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第7章 ~エマヌエーレ国編~
―25― ミザリー・タラ・レックスの選択(7)
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夕刻。
盛暑の兆しを含んだ風が窓を揺らす音にすら、レイナはびくついてしまう。
旅立ちのための清掃を完璧に終えた宿の部屋に、今は一人。
だが、耳をすませば宿内の話し声も足音も聞こえるし、自分のそれらも同様であろう。
魔導士たちと同じ建物内にいることが彼らの保護下にあるのと同義であり、またミザリー(の中のクリスティーナ)の話では圧倒的に”こちら側(主にアダム)”に軍配があがるとのことだが、不安や恐怖が消えるわけなどなかった。
誰かと一緒にいたくて、いや、ジェニーかミザリーと一緒にいたくてレイナは自室を出た。
廊下の途中、開きっぱなしの他の部屋の扉から見えたのは、床へと倒れ込んだ、いや、床にて爆睡中のピーターの姿であった。
いつ散髪したのか定かではないボサボサの髪が彼の顔の上半分を覆い隠し、いつ剃ったのかも定かではない無精ひげが彼の顔の下半分を覆っていた。
清潔感どころか、緊張感も危機感も皆無な彼の寝姿は、レイナの恐れやその他もろもろをより増幅させる。
レイナももちろん、彼の体質のことは知っている。
自分こそ何も出来ず保護してもらっている立場なのに、彼に対して頼りなさを感じたり、不信感を持つなんてもってのほかだとも……
ピーター一人だけが、無防備に寝転がっているのかと思いきや、同じ部屋にミザリーの姿もあった。
彼女たちの間にエロティックな空気は漂っていないため、たまたま部屋に二人だけとなっていたものだと推測されるし、ピーターが風邪をひかぬよう薄手のタオルケットのようなものをかけてあげたのもおそらくミザリーだろう。
ミザリーは窓辺に佇み、刻々と朱に染まりゆく空を見つめていた。
いや、彼女が真に見つめ、思いを馳せているのは夕空そのものではないのかもしれない。
その遥か先にあるであろう大地を、彼女の人生の始まりとなった大地を、彼女の魂は狂おしいほどに求めているのかもしれない。
部屋の中をも染めあげ行く夕陽は、彼女が手に握りしめている物をキラリと光らせた。
レイナは”それ”に見覚えがあった。
レイナの気配に気づいたらしいミザリーは、”それ”をさりげなく服の中へとしまい、レイナへと向き直り、ニコッと笑顔を――しかし、相当に力無き笑顔を――見せてくれた。
レイナもまた、ミザリーに力無き笑顔をなんとか返すことができた。
必死で平常心を装い、ミザリーの手の内にあった”それ”――小瓶――など気づかなかった、そもそも、何も見ていなかった振りをした。
けれども、レイナはその小瓶が何であるのか、そして、何のために使うものであるのかの悟っていた。
数か月前、自分も同じ物を実際に手にしたことがあったのだから。
アリスの町の山の麓におけるフランシスとの戦いに赴く際、アンバーより渡されたものと同一の薬に違いない。
アンバーたちが負けてしまえば(レイナの魂がマリアの肉体から追い出されることになれば)、レイナの魂は冥海にも行けず、誰にも気づいてもらえず、永久にこの世界を彷徨い続けることになる。そんなことになってしまうよりかは、一口飲めば、苦しまずに肉体の死を迎えられるようにと、アンバーの父、アーロン・リー・オスティーンが調合した薬だ。
自身の薬は、フランシスのブリザード攻撃によって弾き飛ばされ行方知れずとなっていたが、同じ薬をミザリーが持たされていても、いや彼女自身の意思で所持していてもおかしくはない。
もしかしたら、ミザリーだけでなくピーターも所持しているのかもしれない。
アドリアナ王国の魔導士たちとて、各々の命をかけて、この旅に同行している。
絶対絶命の危機に直面した時、自らの死を選ぶことが、被害を最小限に留めるになるのだとも……
ミザリー・タラ・レックスの選択。
いや、厳密に言うなら今は選択前の状態であるも、彼女の選択肢の一つである「自害」は、魔導士クリスティーナの内部侵略によってより色濃くなってしまったのだ。
ミザリーはレイナに再び微笑みかけた。
「お掃除や荷造りは終わりましたか?」
「あ……は、はい……でも、もし、このお部屋に持っていかなければならないものが残っていたら、私が運びますので、何でも言ってください……」
足音でピーターを起こしてしまわないよう、レイナは忍び足で窓辺のミザリーへと歩み寄った。
「……レイナさん、そんなに怯えなくても、大丈夫ですよ。いきなりあなたに襲いかかったりとか、連れ去ったりなどはしませんから。私の中のクリスティーナのお喋りは止められなくとも、私自身の体はちゃんと制御できます。頼りないかもしれませんが、私とてそれなりの力を持っていたこそ、アドリアナ王国直属の魔導士に採用されたのですから」
万事に控え目なミザリーがこんなこと――自身の力や優秀さ――を、自ら口にするなんて本当に珍しい。
そして、自分の感情を他人――師でもない年下の少女――に吐露するなんてことも……
「こんなことになってしまってから言うのもなんですが、私は自分自身のことも今まで歩んできた人生も、それほど嫌いではなかったのです。いろいろ言ってくる人もいましたけど」
”いろいろ言ってくる人”とは、マリア王女のことだろう。
確かに、ミザリー・タラ・レックスは容貌に恵まれずに生を受けた。
しかし、聡明な母や周りの同僚含め理解者に恵まれ、彼女自身も真面目で穏やかな性質であり、日々コツコツと地道に努力と積み重ねてきた。
多少の苦難に直面しても、培われてきた自己肯定感を損なうことなく、彼女は”彼女の物語”をしっかりと歩んできていたのだ。
そんな彼女は今、自分が自分でなくなってしまう恐怖の真っ只中にいる。
思えばレイナも、マリア王女の肉体にいざなわれた当初は今以上に恐ろしくてたまらなかった。
肉体は違えども、自分は河瀬レイナである、と自我を保つので精一杯であった。
しかし、よくよく考えたら、ミザリーさんの方が数百倍恐ろしい状況にいるのだ、とレイナは思わずにはいられない。
自分の場合は、この魂まで侵略してくる者はいない。
ミザリーは得体の知れぬ魔導士と繋がっているというか、現在進行形で魂にまでも入り込まれ好き勝手にベラベラと喋られている。
簡単に慰めの言葉などかけられるわけがない。
何の力も持たぬのに、”あなたを助けます”とか”あなたを守ります”なんてことも言えるわけがない。
ただ、ミザリーが自らあの薬を口に含み、飲み干す最期なんて想像したくない。
この優しい女性が、レイナにとってはこの世界での姉を思わせる女性が、冷たい骸となってしまう姿など……
「ミザリーさん……あの、その……全てが終わった後は、アドリアナ王国に一緒に帰りましょう……一緒に……アドリアナ王国に……っ……」
この旅がいつ終わるのか定かではないし、そもそも”終わり”までの道筋すら今ははっきり見えぬし、(フランシスからの)不吉な予言まで突き刺されている状況だ。
けれども、帰国の途につく自分の隣にはミザリーがいることをレイナは心から願い、その未来を描かずにはいられなかった。
そう、ジェニーの隣にはアダムがいて、トレヴァーの隣にはライリーとジョーダンがいて……”希望の光を運ぶ者たち”も、ピーターも、パトリック・イアン・ヒンドリー含む兵士たちも、船の乗組員たちも、これ以上、誰一人として欠けることなく……
レイナをじっと見つめたミザリーの瞳にも涙が滲んでいた。
彼女は決して涙を零すまいと耐えているようであった。
どちらともなく、温かく柔らかな手を取り合った彼女たちは気づかなかった。
ピーターのかすかな寝息がいつの間にか止んでいたことを。
彼女たちの話を聞いていたピーターの無性髭に覆われた唇がギュッと固く結ばれたことも。
盛暑の兆しを含んだ風が窓を揺らす音にすら、レイナはびくついてしまう。
旅立ちのための清掃を完璧に終えた宿の部屋に、今は一人。
だが、耳をすませば宿内の話し声も足音も聞こえるし、自分のそれらも同様であろう。
魔導士たちと同じ建物内にいることが彼らの保護下にあるのと同義であり、またミザリー(の中のクリスティーナ)の話では圧倒的に”こちら側(主にアダム)”に軍配があがるとのことだが、不安や恐怖が消えるわけなどなかった。
誰かと一緒にいたくて、いや、ジェニーかミザリーと一緒にいたくてレイナは自室を出た。
廊下の途中、開きっぱなしの他の部屋の扉から見えたのは、床へと倒れ込んだ、いや、床にて爆睡中のピーターの姿であった。
いつ散髪したのか定かではないボサボサの髪が彼の顔の上半分を覆い隠し、いつ剃ったのかも定かではない無精ひげが彼の顔の下半分を覆っていた。
清潔感どころか、緊張感も危機感も皆無な彼の寝姿は、レイナの恐れやその他もろもろをより増幅させる。
レイナももちろん、彼の体質のことは知っている。
自分こそ何も出来ず保護してもらっている立場なのに、彼に対して頼りなさを感じたり、不信感を持つなんてもってのほかだとも……
ピーター一人だけが、無防備に寝転がっているのかと思いきや、同じ部屋にミザリーの姿もあった。
彼女たちの間にエロティックな空気は漂っていないため、たまたま部屋に二人だけとなっていたものだと推測されるし、ピーターが風邪をひかぬよう薄手のタオルケットのようなものをかけてあげたのもおそらくミザリーだろう。
ミザリーは窓辺に佇み、刻々と朱に染まりゆく空を見つめていた。
いや、彼女が真に見つめ、思いを馳せているのは夕空そのものではないのかもしれない。
その遥か先にあるであろう大地を、彼女の人生の始まりとなった大地を、彼女の魂は狂おしいほどに求めているのかもしれない。
部屋の中をも染めあげ行く夕陽は、彼女が手に握りしめている物をキラリと光らせた。
レイナは”それ”に見覚えがあった。
レイナの気配に気づいたらしいミザリーは、”それ”をさりげなく服の中へとしまい、レイナへと向き直り、ニコッと笑顔を――しかし、相当に力無き笑顔を――見せてくれた。
レイナもまた、ミザリーに力無き笑顔をなんとか返すことができた。
必死で平常心を装い、ミザリーの手の内にあった”それ”――小瓶――など気づかなかった、そもそも、何も見ていなかった振りをした。
けれども、レイナはその小瓶が何であるのか、そして、何のために使うものであるのかの悟っていた。
数か月前、自分も同じ物を実際に手にしたことがあったのだから。
アリスの町の山の麓におけるフランシスとの戦いに赴く際、アンバーより渡されたものと同一の薬に違いない。
アンバーたちが負けてしまえば(レイナの魂がマリアの肉体から追い出されることになれば)、レイナの魂は冥海にも行けず、誰にも気づいてもらえず、永久にこの世界を彷徨い続けることになる。そんなことになってしまうよりかは、一口飲めば、苦しまずに肉体の死を迎えられるようにと、アンバーの父、アーロン・リー・オスティーンが調合した薬だ。
自身の薬は、フランシスのブリザード攻撃によって弾き飛ばされ行方知れずとなっていたが、同じ薬をミザリーが持たされていても、いや彼女自身の意思で所持していてもおかしくはない。
もしかしたら、ミザリーだけでなくピーターも所持しているのかもしれない。
アドリアナ王国の魔導士たちとて、各々の命をかけて、この旅に同行している。
絶対絶命の危機に直面した時、自らの死を選ぶことが、被害を最小限に留めるになるのだとも……
ミザリー・タラ・レックスの選択。
いや、厳密に言うなら今は選択前の状態であるも、彼女の選択肢の一つである「自害」は、魔導士クリスティーナの内部侵略によってより色濃くなってしまったのだ。
ミザリーはレイナに再び微笑みかけた。
「お掃除や荷造りは終わりましたか?」
「あ……は、はい……でも、もし、このお部屋に持っていかなければならないものが残っていたら、私が運びますので、何でも言ってください……」
足音でピーターを起こしてしまわないよう、レイナは忍び足で窓辺のミザリーへと歩み寄った。
「……レイナさん、そんなに怯えなくても、大丈夫ですよ。いきなりあなたに襲いかかったりとか、連れ去ったりなどはしませんから。私の中のクリスティーナのお喋りは止められなくとも、私自身の体はちゃんと制御できます。頼りないかもしれませんが、私とてそれなりの力を持っていたこそ、アドリアナ王国直属の魔導士に採用されたのですから」
万事に控え目なミザリーがこんなこと――自身の力や優秀さ――を、自ら口にするなんて本当に珍しい。
そして、自分の感情を他人――師でもない年下の少女――に吐露するなんてことも……
「こんなことになってしまってから言うのもなんですが、私は自分自身のことも今まで歩んできた人生も、それほど嫌いではなかったのです。いろいろ言ってくる人もいましたけど」
”いろいろ言ってくる人”とは、マリア王女のことだろう。
確かに、ミザリー・タラ・レックスは容貌に恵まれずに生を受けた。
しかし、聡明な母や周りの同僚含め理解者に恵まれ、彼女自身も真面目で穏やかな性質であり、日々コツコツと地道に努力と積み重ねてきた。
多少の苦難に直面しても、培われてきた自己肯定感を損なうことなく、彼女は”彼女の物語”をしっかりと歩んできていたのだ。
そんな彼女は今、自分が自分でなくなってしまう恐怖の真っ只中にいる。
思えばレイナも、マリア王女の肉体にいざなわれた当初は今以上に恐ろしくてたまらなかった。
肉体は違えども、自分は河瀬レイナである、と自我を保つので精一杯であった。
しかし、よくよく考えたら、ミザリーさんの方が数百倍恐ろしい状況にいるのだ、とレイナは思わずにはいられない。
自分の場合は、この魂まで侵略してくる者はいない。
ミザリーは得体の知れぬ魔導士と繋がっているというか、現在進行形で魂にまでも入り込まれ好き勝手にベラベラと喋られている。
簡単に慰めの言葉などかけられるわけがない。
何の力も持たぬのに、”あなたを助けます”とか”あなたを守ります”なんてことも言えるわけがない。
ただ、ミザリーが自らあの薬を口に含み、飲み干す最期なんて想像したくない。
この優しい女性が、レイナにとってはこの世界での姉を思わせる女性が、冷たい骸となってしまう姿など……
「ミザリーさん……あの、その……全てが終わった後は、アドリアナ王国に一緒に帰りましょう……一緒に……アドリアナ王国に……っ……」
この旅がいつ終わるのか定かではないし、そもそも”終わり”までの道筋すら今ははっきり見えぬし、(フランシスからの)不吉な予言まで突き刺されている状況だ。
けれども、帰国の途につく自分の隣にはミザリーがいることをレイナは心から願い、その未来を描かずにはいられなかった。
そう、ジェニーの隣にはアダムがいて、トレヴァーの隣にはライリーとジョーダンがいて……”希望の光を運ぶ者たち”も、ピーターも、パトリック・イアン・ヒンドリー含む兵士たちも、船の乗組員たちも、これ以上、誰一人として欠けることなく……
レイナをじっと見つめたミザリーの瞳にも涙が滲んでいた。
彼女は決して涙を零すまいと耐えているようであった。
どちらともなく、温かく柔らかな手を取り合った彼女たちは気づかなかった。
ピーターのかすかな寝息がいつの間にか止んでいたことを。
彼女たちの話を聞いていたピーターの無性髭に覆われた唇がギュッと固く結ばれたことも。
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