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八章
紅茶と珈琲
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中は生活感が殆ど無い、モデルルームのような室内だった。
人が住んでいるとは到底思えないほどに。
広翔は不気味にすら感じた。
「お紅茶と珈琲、どちらがいいかしら」
遠子は広翔たちをソファに座るよう勧め、自分はソファ等が並べられた家具から異様なほど隙間の空いた距離を歩いてキッチンへと向かった。紅茶と珈琲のパックをわかるように見せてくる。
璃久が珈琲、と答えようとするのを制する。
何だよ、と言いたげな璃久に視線だけを投げかけ、璃久は現在自分は喋れない設定、というのを思い出す。
「紅茶でお願いします」
広翔がリクエストすると、遠子はより一層にこやかに笑う。
「ミルクは?」
「お願いします」
璃久は少し違和感を覚えた。
ミルクは?と尋ねたことはそうおかしくは無かったのだが、ちゃんとしたカフェ等の店で見るような個別の小さな容器に入ったミルクを、なぜ敢えて彼女が入れているのか。
広翔はそんな璃久の様子を見て「試されてるんだよ」と小声で言った。
「遠子さんの営んでいるのは確か何にでも手を出している企業。だけど主流な商品はキャンプ製品。中でも、さっきわざと遠子さんはブランドが見えるように尋ねてきた。さっきの紅茶は、遠子さんの会社が売り出している人気製品なんだ。何でも水でできる美味しい紅茶、ミルクティーにするとさらに美味しい、が売りみたいだ」
スラスラとなにかの説明書を読んでいるかのような広翔の説明に、璃久は「お、おお」と気圧された。
「よく知ってたな」
「雅也さんだよ。あの人、確か遠子さんの会社の取り引きを主に担当してたんだ」
助かった、と広翔は長い息を吐く。
「雅也さんに佳奈さんのことを聞いた時に遠子さんが佳奈さんの姑って教えてくれて、その時に色々と」
苦笑を浮かべる広翔に、
「意外すぎる繋がり……というより因縁が深すぎだろ」
璃久は小声で話しながら、うわぁと顔をしかめる。
「ええと……お兄さんもお紅茶でよろしいのかしら」
遠子が広翔に呼びかけると、広翔は「ええ、お願いします」と返事をした。
「俺ミルクティー飲めねぇぞ」
璃久がぼやくと、広翔は「我慢してくれ」と受け流す。
湯を沸かさなくて良いため直ぐに運ばれてくる。
「……?」
璃久は思わず眉を寄せた。
璃久のミルクティー……──否、ミルクティーを所望したのだが、運ばれてきたのは麦茶だ。
困惑する二人に遠子は微笑みかける。
「うちの売れっ子商品を知ってくれてるのはもうわかったから。無理して嫌いなのを口に入れる必要ないわ。さ、どうぞ」
聞こえていたのだろうか、と二人の背筋が凍る。
「えと、なんで兄が飲めないと?」
慎重に広翔が切り出す。
遠子は目を細めて言う。
「私はこれでも一企業の会長ですから。相手の趣向を読むのは得意なのよ」
自分の分のミルクティーを一口啜り舌を湿らせる。
「それで、事件のことなんだけどね」
遠子のほうから切り出してきた。
広翔は思わず生唾を飲んだ。
「──私、事件の前の記憶を全て失ってしまったみたいなの」
遠子の思わぬ告白に二人は固まった。
「冗談……では、なさそうですね」
広翔は冷や汗が背を伝うのを感じた。
──じゃあ、犯人はこの人じゃなかった……?
「あの、本当に何も覚えてないのですか」
広翔の確認に、遠子は小さく頷く。
「ええ。昔の私がどんな人間だったかも、家族も、夫も。何も思い出せなくて……息子の秀一には、辛い思いをさせてるわ。病院で半狂乱だったのよ」
かわいそうなことをしたわ、と遠子は呟いた。彼女の瞳に覇気はなく、淀んでさえ見えた。
これが演技なら大したものだ、と広翔は思う。
「だから、事件のことは話せないの。ごめんなさいね。ただ、それを周りに知られると何かと面倒だから……試すようなことしてごめんなさい。本当に雅也さんの甥っ子さんかもわからなかったから」
ぺこりと頭を下げる。
広翔は絶句した。
「隠し部屋」
璃久が呟く。
遠子は目を見開いた。
「あなた、喋れるように……!?」
素直に信じきってくれているのが申し訳なくなり、広翔は「すみません」と謝る。
「あの、入れてもらえるための作戦だったんです。でも雅也さんの甥というのは本当です。入れてもらいたかったのは、事件の話を聞きたかったんじゃありません。あの」
広翔が上手く伝えきれないでいると、璃久が横から口を挟む。
「騙してすみません。ですが、人の生死がかかっているかもしれなかったんです。この家に隠し部屋があることはご存知ですか」
璃久の問に遠子は困惑しながらも首を振る。
「人の生死って」
「それはまた後で。あの、隠し部屋開けてもいいですか」
広翔は慌てた様子で急き立てる。遠子が「ええ」と小さく答えるなり、二人はパッと立ち上がる。
「どこだ!?」
璃久が広翔に尋ねると、広翔は苦い顔で「わからん」と言う。
「はぁ!?どこからさがしゃあいいんだよ」
璃久がリビングを見渡すが、さすがにすぐ見つかるようには設計されていない。一体遠子が犯人だったならどう隠し部屋を見つける予定だったのだろうか。
璃久は内心呆れる。そしてハッとした。
「あ、おい広翔!スマホ鳴らしてみろ!」
作戦会議の際の会話も芋づる式に思い出した。
広翔はスマホを取り出し「澄香」のアカウントを呼び起こす。
プルルルと繋がる。電源は切られていないようだ。
チロチロ、とどこかで小さな音が確かに鳴る。
「璃久!」
広翔が璃久を振り返る。
その二人の様子を、遠子は信じられないものを見る目で見ている。
「そんな、本当に……?」
驚いて声も出ないようだった。
プツッと音が弾け、電話口の向こうから微かな雑音が聞こえる。
「先輩!?」
広翔の声が裏返る。
タン、と画面を叩く音が聞こえる。
目頭が熱くなる。
「あの、ラインで返事を……できますか」
広翔が逸る気持ちを抑えながら澄香に話しかける。
【できるよ】
ピコンとラインのメッセージが送られてくる。
「あの、今、俺たち先輩が昔居た家にいます。微かですが先輩のスマホの音も聞こえました。今どこにいますか」
広翔は、焦る声を抑えるように深呼吸する。
【リビングのレンガの壁に植物が五つ飾ってあるところ。植物の棚を手前に少し引いて】
広翔はすぐにスマホの画面を璃久に向ける。
璃久は無言で頷き、二人は早足で壁へと寄る。
植物が、一番上の棚に二つ、二段目に一つ、一番下の段に二つ飾られていた。二段目の棚にだけ取っ手のような、手をかけられるような反しが付けられている。
それを言われたとおり少しだけ引く。
すると、壁が車のスライドドアのように自動で開き始めた。
三人は目を丸くした。
遠子に至っては「ええっ!?」と声を上げている。
壁の向こうには螺旋階段が用意されていた。
広翔はいち早く駆け出し、階段を下っていった。
人が住んでいるとは到底思えないほどに。
広翔は不気味にすら感じた。
「お紅茶と珈琲、どちらがいいかしら」
遠子は広翔たちをソファに座るよう勧め、自分はソファ等が並べられた家具から異様なほど隙間の空いた距離を歩いてキッチンへと向かった。紅茶と珈琲のパックをわかるように見せてくる。
璃久が珈琲、と答えようとするのを制する。
何だよ、と言いたげな璃久に視線だけを投げかけ、璃久は現在自分は喋れない設定、というのを思い出す。
「紅茶でお願いします」
広翔がリクエストすると、遠子はより一層にこやかに笑う。
「ミルクは?」
「お願いします」
璃久は少し違和感を覚えた。
ミルクは?と尋ねたことはそうおかしくは無かったのだが、ちゃんとしたカフェ等の店で見るような個別の小さな容器に入ったミルクを、なぜ敢えて彼女が入れているのか。
広翔はそんな璃久の様子を見て「試されてるんだよ」と小声で言った。
「遠子さんの営んでいるのは確か何にでも手を出している企業。だけど主流な商品はキャンプ製品。中でも、さっきわざと遠子さんはブランドが見えるように尋ねてきた。さっきの紅茶は、遠子さんの会社が売り出している人気製品なんだ。何でも水でできる美味しい紅茶、ミルクティーにするとさらに美味しい、が売りみたいだ」
スラスラとなにかの説明書を読んでいるかのような広翔の説明に、璃久は「お、おお」と気圧された。
「よく知ってたな」
「雅也さんだよ。あの人、確か遠子さんの会社の取り引きを主に担当してたんだ」
助かった、と広翔は長い息を吐く。
「雅也さんに佳奈さんのことを聞いた時に遠子さんが佳奈さんの姑って教えてくれて、その時に色々と」
苦笑を浮かべる広翔に、
「意外すぎる繋がり……というより因縁が深すぎだろ」
璃久は小声で話しながら、うわぁと顔をしかめる。
「ええと……お兄さんもお紅茶でよろしいのかしら」
遠子が広翔に呼びかけると、広翔は「ええ、お願いします」と返事をした。
「俺ミルクティー飲めねぇぞ」
璃久がぼやくと、広翔は「我慢してくれ」と受け流す。
湯を沸かさなくて良いため直ぐに運ばれてくる。
「……?」
璃久は思わず眉を寄せた。
璃久のミルクティー……──否、ミルクティーを所望したのだが、運ばれてきたのは麦茶だ。
困惑する二人に遠子は微笑みかける。
「うちの売れっ子商品を知ってくれてるのはもうわかったから。無理して嫌いなのを口に入れる必要ないわ。さ、どうぞ」
聞こえていたのだろうか、と二人の背筋が凍る。
「えと、なんで兄が飲めないと?」
慎重に広翔が切り出す。
遠子は目を細めて言う。
「私はこれでも一企業の会長ですから。相手の趣向を読むのは得意なのよ」
自分の分のミルクティーを一口啜り舌を湿らせる。
「それで、事件のことなんだけどね」
遠子のほうから切り出してきた。
広翔は思わず生唾を飲んだ。
「──私、事件の前の記憶を全て失ってしまったみたいなの」
遠子の思わぬ告白に二人は固まった。
「冗談……では、なさそうですね」
広翔は冷や汗が背を伝うのを感じた。
──じゃあ、犯人はこの人じゃなかった……?
「あの、本当に何も覚えてないのですか」
広翔の確認に、遠子は小さく頷く。
「ええ。昔の私がどんな人間だったかも、家族も、夫も。何も思い出せなくて……息子の秀一には、辛い思いをさせてるわ。病院で半狂乱だったのよ」
かわいそうなことをしたわ、と遠子は呟いた。彼女の瞳に覇気はなく、淀んでさえ見えた。
これが演技なら大したものだ、と広翔は思う。
「だから、事件のことは話せないの。ごめんなさいね。ただ、それを周りに知られると何かと面倒だから……試すようなことしてごめんなさい。本当に雅也さんの甥っ子さんかもわからなかったから」
ぺこりと頭を下げる。
広翔は絶句した。
「隠し部屋」
璃久が呟く。
遠子は目を見開いた。
「あなた、喋れるように……!?」
素直に信じきってくれているのが申し訳なくなり、広翔は「すみません」と謝る。
「あの、入れてもらえるための作戦だったんです。でも雅也さんの甥というのは本当です。入れてもらいたかったのは、事件の話を聞きたかったんじゃありません。あの」
広翔が上手く伝えきれないでいると、璃久が横から口を挟む。
「騙してすみません。ですが、人の生死がかかっているかもしれなかったんです。この家に隠し部屋があることはご存知ですか」
璃久の問に遠子は困惑しながらも首を振る。
「人の生死って」
「それはまた後で。あの、隠し部屋開けてもいいですか」
広翔は慌てた様子で急き立てる。遠子が「ええ」と小さく答えるなり、二人はパッと立ち上がる。
「どこだ!?」
璃久が広翔に尋ねると、広翔は苦い顔で「わからん」と言う。
「はぁ!?どこからさがしゃあいいんだよ」
璃久がリビングを見渡すが、さすがにすぐ見つかるようには設計されていない。一体遠子が犯人だったならどう隠し部屋を見つける予定だったのだろうか。
璃久は内心呆れる。そしてハッとした。
「あ、おい広翔!スマホ鳴らしてみろ!」
作戦会議の際の会話も芋づる式に思い出した。
広翔はスマホを取り出し「澄香」のアカウントを呼び起こす。
プルルルと繋がる。電源は切られていないようだ。
チロチロ、とどこかで小さな音が確かに鳴る。
「璃久!」
広翔が璃久を振り返る。
その二人の様子を、遠子は信じられないものを見る目で見ている。
「そんな、本当に……?」
驚いて声も出ないようだった。
プツッと音が弾け、電話口の向こうから微かな雑音が聞こえる。
「先輩!?」
広翔の声が裏返る。
タン、と画面を叩く音が聞こえる。
目頭が熱くなる。
「あの、ラインで返事を……できますか」
広翔が逸る気持ちを抑えながら澄香に話しかける。
【できるよ】
ピコンとラインのメッセージが送られてくる。
「あの、今、俺たち先輩が昔居た家にいます。微かですが先輩のスマホの音も聞こえました。今どこにいますか」
広翔は、焦る声を抑えるように深呼吸する。
【リビングのレンガの壁に植物が五つ飾ってあるところ。植物の棚を手前に少し引いて】
広翔はすぐにスマホの画面を璃久に向ける。
璃久は無言で頷き、二人は早足で壁へと寄る。
植物が、一番上の棚に二つ、二段目に一つ、一番下の段に二つ飾られていた。二段目の棚にだけ取っ手のような、手をかけられるような反しが付けられている。
それを言われたとおり少しだけ引く。
すると、壁が車のスライドドアのように自動で開き始めた。
三人は目を丸くした。
遠子に至っては「ええっ!?」と声を上げている。
壁の向こうには螺旋階段が用意されていた。
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