上 下
30 / 49
第二章 小さなさざなみ

30.撃退

しおりを挟む
 定石では獣人には魔法使いを、人間には護衛職をと言われる所以がある。

 獣人の身体能力の前には赤子同然の人間に残された唯一の対抗手段が、一定の割合で生まれる魔法使いの魔法に類するものだった。

 その魔法が防衛や捕縛と言う名の、獣人に対して絶大な効力を持つ一方で、人間相手には牽制させる程度の非戦闘スキルでしかなく、その多くは日常を補助する程度の威力で脅威にはなり得ない。

 魔法使いの希少性が高く買われる一方で、他の人間に物理的に敵わなければ対処のしようがない事態もまた事実であり、金に繋がる魔法使いを暴力で言いなりにさせるタチの悪い者が現れる事態も過去にはあった。

 獣人を服従させる魔法がある一方でそこには制約も多く、魔法使いの立場を不動にするほどの万能さはない。

 けれど、魔法使いがいなければ獣人に対する人間の勝ち目もない。

 この特異な三つ巴関係は、人間対獣人と言う種族間に分かれることで、人間の優勢という力関係で固定されるに至っていた。

ーーこの距離では詠唱が間に合わないが、あのドラ息子を死なせてはどちらにしろ終わる……っ!!

「ぐぅっ……っ」

「くそ……っ」

 ローブ男に足蹴にされたグリネットの声が漏れるのと同時に、なまじヤケクソで詠唱を始めたアスラに気づいて飛び掛かるローブ男。

 その間に滑り込んだギドの剣がローブ男の回し蹴りによってへし折られ、一撃目の左足を軸にして更に加速した右足が踊るようにギドの側頭部を襲った。

 大柄な部類に入るはずのギドの体躯は、まるで人形か何かのように軽々と蹴り飛ばされ、砂埃を巻き上げながら一瞬で茂みに倒れ伏す。

「ーーこれでもデカい山を超えて来たプロなんだ。人間舐めるなよ、獣人……っ!!」

 崩れた体勢を整えるローブ男を見下ろして、アスラはギドの決死の時間稼ぎによって唱え終えた詠唱に、勝利を確信してニヤリと笑んだ。

「お前らは私たちには勝てないんだよ!!」

 言うが否や、詠唱で動きを止められたまま自らを見上げる金の瞳へ向けて、アスラはローブの袖に仕掛けていたバネ式に飛び出す隠し網を作動させる。

 網には魔法陣が張り巡らされており、獣人が絡め取られればその力は奪われる。故にどんな怪力や鋭い爪を持っていようと、脱出は不可能な代物。

 そう、これは予想外の邪魔などが入らない限り、どう考えても。そう確信する条件は揃っていたはずだった。

「がっ!?」

 気づいた時にはアゴを蹴り上げられて、次の瞬間には地面に這いつくばっていた。

 予想外の角度から強く揺らされた脳のおかげで、身体は言うことを聞かず吐き気と共に平衡感覚を失う。

 やっとのことで事態を確かめようとすれば、そこには中身のない網だけがぺったりと地面に落ちていることだけはわかった。

ーー詠唱は終わったのに、なぜ動ける……っ!? 獣人ではなく人間……っ!? ……いや、そんなはずは……っ!

 アスラは、ぶるぶると震える指先で網を握る。口内に広がる血の味が、これが現実であると告げていたが、理解が追いつかない。

 薄らぐ視界で、ジャリと近くで地を踏む音が聞こえた。

ーーあぁ、死んだ。やっと、ここまで来たのに、こんなところで、こんな形でーー……。

 失う意識の狭間でにわかに騒がしくなる周囲の音を聞いたけれど、アスラの意識はそこで途切れたーー。





「ゾウの方は大丈夫。魔法で動けなくなってたけど矢尻の傷は小さかったし、そんなにひどいものでもなかったから、さっきまだ近くにいた仲間とーー……」

「そうか」

 そこまで言いかけて言葉を失う初音に、ジークがモゾモゾと呻く芋虫のようなグリネットを足蹴に振り返る。

 鮮やかな手捌きで、かなりの大人数を拘束して地面に転がしている様に、初音は目を見開いた。

 ご丁寧に、両手足に加えて目隠しと猿轡までされている。

 不安になるほど大人しく転がっている人々からも、何とか生きている気配は感じ取れたことに、初音は密かに胸を撫で下ろした。

「……あっ、大丈夫……っ!?」

「……問題ない、かすり傷だ」

 その頬を裂いた一筋の赤い線に、思わず手を伸ばす。

 アスラを撃退した直後、グリネットが投げつけた短刀が背後からジークを襲ったが、その頬に線をつけたのみで再び地に沈められていた。

「……どうするの……?」

 声を潜めて初音はローブを被ったままのジークへと耳打ちし、そんな初音の言葉を受けて、ジークは無言で天を仰見る。

「ーーどうとでも」

「……え?」

「このまま寝かせておけばすぐに肉食獣が来るだろうし、それが忍ばれるなら縄を解いてやれば良い。こいつらの未来に興味はない。……まぁ武器類は取り上げるし、手と口は封じたままにするから、生きて戻れるかは知らん」

「ーーでも、良いの? 万一……噂になったりとか……」

「追われるのは、いつものことだ」

 そう言うものか。と初音はしばし口を噤んで思案する。

 人間たちの騒ぎを聞きつけて、空からの動向を伺い見てもらったネロにはアイラたちの元へ先に帰ってもらい、ここにいるのは初音とジークだけ。

 初音がいることも要因の一つであるように思うが、思えば率先して人間を襲う気配を見せたことがないジークにどこかホッとする一方で、その甘さに足元を掬われることがないかと心配になる。

「……魔法使いが4人、護衛が3人、貴族が2人……」

 ふぅむと腕を組んで、初音は思考を巡らせた。

「……ひとまず、話しをしてみてもいいかな?」

「ーーは……?」

 ジークは怪訝そうな顔で、初音を見返した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

失格令嬢は冷徹陛下のお気に入り

猫子猫
恋愛
男爵家令嬢セリーヌは、若き皇帝ジェイラスの夜伽相手として、彼の閨に送り込まれることになった。本来なら数多の美姫を侍らせていておかしくない男だが、ちっとも女性を傍に寄せつけないのだという。貴族令嬢としての学びを一部放棄し、田舎でタヌキと戯れていた女など、お呼びではないはずだ。皇帝が自分を求めるはずなどないと思ったし、彼も次々に言い放つ。 『ありえない』『趣味じゃない』 だから、セリーヌは翌日に心から思った。陛下はうそつきだ、と。 ※全16話となります。

異世界召喚されたけどヤバい国だったので逃げ出したら、イケメン騎士様に溺愛されました

平山和人
恋愛
平凡なOLの清水恭子は異世界に集団召喚されたが、見るからに怪しい匂いがプンプンしていた。 騎士団長のカイトの出引きで国を脱出することになったが、追っ手に追われる逃亡生活が始まった。 そうした生活を続けていくうちに二人は相思相愛の関係となり、やがて結婚を誓い合うのであった。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

婚姻初日、「好きになることはない」と宣言された公爵家の姫は、英雄騎士の夫を翻弄する~夫は家庭内で私を見つめていますが~

扇 レンナ
恋愛
公爵令嬢のローゼリーンは1年前の戦にて、英雄となった騎士バーグフリートの元に嫁ぐこととなる。それは、彼が褒賞としてローゼリーンを望んだからだ。 公爵令嬢である以上に国王の姪っ子という立場を持つローゼリーンは、母譲りの美貌から『宝石姫』と呼ばれている。 はっきりと言って、全く釣り合わない結婚だ。それでも、王家の血を引く者として、ローゼリーンはバーグフリートの元に嫁ぐことに。 しかし、婚姻初日。晩餐の際に彼が告げたのは、予想もしていない言葉だった。 拗らせストーカータイプの英雄騎士(26)×『宝石姫』と名高い公爵令嬢(21)のすれ違いラブコメ。 ▼掲載先→アルファポリス、小説家になろう、エブリスタ

王太子殿下の想い人が騎士団長だと知った私は、張り切って王太子殿下と婚約することにしました!

奏音 美都
恋愛
 ソリティア男爵令嬢である私、イリアは舞踏会場を離れてバルコニーで涼んでいると、そこに王太子殿下の逢引き現場を目撃してしまいました。  そのお相手は……ロワール騎士団長様でした。  あぁ、なんてことでしょう……  こんな、こんなのって……尊すぎますわ!!

亡国公女の初夜が進まない話

C t R
恋愛
嘗て公女だったシロールは、理不尽な王妃の命令で地下牢に閉じ込められていた。 彼女が投獄されている間に王国は帝国に攻め込まれ、滅亡した。 地下から救い出されたシロールに、帝国軍トップの第三皇子が命じた。 「私の忠臣に嫁いでもらう」 シロールとの婚姻は帝国軍の将軍である辺境伯の希望だと言う。 戦後からひと月、隣国へと旅立ったシロールは夫となった辺境伯ラクロと対面した。 堅物ながら誠実なラクロに、少しずつシロールの心は惹かれていく。 そしてめくるめく初夜で二人は、――――? ※シリアスと見せかけたラブコメ ※R回→☆ ※R18よりのR15 ※全23話 ■作品転載、盗作、明らかな設定の類似・盗用、オマージュ、全て禁止致します。

王太子の子を孕まされてました

杏仁豆腐
恋愛
遊び人の王太子に無理やり犯され『私の子を孕んでくれ』と言われ……。しかし王太子には既に婚約者が……侍女だった私がその後執拗な虐めを受けるので、仕返しをしたいと思っています。 ※不定期更新予定です。一話完結型です。苛め、暴力表現、性描写の表現がありますのでR指定しました。宜しくお願い致します。ノリノリの場合は大量更新したいなと思っております。

処理中です...