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【R15】Episode11 滅茶苦茶風味『桃太郎物語』
Episode11 滅茶苦茶風味『桃太郎物語』~急の巻~
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鬼ヶ島へと足を踏み入れたわしは、驚かずにはいられんかった。
鬼どもの巣だけあって、漂う空気のさらなる冷たさと血生臭さは、わしの肌を――シミや皺、たるみなど一切なくなった瑞々しいわしの肌をブワワッと一層、鳥肌立たせたんじゃ。
だが、わしが鳥肌立ったのは、それだけじゃない。
わしが目にした鬼ヶ島の光景は……何と言えばいいじゃろうか……わしの住んでいた村と比べると、”文明”なるものが段違いに発達しておるようじゃった。
童よ、お前さんも鬼と聞けば、徒党を組み、野蛮で下品であらゆる本能の赴くままに生きる無教養な者たちだと思い描いてしまうじゃろ?
今までの桃太郎の物語に出てきた鬼どもは、確かにそういう奴らじゃったからのう。
鬼どもの屋敷の更なる奥へと案内されたわしは、今現在の鬼ヶ島の鬼どもは、本当にインテリであるのじゃと実感せずにはいられんかった。
腕力だけでなく、知力をも鍛えている鬼どもじゃとな。
屋敷の中には、金棒をはじめとする様々な武器だけでなく、書物までもがたくさんあった。
その書物は、日本のものもあれば、わしが聞いたこともない海の向こうのそのまた向こうの国のものまでもがあった。
なんと、鬼どもは、蛇がうねっているような字で書かれた”それら”までをも独学で読むことができたらしいんじゃ。
あっけにとられていたわしを見た鬼の大将が、低い声で笑った。
「驚いたか? だがな、爺……お前も知っての通り、”歴史は繰り返す”。いつの世にもわしら鬼は蘇り、そして、桃太郎もまた生まれる。わしらは、桃太郎に退治される鬼ヶ島の鬼どもという運命に生まれていても……”毎回毎回、わしら鬼があやつに倒されっぱなしでたまるものか!”と一念発起してのう、わしら鬼の逞しい体を鍛えるだけに留まりはしなかった。この鬼ヶ島はいち早く国際社会の波に乗り、諸外国の様々な知識を取り入れていたというわけだ」
鬼の大将の言葉を聞いたわしは、思わずはいられんかったんじゃ。
桃太郎一行が上陸する島を間違えず、この鬼ヶ島に予定通り上陸していたとしても……今の鬼ヶ島の鬼どもにはもしかしたら負けておったかもしれん……と。
”最初から”桃太郎として生まれていた桃太郎には、奢りがあった。
奢り高ぶる者が、反骨精神溢れ相当な努力家の鬼どもに、果たして今まで通りに勝てたじゃろうか……と。
そんな鬼どもがわしに授けた桃太郎討伐のための道具は、金棒でもなければ、鋭い刀でもなかった。
わしは、何やら脂臭い皮の袋に入れられた”盾”を授けられたんじゃ。
お前さんは知っているかもしれんが、盾とは攻撃のためじゃなくて防御のための道具じゃ。
それに、道具である盾が生きているはずなどないのに、何やら皮の袋の中で細長い何かが幾本も蠢いているようじゃった。
これはいったい何じゃろう?
不気味じゃし、正直、恐ろしくてたまらんかった。
けれども、鬼どもは口を揃えて言ったんじゃ。
”いざという時以外”は、絶対にその盾を袋から出してはならんし、袋の口を開けて中を除くこともならんとな。
鬼の大将は、わしに言った。
「爺よ……この盾をお前にやろう。お前にやったものだから、どうしようがお前の自由だ。ただし、取り扱いには充分に気を付けろ。これは盾ではあるが、まさに諸刃の剣ともいえる代物だからの」
盾の取り扱い方の説明を一通り受け終わったわしは、鬼の大将に聞いた。
三年たってもわしが桃太郎を見つけられなかったら、わしは一体どうなるのか、と。
「わしら鬼にも想像力があるのだから、人間のお前にとて想像力はあるだろう。そんな”分かりきったこと”をお前が今さら問うとはな」
鬼の大将は、”唾液で濡れた牙”をその大きな口より覗かせて笑ったんじゃ。
※※※
こうして、わしの三年限定の桃太郎討伐の旅が始まることとなった。
摩訶不思議な桃から生まれた桃太郎を、摩訶不思議な桃を食って若返った元爺が討伐しに行く旅がな。
そうじゃ、鬼ヶ島を後にする日じゃったが、わしは屋敷の廊下で婆さんとすれ違った。
婆さんは、いや、鬼どもの妾となった瑠璃は、それはきらびやかな着物を――正直、わしの稼ぎでは到底買ってやれぬほどの上等な着物を着ておってのう……
一瞬だけ、わしらの目が合った。
だが、すぐにどちらともなく目を逸らした。
互いにいろんなことを我慢していたとはいえ、それに”とんでもないオスガキ”を抱えた夫婦であったとはいえ、半世紀以上連れ添ったわしら夫婦が完全に終わった時じゃった。
男女というものも、夫婦というものも、あっけないもんじゃったと今更ながらに思い知ることとなったの。
※※※
一人で旅立ったわしの――桃太郎の爺の第二章は、書物が一冊書けそうなほどに波乱万丈の旅路じゃった。
生まれた村から出たことなどなかったわしが、海を渡って様々な国へと足を下ろして、ほうぼうを歩き回ったんだからのう。
ついに、鬼ヶ島の鬼どもが定めた三年の期限、わしの命の期限よりあと三か月となった時じゃった。
とある国で――わしら日本人と目の色や髪の色はそう変わりないも、話している言葉が全く違う者たちが暮らしておる国でのことじゃ。
片言や身振り手振りではあったも、わしはその国の者たちの言葉を何とか理解することができるようになっておった。
そこで出会った者たちの話では「数年前に日本からやって来た、とてつもなく腕っぷしの強い若い男が、盗賊の首領となり、旅人を殺して金品を強奪したり、女をさらって犯したりしている」と……
その話を聞いた時、「絶対に桃太郎じゃ!」とわしは確信した。
最悪じゃ。本当に最悪じゃ。
英雄となるために生まれた男が、英雄になり損ねたばかりでなく、悪党に……それもまさに鬼畜としか言えない悪党として生き続けておったとは!
そして、風吹きすさび雷轟ぐ嵐の日のことじゃった。
わしはわざと、盗賊の手下どもに捕まった。
その場で有無を言わさずに斬り殺される危険もあったんじゃが、これは一か八かの賭けじゃった。
わしは命乞いとともに懇願した。
「日本からやって来たわしは、お前たちの頭(かしら)の家族じゃ。頭の名は、桃太郎というじゃろう。頼む、後生じゃ、一目で良いから、わしを桃太郎に会わせてくれ。それにわしが今、この背に背負っている皮の袋の中の物は桃太郎への贈り物じゃ」とな。
わしの言葉は手下どもから、桃太郎へと伝わったらしい。
盗賊どものアジトにそのまま連れていたわしの目の前に、桃太郎が現れた。
あやつの顔の作り自体は男前のままじゃったが、荒み切り、絶対に堅気には見えなくなっておったし、何より……なんというか、まるで蛇のごとく”さらに”ゾッとする冷たい目つきにもなっておった。
わしを見た桃太郎は案の定、「てめえ、誰だよ?」とケッと息を吐いた。
「俺の家族を名乗る酔狂な野郎がいるっていうから、気まぐれで会ってみようかと思ったんだがよ。てめえがどこの誰だか知らねえけど、俺の家族なんてしゃらくせえモンは、賞味期限切れの野菜よりもしなびた爺と婆の二人しかいねえ。俺が日本を離れて、もう三年近く……無駄に長生きしやがっていたあいつらは、もうそろそろくたばっちまってる頃だろうけどよ」
「桃太郎……わしじゃよ。お前の言う、賞味期限切れの野菜よりもしなびていた爺じゃ。鬼ヶ島の鬼に仙桃とかいう、摩訶不思議な桃を食わされ若返った、お前の爺じゃ」
「……てめえがあの爺? 桃を食って若返った? 冗談も休み休みにしろよ」
と、鼻で笑った桃太郎じゃったが、改めてわしの顔をまじまじと見たんじゃ。
本来ならこうして目にするはずなどなかった若き日のわしの顔に、奴の記憶の中にある老人のわしの顔との共通点を幾つも見て取ったんじゃろう。
桃太郎は、わしをリンチするため舌なめずりをしている手下どもに「ちょっと席を外せ。家族水入らずで話をつけるからよ」と顎をしゃくった。
”家族水入らず”などと言ったが、こやつは、わしのことを家族だとは思っていやせん。
その証拠として”話をする”ではなく、”話をつける”と言ったのだからのう。
「爺……婆はどうしたんだ? 一緒じゃねえのか?」
「わしと婆さんはもう別れたんじゃ……わしと同様に若返った婆さんは、鬼どもの妾となることを承知して鬼ヶ島におる……」
それを聞いた桃太郎は、ククッと低い声を漏らしたかと思うと、ワハハハと喉をのけぞらせて笑った。
「夫婦仲はとっくに冷え切っていると思ったけど、こりゃあ、超熟年離婚じゃねえか? 互いに我慢の限界がきたってとこかよ。若返った婆は鬼どもに股ァおっぴろげて第二の人生をエンジョイしてんだろ? 爺、せっかく寿命が伸びんだからよ、てめえもてめえで楽しめばいいのによ」
「わしはすべきことがあってここに来た。この三年近く、わしはずっとお前を探し続けておった。わしはお前を鬼ヶ島の鬼どもの元に連れて行かねばならん。お前が犯した大量殺戮のけじめをつけるためにのう」
「は? この俺を鬼どもの元に連れて行く? ンだよ、爺。てめえまで何、”鬼たち側”に立ってんだよ。人間のくせによぉ」
「それはこっちの台詞じゃ! お前こそ、人間のくせに……それも、桃太郎として生まれたくせに、罪なき人々を痛めつけ、まるで虫けらのように殺しおって!」
近くに落ちた雷が、睨み合うわしと桃太郎を薄闇の中に浮かび上がらせた。
わしは神がかり的な力など持たずに生まれたが、こやつの体から立ち昇り始めた殺気が、まるで湯気のように揺らめくのが見えたんじゃ。
「爺、てめえの説教はもうガキの頃から聞き飽きてんだよ……そもそも、俺が今まで殺してきた奴らのことなんて、何とも思ってねえし。何の役割も与えられずにこの世に生まれ落ちた奴らを何人殺したって、世の中にそうダメージはないだろ? それによぉ、鬼ヶ島に俺を連れて行くなんて話、聞かされて『はい、そうですか』と、てめえに大人しく手を引かれていくわけねえだろ」
「いいや、何がなんでも、わしはお前を鬼どもの元へと連れて行く! 連れて行かねばならんのじゃあ!」
わし自身の命可愛さのためか、こやつの爺であったばかりに酷い目に遭った悔しさゆえか、それともこやつに無惨に殺された罪なき人々の無念を背負おうとしたのか、その時のわし自身にも分からんかった。
桃太郎に対する確固たる殺意と同時に、こやつがまだ小さかった頃の思い出までもが――立派な桃太郎となるこやつの成長を見守ろうと婆さんと誓い合った時などといった数少ない心温まる思い出までもが、わしの中に流れ込んできおった。
けれども、狂いまくった桃太郎の物語をここで終わらせることができるのはわししか、おらんかったんじゃ。
「さあ、来い! 桃太郎!」
戦いの始まりを告げるわしの叫びが終わるよりも速く、桃太郎の奴はすでにわしへと飛び掛かってきおった。
わしとて、柴刈りで鍛えているため足腰は強いし、見ての通り上背もそこそこあるから、決して軟弱な肉体の男ではなかった。
しかし、わしは桃太郎には全く歯が立たんかった。
歯が立たんかったというよりも、反撃すら出来ん。
わしの拳より幾分も速く、そして強く、桃太郎の拳がわしの顔に、わしの腹へと幾発も入りおった。
髪を掴まれ、引きずられたわしは、拳だけでなく桃太郎の強烈な蹴りまでをも腹にドカッと食らった。
鼻からも口からも血が噴き出す。
わしの顔はもう血だらけじゃった。
苦痛に喘ぎながらも血はこれほどに塩辛いもんじゃったか、とわしはどこか遠くで考えておった。
片目はふさがり、ヒューヒューとかすれた息しか出せなくなっているわしの胸倉を桃太郎はグイッと掴み上げたんじゃ。
「あのよ、爺。一応、育ての親だからってつけあがるんじゃねえぞ! この俺を誰だと思ってんだ?! 俺は桃太郎なんだよ! も・も・た・ろ・う!! 英雄となるために生まれてきたこの俺が、いくら若返ったとはいえ、柴刈り爺となる運命の元に生まれてきた、てめえごときやられるわけねえだろ!」
そりゃそうじゃった。
心身とも腐りきっておるこやつは、”腐っても鯛”というか、”腐っても桃太郎”じゃ。
同じ若い男であっても、身体能力(戦闘能力)はわしとこやつでは最初から勝負にならん。
だが、わしは必死の思いで桃太郎を突き飛ばして走った。
”三十六計逃げるに如かず”というわけじゃない。
確かに勝ち目のない相手からは逃げるに限るじゃろう。
だが、わしには形勢逆転の機を生じさせる道具を、鬼たちから授かっておった。
「待ちやがれぇ、爺ィィ!!」
わしはその道具――盾を入れていた脂臭い皮の袋を、背に隠した。
袋の中の”数多の細長く恐ろしい生き物の蠢き”をわしは我が背に感じた。
幸運にも、わしの利き腕は折られてはいなかったんじゃ。
まだ動かすことができる。
手を噛まれないように、わしは、この袋の中の盾を取り出さねばいかん。
中にいる”者”に手を噛まれては、わし自身に毒が回っちまう。
そして、取り出す際に、わしはこの中を見てはならん。
中にいる”者”と絶対に”目を合わせてはならん”のじゃ。
「……も……桃太郎、お前の物語はここで終いじゃ……っ」
「最期の最期までかっこつけてんじゃねえよ! ヘタレ爺のくせによ!」
ついに桃太郎は懐の刀を抜いた。
外では風はさらに吹きすさび、雷が奴の刀をギラリを光らせたんじゃ。
「てめえの首、鬼ヶ島の鬼に送り付けてやるぜ。だから、成仏しろよ、爺!」
桃太郎は、わしに向かって刀を振りかざさんとした。
そして、”目をつぶった”わしは袋の中の盾を取り出し、桃太郎へと突きつけたんじゃ!!!
!!!!!!!!!!!
外で轟いた雷がわしらを再び照らし出した。
それと同時に、盾からも光が放たれ、”桃太郎だけを”キシャアアアッと照らしたんじゃ!
恐る恐る目を開けたわしの首と胴体はつながったままじゃった。
じゃが、桃太郎は”物言わぬ石”と化しておった。
あやつがわしへと向かって剣を振りかざさんとしたその瞬間のまま、石像と化しておったんじゃ。
※※※
童よ、聡いお前さんには、ここで全てがつながったろう。
わしがお前さんに話した、真実の桃太郎の物語のなかで散らばっていた幾つもの破片が今、やっと一つとなったであろう。
この浜辺で何十年も雨や風にさらされ続けていた、この桃太郎の石像……こやつは石像と化した桃太郎そのものなんじゃ。
育ての親であるわしの首を刎ねんとしたまさにその瞬間、石像となったこやつののう。
え?
なぜ、鬼たちから授かった盾を突き付けただけなのに、桃太郎は石像と化したのかと?
これは少し難解な話なんじゃが、鬼ヶ島の鬼どもは諸外国の書物を数多く保有しておると言ったじゃろ。
その中に”ぎりしあ神話”といか言う書物があるらしいでの、鬼たちはその中に登場する、髪が無数の毒蛇である女の首をはめ込んだ盾の模造品を自分たちで作ってみたらしい。
確か、”めでゅうさ”とかいう名の女じゃった。
その面妖な風貌の”めでゅうさ”と目を合わせた者は、全て石化してしまうんじゃと。
だからこそ、鬼たちも取り扱いには充分に気を付けろ、とわしに口を酸っぱくして言っておったんじゃ。
まさに、鬼たちだからこそ作ることができた恐ろし過ぎる武器じゃな。
鬼たちは、どうやってそれを作ったのか、と?
さあのう……無数の毒蛇はともかく、女の首をどこから持ってきたのかという、考えれば考えるほどに眠れれなくなる疑問は当時のわしにもあったが、それは深く聞かんかった。
この世には知らん方がいいことがあるんじゃ。
とにかく、わしは桃太郎を倒した。
石像となってしまったこやつには、もう何もできやせん。
これ以上の悪行を重ねることはできんのじゃ。
頭である桃太郎が殺されたことを知り、怒り狂った山賊の手下どももわしへと斬りかかってきおった。
だが、わしはそいつらに向かっても、”めでゅうさ”もどきの盾をかざした。
罪なき者どもを苦しめていた悪党どもを、このわしが一掃したんじゃ。
船に桃太郎の石像を積んだわしは、鬼ヶ島へと向かった。
約束通り、三年の期限内に桃太郎を鬼どもの元へと連れて行くわしは、”けじめ”をつけることができたし、わし自身の首もつながることになったんじゃ。
しかし、一つ問題が残っておった。
”めでゅうさ”もどきの盾のことじゃ。
確かにこやつは強力な武器じゃ。
こやつがなければ、わしは間違いなく桃太郎に首を刈られていたろう。
しかし、こやつを鬼ヶ島の鬼どもに返すとなると躊躇してしまったんじゃ。
ただでさえ頭の良いあの鬼どもが、今後、こやつを使って無慈悲な大量殺戮に手を染めないという保証はない。
やはり、鬼は鬼じゃからのう。
それに鬼どもは、わしにこうも言っておった。
「この盾をお前にやろう。お前にやったものだから、どうしようがお前の自由だ」とも……
だが、わしが持つにしても、わし一人でこやつを背負って生きていくのは、相当に恐ろしい代物じゃ。
だから、わしは”めでゅうさ”もどきの盾を船から海へと投げ捨てたんじゃ。
誰も目を合わすことのないように。
誰も石像と化すことのないように。
あの、”めでゅうさ”もどきの盾は、今も海の奥底で眠っているじゃろう。
桃太郎の石像は、二十数年の間、鬼ヶ島の宴会場に飾られておったらしいがの、鬼ヶ島も代替わりをするとかで、新しい鬼の大将が、一応は桃太郎の保護者であったわしへと返しに来たんじゃ。
だから、わしはこの浜辺にこやつを置かせてもらい、以来、ずっとこの浜辺の村で一人で暮らしておる。
え?
妻や子供を新たに持つことはなかったのか、と。
童よ、わしはもう、嫁も子どもも一度目で懲り懲りじゃ。
鬼どもの妾となった婆さんも今頃、何をしておるのかのう。
わしと同じく、二度目の年寄り生活の最中であるのか?
それとも、もうこの世にはいないのかも分からん。
本当に充分なほどに生きたわしの毎日の日課と言えば、海辺を散歩し、潮風にさらされながらゆっくりと朽ち果てゆく桃太郎を眺めることぐらいじゃ。
鬼どもの道具に頼ったとはいえ、わしは桃太郎を――凶悪な殺人鬼をこうして石像にして倒した者なんじゃ。
ある意味、わしこそが真の英雄とは思わぬか?
童よ、お前さんはどう思……
※※※
私の目の前で、お爺さんが白目を剥いて倒れています。
そりゃあそうです。
今までお爺さんの話を聞いていた”童”である私が、おじいさんを殴ったからです。
正直、お年寄りを殴ることは躊躇しました。
ですが、私は確固たる理由があって、お爺さんを殴ったのです。
確固たる理由。
そう、それは仇討ちです。
お爺さん、あなただったんですね。
私の大切な者たちの命を奪ったのは。
私と私の大切な者たちの世界を壊したのは……
私が先ほどまであなたから聞かされた”真実の桃太郎の物語”ですが、まあ、桃太郎は自業自得であり当然の報いと言えるでしょう。
桃太郎とその手下どもを成敗したことについては、あなたは本当によくやったと誰もが称えるでしょう。
ですが、お爺さん、あなたは罪を犯していたのです。
明確な悪意があってやったことではないとはいえ、あなたも私たちにとっては鬼のごとき加害者であるのです。
お爺さん……あなたは、盾を海へと投げ込んだ。
鬼ヶ島の鬼どもが作った、メデューサもどきの盾を投げ込みましたね。
その結果、海の下ではどんなことが起こったと思います?
海流に揉まれ、皮の袋からメデューサもどきの盾が飛び出したのでしょう。
また、海流に揉まれ、盾からメデューサもどきの首が外れもしたのでしょう。
こうして自由になったに違いないメデューサもどきは、海の中を泳ぎ回りました。
そして、恐ろし過ぎる顔面のあいつは、”私たちの竜宮城”へまでも侵入し、キシャアアアッと目を光らせながら、私の大切な者たちを次々に石化させていったのです。
美しい乙姫様までもが、あいつの餌食となってしまったのです。
勇(いさみ)という名の鮫が、相討ち覚悟であいつをその口内へと飲み込み…………阿鼻叫喚の地獄はようやく終わりを告げました。
しかし、失われた命はもう戻ってはこない。
美しき竜宮の世界も、もう戻ってはこない。
石像だらけの廃墟と化した竜宮城に残されたのは、数匹の魚と亀の私だけでした。
人間形態ではただの童にしか見えぬ私ですが、あの地獄を体験したトラウマとストレスによって、私の体の時は止まってしまいました。
お爺さん、英雄として生まれた桃太郎が地上で地獄を作り出しましたが、あなた自身も知らずと海の底での地獄を作り出してしまった者だったのです。
あなたは自身が背負うべき罪をも知らずに、この浜辺の村でのうのうと暮らしていたのです。
そして、竜宮城が壊滅してしまったということは『浦島太郎』はもう始まりません。
あなたは、桃太郎の物語を終わらせしましたが、浦島太郎の物語をも永久に終わらせてしまいました。
だから、私は”あなたの物語”をも終わらせたい。
命には命で償ってもらわなければなりません。
ですが、あなた自身は救いようのない悪人というわけでもないし、先ほどまでの話を聞いた限り、犯行当時のあなたには悪意ならびに殺意などはなかったと判断できます。
犯した罪とその裁きが同等となることなんてないのは、いつの世も同じであり、無念のうちに亡くなった乙姫様や竜宮城の仲間たちのことを思えば、心苦しい選択ではありますが、私はできるだけあなたに死の恐怖と苦痛は与えたくないと……
よって、私は今から、この桃太郎の石像を白目を剥いて倒れているあなたの上に落とそうと思います。
真っ先に頭部をグシャッと潰せば、苦痛はそう長くは続かないでしょう。
だからお爺さん、あなたもどうか安らかにお眠りください……
――幕――
鬼どもの巣だけあって、漂う空気のさらなる冷たさと血生臭さは、わしの肌を――シミや皺、たるみなど一切なくなった瑞々しいわしの肌をブワワッと一層、鳥肌立たせたんじゃ。
だが、わしが鳥肌立ったのは、それだけじゃない。
わしが目にした鬼ヶ島の光景は……何と言えばいいじゃろうか……わしの住んでいた村と比べると、”文明”なるものが段違いに発達しておるようじゃった。
童よ、お前さんも鬼と聞けば、徒党を組み、野蛮で下品であらゆる本能の赴くままに生きる無教養な者たちだと思い描いてしまうじゃろ?
今までの桃太郎の物語に出てきた鬼どもは、確かにそういう奴らじゃったからのう。
鬼どもの屋敷の更なる奥へと案内されたわしは、今現在の鬼ヶ島の鬼どもは、本当にインテリであるのじゃと実感せずにはいられんかった。
腕力だけでなく、知力をも鍛えている鬼どもじゃとな。
屋敷の中には、金棒をはじめとする様々な武器だけでなく、書物までもがたくさんあった。
その書物は、日本のものもあれば、わしが聞いたこともない海の向こうのそのまた向こうの国のものまでもがあった。
なんと、鬼どもは、蛇がうねっているような字で書かれた”それら”までをも独学で読むことができたらしいんじゃ。
あっけにとられていたわしを見た鬼の大将が、低い声で笑った。
「驚いたか? だがな、爺……お前も知っての通り、”歴史は繰り返す”。いつの世にもわしら鬼は蘇り、そして、桃太郎もまた生まれる。わしらは、桃太郎に退治される鬼ヶ島の鬼どもという運命に生まれていても……”毎回毎回、わしら鬼があやつに倒されっぱなしでたまるものか!”と一念発起してのう、わしら鬼の逞しい体を鍛えるだけに留まりはしなかった。この鬼ヶ島はいち早く国際社会の波に乗り、諸外国の様々な知識を取り入れていたというわけだ」
鬼の大将の言葉を聞いたわしは、思わずはいられんかったんじゃ。
桃太郎一行が上陸する島を間違えず、この鬼ヶ島に予定通り上陸していたとしても……今の鬼ヶ島の鬼どもにはもしかしたら負けておったかもしれん……と。
”最初から”桃太郎として生まれていた桃太郎には、奢りがあった。
奢り高ぶる者が、反骨精神溢れ相当な努力家の鬼どもに、果たして今まで通りに勝てたじゃろうか……と。
そんな鬼どもがわしに授けた桃太郎討伐のための道具は、金棒でもなければ、鋭い刀でもなかった。
わしは、何やら脂臭い皮の袋に入れられた”盾”を授けられたんじゃ。
お前さんは知っているかもしれんが、盾とは攻撃のためじゃなくて防御のための道具じゃ。
それに、道具である盾が生きているはずなどないのに、何やら皮の袋の中で細長い何かが幾本も蠢いているようじゃった。
これはいったい何じゃろう?
不気味じゃし、正直、恐ろしくてたまらんかった。
けれども、鬼どもは口を揃えて言ったんじゃ。
”いざという時以外”は、絶対にその盾を袋から出してはならんし、袋の口を開けて中を除くこともならんとな。
鬼の大将は、わしに言った。
「爺よ……この盾をお前にやろう。お前にやったものだから、どうしようがお前の自由だ。ただし、取り扱いには充分に気を付けろ。これは盾ではあるが、まさに諸刃の剣ともいえる代物だからの」
盾の取り扱い方の説明を一通り受け終わったわしは、鬼の大将に聞いた。
三年たってもわしが桃太郎を見つけられなかったら、わしは一体どうなるのか、と。
「わしら鬼にも想像力があるのだから、人間のお前にとて想像力はあるだろう。そんな”分かりきったこと”をお前が今さら問うとはな」
鬼の大将は、”唾液で濡れた牙”をその大きな口より覗かせて笑ったんじゃ。
※※※
こうして、わしの三年限定の桃太郎討伐の旅が始まることとなった。
摩訶不思議な桃から生まれた桃太郎を、摩訶不思議な桃を食って若返った元爺が討伐しに行く旅がな。
そうじゃ、鬼ヶ島を後にする日じゃったが、わしは屋敷の廊下で婆さんとすれ違った。
婆さんは、いや、鬼どもの妾となった瑠璃は、それはきらびやかな着物を――正直、わしの稼ぎでは到底買ってやれぬほどの上等な着物を着ておってのう……
一瞬だけ、わしらの目が合った。
だが、すぐにどちらともなく目を逸らした。
互いにいろんなことを我慢していたとはいえ、それに”とんでもないオスガキ”を抱えた夫婦であったとはいえ、半世紀以上連れ添ったわしら夫婦が完全に終わった時じゃった。
男女というものも、夫婦というものも、あっけないもんじゃったと今更ながらに思い知ることとなったの。
※※※
一人で旅立ったわしの――桃太郎の爺の第二章は、書物が一冊書けそうなほどに波乱万丈の旅路じゃった。
生まれた村から出たことなどなかったわしが、海を渡って様々な国へと足を下ろして、ほうぼうを歩き回ったんだからのう。
ついに、鬼ヶ島の鬼どもが定めた三年の期限、わしの命の期限よりあと三か月となった時じゃった。
とある国で――わしら日本人と目の色や髪の色はそう変わりないも、話している言葉が全く違う者たちが暮らしておる国でのことじゃ。
片言や身振り手振りではあったも、わしはその国の者たちの言葉を何とか理解することができるようになっておった。
そこで出会った者たちの話では「数年前に日本からやって来た、とてつもなく腕っぷしの強い若い男が、盗賊の首領となり、旅人を殺して金品を強奪したり、女をさらって犯したりしている」と……
その話を聞いた時、「絶対に桃太郎じゃ!」とわしは確信した。
最悪じゃ。本当に最悪じゃ。
英雄となるために生まれた男が、英雄になり損ねたばかりでなく、悪党に……それもまさに鬼畜としか言えない悪党として生き続けておったとは!
そして、風吹きすさび雷轟ぐ嵐の日のことじゃった。
わしはわざと、盗賊の手下どもに捕まった。
その場で有無を言わさずに斬り殺される危険もあったんじゃが、これは一か八かの賭けじゃった。
わしは命乞いとともに懇願した。
「日本からやって来たわしは、お前たちの頭(かしら)の家族じゃ。頭の名は、桃太郎というじゃろう。頼む、後生じゃ、一目で良いから、わしを桃太郎に会わせてくれ。それにわしが今、この背に背負っている皮の袋の中の物は桃太郎への贈り物じゃ」とな。
わしの言葉は手下どもから、桃太郎へと伝わったらしい。
盗賊どものアジトにそのまま連れていたわしの目の前に、桃太郎が現れた。
あやつの顔の作り自体は男前のままじゃったが、荒み切り、絶対に堅気には見えなくなっておったし、何より……なんというか、まるで蛇のごとく”さらに”ゾッとする冷たい目つきにもなっておった。
わしを見た桃太郎は案の定、「てめえ、誰だよ?」とケッと息を吐いた。
「俺の家族を名乗る酔狂な野郎がいるっていうから、気まぐれで会ってみようかと思ったんだがよ。てめえがどこの誰だか知らねえけど、俺の家族なんてしゃらくせえモンは、賞味期限切れの野菜よりもしなびた爺と婆の二人しかいねえ。俺が日本を離れて、もう三年近く……無駄に長生きしやがっていたあいつらは、もうそろそろくたばっちまってる頃だろうけどよ」
「桃太郎……わしじゃよ。お前の言う、賞味期限切れの野菜よりもしなびていた爺じゃ。鬼ヶ島の鬼に仙桃とかいう、摩訶不思議な桃を食わされ若返った、お前の爺じゃ」
「……てめえがあの爺? 桃を食って若返った? 冗談も休み休みにしろよ」
と、鼻で笑った桃太郎じゃったが、改めてわしの顔をまじまじと見たんじゃ。
本来ならこうして目にするはずなどなかった若き日のわしの顔に、奴の記憶の中にある老人のわしの顔との共通点を幾つも見て取ったんじゃろう。
桃太郎は、わしをリンチするため舌なめずりをしている手下どもに「ちょっと席を外せ。家族水入らずで話をつけるからよ」と顎をしゃくった。
”家族水入らず”などと言ったが、こやつは、わしのことを家族だとは思っていやせん。
その証拠として”話をする”ではなく、”話をつける”と言ったのだからのう。
「爺……婆はどうしたんだ? 一緒じゃねえのか?」
「わしと婆さんはもう別れたんじゃ……わしと同様に若返った婆さんは、鬼どもの妾となることを承知して鬼ヶ島におる……」
それを聞いた桃太郎は、ククッと低い声を漏らしたかと思うと、ワハハハと喉をのけぞらせて笑った。
「夫婦仲はとっくに冷え切っていると思ったけど、こりゃあ、超熟年離婚じゃねえか? 互いに我慢の限界がきたってとこかよ。若返った婆は鬼どもに股ァおっぴろげて第二の人生をエンジョイしてんだろ? 爺、せっかく寿命が伸びんだからよ、てめえもてめえで楽しめばいいのによ」
「わしはすべきことがあってここに来た。この三年近く、わしはずっとお前を探し続けておった。わしはお前を鬼ヶ島の鬼どもの元に連れて行かねばならん。お前が犯した大量殺戮のけじめをつけるためにのう」
「は? この俺を鬼どもの元に連れて行く? ンだよ、爺。てめえまで何、”鬼たち側”に立ってんだよ。人間のくせによぉ」
「それはこっちの台詞じゃ! お前こそ、人間のくせに……それも、桃太郎として生まれたくせに、罪なき人々を痛めつけ、まるで虫けらのように殺しおって!」
近くに落ちた雷が、睨み合うわしと桃太郎を薄闇の中に浮かび上がらせた。
わしは神がかり的な力など持たずに生まれたが、こやつの体から立ち昇り始めた殺気が、まるで湯気のように揺らめくのが見えたんじゃ。
「爺、てめえの説教はもうガキの頃から聞き飽きてんだよ……そもそも、俺が今まで殺してきた奴らのことなんて、何とも思ってねえし。何の役割も与えられずにこの世に生まれ落ちた奴らを何人殺したって、世の中にそうダメージはないだろ? それによぉ、鬼ヶ島に俺を連れて行くなんて話、聞かされて『はい、そうですか』と、てめえに大人しく手を引かれていくわけねえだろ」
「いいや、何がなんでも、わしはお前を鬼どもの元へと連れて行く! 連れて行かねばならんのじゃあ!」
わし自身の命可愛さのためか、こやつの爺であったばかりに酷い目に遭った悔しさゆえか、それともこやつに無惨に殺された罪なき人々の無念を背負おうとしたのか、その時のわし自身にも分からんかった。
桃太郎に対する確固たる殺意と同時に、こやつがまだ小さかった頃の思い出までもが――立派な桃太郎となるこやつの成長を見守ろうと婆さんと誓い合った時などといった数少ない心温まる思い出までもが、わしの中に流れ込んできおった。
けれども、狂いまくった桃太郎の物語をここで終わらせることができるのはわししか、おらんかったんじゃ。
「さあ、来い! 桃太郎!」
戦いの始まりを告げるわしの叫びが終わるよりも速く、桃太郎の奴はすでにわしへと飛び掛かってきおった。
わしとて、柴刈りで鍛えているため足腰は強いし、見ての通り上背もそこそこあるから、決して軟弱な肉体の男ではなかった。
しかし、わしは桃太郎には全く歯が立たんかった。
歯が立たんかったというよりも、反撃すら出来ん。
わしの拳より幾分も速く、そして強く、桃太郎の拳がわしの顔に、わしの腹へと幾発も入りおった。
髪を掴まれ、引きずられたわしは、拳だけでなく桃太郎の強烈な蹴りまでをも腹にドカッと食らった。
鼻からも口からも血が噴き出す。
わしの顔はもう血だらけじゃった。
苦痛に喘ぎながらも血はこれほどに塩辛いもんじゃったか、とわしはどこか遠くで考えておった。
片目はふさがり、ヒューヒューとかすれた息しか出せなくなっているわしの胸倉を桃太郎はグイッと掴み上げたんじゃ。
「あのよ、爺。一応、育ての親だからってつけあがるんじゃねえぞ! この俺を誰だと思ってんだ?! 俺は桃太郎なんだよ! も・も・た・ろ・う!! 英雄となるために生まれてきたこの俺が、いくら若返ったとはいえ、柴刈り爺となる運命の元に生まれてきた、てめえごときやられるわけねえだろ!」
そりゃそうじゃった。
心身とも腐りきっておるこやつは、”腐っても鯛”というか、”腐っても桃太郎”じゃ。
同じ若い男であっても、身体能力(戦闘能力)はわしとこやつでは最初から勝負にならん。
だが、わしは必死の思いで桃太郎を突き飛ばして走った。
”三十六計逃げるに如かず”というわけじゃない。
確かに勝ち目のない相手からは逃げるに限るじゃろう。
だが、わしには形勢逆転の機を生じさせる道具を、鬼たちから授かっておった。
「待ちやがれぇ、爺ィィ!!」
わしはその道具――盾を入れていた脂臭い皮の袋を、背に隠した。
袋の中の”数多の細長く恐ろしい生き物の蠢き”をわしは我が背に感じた。
幸運にも、わしの利き腕は折られてはいなかったんじゃ。
まだ動かすことができる。
手を噛まれないように、わしは、この袋の中の盾を取り出さねばいかん。
中にいる”者”に手を噛まれては、わし自身に毒が回っちまう。
そして、取り出す際に、わしはこの中を見てはならん。
中にいる”者”と絶対に”目を合わせてはならん”のじゃ。
「……も……桃太郎、お前の物語はここで終いじゃ……っ」
「最期の最期までかっこつけてんじゃねえよ! ヘタレ爺のくせによ!」
ついに桃太郎は懐の刀を抜いた。
外では風はさらに吹きすさび、雷が奴の刀をギラリを光らせたんじゃ。
「てめえの首、鬼ヶ島の鬼に送り付けてやるぜ。だから、成仏しろよ、爺!」
桃太郎は、わしに向かって刀を振りかざさんとした。
そして、”目をつぶった”わしは袋の中の盾を取り出し、桃太郎へと突きつけたんじゃ!!!
!!!!!!!!!!!
外で轟いた雷がわしらを再び照らし出した。
それと同時に、盾からも光が放たれ、”桃太郎だけを”キシャアアアッと照らしたんじゃ!
恐る恐る目を開けたわしの首と胴体はつながったままじゃった。
じゃが、桃太郎は”物言わぬ石”と化しておった。
あやつがわしへと向かって剣を振りかざさんとしたその瞬間のまま、石像と化しておったんじゃ。
※※※
童よ、聡いお前さんには、ここで全てがつながったろう。
わしがお前さんに話した、真実の桃太郎の物語のなかで散らばっていた幾つもの破片が今、やっと一つとなったであろう。
この浜辺で何十年も雨や風にさらされ続けていた、この桃太郎の石像……こやつは石像と化した桃太郎そのものなんじゃ。
育ての親であるわしの首を刎ねんとしたまさにその瞬間、石像となったこやつののう。
え?
なぜ、鬼たちから授かった盾を突き付けただけなのに、桃太郎は石像と化したのかと?
これは少し難解な話なんじゃが、鬼ヶ島の鬼どもは諸外国の書物を数多く保有しておると言ったじゃろ。
その中に”ぎりしあ神話”といか言う書物があるらしいでの、鬼たちはその中に登場する、髪が無数の毒蛇である女の首をはめ込んだ盾の模造品を自分たちで作ってみたらしい。
確か、”めでゅうさ”とかいう名の女じゃった。
その面妖な風貌の”めでゅうさ”と目を合わせた者は、全て石化してしまうんじゃと。
だからこそ、鬼たちも取り扱いには充分に気を付けろ、とわしに口を酸っぱくして言っておったんじゃ。
まさに、鬼たちだからこそ作ることができた恐ろし過ぎる武器じゃな。
鬼たちは、どうやってそれを作ったのか、と?
さあのう……無数の毒蛇はともかく、女の首をどこから持ってきたのかという、考えれば考えるほどに眠れれなくなる疑問は当時のわしにもあったが、それは深く聞かんかった。
この世には知らん方がいいことがあるんじゃ。
とにかく、わしは桃太郎を倒した。
石像となってしまったこやつには、もう何もできやせん。
これ以上の悪行を重ねることはできんのじゃ。
頭である桃太郎が殺されたことを知り、怒り狂った山賊の手下どももわしへと斬りかかってきおった。
だが、わしはそいつらに向かっても、”めでゅうさ”もどきの盾をかざした。
罪なき者どもを苦しめていた悪党どもを、このわしが一掃したんじゃ。
船に桃太郎の石像を積んだわしは、鬼ヶ島へと向かった。
約束通り、三年の期限内に桃太郎を鬼どもの元へと連れて行くわしは、”けじめ”をつけることができたし、わし自身の首もつながることになったんじゃ。
しかし、一つ問題が残っておった。
”めでゅうさ”もどきの盾のことじゃ。
確かにこやつは強力な武器じゃ。
こやつがなければ、わしは間違いなく桃太郎に首を刈られていたろう。
しかし、こやつを鬼ヶ島の鬼どもに返すとなると躊躇してしまったんじゃ。
ただでさえ頭の良いあの鬼どもが、今後、こやつを使って無慈悲な大量殺戮に手を染めないという保証はない。
やはり、鬼は鬼じゃからのう。
それに鬼どもは、わしにこうも言っておった。
「この盾をお前にやろう。お前にやったものだから、どうしようがお前の自由だ」とも……
だが、わしが持つにしても、わし一人でこやつを背負って生きていくのは、相当に恐ろしい代物じゃ。
だから、わしは”めでゅうさ”もどきの盾を船から海へと投げ捨てたんじゃ。
誰も目を合わすことのないように。
誰も石像と化すことのないように。
あの、”めでゅうさ”もどきの盾は、今も海の奥底で眠っているじゃろう。
桃太郎の石像は、二十数年の間、鬼ヶ島の宴会場に飾られておったらしいがの、鬼ヶ島も代替わりをするとかで、新しい鬼の大将が、一応は桃太郎の保護者であったわしへと返しに来たんじゃ。
だから、わしはこの浜辺にこやつを置かせてもらい、以来、ずっとこの浜辺の村で一人で暮らしておる。
え?
妻や子供を新たに持つことはなかったのか、と。
童よ、わしはもう、嫁も子どもも一度目で懲り懲りじゃ。
鬼どもの妾となった婆さんも今頃、何をしておるのかのう。
わしと同じく、二度目の年寄り生活の最中であるのか?
それとも、もうこの世にはいないのかも分からん。
本当に充分なほどに生きたわしの毎日の日課と言えば、海辺を散歩し、潮風にさらされながらゆっくりと朽ち果てゆく桃太郎を眺めることぐらいじゃ。
鬼どもの道具に頼ったとはいえ、わしは桃太郎を――凶悪な殺人鬼をこうして石像にして倒した者なんじゃ。
ある意味、わしこそが真の英雄とは思わぬか?
童よ、お前さんはどう思……
※※※
私の目の前で、お爺さんが白目を剥いて倒れています。
そりゃあそうです。
今までお爺さんの話を聞いていた”童”である私が、おじいさんを殴ったからです。
正直、お年寄りを殴ることは躊躇しました。
ですが、私は確固たる理由があって、お爺さんを殴ったのです。
確固たる理由。
そう、それは仇討ちです。
お爺さん、あなただったんですね。
私の大切な者たちの命を奪ったのは。
私と私の大切な者たちの世界を壊したのは……
私が先ほどまであなたから聞かされた”真実の桃太郎の物語”ですが、まあ、桃太郎は自業自得であり当然の報いと言えるでしょう。
桃太郎とその手下どもを成敗したことについては、あなたは本当によくやったと誰もが称えるでしょう。
ですが、お爺さん、あなたは罪を犯していたのです。
明確な悪意があってやったことではないとはいえ、あなたも私たちにとっては鬼のごとき加害者であるのです。
お爺さん……あなたは、盾を海へと投げ込んだ。
鬼ヶ島の鬼どもが作った、メデューサもどきの盾を投げ込みましたね。
その結果、海の下ではどんなことが起こったと思います?
海流に揉まれ、皮の袋からメデューサもどきの盾が飛び出したのでしょう。
また、海流に揉まれ、盾からメデューサもどきの首が外れもしたのでしょう。
こうして自由になったに違いないメデューサもどきは、海の中を泳ぎ回りました。
そして、恐ろし過ぎる顔面のあいつは、”私たちの竜宮城”へまでも侵入し、キシャアアアッと目を光らせながら、私の大切な者たちを次々に石化させていったのです。
美しい乙姫様までもが、あいつの餌食となってしまったのです。
勇(いさみ)という名の鮫が、相討ち覚悟であいつをその口内へと飲み込み…………阿鼻叫喚の地獄はようやく終わりを告げました。
しかし、失われた命はもう戻ってはこない。
美しき竜宮の世界も、もう戻ってはこない。
石像だらけの廃墟と化した竜宮城に残されたのは、数匹の魚と亀の私だけでした。
人間形態ではただの童にしか見えぬ私ですが、あの地獄を体験したトラウマとストレスによって、私の体の時は止まってしまいました。
お爺さん、英雄として生まれた桃太郎が地上で地獄を作り出しましたが、あなた自身も知らずと海の底での地獄を作り出してしまった者だったのです。
あなたは自身が背負うべき罪をも知らずに、この浜辺の村でのうのうと暮らしていたのです。
そして、竜宮城が壊滅してしまったということは『浦島太郎』はもう始まりません。
あなたは、桃太郎の物語を終わらせしましたが、浦島太郎の物語をも永久に終わらせてしまいました。
だから、私は”あなたの物語”をも終わらせたい。
命には命で償ってもらわなければなりません。
ですが、あなた自身は救いようのない悪人というわけでもないし、先ほどまでの話を聞いた限り、犯行当時のあなたには悪意ならびに殺意などはなかったと判断できます。
犯した罪とその裁きが同等となることなんてないのは、いつの世も同じであり、無念のうちに亡くなった乙姫様や竜宮城の仲間たちのことを思えば、心苦しい選択ではありますが、私はできるだけあなたに死の恐怖と苦痛は与えたくないと……
よって、私は今から、この桃太郎の石像を白目を剥いて倒れているあなたの上に落とそうと思います。
真っ先に頭部をグシャッと潰せば、苦痛はそう長くは続かないでしょう。
だからお爺さん、あなたもどうか安らかにお眠りください……
――幕――
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