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Episode3 なぜ、そうなる? 理不尽オムニバスホラー3品

Episode3-C チラシでロックオン!(下)

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「……強制結婚後も、娘は諦めなかった。絶対に男から逃げてみせると……ある夜、男をグデングデンに酔わせた娘は、男に例のチラシのことを聞いてみたんじゃ。酒というものは、人間の口を軽くするものなんじゃな……いい気になったらしい男は、ベラベラと喋りおった……男は当初、娘に恋文を書いて渡すつもりだったらしい。しかし、その恋文を書いている最中の男が、娘への思いでおかしくなりそうになった時、まるで地の底より響いてくるような声が聞こえてきたそうじゃ」

 賢哉は幾度目かの唾をゴクリと飲み込んだ。

「その声は言った。『愛する者を手に入れたくば、手紙ではなくチラシを作れ。そのチラシを我(われ)が666枚に増やしてやろう。お前はそのチラシの原本はお前の手元に、残る665枚を自らの手で配り歩く、または掲示するのだ。そうすれば、愛する者の心は真に手に入らなくとも、周りを動かし、お前がチラシに書いた未来だけは手に入れることができる』と……」

 やはり、人外の力が……普通の人間が踏み入れてはいけない領域が力が今回の事件には加わっていたのだ。
 それに666とは、俗にいう”獣の数字”だ。
 自分の欲望そのままに、チラシにロックオンされた者の気持ちや未来など、お構いなしに周りまでを巻き込むとは、まさに自己中な獣のごとし。

「地の底より響いてくるような声はさらに続いたらしい。『お前が作ったチラシの原本は、作成日から666日が経過するまで大切に保管せよ。さすれば、チラシの効能は完全に浸透する。しかし、666日が経過する前に、チラシの原本を焼却してしまった場合、時間は巻き戻される。チラシに書かれた人間たちの記憶以外は、全てが元通りだ』と……」

 賢哉の心にパアッと光が差し込んだ。
 極めて明確な解決策がもたらされたのだ。

「そ、その女の人は、666日が経過する前に男が作ったチラシの原本をどうにかして、焼却することができたんですよね? 男から逃れることができたということですよね? 何もかも元通りに……」

 成功例を聞きたいと思わず早口になってしまった賢哉に、人面犬は首を振った。

「それは出来んかった。必死で家中を探した娘であったも、見つけることはできず、そうこうしているうちに、娘は身籠ってしまったんじゃ……」

 なんと気の毒な。何と理不尽な。
 チラシにロックオンされた者が、女性だからこそ起こった悲劇だ。

「愛の欠片すら抱いたことのない男の子供を抱いた娘はわしに言った。『私の人生を滅茶苦茶にした、あの人は憎い。でも、私がチラシを見つけて焼却したなら、この子の存在までなかったことになってしまう。それはできないわ』と……娘は母として生きることを選んだんじゃ。666日はとうに過ぎ、それからも娘は幾人かの子を産んだ。いまや還暦を手前となった娘は、男を完全に尻に敷き、単なるATMと割り切った逞しい女となっておる」


※※※


 日曜日。
 賢哉は手塚を自宅に呼んだ。
 彼女とはL〇NEすら交換していない関係だったから、学校で直接声をかけるしかなかった。
 周りからはヒューヒューという野次が飛びまくったも、賢哉は一切無視した。

 ミニスカート姿の手塚は、キラキラした髪留めもつけていた。それに、ほんのりと化粧までもしているようだった。
 手塚の器量そのものは並であるも、恋をしている少女だからこそ醸し出せる可愛さがないわけではなかった。ただ、それが自己中な恋でなければの話だが。

「家にお招きしてくれるなんて、本当にうれしい。でも、2人の初めてのデートがお家デートなんて。それに……家の人は誰もいないのよね? 最初から、部屋で2人きりなんて……」

 正確に言うなら、2人きりではない。
 人面犬・迅が、賢哉のベッドの下にいるのだから。

 当の手塚は、賢哉の本棚を見て「あっ、この漫画、揃えてんだ。面白いよね」とキャピキャピしていた。

「手塚……俺がなんでここに呼んだのか分かるだろ?」

 手塚の頬が強張った。でも、彼女はひるまなかった。

「うん、分かってる。でも、私たちは皆に応援される『令和最強の公式カップル』なのは、チラシ通りなんだから。それよりも、もっとお互いのことをよく知っていこうよ。好きな食べ物は何?」

「……鶏肉だけど……特に唐揚げが大好物」

 早く本題に入りたい。でも、手塚から”チラシの原本”の在処を聞き出し、焼却させるためには、多少のことは仕方ない。

「え~! 私、唐揚げは好きじゃないっていうか、揚げ物が全般苦手。他に好きな食べ物はないの?」

「……焼き魚。特に鮭とか最高だな。あの塩辛さがいい」

「え~! 私、お魚全般も苦手。骨とるのめんどくさいし。火を通した焼き魚はともかく、生のまま食べるお刺身なんて、特にゾッとしちゃう。」

「……手塚は何が好きなワケ?」

「えーと、私は断然、甘い物。それも洋菓子派ね。私と結婚したら、朝は毎日フワッフワのクリームがたっぷり上に乗ったパンケーキだよ。それに夜ご飯のデザートには……ケーキとかクレープとかプリンとか、毎日用意するからね」

「……甘い物はたまに食べるからいいんだろ」

「ううん、甘い物は毎日、食べるからいいのよ」

 食の好みが完全に合わない。このまま結婚にまで持ち込まれてしまった場合の食生活を想像してしまった賢哉は、ゾッとした。

「ねえ、休みの日とか何してんの? 今、ハマっていることって何? やっぱり、スマホゲームとか?」

「……都市伝説について書かれたサイトを巡ること。外国なら”ベッドの下の男”とか、スレンダーマンか、ジェフザキラーとか、ブラッディ・メアリーとか……でも、俺はやっぱり、口裂け女とか赤マントとか、”人面犬”とかのちょっとレトロな日本の都市伝説が好きだ」

「え~! 私、都市伝説とか怖い話、大っ嫌い。特に”人面犬”って何? 身体は犬だけど、顔面が人間の顔ってこと? そんなの、キモいなんてモンじゃないじゃん。悪夢のごとき最悪生物だよ」

 お前の言う、その悪夢のごとき最悪生物は今、このベッドの下にいるんですけど。
 ベッドの下の男ならぬ、”ベッドの下の人面犬”が……

 賢哉は手塚が想像していた以上に、我が強くて甘やかされて育ってきたのだとを感じていた。
 本件発生前まで賢哉が知っていた手塚は、周りから嫌われることもなく、目立たないもクラスにうまく溶け込んでいる、大人しめの女子でしかなかった。
 そりゃあ、学校で皆に見せている顔と”真実の内面”に多少の相違というものは、誰しもあるが……


「手塚……本題に入るぞ。お前は何か、人ではない者の力を借りたんだよな? そして、そいつが666枚に増やしたチラシを自分の手で配り歩いたんだよな?」

「どっ、どうして、そんなこと知ってるの? チラシの枚数まで……」

 賢哉は答えなかった。
 手塚の目が驚きに見開かれ、体もわずかに震えている。
 でも観念したのか、フーッと息を吐いた。

「そうだよ。私、あなたへの手紙を書いていた。あなたへの思いでおかしくなりそうになった時、地の底より響いてきているような声が聞こえてきて……」


 賢哉が迅から聞かされたことと、同一のことを手塚は語った。

「……なぜ、そうなる? なんで、俺に手紙を渡すんじゃなくて、変なチラシを周りに配ることをお前は選択したんだよ!」

「665枚ものチラシを1人で配ったり掲示するの本当に大変だったんだから(笑) それに……仮に私があなたに手紙を渡したとしても、あなたは首を縦に振ってくれた? 私と付き合ってくれた?」

 無言となった賢哉の答えは、もちろんNOだ。

「……でしょ? あなたは私のこと、何とも思っていないっていうのは分かってる。女の子は……特に私はそういうのに敏感なんだから」

 自称・敏感であるらしい手塚は、賢哉の自分に対しての気持ちが、無関心ではなく、嫌悪と憎悪に変化してしまったことに果たして気づいているのだろうか?

「私はどうしてもあなたと付き合いたかったの。そして、初恋の人とそのままゴールインというのが私の夢なんだもの」

 お前の幼稚で自己中な夢を叶えるためなら、俺の気持ちはどうでもいいっていうのか?
 震える拳をギュッと握りしめた賢哉は、手塚へと一歩を踏み出した。

「きゃっ!!!」

 賢哉は手塚をベッドへと押し倒した。上から覆いかぶさり、彼女の上着へと手をかける振りをした。
 一応、二次性徴期は順調に迎えている賢哉であったも、大人の階段を無理やり駆け上がっていこうとしてるわけではない。

「手塚……チラシの原本はお前の家にあるんだろ? それを焼却するって約束しろ。そうしないと俺はお前を……」

 賢哉は、ベッドの下で待機している迅がゴクリと唾を飲み込んだのを空気で感じた。
 自分のこの行為は、男として、いや人として最低の部類に属する脅し方だ。
 賢哉は手塚が怯えて泣き出すのだと思っていた。
 でも、彼女の反応は違った。

「……構わないよ。そのつもりで来たんだし。でも、赤ちゃんはできないようにしてね。やっぱり高校にはちゃんと行きたいし……あ、もちろん、同じ高校に行こうね」

 駄目だ。
 全く恐怖を感じていない手塚には、脅しになっていない。
 それどころか、(する気はないが)童貞ながらに頑張って最後までしてしまえば、手塚と肉体関係を結んだという取返しのつかない事実を作ってしまう。

 ベッドから身を起こした賢哉は、手塚を睨みつけた。

「……俺は絶対にお前の思い通りになんてならない。絶対にならないからな!」

「そう言っていられるのも、今のうちだけだよ。学校の皆どころか、あなたのお父さんとお母さんも私の……ううん、”私たちカップル”を応援しているんだから。あなたの意志がどんなに強固でも、”数”には勝てないのよ」


※※※


 手塚の思い通りになんてさせない。
 賢哉と迅は幾度も話し合った。
 そして、ついに”ある策”を講じた。
 賢哉のこれからの人生を駆けた、そして、かつての心優しき娘を救うことのできなかった迅の後悔をも背負った、イチかバチかの作戦だ。

 迅と打ち合わせをした時刻は、もうすぐだ。
 今は体育の授業中であるため、賢哉はグラウンドにいる。
 中学生ともなれば、体育の授業は男女別々であるも、今日は男女ともにグラウンドで持久走だ。
 当然、学校指定のジャージを着た手塚も同じグラウンドにいた。
 
 もちろん、迅は”今は”ここにいない。
 学校に人面犬を連れてくることはできなかった。というよりも、普通に道を散歩させているだけでも大騒ぎとなってしまう。

 しかし、人ならざる者である迅は、人にはできない方法で現れることができる。
 そう、自然に剥がれゆく糊のように、パリパリと剥がれゆく空間から……


「きゃあああああ!!!!!」

 グラウンドに突如、出現した人面犬に、女子生徒たちの間から幾つもの甲高い悲鳴が上がった。
 
 しかも、人面犬は迅1匹だけではなかった。
 迅の尻尾の後ろからは、さらに1、2、3……と迅を含め、合計18匹もの人面犬が現れたのだから!!!

 この時、人面犬たち――迅と彼の仲間である人面犬たちの数を正確に数えることができたのは賢哉だけであった。
 日常と常識を遥かにオーバーフローしているうえ、悪夢でしかない光景を目にした他の者たちの思考は完全にフリーズしてしまった。そう、子供ではなく大人である屈強な体育教師たちですら。
 
 大きさも、毛色も、尻尾の巻き具合も何もかも多種多様な人面犬たち。
 先頭に立つ迅が顎をしゃくった。
 そして、ダッと駆けだした。
 迅に続けと、人面犬たちは彼の後を追った。

 群れとなった人面犬たちは、固まっている女子生徒たちへとドドドドドドドドドと突っ込んでいった!!!

「ぎゃああああああああ!!!!!」
 より凄まじく甲高い無数の絶叫がグラウンドに響き渡った。

 しかし、人面犬たちの狙いは、女子生徒全般ではない。
 彼らの標的は……彼らが標的としてロックオンしているのは、手塚ただ一人だ。

「ぎゃーっ!!! いやーっ!!!」
 手塚はもちろん逃げた。
 逃げる手塚を追いかける18匹の人面犬。

「たっ、助けてえぇぇ!!!」
 近くにいた友人たちに助けを求めた手塚であったも、当の友人たちも当然のごとく「ひいいいいい!!!」「こっちに来ないでぇぇ!!!」と散り散りになって逃げていった。

 風をまとった人面犬たちは、ハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッと手塚を追い、キャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーキャーと手塚は逃げる。

 迅含める先頭グループの人面犬たちは、手塚に触れるか触れんかの絶妙な距離を保ちつつ、手塚を追い回し続ける。

 賢哉はダッと駆け出した。
 悪夢の持久走中の手塚の元へと。
 彼の背中に「あっ! 賢哉が手塚を助けに行くぞ!!」「さすが、令和最強の公式カップル!」「賢哉、頑張れ! 手塚を守れよ!!」という、玉野をはじめとする無責任な声援がかかった。
 しかし、賢哉は手塚を守りに行くわけでは断じてない。

 
 賢哉は、顔面崩壊しながらも必死で走り続ける手塚、そして人面犬たちと並走する形になった。

「……手塚! あのチラシの原本を焼却すると約束しろ! 今、ここで! 皆の前で! 約束すれば、人面犬たちにお前を追いかけ回すのを止めさせてやる!」

 賢哉は走りながら声を張り上げた。
 しかし、涙と鼻水でグチャグチャになった真っ赤な顔で息を切らせている、まさに発狂寸前の手塚に、賢哉の声は聞こえていないのか?!

「手塚!!!」

「……わっ、分かったわ! 焼却するわよ! だから……っ……だからっ、止めさせてええぇ!!! お願いいいいい! おっ、お願いだからあああああ! わ、私、おかしくなっちゃううう!!!」


※※※


 時間は巻き戻された。
 賢哉がチラシでロックオンされる前に。
 グラウンドでの人面犬騒ぎも、綺麗さっぱりなかったこととなった。
 ネットのまとめサイトなどで『グラウンドに現れた18匹の人面犬、JCを追いかけ回す』と話題になりもしなかった。

 だが、賢哉には記憶がしっかりと残っている。
 記憶が残っているのは、手塚も同じだろう。

 賢哉が二度目を迎えることになった”始まりの日”。
 手塚は風邪ということで欠席し、それから一度も登校してくることなく、そのまま転校していった。
 あまりにも突然の転校に、彼女の友人たちは皆、驚いていた。

 賢哉と顔を合わせるのが”ばつ”が悪かったのか、賢哉を”人面犬使い”と勘違いしてしまったのか、それとも、賢哉の顔を見ると同時に人面犬たちの顔をも思い出してしまうのかは、彼女に聞かないと分からないけれども。

 ”恐怖”が愛に勝った。
 賢哉も卑怯な手を使ったとはいえ、先に卑怯な手を使ったのは向こうだ。
 よくある思春期の甘酸っぱい初恋で終わったはずの話を、歪ませて引っ掻き回したのは手塚自身だ。


 そして――
 『チラシに書かれた”人間たち”の記憶以外は、全てが元通りだ』ということは、協力してくれた迅たちの記憶もなくなっていることだろうか、と賢哉は考えた。

 賢哉は迅たちにお礼を言いたかった。
 人面犬たちは、都市伝説の中で生きるアンタッチャブルな存在であっても、賢哉にとっては大恩犬……いや、大恩人だ。
 人であっても人ではない存在たちには、記憶が残っているかもしれないと賢哉は、望みを抱かずにはいられなかった。

 賢哉は使っていなかったお年玉を手に、ありったけのうぐいす饅頭と烏龍茶を買ってきた。
 そして、それらを部屋の中に並べ始めた。
 自分は何をしているのだろう、と思わずにはいられない。

 母親に見つかりでもしたら「部屋に食べ物を放置して、そのうえお年玉の無駄遣いまでして……」と怒られるのは確実だし、はたから見たら、これは奇行でしかない。
 それに、迅はうぐいす饅頭と烏龍茶が好きだと言っていたが、他の人面犬たちも、これらが好物とは限らない。彼ら個々の好みまでもは、掴んでいない。

 しかし、うぐいす饅頭と烏龍茶を並べ終えた賢哉は、手紙を書いた。
 『ありがとうございました。賢哉』と書いた手紙を、並べられたうぐいす饅頭に添えた。


 学校から帰宅した賢哉が、自室のドアを開けた時、人面犬たちへのお礼の品は全て無くなっていた。
 綺麗に極めて行儀良く、空(から)になった18匹分の食器容器だけを残して…
 
 部屋の中には、色の違う幾本もの毛が落ちていた。
 賢哉が机の上に置きっぱなしにしていたボールペンには、しっかりと歯型がついてた。
 机の上にあったメモには、こう書かれていた。

 『こちらこそ、礼を言う。美味じゃったぞ。 迅ならびに人面犬一同』と。


――完――
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