込めたのは貴様らか?」

 その声を聞いて、瀬和はゾクリとした。まるで心臓を直に掴まれたような圧迫感で、胸が押し潰されそうになる。…これは、違う。この二人とは明らかに違って、明確に悪意を持った者の声だ。

 身体の力が抜けそうになるのを抑えて、瀬和は刺又を金髪の男から外し、黒ずくめの男に向かって構え直した。よく見ると、銀髪に黒ずくめの男には見た事もない角が生えていて、肌は浅黒く、瞳は蛇のように金色で縦長の瞳孔が特徴的だった。

 すると、途端に金髪の男が、裂帛の気合を持って瀬和の横を駆け抜け、黒ずくめの男に襲い掛かった。いつの間に手にしたのか、その手には見るからに鋭く砥がれた剣が握られている。

 事も無げにその一撃を片手でいなし、黒ずくめの男と金髪の男が対峙している。一方、サティナーはあっけらかんとした表情で「わぁ~」と感嘆の声をあげ、拍手をしていた。

(な、何なのこの人達!?)

 一縷の望みを持って、どこかの劇団員という可能性を考えていたが、やはりどう考えても説明が付かない事ばかりだ。それに、あの金髪の男が持っている剣はどう見ても本物、それを素手で受け止めていなす黒ずくめの男も普通の人間ではない。(角も生えているし)

 その上で、宙に浮くピンク女だ…もはや瀬和の頭からは常識という概念が崩壊しかかっていた。

 じりじりと二人男達の間に高まる圧力が爆発しそうになった瞬間、何かが瀬和の脳内で弾けた。

「『パル』内での喧嘩は禁止っ!!」

 瀬和が思い切り叫ぶと、それはまるで鋼鉄の鎖のように重さを伴って、男二人の動きを完全に止めていた。黒ずくめの男も金髪の男も、苦し気に跪いてお互いに土下座しそうなポーズになっている。サティナーはそんな二人を見て、面白そうに笑っていた。


「…で、改めて聞くけど、貴方達は何者なの?」

 数十分後、一階のダイニングに場所を移して、四人は向かい合うように席についていた。黒ずくめの男はつまらなそうにそっぽを向き、金髪の男はそれを睨みつけている。サティナーは椅子に座るのが珍しいのか、しきりに足元を見たり、座り心地を確かめたりしていた。

「俺の名はローレル…ローゼンパールという世界で勇者をやっている」

「ほう、貴様は勇者だったのか?道理で偽善臭い小便小僧のような面構えをしているものだ。どの世界でも、勇者という奴は変わらん生き物のようだな」

 クックックと笑いをかみ殺し、黒ずくめの男がローレルを挑発する。「なんだと!」とローレルは立ち上がりかけたが、すぐに体が重くなって、椅子に座り直すしかなかった。

「挑発しないで、喧嘩は禁止って言ったでしょう…貴方は一体誰なの?」

 瀬和がローレルを落ち着かせるように肩を撫でて、黒ずくめの男に注意すると、今度は黒ずくめの男が苦し気に声をあげた。

「ふんっ、誰が人間の言う事なぞ…ぐっ?!わ、我はヴァサール…グランゼントを支配せんとする魔王である…ぐぬぬ、口が勝手に…!」

 心底憎らしいといった目つきで、黒ずくめの男、ヴァサールは瀬和を睨んだ。それは邪視、或いは凶眼であるはずだが、瀬和には何の効果もないようだった。

「はーい!私はサティナー、女神ね。私は自分の世界、サティーファールから来たよ。サティとかサーちゃんって呼んでね!」

 続けて、サティナーが声を上げる。完全に空気を読めていない風だが、それが逆にありがたい。これで彼女が、神様らしい居丈高で威厳のある存在だったら、収拾がつかなくなりそうだ。

 最後に、瀬和がふう、と一つ溜息を吐いて、言葉を紡いだ。

「私は奥菜 瀬和。このシェアハウス『パル』の管理人で、オーナーよ。一体、どうしてこんなことに…」

 どう考えても不審者の集団でしかないのだが、不思議と三人の言っている事は正しいという直感が働いている。深雪が自分に任せられると言っていたのはこの事だったのかと、瀬和は天を仰ぎたくなった。

「おい、女神よ。貴様が何かやったのではないのか?異世界から強引に他者を引っ張ってくるなど、貴様らのやりそうな事だろう」

「むー、私じゃないってば~!多分、この家自体が異世界を繋ぐ鍵になってるんだよ。ほらこれ見て~」

 ヴァサールの言葉に反論するように、サティナーはテーブルの上に置かれた3通の契約書を広げてみせた。そこには見た事もない文字でそれぞれの名前と日付が書かれている。しかも、ちゃんと捺印済みだ。

「なにこれ…見た事もない文字なのに、ちゃんと読める…どうなってるの…?」

「本当だ…」

「ちっ…!」

 感心する瀬和とローレルを横目に、ヴァサールが舌打ちをしている。署名と捺印済みの契約書ともなれば、さすがに魔王もしり込みするのだろうか、不思議そうに思った瞬間、突然、契約書が炎に包まれた。

「うわっ!?」

「クソっ!何故燃やせん!?」

 驚く瀬和など気にも留めず、ヴァサールは苛立ちを隠さずに吐き捨てた。あまりの出来事に、瀬和は頭が真っ白になって、次の瞬間、ヴァサールの頭を思いっきり引っ叩いていた。グーで。

「火事になったらどうするの!」

「ぐあっ!?き、貴様…我の頭を殴ったか?!人間の女如きが!」

「女だから何よ!?魔王の癖にみみっちいわね!」

 売り言葉に買い言葉というが、相手は世界一つを支配しようとする魔王である。人間同士でも些細な言葉のやり取りが大変な事態に発展することは往々にしてあるものだ。そして、この場合、一つの世界を手中に収めんとする存在に対して、みみっちいとは最大級の悪罵罵倒であった。

「はっはっは!よし、解った、死ね!」

 ヴァサールがその額に、はっきりと見て解るほどの青筋を立てたその瞬間、猛烈な魔力がヴァサールの身体から解き放たれて、その後、消えた。だが、同時にサティナーとローレルは真っ青になって、慌てふためき始めている。

「何?どうしたの?二人とも…」

「お、落ち着いてくれ、セワ…何か、とてつもなく大きいものが、上空からここに向かってきている」

「あ、これって…隕石だよ!!」

「えぇ!?」

 思わず大声で叫ぶ瀬和、当のヴァサールは、三人の様を見て笑いながら留飲を下げているようだった。

「ククク、隕石では無く彗星だ。たかが人間の女如きが、魔王たる我に向かって卑小だなどとは言語道断!勇者などよりよほど許せん、この場で死ぬがいい」

 高らかな死の宣告が三人を襲う。

 しかし、瀬和はそんな事は気にも留めず、更なる罵倒を口にする。

「え、何?に悪口言われた程度でキレちゃったわけ?本気でみみっちいのね…魔王とはいえ、王様なんだから多少の悪口くらい笑って流す度量ってものが欲しいわよね。そんなだから勇者に勝てないのよ」

「ぐぐぐぐぬぬぬぬ…!」

 痛い所を突かれたのかは解らないが、ヴァサールは怒りを隠せない。そして、なおも瀬和の罵倒は続く。

「大体こんな狭い所に彗星なんか落としたら、自分諸共吹っ飛んじゃうじゃない。そんな事も解らないの?バカなの?魔王じゃなくてアホウなの?…あ、勇者を倒せるなら自爆上等ってヤツ?完璧にクソ雑魚ムーヴよ、それ。そういうのは僅差で負けた時とか、圧倒的な強者に対してやるから格好いいのに…私がそんなに強い相手?」

「だ、誰が貴様らなどと心中するか!我はそんな事では死なんわ!」

「あ、そう。まぁいいわ、私、から」

「何?」

 そういうと瀬和は、ヴァサールの名が書かれた契約書を手に取り、それを読み上げた。

「私、ヴァサールは、管理人兼オーナーである、奥菜 瀬和氏の言う事には絶対に従い、決して暴力並びに脅迫行為及び、反社会的行為で迷惑をかけない事を誓います。…だって、解った?」

「そ、それがどうした?!」

「なお、奥菜 瀬和氏は『パル』内においてスキル『限られた暴君limited tyrant』が与えられ、それを行使する事で自治を行う能力を有します。…以上よ」

「スキル…だと!?」

 スキルと聞いた途端、ヴァサールの顔色がサッと変わるのを、瀬和は見逃さなかった。そして、それによって勝利を確信する。なぜなら彼女は、それなりにオタク趣味に傾倒した…もっと言えば、異世界モノが大好きなオンナだったからだ。常識に囚われず、この突拍子もない状況を受け入れれば、それなりにルールも見えてくる。

 つまり、この文章の通りなら、彼らの内の誰もが瀬和に逆らう事は出来ない。深雪が言っていたのはこの事だったのだ。

 ―「
 
 今も瀬和の手を取って、深雪が背中を支えてくれているような気がする。

 (お祖母ちゃん大丈夫よ、私、やってやるわ…!)

 既に屋内にいる瀬和にもわかるほどに、彗星のプレッシャーはすぐ傍まで迫っていたが、瀬和は決して焦らず、また取り乱しもせずに大声で叫んだ。

「『パル』に彗星を落とすの、禁止っ!」

 その瞬間、まだ薄暗かった窓の外が眩しく光って、あれほどまでに感じられていたプレッシャーは、あっという間に消え去った。

「なっ!?なななな…なんだと!そんなバカな?!」

 ヴァサールは大慌てで、天を仰ぎ、そのまま茫然自失としている。魔王だし、天井を見透かす事もできるのだろう。彗星が綺麗さっぱり消え去ったのを知って、いよいよ彼自身も契約書の有効性を実感したのかもしれない。そう、契約がある限り、例え魔王であっても瀬和には逆らえないということを。

「ふう…スキルってこんな感じなのね。なんかMPとか使ったりするのかと思ったけど、あんまり何か消費した気はしないわ」

 正直、何のリスクもなしにこんな強力な能力が使えるというのはおかしいと思っている。彼女は異世界モノは好きだが、チート能力よりも努力で成り上がる系のお話が好きだからだ。しかし、自分では気づいていないだけで何かを消費している可能性は否定できない、寿命とか、身長とか…

「私、身体がちっちゃくなったりしてないわよね?これ以上小さくなられるとその、困るんだけど…」

 おっかなびっくりな態度で、これまた隣で呆然としているローレルに聞いてみた。ローレルはすぐに我に返って瀬和をまじまじと見ると、問題ないというように頷いて見せた。

 瀬和はホッと胸を撫で下ろす、実の所、彼女は同年代よりもちょっと…いや、かなり小さいのがコンプレックスだった。どうにもならない事を他人と比べても仕方ないと、加峯は教えてくれたし、実際そうだと思うので他人を無闇に羨んだりはしないが、この場にいる他三人は、世間一般からするとかなり大きいので、どうしても気になってしまう。

 これがもし仮に寿命を引き換えにするとなると、それはそれで困るが、祖母深雪は一般的には大往生と言っても差し支えない年齢まで生きていたから、よほどのことがない限りは大丈夫だろう。あまり深く考えずにいようと思った所で、瀬和のお腹が大きく鳴った。

「あ、アハハハハ、お腹空いちゃった…!み、皆もご飯、食べる?」

 恥ずかしさを誤魔化すように、明るく笑って食事に誘ってみる。考えてみれば、三人とはこれから一緒に暮らす仲になるのだ。険悪な関係のままではいたくない。そんな気遣いを察したのか、三人はそれぞれにゆっくり頷いて見せるのだった。


 とはいえ、まだ入居者が来るとは思っていなかったので、大した食材はない。とりあえず、買い溜めしておいたものの中から、人数分用意できそうなものを出すことにした。

 まずはシンプルに目玉焼き。海外の人には日本風の片面焼きの目玉焼きはあまりウケがよろしくないと聞いた覚えがあるが、どうだろうか?調味料は色々あるので、好きなものを選んで食べてもらう事にする。

 続いては、丸牛食品のハイパーギュウというソーセージだ。これは瀬和の大好物の一つで、牛肉100%で出来ている。その分、普通のソーセージの中では値段がトップクラスに高いが、味もいいので、お客さんに出すのも悪くないと思える。軽く切れ込みを入れ、少量の水と一緒にフライパンに入れて、茹で焼きにするととても美味しい。

 取り皿用の小鉢と一緒に生野菜のサラダを木製のボウルに入れて出すのも忘れない。何の変哲もないサラダだが、この木製ボウルに入れて出すだけで、高級な料理に感じるのだからお手軽でいいだろう。ドレッシングは、ポン酢をベースに砂糖とおろした玉ねぎを入れて、少しの塩とオリーブオイルを混ぜた自家製のものである。

 最後はお味噌汁。瀬和は、祖母の作る具沢山の味噌汁が大好きだった。特にキャベツと玉ねぎをたっぷり入れた味噌汁は、どんなに疲れていてもすんなり飲めるのだから不思議だ。これに白いご飯で朝食の完成となった。

「『パル』というか、この国のルールだけど…ご飯は食べる前に、頂きますって言ってからね、OK?」

「ああ、解った…頂きます」

「はーい!イタダキマス♪」

「ふん…いただきます。クソ、何で我が…!」

「こら!ご飯の前に汚い言葉使わないの!」

 ローレルやサティナーは問題ないが、やはりヴァサールは渋々と言った感じである。魔王だけあってお上品とはいかないかと思いきや、箸の使い方は上手だし、食べ方もとても綺麗だ。魔であっても王を名乗るだけのことはあるということか。それを見て少し安心してから、瀬和も朝食に箸をつけ始めた。

「む…?!このソーセージ、旨いな…!」

 ローレルはそう言って、あっという間に4本のソーセージを平らげた。ハイパーギュウは一本が大きい、所謂フランクフルト並のサイズなのだが、よほど気に入ったのだろう。ご飯やサラダはそっちのけで食べ進めているようだ。奮発して買い置きを全て焼いたが、この分では足りないかもしれない。

「おい勇者よ、一人で食い尽くすんじゃないぞ。我も食べるのだからな」

 ヴァサールはそう言って、大皿に乗ったハイパーギュウを3本、彼のサラダ用の小鉢へよけた。小鉢は小さいので完全にはみ出していて、バランスの悪さにヒヤヒヤする。

「おい待て!そう言いながらお前は真っ先に2本食べただろう?それで5本じゃないか、1本多いぞ?!」

「ええい鬱陶しい!我の方が体が大きいのだから、食べる量も多くて当然だろうが!」

 どうやら、食い意地の張った魔王と勇者は、このソーセージが特に気に入ったらしい。二人とも見た目にはそう歳が変わらないように見える分、兄弟がいたらこんな感じなのかなと、瀬和は少し微笑ましくなった。ちなみに、ヴァサールは身長が約3mほどで、ローレルは190cm近い。我関せずと少しずつ食べているサティナーも180cmはありそうだ。

(私だって、四捨五入すれば150cmはあるし…!)

 瀬和は胸の中でコッソリと見栄を張っているが、実は149cmである。この場の誰よりも小さい事は言うまでもないが、たかが1cmの見栄を張っている自分が空しくなって、それについて考えるのは止めた。

 そうこうしている内に、再び二人に険悪なムードが流れ始める。やはり魔王と勇者は、水と油のように反発するものという事か…喧嘩の原因は朝食のソーセージなのだが。

「いい加減にしろ!良い物は平等に分配するのが正義だろうが!」

「黙れ!そういう良い子ちゃんな事なかれ主義が貴様ら人間や勇者のくだらん所なのだ!欲しければ実力で奪い取る、それが全てだろう!」

 大皿に盛ったのは失敗だった。こうなる事は火を見るよりも明らかだったのに…と瀬和はまた溜息を吐いた。とはいえ、個々人の食事量もはっきりしない状態だったのだから、瀬和の判断はあまり責められないだろう。そもそも、この二人がこんなにソーセージに執着するとは想像もできなかったのである。

 既に二人は、器用に箸を使って、目にも留まらぬ速さで残りのソーセージをかけて攻防を繰り広げている。そろそろ怒るべきか?と思っていたが、不意にサティナーの食事風景が目に入った。

 ソーセージを一口大に箸で切り、口に運ぶ、それを何度か繰り返してソーセージが無くなると、またソーセージを箸で切って口に運んでいる。

「んん…?ちょっと待って、あの…サティ。貴女それ、どうやってるの?」

 一見するとその行動に何もおかしな所はないが、何がおかしいのかと言えば、彼女は一度大皿のソーセージを取ってから、再び大皿に手を出した様子がないのだ。目玉焼きの載っていたお皿の上にソーセージを1本移した後、。これは明らかにおかしい。いくら買い置きを全部焼いたとはいえ、既に食べ盛り男子(?)二人が8本以上を平らげているのだから、そんなに残っているはずもない。気になってしばらく見ていたが、彼女も4本以上は食べているはずだ。

 瀬和の言葉に、ローレルとヴァサールも動きを止めて、サティナーの方を注視している。

「うん?ああ、私女神だから、自分のスキルで同じものを作ってるんだ~」

「「「は?」」」

 まるで3人の心が1つになったかのように、ピッタリ同じタイミングで声をあげると、サティナーは嬉しそうに「わぁ、仲いいねぇ~♪」と、はしゃいで見せた。

「いやいやいやいや、何を言っている?我と勇者の仲が良いわけなかろうが…」

「そんなことよりも、スキルで同じものを作るというのはどういうことだ?!」

「そんなことより…」

 ローレルはプライドよりも食い気の方が勝ってしまったようだ。曲がりなりにもライバルだと思っていたヴァサールは、そんなこと呼ばわりで地味にダメージを受けている。

(異世界って、あんまり美味しい物なさそうだもんね)

 などと、瀬和が勝手なイメージで失礼千万な事を考えていると、サティナーは手元をゴソゴソと動かして小さな球体を出現させた。光の玉のように見えるが、これは一体なんなのだろう?

「これが私のスキル『わたしのつくるせかいThe world I create』だよー。大体同じ質量のモノをこれに入れると、私の望んだモノを作ってくれるの」

 そう言って、サティナーは次に何もない空間から石のようなものを取り出してみせた。これは異世界モノによくあるアイテムボックスというものに違いない。瀬和は思わず身を乗り出して、その様子をしげしげと観察している。

「そんなスキルが…!?それさえあれば、このソーセージが無限に食えるという事か!」

「いや、無限には食べれないでしょ。何でもかんでもソーセージにするつもり?」

 あまりのローレルの食いつきっぷりに、瀬和は思わずツッコミを入れてしまった。というかそこまで食べたいものだろうか?もしかして、ローレルにだけ麻薬のような中毒性を発揮するものでも入っているのかもしれない。同じ人間に見えても異世界の住人なのだから、その可能性は否定できない。瀬和もハイパーギュウは大好物なのに、何だか食欲を無くしてしまった。

「うーん、私の世界でなら無限に食べられるけど。この世界だとそこまでは無理みたい、ほんのちょっとずつ味が変わってきてるもの」

 残念そうに語るサティナーだが、場合によっては彼女も無限に食べるつもりだったのだろうか?どうやらローレルにだけ中毒症状が出ているのではなく、異世界人(女神&魔王)をも虜にするほどの味だという事らしい。すっかりしょげてしまった二人を横目に、ヴァサールは残った最後の1本を口にして満足そうに笑うのだった。

 そんな早春の出会いから、早くも2年が経過しようとしている。

 どうやら、3人は自由に自分の世界とこの世界を行き来できるようで、時折自分達の世界に帰っては、お土産代わりに異世界の品や、金などを家賃として持って帰ってきてくれた。さすがに2年も一緒に暮していれば、犬猿の仲だったヴァサールとローレルもそれなりに仲良くなっていたし、サティナーは瀬和を気に入って、まるで姉妹の様に一緒に過ごす時間も増えていた。

 幼い頃に両親を亡くしてから、高齢の祖父母に迷惑をかけまいと高校は寮のある東京へ進学し、卒業後はずっと独り暮らしをしていた瀬和にとって、3人との共同生活はとても楽しく、幸せな時間だった。瀬和は何よりも、家族との団欒というものに飢えていたからだ。

 だからだろうか?瀬和は気づいていなかった。彼らや彼女には元の世界での生活があり、使命があり、目的があるということを。そして、それらは命を賭けた戦いでもあったのだということを…

 あくる日の夜、いつもなら楽し気に悪戯を企んでいるヴァサールが、独りでダイニングの椅子に座り、コーヒーを飲んでいた。普段ならばヴァサールは自分の世界に帰って、部下たちに指示を出している時間である。ミルクティーを飲みに自室から出てきた瀬和は、彼の背中になんとなく寂しそうな気配を感じていた。

「珍しいわね。今日は仕事はいいの?」

「ん…?ああ、瀬和か。ふ、たまには部下の自主性に任せるのも大事かと思ってな」

「そんな事言って…そんなに背中丸めてたら、まるでくたびれたお父さんみたいよ?」

「フフッ、よく言う。そんな父の背など覚えてなかろうに」

「そうね。…本当に、そうかも」

 そう言って、二人は苦笑し合った。瀬和の心の傷とも言える家族の話を茶化せるほどに、ヴァサールも、この場にいないローレルやサティナーも、皆が大事な家族になり得ていた。

「さて、そろそろ行くか。瀬和よ、今まで楽しかったぞ、褒めてやろう。人間にしておくには、お前は勿体ない女だった。…いや、人間だからいい女なのかもしれんな」

「なぁに?急に…そんな褒められ方しても気持ち悪いじゃない。ハイパーギュウが食べたかったら、また明日買ってきてあげるから、変なおべっかしなくてもいいのよ」

「また明日、か…そうか、そうだな。フフフッ、人間はこれだから面白い」

 ヴァサールは高笑いしながら、階段を昇り自室のドアを開けて、いつものように自分の世界に帰っていった。ただの一度も振り返る事なく、威風堂々と歩くその背中には、先ほど感じた寂しさは、もうどこにもない。

 「変なの…」と呟いて、瀬和は飲み終えた二人分のカップを流しの水に浸け、電気を消して自室に戻る。また明日も変わらない幸せな日々が続くと信じて。

 そしてその日以来、ヴァサールは、2度と姿を見せる事はなかった…

 ヴァサールが姿を消してからから1か月…瀬和は日に日に焦りを募らせていた。どう考えても、これはただ事ではない。今までにも長期間戻ってこない事はあったが、それも精々1週間かそこらのものだ。それはローレルやサティナーも同じである。しかも、大体そういう時には前もって報告がある。何の連絡も相談もなしに、これほどの期間戻ってこないということはなかったのだ。

 焦りと苛立ちを隠しきれない瀬和に対し、ローレルもサティナーも言葉をかける事ができなかった。二人は気付いていたのだろう。ヴァサールの身に何が起きたのか、それは、自分の身にも起こり得ることだと解っているから。

 基本的に、各人が住む世界へ行けるのは、当事者だけである。また世界間の移動の方法も様々で、ローレルは自室のベッドで眠ること、サティナーは空間を跳ぶこと、そしてヴァサールは、世界を跨ごうという意思を持ってドアを開けることで、自分の世界へと帰れるのだという。

 つまり、瀬和には各々の世界に行くことはできないということだ。瀬和のスキルはあくまで『パル』内での自治を目的としたものである。自分を異世界に移動させるような力ではないという事が、今の瀬和にはとても窮屈な制限に思えた。

 それでもどうにかならないかと、何度もヴァサールの部屋のドアを開けているが、結果は変わらない。瀬和にとって、この4人は孤独の末に見つけた新しい家族そのものだったから、到底諦める事も出来そうにない。そんな瀬和の姿が痛々しくて、サティナーもローレルも、すっかり元気をなくしてしまっている。

 そんな日が続いた時、ローレルは何かの意を決したように、ドアを開け閉めする瀬和の背後に立って、彼女を優しく抱きしめた。

「瀬和、もういい、もう止めるんだ。ヴァサールは、もう…」

「ローレル…どうしてそんな事を言うの?貴方だって、いつもヴァサールの事を気にかけていたじゃない…!私はもう、誰も失いたくないよ。お祖母ちゃんもお祖父ちゃんも、パパもママも…皆いなくなっちゃったのに、どうして…」

「瀬和…」

 抱きしめるローレルの腕の力がグッと強くなる。本当は瀬和を抱きしめ、愛を囁きたかった。誰にも渡したくない、そう思っているのに、出来ない。何故なら彼もまた、瀬和に別れを告げねばならない時が来ていたのだ。

「瀬和、聞いてくれ。俺はもうすぐ行かなきゃならない。ローゼンパールで、魔王を倒す時が来たんだ」

「え…」

 そう、ローレルは本来、魔王を倒す旅をしている真っ最中のはずだった。ヴァサールではない、別の魔王。…だが、その言葉は今の瀬和には毒にしかならないと、ローレルは解っていた。しかし、それでも伝えねばならない。

 結果次第では、彼もまた、2度とこの世界に戻ってくることは出来ないのだから。

「俺は…俺達のパーティは、魔王の城、その喉元まで到達している。次に戻れば、間違いなく魔王との決戦になるだろう。魔王は強い…ヴァサールのように。だから、もしかしたら…」

「いや!止めて、言わないで!聞きたくない!そんな話聞きたくないよ!」

 最悪のシナリオを想像して、瀬和は頭を抱えて泣き叫んだ。そして気付いてしまった。ヴァサールもまた、勇者との決戦に挑んだのだという事を。そして、ローレルであれば最善の結末が、ヴァサールにとっては最悪の結果となってしまったのだと…

「くっ…!」

 瀬和の叫びを受けて、ローレルはその先を話せなくなった。言わないでと叫んだ言葉に、瀬和のスキルが反応している。だから、ローレルはもう一度、その腕に優しく力を込めて、瀬和を抱きしめた。

「嫌だ!ローレルが帰ってこないなんて、絶対嫌!私、サティナーもヴァサールもローレルも大好きなの!誰も、誰もいなくなってほしくないよ…!ねぇ?!」

 大粒の涙をこぼして、瀬和は子どもの様に泣いている。だが、ローレルは必ず帰ると約束は出来なかった。もし、ヴァサールが敗北したのだとしたら、それは自分達のせいかもしれないと、そう思っていたからだ。

 魔王は魔王、勇者は勇者、本来は交わるはずのない者達が、家族同然に暮らしたことで、その心の内に変化が生じた。あれほど唾棄すべき存在だと思っていた魔王が家族だと思えば思うほど、考えてしまうのだ。自分が戦うべき魔王もまた、解り合える存在なのではないか?と。

 ローレルでさえそうなのだ、ヴァサールも心のどこかに、そんな思いがあったのかもしれない。いや、きっとあったはずだ。ヴァサールが瀬和やローレル、サティナーを見る目が、時折とても優しくなっていたのを、ローレルもサティナーも気付いていたから。ヴァサールが魔王でありながら人間を好ましく思ってしまったら…きっと、彼の世界の勇者には勝てなかっただろう。

 それに気付いた時から、ローレルは魔王に勝つ自信を失い始めていた。易々と敗北する気は毛頭ないが、魔王の強さは折り紙付きだ、間違いなくギリギリの戦いになる。その最後の最後で、決意を鈍らせれば敗北は必至と言える。

 戦いに迷いは禁物だ。だが、一度生まれた迷いを振り払う事もまた、難しい。それでも、戦わねばならない、仲間を、世界を救う為に。

 そして、泣き疲れて眠ってしまった瀬和を彼女のベッドに運んだ後、ローレルは自らの世界へと帰る決断をした。

「行っちゃうの?」

「サティナー…すまない、瀬和を頼む」

「ううん、いいんだよ。私もね、ちょっと後悔してるんだ。貴方達勇者を送り出す責任…勝手だよねぇ…」

 そう言って、サティナーはいつも被っている月桂樹の冠を外し、ローレルの腕に通させた。すると、あっという間に、冠は腕にピッタリなサイズに変化する。

「これは?」

「貴方は私の世界の勇者じゃないから、加護を与えられないけど。知ってる?この世界の月桂樹って、ローレルって読むんだって…貴方と同じ名前だね。せめて、お守りくらいにはなるかもしれないから」

 サティナーは力なく笑い、涙を1つこぼした。胸に宿る不安は消えないままに…ローレルは「ありがとう」と言って微笑むと、そのまま、自らの世界へ帰っていった。

 そして、ローレルもまた、再び帰ってくることは無かったのだ。

 それからの瀬和の悲しみっぷりは、サティナーが見ていられない程のものであった。目が覚めて、ローレルが旅立った事を知って泣き、1日また1日経つ毎に泣いて、泣いて、泣き疲れて眠る。そしてまた目を覚まし、帰ってこない二人を思って泣くのだ。このままでは、瀬和の心も身体ももたないだろう…

「ううう…」
 
 今日もまた、枕を涙で濡らしながら瀬和は目を覚ました。隣に座っていたサティナーは、瀬和の頭を撫でて「おはよう」と声をかけながら、悲痛な決意を口にするのだった。

「サティ…」

「瀬和ちゃん…ごめんね。私、どうしてもやらなくちゃいけない事ができたの」

「うそ…?嘘でしょ?サティまで、いなくなっちゃう、の…?」

 これ以上ないほどに大粒の涙を瞳に湛えて、瀬和はサティナーの手を握った。既に取り乱すほどの元気もないのだろうか。瘦せこけた瀬和の痛々しい表情を見て、サティナーは胸が張り裂けそうなほどの苦しみを感じている。

「やだ…!やだよ!どうして、どうして私ばっかり…!いつも大事な人がいなくなっちゃうの…?!」

「瀬和ちゃん…」

「もう、もうやだ…!こんな思いをするなら、皆に出会わなければよかった…!お祖母ちゃんのシェアハウスも…私が、継がなければ…」

 ポロポロと涙を流してサティナーに抱き着いて泣く瀬和。サティナーはそんな瀬和を抱きしめながら、優しく背中を撫でて言った。

「ありがとね、瀬和ちゃん。…瀬和ちゃんは優しいから、ずっと言わないでいてくれたね。ローレルにだって、私にだって、帰らないでって一度も言わなかった。それを言ったら、皆に自分の世界を捨てさせる事になるから…優しい瀬和ちゃん。私はね…ううん、私達皆、瀬和ちゃんの事が大好きだよ?だから、一つだけ、お願いを聞いて欲しいの」

「おね、がい…?」

 グスグスと鼻を鳴らして、瀬和が聞き返す。サティナーは抱き締めていた腕を離して瀬和に向き合うと、その涙を拭きながら、優しい笑顔を向けた。

「私も、初めての事だから、もしかしたら失敗…ううん、そんな事ないように頑張るよ。私も瀬和ちゃんと、それにヴァサールもローレルも皆で一緒に居たいから、私、頑張ってくるよ。だからね…お願い瀬和ちゃん。元気で、生きて待ってて欲しいの。ちょっと待たせちゃうかもしれないけど、私は必ず戻ってくるから…戻ってきたら皆でまた、朝ご飯食べよ?約束ね」

「サティ…!」

「これ、約束の印…瀬和ちゃんの涙と、私のスキルで作った宝石。約束するから…じゃあ、行ってくるね」

 そう言って、サティナーは瀬和の手に小さな宝石を握らせ、姿を消した。一人残された瀬和は、じんわりと温かいその宝石を握り締めて、再び泣いていた。


 それから、1年…
 瀬和は、どうにか約束を守っていた。誰もいなくなった『パル』の自室で、独り細々と暮らしている。

 窓から見える桜の花は、今年も満開を迎えている。温かい陽気に誘われて、人も動物も、心なしか楽し気だ。開いた窓から聞こえてくる人の声や春の匂いは、瀬和の心にもほんのわずかに熱を灯す。

 あの約束から1年、サティナーがくれた宝石をペンダントにして、瀬和はそれを片時も離さず身に着けている。3年前に皆と出会い、1年前に皆いなくなってしまった。もしかすると、あれは夢だったのではないかと不安になる度に、サティナーのくれた宝石や、皆が持ち寄ってくれたお土産達が現実のものだと教えてくれる。

 そろそろ何か動き出さなければならない、瀬和はそう思えるようになってきていた。だが、また再び別れの時が来るのだと思うと、どうしても踏ん切りがつかない。とはいえ、あの3人とは出会いも別れも突然だった。どうしたらもう一度シェアハウスが再開できるのかは、瀬和自身にもよく解っていないのだが。

「起きようかな…」

 朝の喧騒が一段落した頃、瀬和はゆっくりとベッドから起きて、のそのそと着替えてダイニングに向かう。外では賑やかな声がしているが、この家はずっと静かなままだ。まるで、あの日から時間が止まったように…

「約束通りにしてるけど…まだかな、サティ」

 そう呟きながらミルクティーを淹れて、ゆっくり味わっていると、大きな音を立ててダイニングのドアが開いた。そこには…

「たっだいまーーー!瀬和ちゃん、生きてるーーー?!」
 
「サティ!?」

 驚く瀬和にサティナーが抱き着き、その後ろから、懐かしい声が聞こえてくる。

「おいおい、どうした?瀬和。ただでさえ狭い鳥小屋をこんなに暗くして、まるで火が消えたようではないか」

「ヴァサール…!」

「俺もいる…ただいま、瀬和」

「ローレル!」

 懐かしい顔ぶれが揃って、ようやく瀬和の顔に笑顔が浮かぶ。待ち望んだ家族との再会を喜んで、瀬和は嬉し涙が止まらなかった。

 あの後、彼らに何があったのかと言えば、こうだ。

 ヴァサールは、予想した通りに勇者との決戦に負けて命を落としてしまったらしい。魂となって、冥界でまどろんでいた所を、サティナーが救ったのだという。

 片や、ローレルは魔王との決戦を制し、生きながらえる事はできた。しかし、旅の終わりが契約の終わりだったのか、何度試しても、こちらの世界へ戻ってくることはできなかったのだそうだ。

 そして、サティナーだけは、ローレルが生きている事に気付いていた。出発前に渡した月桂樹の冠が、ローレルの状況を教えてくれていたからだ。そこで一計を案じたのである。

 まず自分の世界に戻ったサティナーは、異なる世界を渡るゲートを自らのスキルで創り出した。続けて、冥界に向かい、冥界の神との交渉の末、ヴァサールの魂を解放させ、その肉体を寸分違わぬ形で創り上げたのだ。

「私のスキルは、私自身の世界じゃないと完璧に機能しなかったから…瀬和ちゃん、ごめんね、独りにして」

「ううん、いいの。約束を守ってくれたんだもの。こんなに嬉しい事なんてないよ…でも、交渉って?」

「あーそれがね…私、自分の持ってる権能のほとんどを譲っちゃったの。だから、私はもう女神じゃなくなっちゃったんだよね」

「そんな…」

 へへ…と頬をかきながら語るサティナー。そう言えば、先ほどから全く宙に浮いていない。そして、他の二人も

「それを言うなら我も同じだ。復活するにあたって、ただの魔族として再構成されたからな。もはや我は魔王ではなくなった。…どの道、勇者に負けた魔王など必要ないだろうが」

「俺も、魔王を倒して世界は平和になって、ローゼンパールに勇者はもう必要なくなった…勝っても負けてもお払い箱だな」

「二人とも…」

 帰ってきてくれた事は嬉しいが、3人共に大きな代償を支払っているようで、諸手を上げて喜んでいいのか、瀬和には解らなかった。そんな戸惑う瀬和に、ローレルが一歩前に出て躊躇いがちに言葉を吐き出す。

「…瀬和、君にもう一度会う事が出来たら、伝えたい事があったんだ。聞いてくれるか?」

「ローレル?」

「瀬和、俺は…!」

 ローレルが何かを言いかけた瞬間、二階の空き部屋から、激しく大きな物音が聞こえた。まさか、と慌てて仏壇の下に収められた契約書を取り出すと、新たに3通の契約書が輝き、見知らぬ文字で、署名捺印されていた。

「これって…!」

「ふん、どうやらまた新しい魔王と勇者と女神が居着くようだな。…せっかくだ、迎えに行ってやるか、魔王の先達として、心構えを教えてやらねばならんしな」

「どんな子達だろ~?楽しみだね!」

「俺の話が…」

「いいよ、ローレル。大丈夫、時間ならたっぷりあるんだもん。これからはずっと一緒でしょ?」

 瀬和が微笑みながらそう言うと、ローレルはぱぁっと明るい笑顔を見せて「そうだな!」と元気よく答えた。
そして、先を行くヴァサールとサティナーを呼び止めて、瀬和は明るく言う。

「新しい人達も一緒に、皆で朝ご飯食べようか!約束したもんね!」

 こうして、シェアハウスは続いていく…これからも、ずっと。
 
 出会いと別れを繰り返しながら、ずっと。

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