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楽しい記憶、封印した記憶

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 病室からはあっさり離れることができた。それはそれで怖いが、なぜだか「死んでる」とか「死に向かってる」とは感じていなかったから──たぶん大丈夫なのだろうと半ば強引に自分を納得させた。

「……にしても、何ヶ月も目を覚ましてなかったのにいきなりちっさい先輩がいてビビりました」

 結局問題なさそう、ということで私たちは小学校まで向かうことにした。その道を辿っている最中──病院を一度出て近くの公園まで足を運ぶ途中のこと。後輩がため息混じりに放った一言にぎょっとなる。
「何ヶ月も……って、そんなに寝たままなの?」
 予想以上の状態の悪さに不安がひょっこり顔を出す。
「そうですよ。このまま目を覚まさないんじゃないかって何度も思ってました」
「ちょっと」
 勝手に殺さないでくれる、と言いかけた言葉が喉の奥に消える。隣を歩く後輩の顔が、冗談なんか欠けらも無いと語っていたからだ。

──それだけ、心配していてくれたのか。

 変な気分だ。
 小石を呑んだみたいに、こきゅっと鳴らないはずの喉を上下させる。
「……心配かけて、ごめんね」
 私がまさか、こんな言葉を言う日がくるとは。

 アケボシは、ふと我に返って「べつに心配なんかしてねぇです」と言い捨て、歩くスピードを上げた。
 天邪鬼なその背中に、私は彼に聞こえないような小さな声で「ありがとね」と呟いた。
 公園では、まだ保育園に通っているであろう年齢の子どもたちが三人、砂場に集まって山を作っているのが遠目に見えた。
「懐かしっすね」
 昔に思いを馳せるアケボシの声に、私は「そうだね」と相槌を返す。

 本当は、砂遊びなんて一度しかしたことなくて、懐かしいなんて思いは湧かなかったけど。

「……あ」

 暗い記憶の蓋を閉じかけた私の前に、懐かしの小学校が現れた。門のぼろ具合も記憶のままだ。
 小学校は楽しかった。隼にぃにくっついていたからたくさん遊んでもらってた。そんな記憶がいくつも浮かぶ。
「入ってみます?」とアケボシはわくわく顔で言う。
「いいよ。私のことは他の人には見えてなさそうだから、怒られるのはアケボシだけだし」
 と軽口を叩きながら門の外から小学校を眺める。
「……なにか、思い出しました?」
 アケボシの慮る上目遣いに、私は「楽しいことを思い出してたよ」と微笑んでみせる。
「それならよかっ──」
 言いかけた後輩の目が軽く見開かれた。視線の先は私のはるか後ろの方を向いていた。
「どうしたの?」と言いながら振り返りかけると、
「見るな!!」
 今まで聞いたことがないような切羽詰まった声に体がびくりと震えた。

「明星?」

 空気を震わす確かな気配があった。今の私に実体は無い。「いない」存在ものだから、人間特有の湿り気のある声が出るはずもない。

 明星を呼んだ彼は、神妙な顔でこちらを見ていた。

「なに叫んでるんだ?」
 その硝子玉のような瞳に、私は映っていなかった。私などお構い無しに、アケボシを一直線に見ていた。
 そうだろうと思ってはいたが、それでも堪えるものがあった。
「えっ……と」
 なんと答えれば良いかわからない様子で、アケボシはヘルプの視線を寄越してきた。
「演技の練習とでも言っておけばいいんじゃない」
「んな雑な……」
 困り顔のアケボシに、後輩を呼んだ青年が迷いのない足取りで近づいてきた。私はぶつかりかけたその瞬間、すり抜けられるのが嫌で咄嗟に避けた。
「大丈夫か?白昼夢でも見たのか」
 心配する声音が耳に馴染む。この声に、いったいどれだけ救われただろう。
 私のことが見えない青年──隼にぃを前に、ありもしない心臓の部分がきゅっと痛くなった気がした。
「あー、そんな感じで……すみません、気にしないでください。ほんと大丈夫なんで」
 なぜか早口かつ退きながらアケボシは言う。
「本当か?今日もひつじの見舞いに行ってたんだろ」
「あ、それは……まあ」
 はぁ、と隼にぃは息を吐き、

「お前がそこまで気にかける必要はない。アイツは自業自得なんだから」

 と吐き捨てた。

 記憶の中の優しい瞳が失われ、代わりに憎悪の炎を燃やしていた。

 言葉が出なかった。足元が急に不安定になって、立っている感覚さえわからなくなる。

「階段から榛名を突き飛ばすなんて……ずっと病室を占領するのも迷惑な話だ。さっさと死んでしまえばいいのに」

 隼にぃの言葉に、ずるりと記憶が引きずり出される。

 そうだ。

 私は──……、

「私、ハルナちゃんと階段から落っこちたんだ」

 ハルナちゃんは、私の姉だ。
 血の繋がりは半分しかなかった。親から受ける愛情はハルナちゃんの百分の一も感じなかった。
 そんなハルナちゃんは、私の大事な人までも盗っていった。なんでも手に入れてるハルナちゃんが、私は憎くて憎くて、……。

 階段で、私がそれを責め立てて、それで──……揉み合いになって、階段から二人して落ちていって、たまたま近くを通りかかった隼にぃは必死の形相で手を伸ばしてきた。こんな焦った表情の隼にぃは初めてで、かっこいいと思った。まるで童話の中に出てくる王子様だと。

 だけどその王子様は、私ではなくハルナちゃんの手を引いて──私は、見捨てられたんだった。
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