【完結】奴隷商から逃げ出した動物好きなお人よしは、クロヒョウ獣人に溺愛されて、動物知識と魔法契約でその異世界を生きる。

月にひにけに

文字の大きさ
上 下
32 / 91
第二章 キミと生きる

34.終幕

しおりを挟む
ーーはつねっ、はつねっ、ジークぅっ!

 バタバタと周囲を飛び回るネロの気配を感じながら、初音は大粒の汗を自覚していた。

ーーもう……無理……っ

 身体が悲鳴をあげていた。もう離してしまえと、悪魔が耳元で囁いている気がする。

 マスト期の象を抑えることに協力したところで、人間たちの運命は何も変わらないかも知れないと、手を緩める理由ばかり探す思考を打ち消し続けた。

「ーーもう、いい」

「ーー……え……っ?」

「あんたが罪悪感を感じる必要はない。元はと言えば、こちらの身から出た錆だ」

 宙に揺られながら、アスラは闇の中でうごめく象たちを眺め下ろした。

 食物連鎖、弱肉強食、自然の摂理。綺麗事を並べたところで、生命を維持するには他者を侵略する必要がある。

 各々の侵略の上で生態系がうまく回り、世界が成り立ち存在する。捕食者が何かの理由でいなくなることで、生態系が崩壊する世界もまたあるのだから、それは必要悪なのかも知れないとぼんやり自身を正当化した。

「ーー身の危険を感じても何もしないやつはただの阿保だ。だが、だからと言って必要以上に、いたずらに、相手を害するやつは、それ以上の愚か者だーー」

 できれば国や都市の護衛任務に就きたかった。人間たちの領分を脅かしてくる獣を制圧するなど、これ以上の大義名分はなかったから。

 けれど現実は甘くない。基本的に安全で危険が少なく賃金も良い都市部の護衛任務は、余程の実力者か、地位か、コネか、そう言う類の者であらかた埋まり、アスラのようなならず者に片足を突っ込んだような者には空きなど回っては来なかった。

 暴力で脅されて、暴力で獣を制圧した。自身の扱いが、制圧した獣と変わらないことに、気づいたーー。

「ーー久しく忘れていた。私はただ、自由に生きたかっただけだったーー……」

 その為に、他を支配して犠牲にした。

「ーーアスラさん……っ」

「ーー帰れたところで、罰も免れない。あんたがそんなに、必死になったところで、何にもーー」

「それでも……っ」

 初音の声に反応するようにアスラが見上げる。2人の視線が交錯する。

「それでも……っ……私は離しません……からっ!!」

「ーー…………っ」

「大丈夫か」

 ぐいっとアスラの首根っこを掴まえて持ち上げたジークが、枝に這いつくばった初音の顔を覗き込んだ。

「あ……っ!?」

「悪い、遅くなった」

 ギリギリにジークの名前を飲み込んで、感触のない腕から指先を動かすことが全くできず、初音は顔だけあげてジークを見る。

「ケガ……ない……?」

「問題ない」

 見たところグリネットに受けた頬以外には怪我も見受けられず、初音は安堵の息を吐いた。

「よ、よかった……っ!!」

 少し焦ったようなジークの表情と、目を丸くして緊張しているアスラの様子に安堵して涙が滲み、初音は半泣きで幹に突っ伏した。

 動揺するジークとネロの気配を感じながら、痛くて痺れる腕と指先、包まれる疲労に後悔はかったーー。





 象たちとの交渉は、結果として象たちが引く形で幕が降りた。

 一族から出たマスト期の獣人と言う混乱は象の中では思うよりも大きなものであったらしく、その騒ぎで当人を含めて負傷者をほぼ出さなかったことは大きな功績だった。

 その鎮火に一役買ったことには、昼間の騒ぎに加えて象たちにこれ以上ないほどの気まずさを抱かせたが、それでも引き下がらなかった族長を退かせた鶴の一声は、件の族長の娘の獣人の存在だった。

 昼間に魔具を打ち込まれ、仲間に捨て置かれた所を初音とジークに助けられた身としては、そもそもとしてこの交渉には気乗りをしていなかった。

 そのダメ押しに、暴れ狂うマスト期の獣人からこの獣人とその仔象を身を呈して庇ったのは結果としてまたしてもジークであり、初音の介入も捨て置けない。

「助けてもらったのにごめんなさいね。人間たちに追いかけ回されることが多くて、夜に活動しなくてはいけなくなったりでストレスが溜まっていて……。人間に対して安全に鬱憤を晴らせる機会なんて滅多にないから、皆んなその気になっちゃって……」

 象の鼻と耳と眉尻を下げた女性の獣人は、申し訳なさそうに初音の手を取った。

「昼間は動転していて、きちんとお礼も言わずに恥ずかしいわ。その上、恩を仇で返すような真似をして、族長……父に代わりお詫びします」

「いえ、こちらこそ皆さんを説得して頂けて……っ」

 象の群れの中でチラチラとこちらを気にしている族長が気にかかりながらも、初音はふるふると首を振る。

ーーあの焔どうやってたのっ!? ヒーローみたいっ! カッコいいっ!!

「ーー……ま、まやかしだ……っ」

ーーえっ!? 仕掛けがあるの!? 僕でもできるっ!?

「い、いや……っ」

 横で助けた仔象に懐かれているジークが、返答に窮しているのを眺めて象の獣人と2人で笑う。

「……ごめんなさい、最近、夫を失ったばかりだから、きっと助けてくれたことが嬉しかったんだわ」

「ーーそれ……は……っ」

 象の獣人は言い淀む初音を、少し寂しそうな顔で見ると静かに微笑む。

「今日は本当にもうダメだと思ったの。私をあの子の側に戻してくれて、本当にありがとう」

「ーー……」

 微笑んだ女性の象の獣人の目に光る涙を見て、初音は返す言葉を見つけられなかったーー。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

【完結】嫌われ令嬢、部屋着姿を見せてから、王子に溺愛されてます。

airria
恋愛
グロース王国王太子妃、リリアナ。勝ち気そうなライラックの瞳、濡羽色の豪奢な巻き髪、スレンダーな姿形、知性溢れる社交術。見た目も中身も次期王妃として完璧な令嬢であるが、夫である王太子のセイラムからは忌み嫌われていた。 どうやら、セイラムの美しい乳兄妹、フリージアへのリリアナの態度が気に食わないらしい。 2ヶ月前に婚姻を結びはしたが、初夜もなく冷え切った夫婦関係。結婚も仕事の一環としか思えないリリアナは、セイラムと心が通じ合わなくても仕方ないし、必要ないと思い、王妃の仕事に邁進していた。 ある日、リリアナからのいじめを訴えるフリージアに泣きつかれたセイラムは、リリアナの自室を電撃訪問。 あまりの剣幕に仕方なく、部屋着のままで対応すると、なんだかセイラムの様子がおかしくて… あの、私、自分の時間は大好きな部屋着姿でだらけて過ごしたいのですが、なぜそんな時に限って頻繁に私の部屋にいらっしゃるの?

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

婚約者の本性を暴こうとメイドになったら溺愛されました!

柿崎まつる
恋愛
世継ぎの王女アリスには完璧な婚約者がいる。侯爵家次男のグラシアンだ。容姿端麗・文武両道。名声を求めず、穏やかで他人に優しい。アリスにも紳士的に対応する。だが、完璧すぎる婚約者にかえって不信を覚えたアリスは、彼の本性を探るため侯爵家にメイドとして潜入する。2022eロマンスロイヤル大賞、コミック原作賞を受賞しました。

処理中です...