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第7章 ~エマヌエーレ国編~
―61― 岐路(6) 「どっちでも、お前の好きにとればいい」
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自分が知る限り、子どもはジョーダンしか生まれていない……いや、生まれなかった。
この予言に関しては”当たらなかった”のか……。
一言で「未来」とは言っても、それは必ずしも一本道というわけでないだろう。
途中に枝分かれした幾つもの岐路があり、団長が視た未来とは違う道を歩んでしまう結末になったと……。
そう考えると自分の死によって、この世に産声をあげるはずであった子どもたちの未来までもが、始まりの時すら迎えぬまま永久に閉ざされてしまったと……。
俺の死は、俺だけの死ではなかったのか?!
トレヴァーの心のうちを読みとったかのように、黙っていた団長が口を開く。
「己の人生にどれだけの心残りと無念があったとしても、肝心の肉体が何も言うことを聞いてくれないなら、もう受け入れるしか道は残されちゃいない。”俺のように”人生の岐路の”もう片方の道(生への道)”がついに閉ざされてしまう時が来たらな」
その言葉を聞いたトレヴァーは思う。
眠っているうちに亡くなったのであろう団長の死に顔こそ安らかなものであったと記憶していたが、この人だって生への願いを、渇望を、当たり前だがその最期の時まで持ち続けていたのだ。
自分たちは生まれる場所も身分も肉体も選ぶことはできない。
この人だって、もっと丈夫な体に生まれていたとしたら、違った人生を”今も”歩んでいたのかもしれない。
それは本人には何ら責任のないことであるし、この人を生んだ母親を責めるべきことでもない。
そもそも人間というものはいかに健康に長生きしたとしても、何一つ心残りなく死ねるものではないだろう。
「正直なところ、俺自身も覇気がなくて顔色の悪い中年になった自身の姿はおぼろげながらも想像はできて(=視えていて)も、妻を娶ったり、自分の子どもをこの腕に抱いていたり、白髪頭の老人になった自分の姿なんてものは想像すらできなかった(=まったく視えなかった)わけだしな。……子どもの頃から数回、生か死かの岐路に立たされたことはあった。当時、俺の周りにいた大人たちからは二十歳まで生きることができれば御の字みたいには言われていたようだ……結果、五十歳を目前にして打ち切りにはなってしまったが、当時の大人たちが予測していたよりも二十年以上長く、俺の物語は続いたわけだが……」
ハロルド・ウィリアム・タットラーの人生は周りの大人たちの予測ではなく、己自身の想像(未来予知)の通りであったということだ。
「……すまん、俺のことは今は関係なかったな。お前は大変な状況とはいえ、”一時的にせよ”、こうして懐かしい顔に会えたためか、つい柄にもなく饒舌になっちまった。俺が今のお前に一番伝えたいことは、お前が直面した岐路の”もう片方の道(生への道)”は完全に閉ざされてはいないということだ。お前はまだ………引き返せる」
その時、一迅の風が二人の男の間を駆け抜けていった。
先ほどまで吹いていていた柔らかな風とは明らかに異なる強い風が。
その風には、本来ここにまで届けられるはずがない潮の匂いが含まれていた。
自分はもう死んだからこそ――この魂がどれほど戻りたいと願っても、肉体は鼓動も呼吸も完全に止めてしまったからこそ――ここに来たのだと思っていた。
その潮の匂いを嗅いだトレヴァーは、さっき通り抜けたはずの”本当の死”が改めて迫りきているかのごとき恐怖を感じたのだ。
それに団長は確かに言った。
「お前はまだ………引き返せる」と。
その言葉を反芻したトレヴァーは、今にも消えかけんとしていた生への願いが、渇望が、希望が、激しく燃え上がるかのごとき勢いで再び湧き上がってきた。
「さあ……手遅れになる前に、早く引き返せ。お前の人生は、お前だけの人生じゃないんだ」
団長がトレヴァーの肩を軽く叩いた。
と同時に、トレヴァーの腹部に熱く激しい痛みが走った。
いや、”痛みも戻ってきた”のだ!
痛い、苦しい。
だが、この脈打つ傷口からの痛みと苦しみこそが、自分の肉体はまだ生きている……生きようとしているということだ!
そして、聞こえてくる。
響いてくる。
周りの足音と声が。
ルークにディラン……そう、皆が自分を呼ぶ声が……!!
「さてと、俺は俺のいるべき場所にそろそろ帰るとするか。次にお前に会うのは、お前が俺の顔も声も、もうとっくに忘れている頃だろう。だが、それでいい」
そう言った団長は立ち上がった。
トレヴァーは腹部を押さえたまま、去りゆくハロルド・ウィリアム・タットラーの後ろ姿に問うた。
「だ、団長……っ! あなたは俺を助けに来てくれたんですか? それとも、これは俺が見ている夢なんですか……?」
「……さあ、どっちだろうな。どっちでも、お前の好きにとればいい」
この予言に関しては”当たらなかった”のか……。
一言で「未来」とは言っても、それは必ずしも一本道というわけでないだろう。
途中に枝分かれした幾つもの岐路があり、団長が視た未来とは違う道を歩んでしまう結末になったと……。
そう考えると自分の死によって、この世に産声をあげるはずであった子どもたちの未来までもが、始まりの時すら迎えぬまま永久に閉ざされてしまったと……。
俺の死は、俺だけの死ではなかったのか?!
トレヴァーの心のうちを読みとったかのように、黙っていた団長が口を開く。
「己の人生にどれだけの心残りと無念があったとしても、肝心の肉体が何も言うことを聞いてくれないなら、もう受け入れるしか道は残されちゃいない。”俺のように”人生の岐路の”もう片方の道(生への道)”がついに閉ざされてしまう時が来たらな」
その言葉を聞いたトレヴァーは思う。
眠っているうちに亡くなったのであろう団長の死に顔こそ安らかなものであったと記憶していたが、この人だって生への願いを、渇望を、当たり前だがその最期の時まで持ち続けていたのだ。
自分たちは生まれる場所も身分も肉体も選ぶことはできない。
この人だって、もっと丈夫な体に生まれていたとしたら、違った人生を”今も”歩んでいたのかもしれない。
それは本人には何ら責任のないことであるし、この人を生んだ母親を責めるべきことでもない。
そもそも人間というものはいかに健康に長生きしたとしても、何一つ心残りなく死ねるものではないだろう。
「正直なところ、俺自身も覇気がなくて顔色の悪い中年になった自身の姿はおぼろげながらも想像はできて(=視えていて)も、妻を娶ったり、自分の子どもをこの腕に抱いていたり、白髪頭の老人になった自分の姿なんてものは想像すらできなかった(=まったく視えなかった)わけだしな。……子どもの頃から数回、生か死かの岐路に立たされたことはあった。当時、俺の周りにいた大人たちからは二十歳まで生きることができれば御の字みたいには言われていたようだ……結果、五十歳を目前にして打ち切りにはなってしまったが、当時の大人たちが予測していたよりも二十年以上長く、俺の物語は続いたわけだが……」
ハロルド・ウィリアム・タットラーの人生は周りの大人たちの予測ではなく、己自身の想像(未来予知)の通りであったということだ。
「……すまん、俺のことは今は関係なかったな。お前は大変な状況とはいえ、”一時的にせよ”、こうして懐かしい顔に会えたためか、つい柄にもなく饒舌になっちまった。俺が今のお前に一番伝えたいことは、お前が直面した岐路の”もう片方の道(生への道)”は完全に閉ざされてはいないということだ。お前はまだ………引き返せる」
その時、一迅の風が二人の男の間を駆け抜けていった。
先ほどまで吹いていていた柔らかな風とは明らかに異なる強い風が。
その風には、本来ここにまで届けられるはずがない潮の匂いが含まれていた。
自分はもう死んだからこそ――この魂がどれほど戻りたいと願っても、肉体は鼓動も呼吸も完全に止めてしまったからこそ――ここに来たのだと思っていた。
その潮の匂いを嗅いだトレヴァーは、さっき通り抜けたはずの”本当の死”が改めて迫りきているかのごとき恐怖を感じたのだ。
それに団長は確かに言った。
「お前はまだ………引き返せる」と。
その言葉を反芻したトレヴァーは、今にも消えかけんとしていた生への願いが、渇望が、希望が、激しく燃え上がるかのごとき勢いで再び湧き上がってきた。
「さあ……手遅れになる前に、早く引き返せ。お前の人生は、お前だけの人生じゃないんだ」
団長がトレヴァーの肩を軽く叩いた。
と同時に、トレヴァーの腹部に熱く激しい痛みが走った。
いや、”痛みも戻ってきた”のだ!
痛い、苦しい。
だが、この脈打つ傷口からの痛みと苦しみこそが、自分の肉体はまだ生きている……生きようとしているということだ!
そして、聞こえてくる。
響いてくる。
周りの足音と声が。
ルークにディラン……そう、皆が自分を呼ぶ声が……!!
「さてと、俺は俺のいるべき場所にそろそろ帰るとするか。次にお前に会うのは、お前が俺の顔も声も、もうとっくに忘れている頃だろう。だが、それでいい」
そう言った団長は立ち上がった。
トレヴァーは腹部を押さえたまま、去りゆくハロルド・ウィリアム・タットラーの後ろ姿に問うた。
「だ、団長……っ! あなたは俺を助けに来てくれたんですか? それとも、これは俺が見ている夢なんですか……?」
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