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第7章 ~エマヌエーレ国編~

―2― 風に運ばれし思い ~エヴァ~

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 アドリアナ王国、北の町。
 アリスの町の城――ダニエル・コーディ・ホワイトの生家は、夏を目前にした時期だというのに、どこか寂しく重苦しい空気が漂っていた。
 それもそのはず、首都シャノンより風とともに運ばれた”ぼやけた知らせ”は、市井へと溶け込むこと選択した元後継ぎダニエル・コーディ・ホワイトの生死をもがぼやけたまま届けられたのだから。

 最初の一報を聞いた時、領主ヘンリー・ドグ・ホワイトと次期領主サイモン・ラルフ・ホワイトの顔色は、サアッと青くなった。
 しかし、その一報というよりももはや”悲報”を聞いても、領主の妻エヴァ・ジャクリーン・ホワイトは、顔色一つ変えず、冷静沈着な態度を最後まで崩すことはなかった。


 この時の彼女を、彼女の心の内や生き様を何も知らない者が見たなら、”腹を痛めて産んだ自分の息子が死んだかもしれないのに、なんと冷酷な母親だ。やはり貴族の女なんてモンは自分の子供を単なる駒としか見ていないのか”と、思わずにはいられなかったろう。
 しかし、この目で見えることが全てでない。この耳で聞く言葉だけが全てではないのだ。

 王子ジョセフ・エドワードとエヴァ・ジャクリーン・ホワイトには血のつながりは一滴もないが、精神力ならびに公の立場にいる者としての立ち振る舞いは、まるで彼らこそが血を分けた者であるかのように似通っていた。


 エヴァも、”あの”ペイン海賊団がどのような海賊団であるのかはもちろん知っていた。
 ドレスの流行や夫に隠れてのロマンスで頭の大半が占められている貴族の奥方たちとは、エヴァは一線を課していた。
  それは、彼女自身が生粋の軍人系の家系に生まれたことも一因であるだろう。
 齢六十を超え老齢といってもいい実父ケネス・ヒューゴー・ヤードリーはいまだ現役であり、二人の実兄クリフトンとライオネルもそれぞれの管轄地における将軍としての地位を築いていたのだから。


 エヴァの元に届けられし悲報においては、戦闘員だけでなく非戦闘員である乗組員までもが犠牲となってしまったと……
 その一人として名が挙がっているのは、船長ソロモン・カイル・スミスだ。
 ホワイト家とスミス家は、そう昵懇の間柄というわけではなかったが、ホワイト家が顔を名前を知っている者もまた、海賊たちの刃の犠牲となっていた。

 そして、操舵室にいたはずのスミス船長が刃に倒れたということは、海賊たちは”船内にも侵入してきた”ということだ。
 つまり、ダニエルの生存の可能性はより低いものとなってしまった。
 
 エヴァ含むダニエルと血がつながった家族のみならず、このアリスの町の城に仕えるほぼ全員が、ダニエル・コーディ・ホワイトの生存を”決して口には出さないが”絶望視していた。
 
 真実はまだ、ぼやけきったまま分からない。
 真実が分からぬほど、苦しく悲しいことはない。
 けれども、その真実が自分たちが想像していた以上に、残酷で救いのないものであるかもしれない。
 

 夜。
 ほのかな明かりが照らされた寝室に、妻エヴァと二人きりとなったヘンリーは口を開いた。

「エヴァ……実はな、私はお義父上の元に……ヤードリー将軍の元に使いを出していたんだ。”うちのダニエル”の安否をどうにかして調べてくれないか、とお願いにな」

「え?」

 エヴァは驚き、ヘンリーの顔を見た。

「だが……このアリスの城へと戻って来た使いの者が言うには、”私の使いの者”よりも速く”お前からの使いの者”がお義父上の元へと到着していたそうじゃないか」

 エヴァの行動は、ヘンリーのそれよりも速かった。
 しかし、領主であり夫でもあるヘンリーに無断で行動を起こしていることと同義であるため、エヴァは「勝手な真似をし、申し訳ございません」と頭を下げた。

「いや、お前の気持ちは分かる。我が子の安否を知りたいのは、母親として当然だからな」

 ヘンリーには分かっていた。
 そして、彼はきちんと妻のことを見ていた。

 ペイン海賊団襲撃の知らせを届いた時、自分と次男サイモンは情けなくも狼狽を露わにして慌ててしまったが、エヴァはまったく動じてはいなかった。
 けれども、その時の”エヴァの手はかすかに震えていた”のだ。

 首都シャノンに近い町で暮らす実父の元に、迅速なる使いを出したという行動からしても、エヴァとて平気なわけなどなかったのだ。

「……城へと戻って来た使いが言うには、情報もまだまだ錯綜しているし、真実を掴むまでには少し時間を要するとのことだ」

 エヴァは何も答えずに、ヘンリーへと頷いた。
 長男ダニエルは骨となってこの城へと戻って来るのか、それとも骨すらももう戻らぬかもしれない。
 彼はまだ二十歳にもならぬうちに、この浩々たるアドリアナ王国の大地ではなく、海にて永遠の眠りへとついてしまったのかもしれない……



 次の日の朝。
 アリスの町の城に、使いの者がやってきた。
 その使いの者は、エヴァが実父ケネス・ヒューゴー・ヤードリーの元へと遣わした者ではなかった。

 首都シャノンより馬を走らせて来た者。
 迅速であり正確な情報の大元からの書簡を手にした者。

 書簡には、息子ダニエル・コーディ・ホワイトの無事が記されていた。
 この知らせが紛い物などでないのは、アドリアナ王国第一王子ジョセフ・エドワードの署名と捺印より判断できた。
 これほど、確かな知らせはない!

 ダニエルは生きていた。生きていたのだ!
 さらに言うなら、彼はペイン海賊団の構成員の一人(しかも彼を凌駕する戦闘能力保持者)を捕らえることにも尽力してはいたのだが、その功績については記されてはいなかった。

 もちろん、船に乗って旅立った者は、ダニエル一人だけではない。
 けれども王子殿下は多忙のなか、こうして旅立った者の一人でしかない我が息子の生家にまで直々に”正確な情報”を届ける者を、この地まで遣わしてくれたのだ。


※※※


 首都シャノン。
 ジョセフは、政務机の上に広げている犠牲者のリストを眺めていた。

 オスティーンが、マッキンタイヤーとレックスとのコンタクトを取り続けることによって、そして彼らの傍らにいる魔導士アダム・ポール・タウンゼントの力添えもあり、取りまとめることができた”どこよりも正確な犠牲者リスト”だ。

 そこには、この何年も仕えてくれていた兵士の名前が多数記されていた。
 この城に仕える者たち全員の顔と名前をしっかりと把握しており、決して間違えることなどないジョセフ。
 妹マリアは、彼らのことなどいくらでも換えがきき、消費するためにいる駒でしかないと、見目の良い男以外にはそう興味を示してはいなかったのと正反対である。

 また、船長ソロモン・カイル・スミスをはじめとする乗組員たちの名もある。
 厳正な選考の結果、選ばれた彼らの中、海で永遠の眠りにつくこととなった者にはまだ二十代の若き航海士二人(ジャイルズ・エリス・マードックとマルコム・イアン・ムーディー)と、身分低く生まれたもののたゆまぬ努力によって三十を過ぎてからやっと正式に航海士となった経歴の者(ドミニク・ハーマン・アリンガム)もいた。

 そして――
 このリストに名前のない、あの”希望の光を運ぶ者たち”は、全員、ひどく負傷はしているも命は無事であるとのことだ。
 そして、船に乗っていたレイナやジェニー含む女たちには、性的なことも含め何ら被害はなかったと。女たちはしっかりと守られていた。

 さらに言うなら、我がアドリアナ王国側はペイン海賊団構成員のうち二人を捕らえ、そのままエマヌエーレ国の衛所へと引き渡したらしい。
 奴ら二人は、そのまま裁判へと持ち込まれ極刑――絞首刑となるのは確実だ。


 ドン! と、ジョセフは拳を机に叩き付けた。
 今は、彼一人しかいないこの政務室に、その鈍い音が響いた。

 紙の上に記された犠牲者の名前は、単なる文字の羅列なんかではない。
 彼らそれぞれに人生があった。夢や希望があった。
 そして、彼らには大切な者たちがて、そんな彼らを大切に思っている者が――”死”という悲報が届けられても、そんなこと絶対に信じたくない者、この目で骨を見るまでは絶対に信じやしない者たちだって幾人もいるのだ。


 それに、嫌なことであるが、ジョセフの耳には”本件の当事者ではない一部の民たち”の口さがない言葉までもが耳に入っていた。
 人の不幸は蜜の味(別の言い方をするなら、シャーデンフロイデ)とでもいうのか、錯綜する情報という木になってしまった”甘い実”を口にして咀嚼している一部の民たち。
 自分たちが当事者じゃなかった――ペイン海賊団に襲撃を受けた船に、家族や友人、恋人が乗っていなかった一部の者たちは、犠牲者を悼む気持ちもなく好き勝手なことを言っているらしい。
 「海賊団一つ、やっつけられなかったなんて、うちの王国の兵士も大したことない」「エリート面した見かけ倒し」「税金泥棒兵士軍団」などと、遺族の心をいたわるどころか切り裂いていると。

 ペイン海賊団は、確かに強かった。
 だが、我が王国の兵士は凶悪な奴らとほぼ同等に戦い、かけがえのない各々の命という犠牲を持ってして、海で暴れまくっていた奴らを一時的に戦闘不能の状態にまで追い込んだというのに。



 部屋の扉がノックされた。
 「入れ」というジョセフの指示に、カールとダリオが恭しく一礼し、足を進める。
 現在、アーロンの補佐を行っている彼らであるが、新たな情報を掴んだため、それを伝えに来たのだ。

「殿下、こちらが現在のペイン海賊団の主な構成員とされる者たちの氏名です。すでに死亡している者には、左端に印をつけています」
 カールがジョセフに”新たなリスト”を――極刑に処すべき者たちのリストを手渡す。

 セシル・ペイン・マイルズ、ジェームス・ハーヴェイ・アトキンス、ルイージ・ビル・オルコット、エルドレッド・デレク・スパイアーズ、ボールドウィン・ニール・アッカーソン……そして名前の左端にバツ印が付けられているロジャー・ダグラス・クィルター……


「そちらのリストの中にも名がありますが、エマヌエーレ国の衛所にすでに引き渡し済みの構成員は、ランディー・デレク・モット、レナート・ヴァンニ・ムーロの両名であるとのことです」
 と、ダリオが続ける。
「モットは、船内での取り調べにも非常に協力的であったとの報告を受けています」

 それは、死刑となるのを恐れ、アドリアナ王国側の取り調べに協力すると引き換えに少しでも減刑の余地があると判断されることを狙ってか、それとも今更ながら贖罪の気持ちからかは分からぬが、おそらく前者だろうとジョセフは思わずにはいられなかった。


 ジョセフはふと気づく。
 カールとダリオが互いに視線を交わらせていることに。
 自分に報告すべき事実かどうか、迷いがあるのだろう。

 ジョセフが”何を隠している?”と問う前に、ダリオに向かって頷いたカールが口を開いた。
 主君に忠実なる彼らは、主君の前では決して隠しごとはできぬし、隠していてもいずれ露見してしまうのは明らかであると。

「構成員たちの大半が、我がアドリアナ王国の出身者だということは殿下もすでにご存じであるかと思います。ですが、それだけではなく、構成員の一部がルーク・ノア・ロビンソンとディラン・ニール・ハドソンが過去に所属していた団体の統括者もしくは同僚たちであるとの調べです」

 カールの言葉をダリオが継ぎ、続けた。
「モットの供述だけでなく、ロビンソンとハドソンの聴取をも行い、構成員たちの身元は明らかとなりました」
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