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第7章 ~エマヌエーレ国編~

―77― 白魔(2)「フレディ含む7人の青年兵士を凍らせた人物の答え合わせ」中編

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 凍て空は、山との境目が分からなくなるほど灰色に染まっていた。
 山間にいるはずなのに、まるで灰色の海を見ているような気がしていた。
 暗く、冷たく、寂しく哀しい灰色の海。
 今は静かなこの灰色の海も、”近いうちに”唸り声をあげ、自分たちを飲み込んでいくであろう。
 決して抗うことのできない運命の激浪。
 噂に聞く死後の世界、すなわち”冥海”とは案外、あのような色の海原が滔々と広がっている場所なのかもしれない。
 雪の中を一歩一歩踏み進める度、最期の時が刻々と迫りきていることを感じずにはいられなかった。

 死ぬのは怖い。怖くないわけがない。
 けれども、あのお方……国王陛下のためなら……!

 フレディが両手首につけていた腕輪が、フレディの熱い脈を感じ取ったかのごとく、ドクンと震えたように思えた。
 両手首の腕輪(第3章のフレディ覚醒時に、ダニエルの解説によって、フレディの名前と生きていた時代を明らかにした物でもある)については、フレディだけでなく、ともに歩く仲間たちも皆、つけていた。
 この腕輪には、敵からの剣を間一髪防ぐといった実用的な役割がないわけではないも、所謂”まじない”の道具であった。

 左の腕輪には自分が命をかけて愛する者、または絶対に忠誠を誓う者の名前を彫ってもらい、そして右の腕輪には自分の名前を……こうして、どちらも唯一無二の存在である者の名を彫った腕輪を身につけることにより、例え戦場で窮地に陥ったとしても、その思いによって死の窮地から引き上げられるだろう……といった”まじない”が戦地に赴く若者たちの間で流行していた。

 フレディの左の腕輪には、こう刻まれていた。
 ”アドリアナ王国の偉大なる国王 ジョセフ・ガイの御代に永遠の光あれ”と。
 文字の読み書きを学べる環境になかったフレディは、職人に彫ってもらった腕輪の文字にて、国王陛下の御名ならびにアドリアナ王国の綴りを学んだ。
 そして、自身の名前である”フレデリック・ジーン・ロゴ”の綴りも。

 なお、肝心の効能とも言える、”死の窮地からうんぬん”といったことは、単なる気休めでしかないことをフレディも分かっていた。
 自分と同じような腕輪を両手首につけたまま、苦悶の表情で事切れている兵士の亡骸を見たことだってあったのだから。
 
 効能はさておき、フレデリック・ジーン・ロゴの国王ジョセフ・ガイへの忠誠は本物であった。
  ”あのお方”と心の中で呼んでいるも、その御姿を拝したこともなければ、自分は城どころか、首都シャノンに行くことすらないままにこの人生は終わるだろうとも思っていたが。
 彼の予測に反し、彼はこの約二百年後に首都シャノンの城内へと足を踏み入れ、国王ジョセフ・ガイの子孫に謁見し、涙することになるという後日談はさておき、フレディのこの忠誠心は時代的なものと自分を育ててくれた祖母の影響が強かった。

 フレディの祖母は、笑顔が極めて少ないというか、いつも気難しいというか険しい顔をしていることが多い人であった。
 その外見に比例して、物言いも突っ慳貪であり、鬼ババとまでは行かないが性格も結構きつかった。
 祖父はフレディが生まれる前に亡くなっており、なお、母は十六かそこらかで自分を産んだ後、ほどなくして家を出て、金持ちの妾となったらしいとの噂をフレディは”祖母以外の者から”聞いたことがあった。
 母のことを祖母に直接聞くのは、祖母のアンタッチャブルな領域に触れてしまうことだと幼きフレディは流れる月日とともに悟っていった。

 だが、いつだったか、祖母が家にきた親戚の者にこう零していたのを聞いたことがある。
「いくら遅くに生まれた一人娘だったからって、甘やかして育てたつもりはないよ。でも、何の役にも立たない遊んでばかりの”穀潰し”だったばかりか、十五かそこらでどこの誰とも知れない男の子どもを孕んで……」
 母の素行はあまり褒められたものではなかったらしい。
 
 さらに、祖母から殴る蹴るといった虐待こそされなかったも、祖母は”子ども”という生き物自体が好きではないということも、幼きフレディは肌で感じ取っていた。
 子どもを子どもというより、”体の小さな大人”として扱っていたように思う。
 なお、その年で孫を一人で育てるのは大変だろうから孤児院に入れてはどうだ、と言ってくる者がいたも、「曲がりなりにも血の繋がった孫なんだから、私の所で一人前にするのが筋ってもんだろう」と、祖母は答えていた。
 
 ”朗らかで優しいおばあちゃん”とは言い難い人であったは確かだが、自分を孤児院に放り込むことだってできたのに、決して裕福ではない暮らしのなか、衣食住の面倒を見てくれて育てくれたことには感謝しかない。
 
 しかし、その祖母も四年前の春先に亡くなった。
 年の割には矍鑠とはしていた祖母であったが、冬の雪道で足を滑らせて転倒した事故を機に、床に就きがちとなっていた。
 事故で負った怪我自体は後遺症が残るほどのものではなかったが、ピンと張りつめ続けていた糸が突如ブツリと切れてしまったかのように、粗末なベッドに祖母は弱弱しく横たわっていた。
 ブツリと切れてしまった糸は、祖母の生命力であったのかもしれない。
 その糸を再び結び直すことができないと自分でも感じていたらしい祖母は、雪もまばらとなった春先、十五歳のフレディを枕元に呼び寄せた。

「……本当にお前は昔から聞き分けが良く、手のかからない子だったよ。お前が王国の役に立つような真っ当な人間に育ってくれてよかった……私も、これでやっと”埋め合わせ”ができたのかもしれないね……」

 ”聞き分けが良く、手のかからない子”というか、フレディなりに大人の顔色と周りの空気を読みながら成長してきただけであるのだが。
 時には思いっきり甘えたくとも、甘えられるような相手ではなかっただけであるのだが。
 それに、この祖母は自分の目の前にいる者の存在そのものを愛するというより、自分が定めた一定の条件を満たした者のみを愛するというより、認める人なのだ。
 なお、その考えが良いか悪いかは別にして、子育ての失敗を孫育てで埋め合わせをしたつもりであったらしい。

「アドリアナ王国のために、国王陛下のために……立派に………」

 それが祖母の今わの際の言葉だった。
 身も蓋もない言い方をするなら、”立派に戦って散れ”ということであるも、今の世の情勢からすると、身分も財産も学もないが健康な若い男がこれから先に進む運命のルートは一つしかないのだ。
 祖母の安らかな眠りを祈った後、ほどなくしてフレディは本格的に兵士入りをした。
 それから、四年。
 訓練を積み、気の合う仲間もでき、酒もなかなかに飲めるようになり、娼館にも足を運んでナディアという名前の娼婦と一夜を共にした。
 一般的に大人がするであろうことを一通り経験し……今ここにいる。

 ザクッザクッと雪を踏み抜く足音が重なり合い続けている。
 足先から全身に凍み込む冷たさと痛いぐらいにひりつく頬。
 眼前で舞う刹那的な白い息が一番温かいかと思われた。
 その温かさが、今というこの時に確かに生きているという証明であるのかもしれなかった。

 しばらくの間、他の六人と同じく、心を無にして規則的に足を動かし続けていたフレディであったが、その陰鬱な静寂は突如として破られた。
 先頭を歩いていた仲間が低く呻いたかと思うと、口から血を吐いて倒れたのだ。
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