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8【:discord】
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しおりを挟む俺は死にたくない。
ずっと忘れていられた様な、そんな昔に交わした約束のせいで
もうとっくに変わっている、そんな自分の価値観のせいで
この命を差し出したくない。
当たり前に来る明日の中に自分の姿が無いなんて信じられない。
もうまともに夢を見る事なんかできない、そんな大人のなりかけになってやっと思い出した。
俺は、生きていたい。
「随分と立派な人間になれたんじゃないか?」
頭の後ろから響いたその声に驚き、反射的に振り返ってしまった事を後悔する。身に覚えのある恐怖が足元から蠢いて全身を伝う。額のすぐ側まで落ちてきた乱層雲に、そのまま飲み込まれてしまうかと思った。
「おや?覚えていないのか?いや、それはない。それはないよな?忘れられるはずが無いんだ。ああ、ずっと忘れていたのか?良かったな?怖いのか?怖くて忘れていられたのか?」
穏やかで、静かな。それでいて何かを試されているような喋り方に虫唾が走る。
そこに居たのは、あの夢の中に出て来た……いや、全てを思い出した記憶の中で、俺がどうしても会いたくて、探し出して、やっとの思いで会いに行ったはずの……
かつて人魚だった俺を、そしてたぶんソラも。
俺ら二人を人間にした、あの魔法使いがそこに居た。
カメラのファインダー越しでなくてもハッキリと見えるソレは、記憶の中よりも更に大きくて、あの時みたいな安心感など微塵もなかった。
「何しに……来たんだよ?」
声が震えそうになるのを必死で堪えた。
「来た?ああ、そうか。おかしい、可笑しいな。ずっと居たのさ、キミが、キミたちが気付かなかっただけで、ずっと自由だ。人魚だからな。そうだよ、魔法使いでも人魚なのさ。おかしいな?人間になった途端に何も見えなくなるなんて」
ソレは嫌に楽しそうに笑い、冬の空気を巻き上げていた。笑い声に合わせて突き刺してくる冷たい風を思わず振り払う。その風に触れてしまった肌が少しだけ赤くなった。
「ああそうか、何をしに来たか?来てはいないが、そうだな、しに来たな。アイツが来ているんだ。知ってるだろ?本当は全部わかっているんだろ?もう見えているんだ。そうだ。アイツだよ、覚えているだろ?アイツが厄災と一緒に来た。だからキミが食べられるところを見ようと思ってついて来た。それだけさ」
さも当たり前のことを聞かされている気分になる。そうだ、俺にはアイツを倒せない。厄災から誰かを救えるわけがない。だから俺は空気の泡になって、ユメみたいにアイツに食べられて終わる。それが俺の物語の結末なのだ。
「おや?嫌なのか?キミが望んだ事なのに?望んで人間になったじゃないか?人間らしく都合の悪い真実なんて全部忘れて。何もしないことを選んだんだろ?それなのに何が嫌なんだ?おかしい、可笑しいな?教えて欲しいな。興味がある。人間になった人魚は何を思う?どうすれば満足なんだ?卑しいな。人間よりも卑しいんだな?欲深い人間よりも、何よりも。そうだ、あの人魚もそうだったしな?そうか。人魚はみんなそうなのか?」
「あの人魚?……そうだ、ソラ。
ソラはもう夢を叶えたから、もう人間としてこれからも生きていけるんだろ?」
「ソラ?ああ、あの人魚はソラという名なのか。生意気だな。人魚のクセに、人間になった途端に名前があるのか。贅沢だ。まあ、いいか。あれはな、そうだ。時間だ。自分の生きていく時間を賭けて人間になった。そんなものを賭けた。おや?そういえば、人間になってキミに会いたいと言ったんじゃなかったか?そうだ。そうだよ。それがキミか?キミにはそこまでの価値があるのか?そうか。不思議だな。実に不思議だ。そんなことのために人間になっただなんて。あの人魚は夢を叶えたところで大人にはなれない。それでも良いと言ったんだ。後悔なんかしないと自分で言っていた。騙してないぞ?人聞きの悪い。ちゃんと言ったさ。怖いのなら、あの薬は飲まなくても良いと。でも飲んだんだろ?飲んだから人間になったんだ。それに夢までもう叶えたのか?なんて図々しいんだ。まあ、いいさ。後は終わるだけさ。哀れだな。卑しい人魚は本当に哀れだ」
「そんな?何でだよ?俺の時と違うじゃねーか!ソラは、ソラは……」
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