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第5章 ~ペイン海賊団編~

―112― 救出(2)~囚われの船~

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 命の炎が潰えたばかりの兵士の亡骸を、ダニエルが黙って抱き上げた。
 海賊レナートの鉤爪によって、散々なまでに切り裂かれたふくらはぎの傷がズキズキと疼いたのか、彼は顔を少ししかめた。時計仕掛けの人形のようなぎこちない足の動かし方であったものの、彼は死者たちの集められている部屋の方向へと足を向けた。

 レイナは慌ててダニエルの後を追う。
 ダニエルの両腕はふさがっているため、部屋の扉を開ける手伝いをするために。

 これから彼らとともにレイナが向かう先の部屋は、レイナの元の世界の言葉で言うなら”遺体安置室”となるであろう。
 冷たいようであるが、救命中である生者と死者を、同じ部屋の中で隣り合わせて寝かせておくわけにはいかない。死者の肉体は死後硬直が始まり、やがて最後には腐敗していく。そういった衛生面の配慮もある。
 しかし何よりも、今日の昼前まではともに肩を並べていた友や同僚たちが、夕暮れ時の今は”もう何も物言わぬ者”となって横たわっている姿に、救命治療中の兵士たちにこれ以上のショックを与えないためでもあった。


 遺体安置室。
 永遠の眠りについた者たち。
 その者の中には、船長ソロモン・カイル・スミスの姿もあった。

 レイナは前日、スミス船長と操舵室で”確かに”話をした。
 しかし、今、スミス船長は物言わぬ亡骸となって、今日という同じ日に冥海へと向かうことになった者たちとともに横たえられていた。

 船長ソロモン・カイル・スミスの死――いや、彼もまた海賊によって殺害されたことは、レイナやジェニー、そして侍女長たち女性陣の間にも伝えられた。
 その悲報を聞かされた瞬間、「そんな……嘘でしょ」と顔を覆って嗚咽した侍女たちも数名いた。
 彼女たちは、スミス船長が舵を握り広き海原へと進みゆく船の裏方として幾度となく働いていたのであろう。

 皆が敬愛する船長ソロモン・カイル・スミスの死。
 そして、副船長ブロック・ダン・アンドリュースも、操舵室にて海賊に斬りつけられ重傷を負ったものの、命に別状はないとの話をレイナは聞いていた。
 海賊どもが、甲板のみならず、操舵室にまで襲撃をかけたことは事実だ。だが、海賊どもの残虐な刃は”操舵室内で”留められたらしかった。そうでなければ、あの猛獣のごとき鉤爪と気性の持ち主である海賊レナートと、スミス船長を殺した海賊どもは船内にて合流していたであろうから。
 レイナは詳しく知らぬことであったが、海賊どもの刃が更なる船の奥へと進むことを阻止したのは、スミス船長の息子バーニー・ソロモン・スミスの功績であった。


 そして――
 この遺体安置室には、スミス船長と同じ”非戦闘員なる者たちの亡骸”もあった。
 甲板にて殺害された2人の若き航海士、ジャイルズ・エリス・マードックとマルコム・イアン・ムーディーだ。
 彼ら2人の正確な年齢については知らなかったが、レイナは彼らはともに20代後半ぐらいであろうかと推測していた。
 彼らの首は”海賊の弓矢”によって貫かれていたも、今は彼らの肉体を苛んではいない。彼らの口回りは吐き出した血で汚れていたも、今は綺麗に清められていた。

 レイナは知らないことであったが、ルーク、ディラン、ダニエルが彼らの首から弓矢を抜いてやり、口回りを清め、無念によって見開かれた瞳をそっと閉じさせていた。
 ルークとディランにおいては、海賊どもの死闘によって顔面はじめ、至るところを負傷していた。しかし、彼らは肉体の痛みと”心の痛み”をこらえ、マードックとムーディーの遺体をダニエルとともに清めたのだ。
 彼らのかつての友である海賊エルドレッド・デレク・スパイアーズの手によって殺害された罪なき2人の航海士の遺体を。


 レイナは考えていた。
 自分たちが避難訓練を行っていた時、甲板から重なり合い響いていた銅鑼の音。
 あの銅鑼の音はきっと、彼ら2人がペイン海賊団の襲撃を知らせるために必死で鳴らしていたものに違いないと。
 この船はペイン海賊団に襲撃されてしまった。
 だが、”初動が早かった”からこそ兵士たちの戦力は船内で分離されることなく、甲板へとすぐさま集結したのだ。



 その時――
 この遺体安置室に、1人の兵士が足を踏み入れた。
 ”兵士という職業に就いている者にしてはやや贅肉が目立つ”その兵士もまた、”永遠の眠りへとつかざるを得なくなった者”を両腕で抱きかかえていた。
 その者は、マードックやムーディーと同じ航海士の制服を身に付けていた。

 そう、航海士という非戦闘員であるにもかかわらず、ペイン海賊団の容赦なき刃の犠牲となった者は他にもいた。
 航海士ドミニク・ハーマン・アリンガムだ。

「…………バルコニーで殺されてたよ」
 アリンガムを抱きかかえている兵士――涙の名残が残る真っ赤な目をしたバーニー・ソロモン・スミスの悔し気な声。

 ドミニク・ハーマン・アリンガムは、”やはり”殺害されていた。
 バーニーはじめ、甲板にいた兵士たちには分かっていた。
 アリンガムを殺害したのは、ペイン海賊団のリーダー格の1人――あの赤茶けた髪でひょろ長い体躯の海賊であると。甲板での戦闘開始前、あまりにも軽快に甲板へと下り立った奴の剣から、すでに”真新しい血”が滴り落ちていたのだから。

 バルコニーへと仲間たちとともに下りたバーニーは、左胸を朱に染め仰向けに倒れているアリンガムを発見した。
 アリンガムは歯を食いしばり、目を見開いたまま事切れていた。マードックやムーディーと同じく、最期まで自分の持ち場を離れることなく、航海士としての職務を全うした彼のその手は、”赤旗を握りしめたまま”であった。
  
 ”後続船を海賊の襲撃から遠ざけようと”花火と赤旗で危険を知らせていたアリンガム。
 まさか、その後続船までもがペイン海賊団の手に落ちていたとは、誰が想像できようか。
 どれだけ無念であったことだろう。
 これ以上ないほど懸命に生きてきた彼の人生は、海賊ルイージ・ビル・オルコットの刃によって切り裂かれるためにあったわけではないはずなのに。



 腕の中のアリンガムをそっと横たわらせたバーニーは、ダニエルに振り返った。
「なあ、ホワイト。隊長やロビンソンたちは、今、”後ろの船”を調べにいっているんだよな?」
「ええ、そうです」
 バーニーは、ダニエルを”フニャチン”ではなく、ちゃんとファミリーネームで呼んでいる。
「……”俺たちの剣は全部、空から戻ってきた”ことだし、俺も含め何人か動くことはできる奴はいるけどよ。この船をがら空きにするわけにはいかねえな」

 バーニー・ソロモン・スミスが言った通り、甲板にいた兵士たちは全員、武器である剣を”得体も知れず姿を見せないままの魔導士クリスティーナ”の不思議な力で取り上げられた。
 しかし、レイナが甲板に援軍を呼びに姿を現し、再びパトリックたちを伴って船内へと戻ったわずか数分後に、空より”取り上げられた自分たちの剣だけ”が戻ってきたらしかった。
 これはいったい、どういうことなのか?
 魔導士クリスティーナは、海賊たちの回収を行うために甲板にいる者全ての剣を取り上げ仕分けした。回収は完了したため、その仕分けした剣たちをクリスティーナが持っていても仕方ないと、敵である自分たちに律儀に返してくれたのか?
 それとも、完全に決着がついてはいないアドリアナ王国兵士軍団とペイン海賊団の次なる戦いの布石の1つとして、返してくれたのであろうか?


 バーニーは、父を失った悲しみと仲間たちを失った悲しみで赤くなった目をゴシゴシとこすりながら続ける。
「まさか、後ろの”ゴージャス船”までもが”あいつら”の手に既に落ちていて、出港からずっと挟み撃ちで狙われていたとはよ……あの船にいた男はもう全員殺されているだろうけどよ。”船にいた女たちが監禁されている”のは間違いねえよな」

 ”船にいた女たちが監禁されている”という言葉を聞いたレイナの顔がサッと青くなった。
 ダニエルもそれに気づいたらしく、「レイナさん、元の部屋でガイガーさんたちのお手伝いを」と小声で囁いた。

 レイナの表情とダニエルの気遣いを見たバーニーは、肩をすくめた。
 いくら女好きで娼館好きで、酒好きのうえ訓練のサボり癖が身についているバーニーとはいえ、女性であるレイナの前で”海賊たちに散々に犯された女たちが後ろの船に乗っている”と含ませたことは”しまった!”と思ったらしかった。


 ダニエルに促され、遺体安置室を出たレイナ。
 ダニエルとバーニー・ソロモン・スミスは、まだ何か話を続けているらしかったが、彼らの話の内容までは分からなかった。
 顔色を変えてしまったレイナであったが、今、バーニーが話していたことは、”どんなに惨たらしくて悲しくてもこれから直面せざるを得ないこと”であると分かっていた。ただでさえ、足手まといな自分が、ダニエルたちにこんな時にまでこうして気をつかわせてしまったことも情けなかった。

 後続船には、海賊たちの性暴力を受けた女性たちが乗っている。
 ただでさえ減ってしまったこの船の兵士たちは、その数をさらに二分されることとなったが、兵士隊長パトリック・イアン・ヒンドリーの指示のもと、後続の”囚われの船”の調査ならび監禁されている者の救出へと向かっているのだ。
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